religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)⑮ー稚児物語4ー

第十五

 このようにして新発意となった花若は、師匠や同朋との別離がこらえようもなく悲しく、事に触れて大衆に交わることも空しく思われて、無常の思いばかりが心に染みて、常に静かに物思いなさっているのでした。「この世に飽きて、その秋(あき)風ではないが風に夢が醒めて、浮世の外(浄土)の月影を、隠さずに眺めたいものだ。かりそめの夢のような世に明け暮れ、妄念ばかり起こして、名利の思い囚われて、迷いの三界のしがらみを離れられないのは哀しいことだ。形は沙門(僧侶)のようにして、名は釈氏(釈尊の弟子)に借りた(僧名を名乗った)身で、槿(むくげ)の籬のようなはかない栄華を祈り、浮雲のようなむなしい富貴を望み、我執・偏執の満ちた空虚な境境に住んで、電光や朝露のような一瞬の仮の宿りを楽しみ、無始輪廻の罪業は厚くて身を身に任せることもできず、心を心に戒めることもし得ないで、人に随い、友に交わる習いや、詩歌管絃の遊びに肝を砕き、狂言綺語の戯れにまでも心を染める事は、ひとえに人々と交わっているせいであるよ。寂寞とした柴の庵にわずかに松風の音だけが軒先に聞こえ、木の間に漏れて来る月影を、独り寂しい深山で、厭ってもしかたない浮雲が、別の所で時雨を誘って、一方では夕露が結ばれ、荻を吹く風にその露は散って、草は末枯れ(うらが)れて虫の音は、弱り果ててしまったこのつらい秋に、心を静め無常を観じたならば、きっと心も澄んで涅槃の境地に至るであろう。そうはいってもさすがに住み慣れた吾が山比叡山を見捨てる事は難しく、友情を誓い合った朋輩とも別れがたい。」と、悟りきれぬ拙い心にはこの山を捨てかねていたのですが、「生死を厭い、菩提を願わなければいけないのは、まさにこの時である。」と思って、いよいよ二人の精霊の後世を弔って、勤行観念の修行を懈怠なく修めなさいました。「駒隙」の成句ではありませんが、隙行く駒を繋がないような早く流れる月日であるので、死別した春の花の匂いは、空しい風のぽつんとある松に残り、夏木立ちの緑は、秋が来てその色を改め、夕日の紅葉にうつろい、冬の天になると、凍った霜を吹く嵐で、落ち葉の上を打つ雹は、庭を白妙にして降り積もる雪のように積もった恨みは消え残りません。花若殿は「厚かましくも我が身は生き残って、袖を枕と独り仮寝をしていることだ。」と鬱々と日々を過ごしていましたが、歎きの色はさらに増していき、

  日数経ばわすれやするとおもひしに猶ほ恋しさのまさりこそゆけ

  (日にちが経てば忘れると思っていたが、尚更恋しさが増していくことだ)

 と詠じて、夜半に紛れて僧坊を抜け出して、薬師如来山王権現を伏し拝んで、東坂本に下りなさったのでした。

 志賀唐崎を過ぎて行くと、古い都(大津京)の桜の色が美しい。これこそ昔の名残りでしょう。恋しき人に逢うではありませんが、その逢坂の関の関屋を傍目に見ながら、大津の浜に出ていき、渚の波の浦伝いに、瀬田の唐橋を渡って、諸国流浪の身となり、諸国の山々寺々徘徊し、霊仏霊社を参詣して、精霊の供養だけでなく、自分自身の得脱をも祈ったのでした。しかし国(比叡山)を遠ざかり日は経ったのですが、自分が住み慣れた古寺で親しく交わった友とのつらい別れを思い出すと、ひどく慕わしさが募るのでした。それに添えて夕暮れの物憂さが重なる時に、比叡山のある方角の空を眺めると、雲井を遥かに雁が北に向かって飛んでいきます。その雁にちなむ雁書(手紙)ではないが、思いを列ねた言葉を、言わないで(手紙を送らないで)気を滅入らせているのでした。

 「それにしても、いつまで生きるか知らないが、その『しら』ではないが白雪のように、まだ消えてしまわないし我が身の命は、生きているのか死んでいるのか判らない様子で生き永らえて、夏にかかると心が暗くなって、五月雨が降るように思うばかりで、涙を袖で防ぐこともできないように溢れてしまう。秋になると野原は草の露が重く、深山は松風が吹いて、約束もしないのに待つ松虫や、妻を恋いしがって鳴く小牡鹿(さおじか)も、我が身と同類だと思われるのである。そうでなくても秋の夕辺は哀しいのに、萩の上を吹く風が身に染みて、どこの里かも分からないが悲しげに砧を打つ音がする。その打ち衣を着て訪ねる人もいなくて、ひどく恨めしさが募るのである。

