religionsloveの日記

室町物語です。

富士の人穴の草子⑤-異郷譚4ー

その5

 その畜生道を過ぎて、大菩薩は餓鬼道を見せようということで新田を連れて行きなさいます。

 ここにはまた、食物が前に据え置かれていても食べることができない者がいます。これは娑婆では財宝は持ってるのに、食事は他人にも施さず自分でも食べることを惜しんで、銭・米を持っている事を楽しみとして、寒さひもじさ我慢して節約していた者で、その者は、餓鬼道へ堕ち五十万劫がほども浮かばれる事がありません。「さあ新田、娑婆で皆に触れなさい。富貴であってももまた貧乏であっても、その分に応じて座敷を綺麗にして、きちんとした身なりをし、食事を綺麗に誂えて、人にも喰わせ自分も食べれば富貴にもなるのだ。夢に見るといってもこの世の姿以外のものは見ない。過去に善根を積まないで、現在に有徳の人を恨む事があるならば、餓鬼道に堕ちるのだ。」。

 またここには子を産んでその子を裂き喰らう者がいます。「あれは娑婆で生身の子を売って自分が食いつなぎ、または幼いを棄てた者どもが、あのように苦を受けて三百万劫ほどは浮かばれないのである。いかに煩わしくても子を売ったり捨てたりしてはいけない。」。

 またある罪人が米を一口含められているのに口から血が流れて食うことができません。「あれは娑婆で人に食物を与える事を惜しく思った者が、皆餓鬼道へ堕ちて浮かぶ事がないのだ。」。

 また餓鬼道の辻に出でて見ると、地蔵・帝釈の愛しなさっている者がいます。「あれは三河の国の平田の郡の、平田入道で名を妙心房という者である。夫婦ともに語り合わせて、私たちは娑婆では子というものを持つまい、としてひたすら憂き世を捨てて後世を祈ったのだ。二人は童子となって九品の浄土へ参りるのだ。かの浄土には三世の諸仏が集まりなさって、黄金の光堂を立てて住みなさっているという。」。

 また畜生道を御覧になると、天を翔る翼の鳥、地を走る獣どもが取り繋がれて、心安まることなく苦しめられています。あれは娑婆で子が親に心配をさせ、人間で継母継子に心配させた者が、みんな畜生道へ堕ちるのです。

 また修羅道を見ると、炎が夥しく立ち上っています、その中では弓箭(弓矢)を身に着け兵仗(武器)を調達して合戦に暇ありません。これは娑婆で弓矢当たって死んだ者で、修羅道へ堕ちて苦を受ける事、二千三百年です。

 このように地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天という六道をお見せになって、その後新田を脇に挟んで閻魔の庁へお着きになります。

 閻魔の庁はその内に黄金の紫宸殿が建立されています。その中に閻魔王をはじめ十王がお住みになっています。善根をする者は倶生神が黄金の札に書き付けなさいます。悪をする者は、鉄の札に書き付けなさいます。ここでまた鬼どもが、「さあ罪人よ神の領域を離れた七歳以降の娑婆で作った罪を見せよう。」と申して鉄の札を見せます。罪人が、「それほどの罪はございません。」と申すと、「それならば業の秤にかけよ。」とてかけなさいます。それに対してもとかく抗うので、「浄玻璃の鏡見せよ」と言って、すぐさま鏡をお見せになります。そこには神の域から人となった七歳以降の罪科が少しの隠れもなく映し出されてあります。こうなっては最早言い争いもしかねてひれ臥し頭を地につけて、「ああ仏様よ私をお助けください。」と嘆き悲しんで訴えますが、十王(閻魔大王)が、「汝は娑婆で子を持っていたか。」とおっしゃいますと、子を持っていたと答えた者は獄卒に請い、保留しておき、子を持たなかったという者は即座に無間地獄へ堕とされます。子が親の後世を弔うかもしれないからです。十王には必ずや慈悲の心があるのです。

