religionsloveの日記

室町物語です。

あしびき㉚ーリリジョンズラブ2ー

巻五 第六章

 寂而上人(侍従)の大原の庵は、比叡山からさほど遠くなく、顔見知りの同朋らが仏法の不審な点などをしきりに尋ねに来て、念仏にも支障をきたすほどであった。大原の住まいは愛着もあり、良忍上人ゆかりの来迎院を離れるのには未練もあったが、止観聖に暇乞いをして、より閑静な高野山を目指して旅立った。

 本寺や伝法院を参拝し、庵を結ぶにふさわしい地を捜し歩くと、人跡も絶えた谷底の岩の狭間に方丈の庵があるのを見つけた。

 朝な夕なの梵鐘の音が耳の底に響き、竹やぶや松の林に立ち込める霧や靄の色は心に染みた。庵の内ではひどく年老いた声で仏法を談じている。これは尊いことだと思い、立ち寄って耳を傾けると、対面して激しく問答をしている人の声が、少将禅師に似ているように思われた。とうに思いを捨てた人ではあったが、妙に気にかかって、明かり障子をとんとん叩くと、「どなたがどこから訪ねてきたのですか。」と言いながら出てきた人を見ると、かつて慣れ親しんだ少将の君であった。ひどく痩せて顔入りも黒ずんで萎えくたびれた濃い墨染めの衣を着ている。侍従は数珠を手にしながら、「これはどうしたことです。現実のこととも思われません。」と言うと、「少将も、「本当に思いがけないことです。」と答えた。二人はお互いに発心遁世のいきさつを語り合って、墨染めの衣が濡れて色が変わるほど涙を流した。

 侍従はそのまま庵室に入り、少将と心ひとつに事理の修行に励んだ。やがて、房主の老僧は高齢であったが、病気になって余命いくばくもなく見えた。二人は枕元、足元に寄り添って、老知識の看病をしたので、臨終にも取り乱すことなく、入我我入の境地に入り、手には印を結び、口には真言を唱えて、瞑想するようにして穏やかに息絶えた。

 一二年ほど後、寂而上人はニ三日患っていたが、「今となっては少しでも早く安養上品の蓮台に移って、すみやかに無生を悟れば、誓いの通り阿弥陀仏が極楽浄土へ導いてくださるであろう。」と言って、縄床に結跏趺坐して、浄土に願いをかけ、妄念にとらわれず、観法を成就して命を終えた。

 これを見聞きした遠近の人々は、天台大師の入滅の有様と寸分違わぬと随喜したという。

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(注)入我我入=修行者が仏陀や菩薩と一体になる境地。

   安養上品の蓮台=浄土にある居場所。

   縄床=縄を巡らせて作った円座風の敷物。

   観法=真理を観察して明らかにする方法。