 古仏は言った、『風声水音を聞いて仏本尊だと念じないのは、愚鈍の者が致すところである。飛花落葉を見て肉身(父母から受けた仏身)を観じないのは、観行(心を観る修行)が欠けているからである。』と。青々たる蒼松翠竹は、悉く真如(一切の存在の真実)である。妍々たる(美しい)紅花黄葉は、般若(真実を悟る智慧)でないことはない。森羅万象を見て、衆生(生きとし生ける者)の仏性は、我等の真如であると観じなくてはいけない。春の花が梢に綻び、夏の木立ちが緑を茂らせ、秋の紅葉が庭に敷きつめられ、はやくも季節が廻り冬枯れが烈しくなるのまで、無常を促す機会となるのである。明月は天に輝いているが、汚泥の水にその影(姿)は沈み、降る白雪もかりそめに、木々の梢に宿を借りて積もるが、風に随えばたやすく散り、縁に任せるならばいつまでも宿っている。(?)我等の仏性もこのようなものである。これらを観じないならば、鬼畜木石にも劣っている。そのようなわけで真如仏性は迷っていれば心の外にある。悟るならば身の内にあってたやすく得られるであろう。しかし、身の内の真如仏性は悟り難くて迷い易い。心の外の三毒六賊は迷い易くて、捨て難いのであるから、進心を友として(悟りを得ようとする心を強く持って)、ある時には禅法修行のために衆会する場臨んで、聞法(仏の教えを聴く)の縁を結ぶのである。ある時は念仏三昧の場に詣でて、罪障の垢を濯ぎ、名聞利養を棄てきり、飛花落葉の観行を凝らすのである。

原文

 かくて花若*新発意(しんぼち)、師匠同朋の別離為方(せんかた)無く、事に触れて交衆詮なく覚えて、無常のみ心に染み、常には心を澄まし侍りけり。「世を*秋風に夢醒めて、浮世の外の月影を、隠せで詠(なが)めばや。あだには夢の世に明け暮れ、妄念をのみ起こし、名利の思ひに繋がれて、三界の網(きずな)を離れも遣らぬ哀れさよ。形を沙門に類せし名を釈氏に借れる身の、*槿籬の栄華を祈り、浮雲の富貴を望み、我執・偏執のあだなる境に住し、電光朝露の仮なる宿りを楽しみ、無始輪廻の業厚くして身に身を任せず、心を心に戒めかね、人に随ひ、友に交はる習ひ、詩歌管絃の遊び肝に命じ、狂言綺語の戯れまでも心に染めける事、是れも偏に交衆の故ぞかし。寂寞(じゃくまく)たる柴の庵に纔かに松風の音のみ軒に聞こえ、木の間に漏り来る月影を、独り深山のさびしきに、厭ふ甲斐なき浮雲の、余処の時雨を誘ひ来て、*結ぶとすれば夕露の、荻吹く風に打ち散りて、草裡枯(うらが)れて虫の音の、弱り了てぬる浮き秋に、心を静め無常を観ぜんに、などか心の澄までは候ふべき。さすが栖馴れし吾山も棄て難く、契りし朋友も離れがたし」と、*拙心に捨てかねけるが、「生死を厭ひ、菩提を願ふべき事、偏に此の時なり」とて、弥よ幽霊の後世を弔ひ、勤行観念懈怠なく修し給ふ。*隙行く駒繋がぬ月日なれば、別れし春の花の匂ひ、空しき風独松に残り、夏木立ちの緑、秋来て其の色を改め、夕日紅葉にうつろひ、冬の天にも成りければ、凍れる霜を吹く嵐、落ち葉の上を打つ雹(あられ)、庭白妙に降る雪の積む恨みに消え遣らぬ、*強面吾身の長経(ながらへ)て、肩敷く袖の仮枕、嬉しからぬ日数は隔たれど、歎きの色は猶ほ勝れければ、

