religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)⑦ー稚児物語4ー

第七

 さて、霊魂となった玉若殿は、偕老同穴を深く語り合った花若殿、また鴛鴦の袂を重ね合うように睦んだ僧正、「芝蘭断金」といった深い契りを結んだ同宿朋友らを振り捨ててたった一人、黄泉中有の旅に赴いて、生死の長い闇の路にお迷いなさっているのは憐れの限りです。玉若殿にお供申し上げる者は七魄を現世に残した三魂と無常の獄鬼と呼ばれる無常鳥や抜目鳥だけです。

 そもそも、冥途を黄泉という事は、春秋左氏伝の注にいうには、「天は黒く、地は黄色で、その中の泉にあるから、あの世は『黄泉』という。」と。また次のようにも云います。中国天台山の西に葱茨山という山があります。かの国の五三昧所(火葬場)です。その麓に三つの河があります。是を三泉といいます。水の色が黄色なので黄泉と名付けられました。この川はおのおのが三つに分かれて流れて九つの川があります。これを九川といいます。高きも賤しきも亡き精霊が集まってこの水を飲みます。この天台山法華経の教えに慕い集まる地、諸仏が影向(示現)する境界で、精霊らが受苦の隙を窺って、群がり、円頓(悟り)の風に涼み、実相(真実の姿)の光に乗ろうとして、争うように上る様子は、まさに春霞が立ち昇るようです。それで「登霞に聖霊?」といわれているのです。また人が死ぬ時、精神をつかさどる三魂は去り、肉体をつかさどる七魄は留まるといいます。その三魂があの世で苦しみを受ける時、七魄は現世に戻って忌み嫌われ、三魂があの世で楽を受ける時、七魄は礼を持って扱われるといいます。七魄は二つの目、二つの鼻、口の穴などです。ですから古い言葉に、「魂気往于天殂 体魄降于地に落つ(気の魂は死んで天に行き、体の魄は降って地に落ちる」というとのことです。

 さて、このままにしてもいられないので、離山の麓で栴檀を薪として積んで遺骸をその中に入れ、一時の煙と成し申し上げ、衆徒たちは泣く泣く山へ上りましたが、花若殿は帰ることができず、人目も憚らず天を仰ぎ地に伏して涙を流して玉若殿を慕い焦がれなさっているのを、僧正殿は諫め申し上げました。

 「これこれ、お心を静めてお聞きなさい。死の縁というものは玉若殿に限ったことではございません。また、別れの悲しみはあなたに限ったことではございますまい。生あるものは必ず滅します。あの釈尊でさえ栴檀の煙に葬られることは免れ得ませんでした。楽しみを尽くした後に悲しみはやってきます。天人でもなお命尽きようとするときには五衰の日がやってきます。胡蝶の三千年の夢に楽しく遊んだとしてもそれは暫時の夢です。北州の楽土で千年生きたとしてもついには終わりを迎えます。人の六十年は稲光や朝露のようなものです。春の朝に花を愛でる者が、夕方には北邙(北の墓場)の風に芒のように散り、秋の宵に月を眺めていた輩が、暁の東岱(泰山)の雲の隠れてしまいます。須達長者の十徳でも、阿育王の七宝でも寿命を買う事はできません。盛者も衰え、この世に留まる者も永久ではありません。一生の栄華は一睡の夢でございます。」

 これを聞きまして花若殿も、「もっともなことです。」と泣く泣く院家に帰ります。帰って、ともに起居した学問所を見ると、玉若殿は玉の露と散って、その窓に残る形見の水茎の跡の文(遺書か)はかえって恨めしく思えます。昔、漢の都の届いたのは空の彼方で蘇武が雁の脚に結んだ手紙、厳島の潮路の波に打ち寄せたのは、鬼界が島で平康頼が卒塔婆に書いた和歌だとか。泣く泣くその文を見なさると何とも悲しい文章です。

原文

 さても*幽霊玉若殿は、さしも偕老の語らひをなし給ひし花若殿、また鴛鴦の袂を重ねし師匠、*芝蘭断金の契り浅からざりし同宿朋友等を振り捨てて只独り黄泉中有の旅に趣き、生死長夜の明けがたき闇路に迷はせ給ふ御事の憐れさよ。伴ひ奉る者とては三魂と無常の獄鬼等が鳥ばかりなり。

