religionsloveの日記

室町物語です。

富士の人穴の草子③-異郷譚4ー

その3

 その後大菩薩は、「ただ今頂いたの剣の恩返しに、あなたに六道の有様あらましを見せて帰そう。」と、毒蛇の形を十七八の童子に変身なさって仰しゃいます。「本当だろうか、日本の衆生は地獄が恐ろしいとはいうのだけれど、実際に行って帰ってきた者はいないし、極楽は楽しい所だといっても見てきた者はいないというが、それでは地獄の有様をみせて帰そう。」と、大菩薩は左脇に新田を挟んでて、まずは賽の河原に行ってお見せになります。

 「さあ汝に見せよう。お聞きなさい、まずは地獄の奉行を教えよう。一番に箱根、二番に伊豆の権現、三番に白山、四番には自分、五番に三島の大明神、六番に越中立山の権現にてあらせられる。これらは無間地獄の奉行六人である。竜蔵権現でおわせられる。百三十六地獄、奉行の御心から見放されたものは、必ず地獄に堕ちるのだ。まず賽の河原を見せよう。」と言って見せなさると、七つ八つほどの童部が、三つ四つの幼な子と手に手を取って悲しみにくれています。新田はこれを見て、「あれはいかなる者ですか。」と尋ね申し上げると大菩薩は、「あれこそ娑婆で親の胎内に九か月ほど辛苦をさせて生まれたのに、その恩に報いることなく幼く死んでしまった者だ。あのように河原へ出でて九千年もの間苦を受けるのだ。」と答えます。暫くして火焔が燃え出すと、河原の石はみな炎となって童子たちは白骨となってしまいました。ややあって鬼どもがやって来ました。そして鉄の錫杖でかつかつと打つと、また元の幼き者となります。

 さて、西の方を見ると三途の川というものが流れています。この川の深さは一万由旬、広さも一万由旬です。この川の端には優婆尊という者が立ちなさっています。この前を通る罪人は衣装を二十五の罪に当てはめて、二十五枚剝ぎ取られます。衣装がなければ身の皮を剝ぎ取って衣領樹の木に懸けなさいます。すると天の羽衣となります。この老婆はまさに大日如来の化身なのです。

 さてこの川を渡って見ると、死出の山があります。娑婆で一七日から七七日までの忌日を弔えば、中有を果てますが、その魂魄がやって来て山の向こうに向かって、「娑婆にて命日を弔いました。とくとく帝釈に報告する俱生神へこのことを申し伝えよ。」と大声で呼びかけると、俱生神は承知なさって、「八十億劫の罪を滅す善行あり」と、帝釈に申し上げて千の札に記録なさり、その報いとして九品の浄土へ参る者もいます。

 一方傍らを見れば、ある罪人には重い石を抱かせて獄卒が打擲し苛む所があります。また鉄の尖った巌を上れ上れと責めたてる所には幾千万ともしれない多くの亡者がいます。大菩薩は、「あれは娑婆で馬に重い荷物を付けて商いをしていた者である。利益を得ることに執着して、馬のつらさにも気づかず責め殺した者が、あのように苦を受けて一万八千年はこの地獄から浮かび上がることはできないのだ。必ずや新田よ娑婆に戻ったならば皆に触れよ。ものいわぬものだとて、馬に多く荷を付けてはいけない。地獄行きの種となるのだ。

 また、ある所を見ると、罪人を剣の先で刺し貫いて責める所もあります。剣の山を上れ上れと責められる罪人どもは、肉体から血がはじけ落ちる事は、ものにたとえると、まるで血潮に染まる紅が咲き乱れているようです。「あれこそは娑婆で主君・親の恩に報いずして、処処の住まい(生活)で主君・親に対して悪行をした者が、かかる苦を受けて浮かばれないのである。」