 また鉄の臼で引かれき搗かれている罪人がいます。

 念仏の行者には十王は座を降りて、礼をもって待遇します。そうして浄土へ送りなさいます。

 こちらにはある入道を、鉄の弓で絶え間なく矢を射る処があります。あれは娑婆で知りもしないお経を知っているふりをして施しの斎(とき)を食べ、お布施を受け取って皆にとり囲まれて深く信仰礼拝された出家者で、あのように苦を受けて悲しんでいるのです。

 このようなところで大菩薩は、「さあ罪人どもよくよく聞きなさい。娑婆に残った者ども(家族など)が死んで一七日、二七日、五七日、四十九日、百か日を過ぎても死者を弔わないと獄卒どもは無間地獄へ堕とすぞ。」とおっしゃいます。十王はお聞きになって、涙を流しながら、「いやいや獄卒には三回忌をお待たせください。」とお願いなさると、「それでも弔わなかったら、獄卒にただちに受け取らせて地獄に堕とそう。」と言います。十王は、「さらに七年を待ってみてください。」とおっしゃいます。「それでも仏事を行わなければ十三回忌をお待ちください。」とおっしゃいました。それでも弔わなければ、この上はいたしかたないということで罪人を獄卒の手に渡しなさいます。無情にも無間地獄へ堕とすのでした。罪人はいったんは立ち戻って、「ああ尊い十王よ私を助けてください。」と悲しみ訴えます。

 「さあ新田よ地獄の様子の概略を見せたぞ。それでは今度は遊山のように楽しい極楽浄土の様子を見せよう。」といって新田を引き連れて西の方へ行かれます。そこには橋が四つあります。大菩薩は、「あれこそ仏・菩薩、尊い人を渡して九品の浄土へ入りなさる橋である。」とおっしゃいます。その向こうにいる阿弥陀仏は畏れ多くも光鮮やかにして霊験あらたかです。池のほとりには鳧雁鴛鴦が波の音も趣深く泳ぎ、黄金の幡を大悲の風に靡かせて、二十五の菩薩が音楽を演奏して舞い遊びなさっています。このようなところで花が天から降り下りて、心も言葉も及ばないほど美しい光景です。新田はこのような素晴らしい所にはずっといたいと思いました。大菩薩はなお仏菩薩のお住みになっているところを見せようと、新田を引き連れて拝ませなさいます。地蔵・竜樹・観音・勢至などの三世の諸仏がお住みになっているところや、座禅入定のところもあり、法華三昧の床もあり、真言の行者のところもあります。

 善根を傾けた者が暮らしているところもあります。このような中でも愚かで痴れ者で、欲の心念を持った者は、六根に釘を打たれ(て地獄に堕ち)るのです。

 ここに女房が毒蛇に喰われて叫んでいる処があります。これは娑婆で男に好意を懸けられて、その思いに報いない女で、一万五千年がほども浮かばれる事はありません。

 またここには男が善根を思い立っ(て施しをしようとし)たのに女房は顔を赤らめ(怒りで顔を真っ赤にし)、「今生こそ大事です。後生の事はどうなってもかまいません、なんとも嫌な善根ですよ。」と思い、施すべきものをも自分の衣装などにしようと思った女房が、剣の先に懸けられて五千万劫がほども浮かばれる事はありません。

 夫婦という者はどうにかして男と女房は相談し合って、女は男をいいように勧め、男は女房を勧めて善根をしなさい。

 「今生は夢の中の夢なのに、千年万年も生きていられると思い、財産を持ってもさらに重ねて持ちたいと思い、衣装は着ている上にも着重ねたいと思っている者は、地獄に堕ちる種である。ただ世の中をばあるに任せて過ごしなさい。今生はわずか五十六十年の間である。その行く末に久しく浄土に生まれて楽しむべき事を知らない者はまことに愚痴である。返す返すも善根に傾けなさい。善根に傾く者には邪魔・外道も障礙をしない。今生では栄華を誇り後生では極楽浄土へ参るのだ。」と、大菩薩はよくよく教えなさいます。

