religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語④ーリリジョンズラブ6ー

その4

 すると民部はいてもたってもいられず、さらに返歌をする。

  「散りも始めず咲くも残らぬ面影をいかでか余所の花に紛へん

  (残らず咲いて散り始めない満開の桜をどうして別の所の花と見間違いましょう

  か。私が見初めたのはあなたに他なりません。)

 全く並大抵の色香ではなく見間違うはずはないのに、誰からどのように聞いたので

すか。」

 などと様々に口説いた言葉を、仲立ちの少年はまた隣家に行き、申し上げると、その歌を繰り返し口ずさみなさっていたが、もし誰かに漏れ聞こえたらやっかいな事になろうから、とにもかくにもと、

  「恥づかしの*もりの言の葉漏らすなよ終に時雨の色に出づとも

  (恥ずかしいから、杜の木の葉ではないが、この言葉は漏らさないでください。最

  後には時雨に打たれ紅葉となるように赤らめた顔色が人にわかってしまっても。)

 何事も何事もよろしくお願いします。」

 などと恥ずかしそうに言うのもいとおしい。早速民部に伝えると、藤の弁の心情もわかり、身の病は次第に癒えてはいくのだが、会えない事に心の(ねぬはなの)苦しさは、(信夫の浦には海松布も繁く生えているのだが)忍んでいても人の見る目にもはっきりわかるほどであった。

 しかし、数日過ごしているうちに、どうしたはずみか人目の切れる時があり、それに紛れて、ある夜秘かに稚児の住んでいる部屋へ忍び込むことができたのであった。

 普段から焚いているのであろう、さりげない薫物の匂いがしめやかに香って、この世の極楽浄土とも形容したいその部屋を、妻戸を少し開けて見入ると、花紅葉が描かれた屏風を引き廻らして、かすかな灯火の下で数々の草紙を広げて心静かに首をちょっと傾けて読んでいるようだ。鬢のほつれが顔にこぼれかかり輝くようにぼんやり見えるかんばせは、露を含んだ花の曙、風に従って揺れる柳の夕景色のように美しい。民部には、あの北山で見初めた時の様子も、ただ今のこの艶やかさに比べれば、数の内にも入らないと思われる。

 妻戸を押し開けてそっと入ると、藤の弁は心得ていたのか、静かにゆったりと振る舞う様子は覚め切っていない夢の中のような感じで、民部は傍らに寄り添って、辛いにつけ、嬉しいにつけ、まず涙が先だって、

 「以前からの私の心尽くしは推察なさっていらっしゃるかもしれませんが、それでも私の私の思いの深さには、思い至らないでしょう。」

 などと涙を拭って申し上げるが、稚児は背けて恥じらっている顔の色合いは、例えるならば露を含んで重たげな秋萩が枝もたわわに咲き乱れているようで、その粧いは、いとおしいとも美しいとも表現するのも愚かしいほどである。民部はもはや冷静ではいられず、日頃の憂さの限りを、この逢瀬の夜の内にも言い尽くそうと語り居ると、なんとも辛いことに、別れを急き立てるように夜明けを告げる鶏の八声も、もはやあちこちで鳴きしきるのである。「おのが音に辛き別れのありとだに思ひも知らで鳥や鳴くらむ」と辛く思って、離れ離れになってしまう衣々(きぬぎぬ=後朝)の別れの袖の涙も所せまく(あたりいっぱいに)流れる思いで、有明の月、形見のように稚児に似た様子で浮かんでいるのにも、悲しみに暮れる心地がして、

  面影よいつ忘られむ有明の月を形見の今朝の別れに

  (有明の月をあなたの面影の形見として今朝別れたが、きっといつまでも忘れられ

  ない事だろう。)

 と咽せ返って詠みかけると、若君も類なく悲し気に、

  限りとて立ち別れなば大空の月もや君が形見ならまし

  (今を限りと立ち別れたならば大空の月もあなたの形見となるのでしょうか。)

 と互いに振り返り振り返りしながら別れた。

 その後は浅からぬ契りとなって、折々尋ねて語り交わしているうちに、次第に春も暮れて行った。時の移り行くのは世の習いであるが、(今更、更えるのも億劫な夏衣を断ったり重ねたりするわけではないが、)夏の日々も経ち重なって、もはや東国へ出立する頃となった。

 人々が故郷への土産にと錦で飾った花衣を手に喜びはしゃいでいる中で、民部一人だけが人知れず憂鬱な思いで平静ではいられず、袖の露(涙)も置き所なく流れ、千入(ちしお)染めに色濃く染まった紅色も褪せる程になってしまった。しかし、一人留まることもできず、一緒に旅立ちの準備をしていたが、せめてもう一度、落ち着いてしんみりと語らい合いたいと、思い悩んでいるうちに、早や明日にも都を立ち去る事と決まった。

