religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)④ー稚児物語4ー

第四

 また、ほどほど昔の頃か、嵯峨開山(嵯峨山大覚寺開祖恒寂上人?)がまだ若年で石侍者と申していた頃、仏法修行をして、諸国諸寺を遍参して、当山(比叡山)にお上りになりました。頃は二月半ばの事で、さる院家の庭の梢は、まるで大庚嶺の梅が風に匂い、金谷園の花が盛りを待つ風情です。『遥かに人家を見、花有れば則ち入り、貴賤と親疎とを論ぜず』という白居易の詩の心に引き寄せられ、立ち寄りなさると、少年が一人います。その少年が何となく谷より喬木へと遷る鶯の初音とともに木々の梢に心を奪われているような折に、梅の花が雪のように散り、桜の花が雲のように群がり咲くのに戯れなさっているような御様子です。含章殿の軒下で落梅の花片が寿陽公主の額に貼りついたという、その時の美しい面影、また玄宗皇帝が千葉の蓮の花が咲いている大液池のほとりで愛しい楊貴妃を指して、この蓮たちも私の解語花(人語を解せる花=美人)にはおよばないだろうと戯れなさった容貌も、この少年のようであったでしょう。天竺の尊陀羅女、月に住んでいる桂男もこの少年と比べればものの数ではございません。道念堅固の石侍者も煩悩を離れて悟りを求める心もすっかり失ってただ茫然となさるのでした。ああ無情にも松風が花にもつれなく吹いて、妻戸をきりきりと鳴らすので、少年は誰か戸の方から見ているのであろうかとお思いになり、顔を赤らめしずしずと御簾の内に入りなさる御様子に、石侍者は宝石を見慣れた崑崙山の鳥が宝石を投げつけられても驚かないように、花に戯れている蝶が花を恐れないように大胆になって、やるせない気持ちを一首りりあえず、

  願はくは霞の幕を吹き上げて内なる花を見せよ春風

  (お願いだ。霞の幕を吹き上げて中にいる花のようなあなたを見せておくれ、春風 

  よ)

 と申し上げると、少年は憐れと思い立ち止まりなさって、御簾をわずかに引き上げなさって、

  深く立つ霞の中を想像(おもひや)れ只尋常の桜なりけり

  (霞の濃く立ち籠める中を想像してみてください。そこにあるのは尋常の桜です

  よ)

 とおっしゃったので、石侍者は一旦は妄執に侵されなさったけれども、真如の月は曇らず、迷いの雲は晴れ除かれて、いよいよ修錬苦行して、仏法の大棟梁となって帝や将軍の師範ともなりなさったのです。神々の世でも、また諸宗派の先徳でも、若年で未学の時には一時の妄念がないことはないのです。ましてや末世の凡生きの我々はなおさらのことです。恋に悩むのはもっともな事ですよ。

原文 

 *また中昔の事かや、*嵯峨開山未だ若年にして*石侍者と申せし時、仏法修行して、諸国遍参し当山に登り給ふ。比(ころ)は二月半ばの事なれば、さる院家の庭の梢偏に*大庚嶺の梅風に匂ひ、金谷園の花盛りを待つ風情なり。『*遥かに人家を見、花有れば則ち入り、貴賤と親疎とを論ぜず』と云ふ詩の意誘引せられ、立ち寄り給へば、少人一人何となう御心を谷より出る鶯の*遷喬の初音と共に、木々の梢に移し給ふ折境(をりふし)、梅の雪の散り懸り、桜の雲の簇(むらがり)なるに戯れ給ふ御有様、含章檐下の落梅の*寿陽公主の御額に点ぜし面影、また玄宗皇帝千葉の蓮花を大液池の畔に愛し、楊貴妃を指して、争(いかで)か吾*解語花にはしかじと戯れ給ふ御気色も此くやらん。天竺の*尊陀羅女、月に宿せる*桂男も屑(もののかず)にて候はず。道念堅固の石侍者も*厭離の心失せ了(は)てて只忙然と成り給ふ。*あら心無きかな松風の花にも強面(つれなき)折柄、妻戸をきりきりと吹き鳴らせば、見る人ありと思し召し、顔うち赤らめ徐徐(やうやう)と御簾の内に入り給ふ御有様、*玉に馴れたる鳥、驚く心なく、花に戯る蝶、恐るる処なきがごとし。石侍者せん方なさの余りにや、一首とりあへず、