 また西の方を見ると、火の波・水の波が夥しく立ち上がる所を渡れ渡れと鬼どもが責め立てています。その者どもに手枷足枷を掛けて、四十四の脇や背の曲がりどころ・八十三の骨の関節・九億の毛穴ごとに釘を打っている所があります。新田が、「あれはいかなる者ですか。」と申し上げます。大菩薩は、「あれこそ娑婆で慳貪・私欲の心をを持っていた者が、あのように苦を受けて少しも心安まる事がないのだ。全く人の持つまじきものは慳貪・私欲である。」

 また東の方に高い所があります。大菩薩は新田を連れて見せなさいますが、東へ向かった道があります。六道の辻というものです。この辻に忍辱の衣(袈裟)を召した法師が二人立ちなさっています。この法師の前に罪人どもが集まって、「仏様、私をお助けください。」と悲しみ訴えることこの上ありません。獄卒はその罪人どもを受け取って「これらは無間地獄へ堕とそう。」といいます。新田が、「あれはいかなる者ですか。」と申すと大菩薩は、「あの法師と申すは六道能化の地蔵菩薩と申す者だ。娑婆にいた時に名利ばかりを好んで、娑婆では『地蔵菩薩』とも唱えない者が、今になって助け給えと申しても、決して聞き入れなさらないのだ。これも娑婆でみなに知らせなさい。」とおっしゃいます。「極楽に参りたいならば暁ごとに手を洗い地蔵の名号を百遍も二百遍も唱えなさい。」と懇切丁寧に教え諭します。

原文

 その後大菩薩仰せに、「ただ今の剣の報幸に、汝に六道の有様をあらあら見せて帰すべし。」とて、毒蛇の形を引き変へて十七八の童子になり給ひて仰せけるやうは、「まことやらん、日本の衆生は地獄恐ろしといへども帰る者なし。極楽は楽みといへども見たる者なしといふに、地獄の有様を見せて帰さん。」とて、大菩薩の左の脇に新田を挟みて、まづ賽の河原を見せ給ふ。

 「いかに汝に見せる。承れ、*地獄の奉行を教へべし。一番に箱根、二番に伊豆の権現、三番に白山、四番にみづから、五番に三島の大明神、六番に越中立山の権現にてまします。無間地獄の奉行六人なり。*竜蔵権現にてわたらせ給ふ。*一百三十六地獄、奉行の御心にはなされ申しては、必ず地獄に堕つるなり。まづ賽の河原を見せん。」とて見せ給へば、七つ八つばかりの童部、三つ四つの幼き者ども手に手を取り組みて悲しむこと限りなし。新田これを見て、「あれはいかなる者ぞ。」と問ひ申せば大菩薩、「あれこそ娑婆にて親の胎内に九月がほど辛苦をさせて、その*恩の送らずしてむなしくなりたる者が、あのやうに河原へ出でて苦を受くりこと九千歳なり。」暫くありて火焔燃え出でければ、河原の石のみな炎となつて白骨となりにけり。ややあつて鬼ども来たり。鉄(くろがね)の錫にてくわつくわつと打ちければ、また元の幼き者となる。

 さて、西の方を見れば三途の川とて流れたり。この川の深きこと一万*由旬、広さも一万由旬なり。この川の端には「うばこせん(*優婆尊)」とて立ち給ふ。この前を通る罪人は衣装を二十五の罪に当てて、二十五枚剝ぎ取らるる。衣装なければ身の皮を剝ぎ取りびらんじゆ(衣領樹?)の木に懸け給ふ。天の羽衣になし給ふなり。この姥はすなはち大日如来の化身なり。

