religionsloveの日記

室町物語です。

あしびき㉘ーリリジョンズラブ2ー

巻五 第四章

 侍従は中陰の法事などを終えて山に帰り上った。そして父の残した遺言をしみじみとかみしめた。すると、世間を出て仏門に入いったのに、なおもはかない栄華を求めているおのれの生涯がひどくつまらないものに思われてきた。「『人としてこの世に生を受けることは稀有なことで、またその身が仏の教えに会うこともまた困難なことだ。』とは、実に我々が朝夕口にすることではないか。それを、私は俗界のつまらぬ交わりを逃れて、大師結界の洞、比叡山に住むことができた。そればかりではなく、前世の善根もあったのか、畏れ多いほどの天台真言の教えを授けられ、誰もが受けられる訳ではない口決相承をも受けられる器ともなった。それなのに、自分は比丘の姿となっても、比丘の行をせず。円実の教えに会いながら、円実を悟ろうとも努力しなかった。ただただ驕りたかぶって、名声や利欲を求めるばかりであった。これではことわざの、『宝の山に入りながら手を空しくして帰る』そのものではないか。それだけではない、それを父上とはいえ俗人に、あからさまに非難されるとは全く恥ずかしいことだ。」との思いが頭を離れず、ひどく辺鄙な山の中にでも分け入って、柴の庵を結んで、五八十具足の戒行をすべて守るのは困難でも、五相十乗を観ずる智慧を堅持して、己の修行に励み、亡父の菩提を弔おうと思った。しかし、一周忌まではただそう思うだけで、あわただしく日々は過ぎていった。

 一周忌の法事がすべて終わり、侍従はすぐに日吉大社に参詣して、宮々を巡っていると、神仏が機縁をお与えになったのであろうか、ふつふつと信心が沸き起こる感じがして、十禅師の拝殿で通夜して一晩中観法につとめて読経を行った。すると、社壇の雰囲気も常にも増して神々しく感じられ、随喜の涙がひとりでに溢れてきた。

 小比叡の峰を渡る風は、まるで菩提へ誘うようで、芝田楽の庭で鳴る鼓の音は、衆生を救済する誓いの音に聞こえた。これは仏が権現に垂迹して済度する方便であろうと、侍従には頼もしく思われた。このようにして周囲を見回すと、猿の叫び声、庭火の影、どれをとっても発心修行の手立てとならないものはないように思われた。

 暁方になって懺法が終わったので、他の大衆は各々急いで、山に帰ったが、侍従は心に決めていたことなので、山には戻らず大原の奥来迎院の傍らに、長年聞き及んでいた尊い止観聖を訪ねて、寂而房と名のって墨染めの姿になった。

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(注)この章以降、仏語が頻出し、文意が取りづらい。

   比丘=僧。

   円実=天台宗の教理。   

   五八十具足の戒行=五戒・八戒十戒具足戒(あらゆるすべての戒行)。

   五相十乗=仏道の真理を感じる方法。か?

   日吉大社延暦寺の守護神。中に、上七社・中七社・下七社の二十一社がある。

    十禅師は上七社のひとつ。

   芝田楽=神社の前庭で演ずる田楽。

   懺法=経文を唱えて罪科を懺悔する儀式。

   墨染めの姿=黒い僧衣。僧となることだが、寺院がすでに俗化していて、権力や

    富を争う俗世間と変わらない場所に堕していたので、そのような寺院内での地

    位や財産を捨てて遁世することを言ったと思われる。