 その後大菩薩は、「新田よ、汝に見せたい事は多いのだが、概略は見せたので帰そう。」と言って、黄金の草子三帖に地獄・天国の様子をお描きになり、新田にお渡しになります。「さあ新田お聞きなさい。私の様子、また地獄・極楽のありさま、ありのままを人に語ってはいけない。三年三月過ぎたなら督の殿(頼家)にだけは語ってもよい。それ以前に語るとしたら、汝の命は取ってしまうぞ。督の殿の命もないであろうぞ。(他の者にはこの草子を見せて地獄極楽を示しなさい。)さあ地獄はこの草子に描き写してしまった。もうこれでいいだろう。もはや本国へ帰そう。」ということで東へ向かった道に送り出だしなさって、大菩薩は重ねて、「返す返すも私の様子を語ってはいけない。」とおっしゃって、やがて消えてしまいます。そうして新田は七日ほどで本国へとお帰りになりました。

 そうして帰朝した新田は、君の御前に参って、帰朝の由を申し上げますと、督の殿はお聞きになって喜ぶことこの上ありません。こうしていると諸国の大名も新田の物語を聞こうとして、落縁・広縁、鞠の懸りまでも貴きも賤しきも群集をなして集まりなさいます。そうして督の殿は木賊色の狩衣を召して、高座に居ずまいを正してお座りになり、「さあ新田よ、岩屋の内ではどのような不思議があったのか。とくとく語り申せ。」との御命令がありました。新田畏まって頭を地につけて申すには、「岩屋のありさまを語り申し上げることは安き事ではございますが、語り申し上げると君に御大事がたちまちあるでしょう。私の命も絶えてしまいます。さてどうしましょうか。」。すると、重ねて、「たとえ大事があったとしても即座に語り申せ。」とのご命令です。新田は畏まって笏を立てて居ずまいを直して、岩屋の体、または六道四生のありさま、地獄極楽浄土の体を、細やかに語りました。

 聞く人は皆耳を澄まして、「なんとおもしろい事かな。」とさざめきなさいます。この語りはたとえるならば、釈尊富楼那尊者の御説法もこうなのかと思われる巧みさでした。生死の眠りをさえ覚ますようです。

 こうしている間に、新田はその始終も語りも果てずに四十一歳と申す時には朝の露と消えてしまうのです。

 さて、天からは、「私の様子を語らせた頼家は助かることはできないだろう。そのきっかけとなった新田忠綱の命もすぐさま奪おう。」とよばわるこえがあって、二人とも死んでしまいました。諸国の大名はこれを聞いて、恐れ慄いたでした。

 やがて忠綱の死骸を、伊豆の国新田へ送りなさりますと、松房・おく房・女房・なん房はこれを見て、なんという事だとただひたすら泣き悲しみます。そうはいってもそのままではいられませんので、火葬して白骨と取り集め孝養行いなさいます。その後、松ほう・おくほう今に繁盛する事この上ありません。

 みなみなこの草子(秘伝とされたこの草子を)を御覧になる人は、即座にも富士浅間大菩薩と拝み奉りなさい。読む人も聞く人も精進をなして、よくよく聞いて念仏を申し、後生を願い、南無富士浅間大菩薩と百遍唱えなさい。よくよくこれを保つならば、三悪道地獄道畜生道・餓鬼道、修羅道はいいのか?)へ堕ちる事はないだでしょう。

 という事で、「富士の人穴の物語」は以上です。

原文

 *それを過ぎて、餓鬼道を見せんとて新田を連れて行き給ふ。

 ここに食物を前に据え置き喰はんとすれば、娑婆にて宝物は持ちたれども、人にも施さず我々も喰ふ事もなく、銭・米を持ちたる事をばおもしろく思ひ、寒さひだるさを堪忍して身を詰めたる者、餓鬼道へ堕ち五十万劫がほど浮かぶ事なし。いかに新田、娑婆にて触れよ。富貴にてもまた貧にても、分分に座敷を綺麗にして、衣装を嗜み食事を綺麗に拵へて、人にも喰はせ我々も喰ひすれば富貴にもなるなり。