  日数経ばわすれやするとおもひしに猶ほ恋しさのまさりこそゆけ

 とうち詠じ、夜半に紛れ坊を出で、医王善逝山王大師を伏し拝み、東坂本に下り給ふ。

(注)新発意=新たに出家した者。

   秋風=「秋」に「秋」と「飽き」を掛ける。

   槿籬の栄華=槿は朝に咲き夕べにしぼむことから、はかない栄華のたとえ。

   結ぶとすれば=つながりがよくわからない。時雨が降ると夕露が結ばれるのか。

   拙心=未詳。心を謙譲した表現であろうが。

   隙行く駒=「駒隙」は月日の早く過ぎ去ることのたとえ。

   強面=厚かましいの意か。

   医王善逝=薬師如来。根本中堂の本尊。

 *志賀唐崎を過ぎ行けば、古き都の花の色、是ぞ昔の名残りなる。恋しき人に合坂(逢坂)の、関屋を余所に見成しつつ、大津の浜にうち出でて、渚の波の浦伝ひ、勢多の唐橋うち渡り、諸国流浪の身と成りて、山々寺々徘徊し、霊仏霊社参詣し、自身も得脱を祈りけり。*国遠ざかり日は経れど、吾栖馴れし古寺の、契りし友の浮き別れ、最(いとど)余波ぞ勝りける。猶ほ夕暮れの物憂さに、其の方の空詠むれば、雲井遥かに*帰る雁、思ひ列ぬる言の葉を、言はで心を腐(くた)しける。

 「さても何(いつ)までか白雪の、猶ほ消し遣らぬ身の命、有るか無きかに長経(ながらへ)て、夏に懸れば掻き暮れて、降る五月雨の思ひのみ、涙を袖に塞き敢へず。野原は草の露重く、深山は松風吹きて、契りも知らぬ松虫や、妻恋ひかぬる小男鹿(さおしか)も、思へば我が身の類なり。さらぬだに秋は夕部(辺)の哀しきに、萩の上風身に染みて、里をば分かず*打ち衣、着て問ふ人も無き儘に、最(いと)恨みぞ勝りける。

(注)志賀唐崎・・・=ここからの記述が語り手の地の文か花若の語りなのか判然とし

    ないが。「さても・・・以下を花若の思いと取った。

   志賀唐崎=大津市にある歌枕。天智天皇大津京があった。平忠度の歌に「さざ

    波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな」(千載和歌集)がある。

   国=花若の故郷の坂東足利の里か、比叡山か。「国」は気になるが比叡山と取っ

    ておく。

   帰る雁=春になって北へ帰る雁。雁は手紙を象徴する。

   打ち衣=砧を打つ事(秋の哀しさの象徴)と粗末な僧服(裏衣)を掛ける。

 其れ古仏の云ふ、『*風声水音を聞きて本尊と念ぜざるは、愚鈍の致す処なり。飛花落葉を見て肉身を観ぜざるは、*観行の闕けたるなり。』と云々。青々たる蒼松翠竹、悉く是れ*真如なり。妍々たる紅花黄葉、*般若に非ずと云ふ事なし。森羅万象之を見るに、衆生の仏性、我等が真如と観ずべし。春の花の梢に綻び、夏の木立ちの緑を茂し、秋の紅葉の庭にしき、はや冬枯れの冽(はげ)しきまで、無常を促す便りなり。明月天を照らせども、*淤泥の水に影沈み、降る白雪も*濔爾(かりそめ)に、木々の梢に宿を借り、風に随ひて散り易く、縁に任せて宿り易し。我等が仏性も此くの如し。是等を観ぜざるは、鬼畜木石に劣れり。されば真如仏性は迷へば心の外に在り。悟れば身の内に在りて得易し。身の内の真如仏性は悟り難くして迷ひ易し。心の外の三毒六賊は迷ひ易くして、棄て難しとなれば、*進心を友として、或時は禅法衆会の砌(には)に望みて、聞法の縁を結ぶ。或時は念仏三昧の場に詣で、罪障の垢を濯ぎ、名聞利養を棄て了て、飛花落葉の観行を凝らす。凡そ諸経の文を見るに、六道の衆生、其の苦区(まちまち)なり。

(注)風声水音・・・=出典未詳。

   観行=自分の心を観ずる修行。

   真如=一切存在の真実の姿。

   般若=悟りを得る智慧。真理を把握する智慧

   淤泥=汚泥。

   濔爾=「濔」は水が満ちる、数が多いことだが、なぜ「かりそめ」と訓むのか?

   進心=「心進む」は希望する気持ちが強くなること。