 抑も冥途を黄泉と云ふ事は、左伝の注に云はく、「天玄(くろ)く地黄にして泉地中に在る故に云ふ」と。また云はく、震旦天台山の西に葱茨山と云ふ山あり。彼の国の五三昧なり。此の麓に三つの河あり。是を三泉と云ふ。水色黄なる故に黄泉と名付く。此川各々三つに分け流れて、九つの川あり。是を九川と云ふ。貴賤聖霊集ひて此の水を呑む。此の天台山は法華純熟の地、諸仏*影向の砌にて聖霊等受苦の隙を得、簇(むらが)り上り、円頓の風に冷(すず)み、実相の光に乗らんとて、争ひ登る気色、偏に春の霞の登るが如し。故に*登霞に聖霊と云ふ事あり。また人死す時、三魂は去り、七魂(魄か)留まる。其の三魂苦を受くれば、来たりて七魄を禁(い)み、三魂楽を受くれおもえばば、来たりて七魄を礼すと云へり。七魄は二目二鼻口穴等なり。されば古詞に云ふ、「魂気往于天殂 体魄降于地に落つ」と云々。

 かくて惜しむ(措く、か)べきならねば、*離山の麓にて*栴檀の薪に積み籠め申し、只一時の烟と成し奉り、衆徒たち啼く啼く登山せられけるに、花若殿は帰り得ず。人目をも裹(つつ)みかね、天に仰ぎ地に伏して、流涕焦がれ給ひけるを、僧正諫め申されけるは、

 「如何に御心を静め聞こし召せ。死の縁玉若殿に候はず。また別れの思ひ御身に限り候ふまじ。生あるものはかならず滅す。釈尊未だ栴檀の烟を免れ給はず。楽しみ尽くして悲しみ来たる。天人尚*五衰の日に逢へり。胡蝶三千年の勝遊も是を思へば暫時の夢、*北州の千年聿に終わりあり。人間六十年電光朝露の如し。春の朝に花を玩ぶ人、夕べには*北芒の風に散り、秋宵月を詠めし輩、暁*東岱の雲に隠れぬ。*須達が十徳、阿育の七宝も寿命を買う事なし。盛者も衰へ、留まる者も久しからず。一生の栄花は一睡の夢に候ふ。」

 と曰ひければ、花若殿、「勝にも。」とて啼く啼く院家に立ち帰り、共に栖居(すまい)し学文所、玉は散り行く露の窓、形見に残る水茎(の)、文はなかなか恨みなり。昔漢の残りしは、雲居の雁に付けし文、*塩地の波に寄せけるは、是は*康頼が歌とかや。啼く啼く文を見給へばものあはれなる文章かな。

(注)幽霊=霊魂となった。

   影向=神仏がこの世に現れる事。

   登霞に聖霊=未詳。「登霞」は崩御する事だが、聖霊と結びついた熟語は未見。

   芝蘭断金=「芝蘭の交わり」は優れた人同士の交わり。「断金の交わり」は固い

    友情。

   三魂=道教で人にある三つの霊魂をいう。また三魂七魄という形で仏教にも用い

    られる。

   無常の獄鬼=「無常の殺鬼」は死を指す。冥土には「無常鳥」が住むという。十

    王経では、閻魔大王に遣わされた鬼が死者の三魂を地獄の門に連れていくとい

    う。門前の荊の樹には、無常鳥・抜目鳥が巣くっているという。この類を踏ま

    えた記述か。

   影向=神仏が来臨すること。

   登霞に聖霊=「登霞聖霊」という熟語があったか。精霊が天に上るの意か。

   離山の麓=火葬場のようである。未詳。

   栴檀=香木。釈迦入滅の時、栴檀を焚いて荼毘に付したという。

   五衰=欲界に住む天人が死ぬ前に現れるという五種の衰相。

   北州=北俱盧洲。仏教の須弥山説に説かれる四大州のひとつ。寿命千年の楽土と

    いう。

   北芒=北邙か。墓場。あるいは「花」の対句としてあえて「芒」を使ったか。

   東岱=泰山。

   須達=須達長者。釈迦の弟子。祇園精舎を建てた。

   阿育=阿育王。アショカ王。仏教を保護した。

   塩地=植物の名だが、ここは「潮路」の事だろう。

   康頼=平康頼。鹿ケ谷の陰謀の発覚で鬼界が島に流された康頼が望郷の和歌を書

    いた卒塔婆が安芸の厳島に流れ着き、それを知った清盛に赦免されたという。