  願はくは霞の幕を吹き上げて内なる花を見せよ春風

 と申されければ、少人憐れと思し召し立ち留まり、翠簾(みす)を若若(ほのぼの)と引き上げ給ひて、

  深く立つ霞の中を想像(おもひや)れ只*尋常の桜なりけり

 と仰せければ、石侍者一旦の妄執に侵され給へども、*真如の月の陰(くも)らねば迷雲は晴れ除きて、弥よ修錬苦行して、仏法の大棟梁と成り、*六朝帝王の師範と成り給ふ。神代また諸宗の先徳とても、若年未学の御時は一端の妄念無きにても候はず。*況や末代の凡生をや。

(注)また・・・=ここで富士山から話題が転換する。ただ、恋の話というテーマは継

    続する。

   嵯峨開山=嵯峨山大覚寺は開山は恒寂入道親王であるが、この人を指すのであろ

    うか。

   石侍者=固有名詞ではなさそうである。石のように堅固なもしくは融通の利かな

    い仏菩薩に仕える者という意味か。

   大庚嶺・金谷園=漢詩の歌枕というか、よく詠まれる場所。「大庾嶺之梅早落    

    誰問粉粧 匡廬山之杏未開 豈趁紅艶(和漢朗詠集 紀長谷雄大江音人)」

    「金谷酔花之地 花毎春匂而主不帰 南楼玩月之人 月与秋期而身何去(和漢朗詠

    集 右大臣報恩願文 菅原文時)」日本人も題材にしている。

   遥かに・・・=「遥見人家花便入 不論貴賤与親疎(尋春題諸家園林 白居

    易)」和漢朗詠集にあり。漢詩の引用は和漢朗詠集経由が多いか。

   遷喬=鶯が谷から高い喬木に遷ること。転じて高い地位に昇進したり、よい方向

    に転じたりすること。

   寿陽公主=南朝宋の武帝の娘寿陽公主が人日に含章殿の梅の木の下で眠っていた

    ら梅花が散り、その一片が彼女の額について離れなくなった。これを梅花粧と

    して宮人皆梅の花びらをかたどった化粧を施してこれに倣ったという故事があ

    る。

   解語花=言葉の分かる花。美人を指す。唐の玄宗皇帝が蓮の花を指して、「この

    花も解語花(楊貴妃)には及ばないよ。」と言ったという。

   尊陀羅女=未詳。釈迦の弟子、孫陀羅難陀に美人の妻がいたというがそれか。

   桂男=月の世界に住んでいるという伝説上の男。または美男子。

   厭離=あらゆる煩悩のきずなから解放された悟りの境地。

   あら心無きかな・・・=「心なき風の扉をきりきりと吹き鳴らしたるに見る人あ

    りとあやしげに見やりて・・・(秋夜長物語第3)」と類似した表現。「秋夜

    長物語」はおそらく叡山の僧の手による稚児物語で、影響を受けているか。

   玉になれたる・・・=「崑崙山には石も無し、玉してこそは鳥も抵て、玉に馴れ

    たる鳥なれば、驚くけしきぞ更になき。(梁塵秘抄・229)」とある。ここは

    少年の様子ではなく、それを見た石侍者がとった行動についていったものか。

   尋常=平凡な・優れた、の両義がある。ここは平凡なの意であろう。

   真如の月=真如によって煩悩の闇が晴れる事。

   六朝帝王=六朝は中国魏晋南北朝時代。仏教が盛んであった。もしかしたら六朝

    時代に後、嵯峨開山と呼ばれる石侍者と呼ばれる修行者がいたという話かもし

    れないが、諸国を遍参し当山(比叡山)に来たというのは変であるし、嵯峨は

    和名っぽい。「帝や将軍」のぐらいの意味か。

   況や・・・=凡俗であるあなたが恋に迷うのは当然である、の意だが、次章で玉

    若自身に否定される。それほど感動的な展開ではないと思うが。