religionsloveの日記

室町物語です。

あしびき④ーリリジョンズラブ2ー

巻一 第四章

 侍従はとある八月、中秋の十日過ぎに縁ある人と会う用事があり、白河の辺りに二三日逗留していた。夜が更けて曇りない名月が天高く浮かんでいた。かつての晋の王子猶が月を愛でて遥か剡中の戴安道を訪ねたという故事も思い浮かばれて気もそぞろに庭に立ち出でて、詩歌を口ずさんでいると折、気品ある撥音(ばちおと)で琵琶を奏でているのが聞こえてきた。どこで弾くのだろうと耳を澄ます。

 どうも近くであるようだと、音色を頼りに尋ねていくと、風情のありそうな邸の内からひそやかに唱和しながら見事に弾きこなしているようだ。秋風楽であった。声の主はどのような人だろうと、家々を垣間見ながら歩く身は、我ながら白楽天が尋陽で琵琶の音に心ひかれた姿にもなぞらえられてしまうのである。

 しばらくして、十三四歳ほどの童が門口へ出てきた。人の気配を感じたのであろうか。人影を見て怪訝そうにしている童に、「この琵琶はどのような方がお弾きになっているのか。」と親し気に語りかけたが、初めは笑っているだけで答えようともしなかった。しかし、侍従が重ねて問うので、「こちらは南都奈良の民部卿得業と申す人が京にお会いする人がいて、この宿所に留まっているのですが、そのご子息が弾なおもいているのでございますよ。」と答えた。

 妙なる調べに興味をかきたてられて、「それではお歳はいくつであるか。どのような方のお弟子であるのか。」などと事細かく尋ねると、どうしてこのように詳しく尋ねるのかと不審には思うが、ついうっかり答えてしまったので、中途半端に言いさすのもどうかと思って、「歳は十四五におなりでしょうか、東南院僧都のお弟子でございますよ。」と、ひどくそっけなく答えた。

 なおも親しく尋ねようとしたが、童は薄気味悪く思われて,「白河の関守は厳しいものです。(この門は入れませんよ。)」と門を閉ざして入ってしまった。

 ぽつんと取り残された侍従は、しばらくその場に立って、あの琵琶の音の主に合うよすがはないかと考えていたが、せん無いこととてその夜は帰っていった。

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参照 芦引絵



 

(注)王子猶=王子猶は王徽之。書聖王羲之の子。戴安道は戴逵。書画、彫刻、琴の名

    手。

   秋風楽=雅楽の曲。