religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)⑭ー稚児物語4ー

第十四

 さて、花若殿は、朋友の玉若殿との別れといい、頼りになさっていた師匠との御別れなど、あれこれ世を厭う思いがますます深くなっていき、「いつまで他の人が先立って、最期に行く死出の道を嘆くのだろうか。恩愛別離の悲しみ、老少前後の恨み、何事がこの朋友・師匠との死別にまさろうか。」と思いを決めて、長かった髪を断ち切って、

  そりこぼす吾が黒髪のみるぶさは涙の海の物にこそあれ

  (剃り落とした私の黒髪を見ると涙が海のようにあふれる。それは髪削ぎに用いた

  海松房がうみのものであるからだろうなあ)

 と詠んで嬋娟たる秋の蝉のような元結を剃り落ろし、宛転たる峨眉のような鮮やかな黛を洗い落として、水干・大口に替えて、濃い墨染めに身をやつして、三宝に帰依し、五戒を保ちなさったのでした。

 花若殿は思います。「そもそも罪を滅し善を生ずる手段、正法に久しく留まる徳としては、出家受戒に過ぎたるものはない。たとえ三十三天に高さが忉利天に到るような宝塔を立てても、一日の出家の功徳には及ばないと思われる。だから三界の諸天神もその出家者の足を戴き、四種の転輪聖王もその出家者の履を取って敬うという。『清信士度人経』にいう、『流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者(三界を流転しても恩愛は断ち切ることができない。恩を棄てて無為に入る《出家する》こそが真実恩に報いる者である)』と。また『心地観経』にいう、『若善男女 一日一夜 出家修道 二百億劫 不堕悪道 生々得値 諸仏出世 永出三界 受諸快楽(もし善男善女が一日一夜出家修道したならば、二百億劫の間悪道に堕ちることなく、永遠に諸仏が世に現れるのに値⦅あ》うことができ、永く三界に諸快楽を受けるだろう)』と云々。また授戒は浄満如来心地の法門、花蔵世界の十無尽蔵だ(清らかな如来の心に到る門であり、蓮華蔵世界に到る無限の功徳だ。?)。だから梵網経にいう、『衆生受仏戒 即入諸仏位 位同入覚位 真是諸仏子(衆生は仏戒を受ければ即座に諸仏の位に入り、位は大覚と同じくなる。まことにこれは諸仏の子といえるだろう)』と云々。これは仏果の根本、聖人の瓔珞(装身具)、衆生の明鏡、苦海の筏船のような悟りの手立てである。このようなわけで菩薩の遠路には、戒を以て資糧とし、煩悩の重病には、戒を以て良薬とするというのだ。出家精進(授戒)は仏法の恵命(悟りの境地)であり、国家の福田(福を施す功徳)なのだ。

 そしてまた、法華経を頓写する功徳を申すならば、七朶八軸の蓮経(法華経)とは、円頓一実の境界(悟りの境地)であり、諸仏降霊の本智(諸仏に会う智恵)である。『妙法蓮華経』の五字の名を聞くと、刹宝施福(幸せをもたらす浄土)に辿り着き、『生滅滅已 寂滅為楽』の半偈の奥義を説くのに接すると、恒河沙と(無限に)ある小乗の教えは及ぶものがない。法華経には初善・中善・後善、どの善においても、正法として備わっていないものはない。已説・今説・当説いずれの時代にも、機縁としてこの法華経以上のものはない。ましてやそれを一千部頓写した功徳はどれほののものだろう。偉大な事だ、六万九千(法華経69384字)の金言を、各々三千衆徒が筆頭、毫端にありて(書写して)、その報恩は燦儼然として日や星が天に貼りついているようである。

 そしてその書写が終わった時にはたちまちに、霊鷲山の一会で説かれた世尊の教えは、厳然として存在し、世尊の眉間からは大光明が放たれて東方万八千土を照らしなさる、そうすれば精霊玉若殿が、即座に実相を悟つて仏の心の中に住む事が我らは見る事ができるであろう。そうすれば『法華経・薬王菩薩本事品』にあるように、『善哉々々 是真精進 是名真法』という不生不滅の因果を示して、無我無人の知を了解して、即座に大白牛車に乗って、八正道を進み、化城を経ることなく、玉若殿は直接に宝所(悟りの境地)に登りなさっただろう。」と。

原文

 さても花若殿は、朋友の玉若殿の別れと云ひ、憑み給へる師匠の御別れ、彼れ此れ厭離の思ひ弥々深く成りければ、何(いつ)までか別に人を先立ちて、終に遁ぬ路を歎かんと、恩愛別離の悲しみ、老少前後の恨み、何事か是に増さらんと思ひ取り、長(たけ)なる髪を押し切り、