 さてこの川を渡りて見れば、死出の山あり。娑婆にて忌日を弔へば、魂魄来たりて山を隔てて言ふやうは、「娑婆にて命日を弔ふぞ。とくとく*俱生神へこの由を申せ。」と呼ばはれば、俱生神受け取り給ひて、八十億劫の罪を滅すとて、帝釈に申して千の札に付け給ひ九品の浄土へ参る者もあり。また傍らを見れば、ある罪人に重き石を付けて打ち苛む所あり。また鉄の巌の角を上れ上れと責むる所幾千万ともなし。大菩薩、「あれこそ娑婆にて馬に重きを付け商ひをしたる者よ。利を取る事をおもしろく思ひて、馬の息も知らず責め殺したる者、あの苦を受けて一万八千歳がほど浮かぶことなし。相構へて新田娑婆にて触れよ。ものいはぬものとて、馬に多く荷を付けべからず。地獄の種なり。

 また、ある所を見れば、罪人を剣の先に刺し貫きて責むる所もあり。剣の山を上れ上れと責むるかの罪人ども、*肉叢(ししむら)の落ちける事、ものによくよくたとふれば、血潮に染むる紅を咲き乱したるごとくなり。*あれこそ娑婆にて主・親の恩を送らずして、処処のすまひ(生活し?)、主・親を悪行したる者、かかる苦を受けて浮かぶことなし。また西の方を見れば、火の波・水の波夥しく立ち上がる所を渡れ渡れと鬼ども責むる。かの者どもに手枷足枷を掛けて、*四十四のつきふし・八十三の折骨・九億の毛穴ごとに釘を打つ所あり。新田、「あれはいかなる者。」と申す。大菩薩、「あれこそ娑婆にて*けんだんしよくを持ちたる者、あのやうに苦を受けて少しも心安き事なし。ただ人の持つまじきものはけんだんしよくなり。また東の方に高き所あり。新田を連れて見せ給ふに、東へ指したる道あり。*六道の辻なり。かの辻に*忍辱の衣を召したる法師二人立ち給ふ。かの前に罪人ども集まりて、仏なふ我を助け給へと悲しむ事限りなし。獄卒受け取りて無間へ堕とさんといふ。新田、「あれはいかなる者ぞ。」と申せば大菩薩のたまふやう、「あの法師と申すは*六道能化の地蔵菩薩と申し奉るなり。娑婆にありし時名利ばかりを好みて、娑婆にて地蔵菩薩とも唱へぬ者、今は助け給へと申せども、さらに用ひたまはず。娑婆にて触れよ。」と仰せたる。「極楽に参りたくば暁ごとに手を洗ひ地蔵の名号を百遍も二百遍も唱へべし。」と懇ろに教へ給ふ。

(注)地獄の奉行=どのような基準でこの六社が選定されたかは未詳。

   竜蔵権現=「竜蔵」は大乗経典の意だが、金華山には「竜蔵権現」と呼ばれる神

    社があるらしい。ここでは仏教由来の垂迹した神、という意味か。

   一百三十六地獄=八大地獄とそれぞれに属する各十六の小地獄計百二十八地獄を

    合わせていう。

   恩の送らず=恩に報いない。

   由旬=古代インドの距離の単位。7マイル(11.2キロ)とも9マイルとも。

   優婆尊=脱衣婆。三途の川岸で亡者の衣を剥ぎ取る鬼の老婆。

   俱生神=人の生まれた時から常にその両肩にあって善悪を記録するという男女二

    神。男神「同名」は左肩で善業を、女神「同生」は右肩で悪業を記録し閻魔王

    に報告するという。

   千の札=閻魔大王(ここでは帝釈天になっているが)に報告する善行・悪行を記

    録した札。

   肉叢の落ちける=肉が落ちるのではなく、剣に刺された肉体から血が滴る、の

    意だろう。

   あれこそ・・・=大菩薩の言葉。

   四十四のつきふし・・・=「つきふし」474では「わきふし」背中や脇などの可

    動域か。「おりほね」、日国では「腰骨」、関節か?四十四、八十三の数字を

    ヒントに調べる余地あり。

   けんだんしよく=未詳。「慳貪・私欲」か。

   六道の辻=六道に分かれる辻。

   忍辱の衣=袈裟。

   六道能化=六道にあって衆生を導く者。