巻一 第三章
このようにして、ニ三年が経った。
実家の父からは頻りに文が届いた。出家の督促であった。隠士はそのつもりで預けたのであった。賞玩のために供したのではない。
律師としてはもう少し、俗体のままで修学させたい気もしたが、それも親御の本位に背くことだと、薙髪出家させて、法名を玄怡と授けた。人々からは侍従君玄怡と呼ばれることになった。
律師は、法体となったからには一途に修学に打ち込むべきと強く戒めた。
玄怡は、止観十乗の窓の中より三諦即是の澄んだ月を眺めるように、瑜珈三密の壇の前で四曼不離の花をもてあそぶように、あらゆる行に努めて、悟りの境地を求めて邁進した。倦むことなく先達を範として刻苦して学の成ることが著しかった。同宿と論を交わしても、真理を見極める力量は玄怡に比肩するものはいなかった。
律師は、「仏は、この天台の教えをとこしえまで伝えようと、この玄怡を私のもとに遣わしてくれたのであろうか。」と、喜ぶこと一入であった。
(注)薙髪=剃髪。僧になること。
止観十乗・・・=「止観十乗」「瑜珈三密」は修行の方法、行為。「三諦即是」
「四曼不離」は宇宙万物の真理。修行の中に真理を追究することを、月・花に
たとえて表現したもの。