 夢に見るもこの世の姿ならでは見ぬものなり。過去に善根をばせずして、現在にて有徳人を恨む事あらば、餓鬼道へ堕つるなり。またここに子を産みて裂き喰ふ者あり。あれは娑婆にて生身の子を売りて喰い、またまた幼けなき子を棄てたる者ども、あのやうに苦を受けて三百万劫がほど浮かぶ事なし。何と迷惑なりとも子を売り捨つる事なかれ。またある罪人に米一口含められて口より血流れて喰はれず。あれこそ娑婆にて人に物呉るる事悲しく思ひたる者、皆餓鬼道へ堕ちて浮かぶ事なし。

 また*餓鬼道の辻に出でて見れば、地蔵・帝釈の愛し給ふ者あり。あれこそ*三河の国の平田の郡に、平田入道、名をば妙心房といふ者、夫婦ともに語り合はせて、我娑婆にて子といふものを持たぬなりとて偏に憂き世を捨てて後世を祈る者童子となりて九品の浄土へ参る。かの浄土には三世の諸仏集まり給ひて、黄金の光堂を立て給ひたり。

 また畜生道を御覧ずれば、天を翔る翼、地を走る獣ども取り繋がれて、心安き事なし。あれこそ娑婆にて子が親に*思ひをかけ、人間は継母継子に思ひをかけたる者、これみな畜生道へ堕つるなり。

 また修羅道を見れば、炎立ち上る事夥しし、その中に弓箭(きうせん)を帯し兵仗(ひやうじやう)を調へて合戦暇なし。これは娑婆にて弓箭に会ひて死したる者、修羅道へ堕ちて苦を受くる事、二千三百歳なり。

 地獄・餓鬼・畜生・修羅・人・天とて六道を見せ給ひて、その後新田を挟み閻魔の庁へ着かせ給ふ。

 その内に黄金の紫宸殿を建立せられたり。その内に*十王住ませ給ふ。善根をする者をば黄金の札に付け給ふ。悪をする者をば倶生神、鉄の札に付け給ふ。ここにまた鬼ども申すやう、「いかに罪人娑婆にて作りし罪*七歳よりの事見せん。」とて鉄の札を見せられけり。罪人申すやう、「それほどの罪は候はぬ。」と申せば、「さらば*業の秤にかけよ。」とてかけ給ふ。それをもとかく争ひ申せば、*浄玻璃の鏡見せよとて、やがて鏡を見せられたり。七歳よりの罪科少しも隠れなし。今は早や争ひ申しかねて臥し転び頭を地につけ、「あはれ仏なふ我を助け給へ。」と嘆き悲しめども、十王仰せけるは、「汝娑婆に子を持ちたるか。」とのたまへば、*子を持ちたるといふ者は獄卒に請ひ取りておかれける。子を持たざるといふ者をばやがて無間へ堕とさるる。相構へて慈悲心あるべし。あるいは鉄の臼にて引き搗かるる罪人あり。*念仏の行者を十王座を去って、礼をし給ふ。さて浄土へ送り給ふ。ここにある入道を、鉄の弓にて引き詰め差し詰めさんざんに射る処あり。あれは娑婆にて知らぬ経を知る体にして斎(とき)を喰い、布施を取り*囲繞渇仰せられたる出家があのやうなる苦を受けて悲しむなり。かかりけるところに大菩薩のたまひけるうやうは、「いかに罪人どもよくよく聞け。娑婆の者ども死して一七日、二七日、五七日、四十九日、百か日過ぐれども弔はざるをば獄卒ども無間へ堕とさん。」と言ふ。十王聞こし召し、涙を流し仰せけるは、「*いかに獄卒第三年を待ち候へ。」と請ひ給へば、それにも弔はざれば、獄卒ただ受け取り地獄に堕とさんといふ。十王仰せけるは、「さらに七年待ちて見よ。」と仰せける。それにも弔はざれば十三年を待ち候へと仰せける。それにも弔はざれば、この上はとて罪人を獄卒の手に渡し給ふ。情けなくも無間地獄へ堕としける。罪人立ち戻り、「あら尊(たふと)、十王なう我を助けたび給へ。」と悲しみけり。