  *そりこぼす吾が黒髪の*みるぶさは涙の海の物にこそあれ

 とて嬋娟たる秋の蝉の初髻を剃り落ろし、宛転たる峨眉の黛の匂ひを洗ひ棄て、水旱(干)大口引き換へて、濃い墨染めに身を窶(やつ)し、*三帰五戒を持ち給ふ。

(注)そりこぼす=そりこぼつ。剃り下ろす。

   みるぶさ=髪削ぎの時に用いる海松の枝が房になっているもの。

   三帰五戒=三宝に帰依し、五戒(殺生・偸盗・邪淫・妄語・飲酒)を禁ずる事。

 *其れ滅罪生善の計りごと、正法久住の徳、出家受戒に過ぎたるはなし。縦ひ三十三天に宝塔を立て、高さ忉利天に至るとも、一日の出家の功徳には過ぎじと見えたり。然れば三界の諸天は其の足を戴き、四種の輪王も其の履を取ると云へり。「*清信士度人経」に云ふ、「流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者」と。また「*心地観経」に云ふ、「若善男女 一日一夜 出家修道 二百億劫 不堕悪道 生々得値 諸仏出世 永出三界 受諸快楽」云々。また*戒は*浄満如来心地の法門、*花蔵世界の*十無尽蔵なり。されば*経に云ふ、「衆生受仏戒 即入諸仏位 位同入(大?)覚位 真是諸仏子」と云々。仏果の根本、聖人の瓔珞、衆生の明鏡、苦海の筏船なり。是故に菩薩の遠路には、戒を以て資粮(糧)とし、煩悩の重病には、戒を以て良薬とすと云へり。仏法の*恵命(えみやう)、国家の福田なり。

 *其れまた法華頓写の功徳を申すも*七朶八軸の蓮経とは、*円頓一実の境界、諸仏降霊の本智なり。五字の名を聞けば、*刹宝施福に踰え、*半偈の義を説けば、阿(河?)沙の小乗に過ぎたり。*初善・中善・後善、法として具せざるはなし。*已説・今説・当説、機として勝れたるはなし。況や一千部頓写の功徳をや。大なるかな*六万九千(法華経69384字)の金言、各々三千衆徒の筆頭、毫端にありて、燦儼然日星の天に麗(つ)くが如し。

 便ち見る、*霊山の一会、儼然未だ散ぜず、世尊の眉間より大光明を放ちて東方万八千土照らし給はん事を。然れば則ち幽霊玉若殿の、頓に実相を悟つて本妙心に住する事を。「*善哉々々 是真精進 是名真法」と不生不滅の因を示し、無我無人の知を了し、即ち*白牛の大車に駕して、*八正の覚路に進み、*化城を歴(へ)ずして、径(ただち)に宝所に登り給はん。

(注)其れ・・・=以下は語り手の独白か、花若殿の感懐か判然としないが、花若殿の

    感懐ととっておく。

   清信士度人経=散逸した経典。「平家物語・巻十 維盛出家」に、「左てしもあ

    るべき事ならねば、『流転三界中 恩愛不能断 棄恩入無為 真実報恩者』と

    三反唱へ給ひてつひに剃り下ろし給ひてけり。」出家する時の決まり文句か。

   心地観経=仏教経典。原典は未確認だが、ブログ上で訓読が確認できた。出家修

    道すれば永遠の快楽が得られる、との意か。

   戒=出家受戒をいうか。

   浄満如来心地=未詳。清らかな如来に到達する事を指すか。

   花蔵世界=華蔵世界。蓮華蔵世界。毘盧遮那仏の願と行とによって飾られた世

    界。

   十無尽蔵=十ある無限の功徳。

   経=「梵網経心地戒品第十」に見える。衆生は仏戒を受ければ真に諸仏子になる

    という意。

   恵命=慧命。悟りの境地を生命にたとえた語。

   七朶八軸の蓮経=「七朶」は未詳。「南無妙法蓮華経」の七字を指すか。「八軸

    の蓮経」は八巻の法華経

   其れ・・・=以下は「法華経」書写によって師匠・玉若殿が

   円頓一実=ただ一つの真実である理法は、完全で、すみやかに悟りを得させると

    いう事。

   刹宝施福=「刹宝」は「宝刹(浄土)」か。福を施す浄土?

   半偈=「雪山偈」の後半の二句。釈尊は自己の身体を羅刹に与える事を約してこ

    の半偈を教わったという。

   善哉々々=「法華経・薬王菩薩本事品」に「善哉々々 善男子 是真精進 是名

    真法」とある。

   初善・中善・後善=「法華経・序品」で世尊が説いた三種の善。

   已説・今説・当説=過去・現在・未来に説かれる法。どれも「法華経」に優るも

    のはないという。

   霊山の一会、儼然未だ散ぜず=日蓮御義口伝」に「霊山一会 厳然未散」とあ

    る。霊鷲山釈尊が説いた教えは厳然として残っているという意。出典は遡っ

    て求められるだろうが未見。

   白牛の大車=大百牛車。大乗・一乗の教えを牛車にたとえたもの。

   八正の覚路=八正道。八つの正しい仏道の実践法。

   化城=衆生が悟りの境地(宝所)に直接到るのが困難だと考えた導師が、方便と

    して仮に虚構した城。そこ(小乗)で憩うことで宝所(大乗)に到ると考え

    た。「法華経」を書写すれば、そんなまわりくどいことをしないでも大乗一実

    の境界に到らせてもらえる。