(注)それを過ぎて・・・=この表現に従えばこれ以前は畜生道の描写ということにな

    るのだが、地獄との差異が判然としない。

   餓鬼道=少ししか触れていないが、この後修羅道にも少し触れて六道をコンプリ

    ートしたことになる。しかし、餓鬼道の描写にはなっていない。

   三河の国の平田の郡=愛知県蒲郡市に平田という地名がある。

   思ひをかけ=①執着する。②好意を持つ。③心配させる。③の意。

   兵仗=武器。

   十王=亡者の罪の軽重を糺す十人の判官をいうが、特に閻魔王をいう場合もあ

    る。

   七歳よりの事=「七つの前は神の内」という諺があり、七歳より前は神のうちに

    あるので罪科は問わないと思われていた。

   業の秤=地獄で生前の悪業の軽重を計るという秤。

   浄玻璃の鏡=閻魔の庁で亡者の生前の善悪を映し出す鏡。文字ではなく映像で示

    し亡者を納得させるのであろう。

   子を持ちたる=その子が親の後世を弔うからである。

   念仏の行者=つながりが不自然。唐突な描写。

   囲繞渇仰=周囲をとり囲んで深く信仰礼拝すること。

   いかに獄卒・・・=大菩薩の言葉に対して、獄卒に向かって答えるというのは矛

    盾する。訳では大菩薩に答える形にした。訳全体が逐語訳ではありません。

 「いかに新田地獄の体あらあら見せたり。いざや*ゆさん(遊山?)の体を見せん。」とて新田を引き具し*西の方へ行き給ふ。ここに橋四つあり。大菩薩、「あれこそ仏・菩薩、尊き人渡し給ふ九品の浄土へ入り給ふ。忝くも阿弥陀仏光鮮やかにして新たなり。池のほとりには*鳧雁鴛鴦(ふがんゑんあう)の波の音おもしろく、黄金の幡を大悲の風に靡かし、二十五の菩薩音楽をなして舞ひ遊び給ふ。かかるところに花降り下り心言葉も及ばず。新田かくてもかくてもあらまほしくぞ思ひける。なほも仏菩薩の住ませ給ふところを見せんとて、大菩薩新田を引き具して拝ませ給ひける。地蔵・*竜樹・観音・勢至・三世の諸仏住ませ給ふところに、座禅入定のところもあり、法華三昧の床もあり、真言の行者のところもあり。せんこく(善根か)に傾くところもあり。かかる中にも愚痴ばかり、*欲心念を構へたる者は、六根に釘を打たるるなり。

 ここに女房毒蛇に喰はれて叫ぶ処あり。これは娑婆にて男に念を懸けられて、その思ひを晴れやらぬ女、一万五千歳がほど浮かぶ事なし。またここに男善根に思ひ立てば女房顔を赤め、「今生こそ大事なれ。後生の事は何ともならばなれ、あら嫌の善根や。」と思ひ、我が衣装などにはせばやと思ひたる女房が、剣の先に懸けられて五千万劫がほど浮かぶ事なし。いかにも男と女房語り合はせて、女は男をいかにも勧め、男女房を勧めて善根をせよ。

 今生は夢の内の夢なるに、千年万年も送るべきと思ひ、持ちたる上にも持ち重ねばやと思ひ、着たる上にも着重ねばやと思ひたる者、地獄の種なり。ただ世の中をばあるに任せて過ぎよ。今生はわづか五十六十年が間なり。行く末久しく浄土へ生まれて楽しむべき事をば知らざる者まことに愚痴なり。返す返すも善根に傾くべし。善根に傾く者には邪魔・外道も障礙をなさず。今生にては栄華に誇り後生にては極楽浄土へ参るなりとよくよく教へ給ふ。

 その後大菩薩仰せけるやうは、「新田に見せたき事ども多かりけれども、あらあら見せて帰すべき。」とて、黄金の草子三帖*あそばして、新田に渡し給ふ。「いかに新田承れ。自らが体、また地獄極楽のありさま、ありのままに語るべからず。三年三月過ぎて、かうの殿にも語るべし。そのうちに語るほどならば、汝が命を取るべきなり。かうの殿が命もあるまじきぞ。地獄うつしてはいかがせん。はやはや本国へ帰さん。」とて東へ指したる道を送り出だし給ふとて、大菩薩重ねて仰せけるやうは、「返す返す自らがありさま語るべからず。」とのたまひて、失せ給ふ。さるほどに新田は本国へ七日と申せば帰り給ふ。

 さるほどに新田、君の御前に参り、この由かくと申し上げければ、かうの殿聞こし召し御喜びは限りなし。かかりけるところに国々の大名新田の物語を聞かんとて、落縁・広縁、鞠の懸りまでも貴賤群集をなし給ふ。さる間かうの殿*木賊(とくさ)色の狩衣召し、高座に直らせ給ひて、「いかに新田、岩屋の内にいかなる不思議かある。とくとく語り申せ。」と御定ありけり。新田畏まつて頭を地につけて申すやう、「岩屋のありさま語り申し候はんこと安き御事にて候へども、語り申しては君の御大事たちまちあるべし。それが命もあるまじきなり。さていかがせんと申し上げければ、重ねて御定あるやうは、「たとへ大事ありともとくとく語り申せ。」との御定なり。畏まつて笏立て直して申すやう、岩屋の体、または六道四生のありさま、地獄極楽浄土の体、細やかに語りける。

 聞く人皆耳を澄まして、さてもおもしろき事かなとささめき給ふ。この物語をものによくよくたとへば、釈尊の*富楼那尊の御説法もかくやと思ひ合わせたり。生死の眠りを覚ましけり。

 さる間、新田語りも果てず四十一と申すには朝の露と消えにけり。さてまた、天に声あつて呼ばはりけるやうは、「自らがありさま語らせたる頼家も助かるべからず。忠綱命もたちまち取るなり。」とて失せにけり。国々の大名これを聞き、恐ろしき事限りなし。

 さて忠綱が死骸をば、伊豆の国新田へ送り給ふ。*まつほう・おくほう・にうはう・なんはうこれを見て、そもいかなる御事ぞやとて泣き悲しむ事限りなし。さてあるべきにてあらざれば、煙となし白骨と取り集め孝養(けうやう)行ひ給ふ。さて松ほう・おくほう今に繁盛する事限りなし。

 みなみなこの草子を御覧ずる人は、すなはち富士浅間大菩薩と拝み奉るべし。読む人聞く人も精進をなし、よくよく聞きて念仏と申し、後生を願ひ、南無富士浅間大菩薩と百遍唱へべし。よくよくこれを保ち候はば、三悪道へ堕つる事あるべからず。よつて富士の人穴の物語かくのごとくなり。

(注)ゆさん=今まで凄惨な地獄の様子を見せていたので、今度は遊山のように楽しく

    極楽の様子を見せようという事か。

   西の方=西方浄土のある方角。

   新たなり=霊験や効果が著しい。あらたかなり。

   鳧雁鴛鴦=かも、がん、おしどり。水鳥。

   竜樹=実在の人物だが、竜樹菩薩として仏に数えられる。

   欲心念を構へたる=欲望の心念を持った者か。

   あそばして=「する」の尊敬語。ここでは、「書く」の意。347、474、小谷では

    年季が明けたら物語はせずに草子を見せて教え広めよ、とある。そのほうがわ

    かりやすい。

   木賊色の狩衣=黒っぽい緑色の狩衣。武士が好んだ色のようである。

   富楼那尊=釈迦の十大弟子の一人。富楼那尊者。説法第一とされ、弁舌に巧み。

   まつほう・おくほう・にうはう・なんはう=松房・奥房、は連想できるが女房、

    まではいいとして「なんぼう」は何なのか。北の方に対する南の方なのか。新

    田のお家は断絶して繁栄はないはずだが。

 

 本書は写本がとても多いようである。細かい部分の異同もかなりある。多くの人々に書写され人口に膾炙したのであろう。我々の価値観とはかなり異なり、なんだかなあと思われる表現も多い。しかし当時の人々にとっては奇抜な内容ではなく、「奇書」と呼ばれるようなものではなかったろうと思う。

 ただ、このシリーズは「異郷(ユートピア)」をテーマにするつもりだったので、地獄の描写の連続にはかなり閉口しました。もっと不思議系がいいなあ。