 民部は、あるとしても今宵を限りの逢瀬に、涙の淵もせき止め難く、辛さにまかせて正気の沙汰なくぼんやりとしていた。事情を知った仲立ちの少年は、あれこれと段取りをつけてくれた。二十日余りの月が徐々に上る頃、人が寝静まって、いつもの妻戸から忍び入ると、「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」ではないが、袖に焚きしめた香の匂いはなつかしく、今宵は今までになく心ときめき、屏風を少し引き寄せて隠れているのを、おもむろに押しのけて見ると、藤の弁はすでに悄然と泣き尽くしていた。こらえきれずに涙を流し、民部にしなだれかかるように寄り添って、

 「これはどのような宿縁のなす業でしょう。あなたのお心に誠があるならば、ただ今の愛情はお忘れなさいますな。」

 と語りかける折も折、月の光がほのかに南の窓から差し込んで藤の弁の白い顔が浮かび上がる。民部はそれをじっと見つめて、

  いかばかり月には影の慕はれむ曇る夜半さへ忘れやらじを

  (どれほどか月はその姿が慕わしく思われようか、曇って見えない夜半でさえ忘れ

  られないのに。あなたも今こうして目の前に見ると限りなく愛しく感じます。)

 と、おいおいとしゃくりあげるのも留められず、弁の君も涙で湿った眉押し拭って、暫く民部を見つめて、

  「いかにせむ涙の雨にかきくれて慕はむ月の影もわかねば

  (どうにもなりません。涙の雨に見えなくなって慕わしい月のようなあなたの姿も

  分からなくなって。)

 一緒に死ねる命ではないので。」

 と、命に代えても暫しは留めたいと思う別れである。だから昔物語「伊勢物語」でも

「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や鳴きなむ」言ったのももっともなことである。まして秋ならぬ夏の夜の短かさは夢よりももっとあっけなくて、言い足りずに言葉を残して鳴く鶏の声に、まったく心も空っぽになて、互いに手を取り交わして、

「『忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月の巡り逢ふまで(伊勢物語)』です。お互い再び巡り逢うまでは忘れないでいましょう。」

 と約束を交わして、涙とともに立ち別れたのである。

 まもなく逢坂山を越えかかり都を振り返ると、民部は、またいつの世に再会できるのだろうかと嘆かしくて、

  いつとなき世のはかなさを思ふにもいとど越え憂き逢坂の関

  (いつ再会できるかもわからない世のはかなさを思うにつけてもこの逢坂の関を越

  えるのはとてもつらいことだなあ。)

 と詠む。

 数日の後に、一行は武蔵に国に着いたのである。

 

原文

 さればなほ耐え難さにまた押し返して、

   「*散りも初めず咲くも残らぬ面影をいかでか余所の花に紛へん

 ただ大方の色香ならねば紛ふべくもあらぬを、いかなる*風のつてにも。」

 などさまざまにかき口説きたるを、仲立ちまた立ち越え、とかく聞こえければ、この歌を繰り返し詠(なが)め給ふが、よしや人の漏り聞かむはなかなかなれと、とにもかくにもとて、

  「恥づかしの*杜の言の葉漏らすなよ終に時雨の色に出づとも

 何事も何事も悪しからぬやうに。」

 など聞こえ給ふもいとほしくて、民部にとく聞こえければ、悩みいつしか怠りながら、*根蓴菜(ねになは)の苦しきものは、*信夫の浦の海松布(みるめ)繫くて、日頃過ぐし侍りけるが、*いかなる人目の紛れにや、ある夜秘かに児の住み給ふ方へ忍び入りたるに、わざとならぬ匂ひしめやかにうち香りて、*生ける仏の御国とも言はまほしきに、妻戸の少し開きたるより見入れたれば、花紅葉散り乱れたる屏風*引き回し、かすかなる灯し火の元に数々の草紙広開げて心静かにうち傾き居たるに、こぼれかかりたる鬢のほつれより匂やかにほのかなる容貌(かほばせ)、露を含める花の曙、風に従へる柳の夕べの気色、かの北山にて見初めしは、なほ事の数ならずとおぼえける。

 押し開けて入りたるに、のどやかにもてなしたるけはひ、見果てぬ夢の心地しながら、傍らに寄り添ひつつ、辛きにもうれしきにも涙まづ先立ちて、

 「ありしながらの心尽くしは推し量り給ふも、なほ浅くや。」

 など*押し拭(のご)ひ聞こえけれど、人はいと背きて恥じらひ給へる顔の色合ひ、物によそへば、露重げなる秋萩の枝もたわわに咲き乱れたる粧ひ、いとほしくも美しなど言ふも愚かなれば、現(うつ)し心もなくなりて、日頃の憂さの限りも会ふ夜の内にと語らひ居たるに、何の辛さにか別れを急ぐ八声の鳥も早や声々にうちしきれば、「*おのが音に辛き別れの」とうち侘びて引き別れぬる衣衣(きぬぎぬ=後朝)の、袖の涙も処せく覚えけるに、有明の月の*形見顔なるもなほかき暮らす心地して、

  面影よいつ忘られむ有明の月を形見の今朝の別れに

 と咽せかへれば、君も類なくあはれに、

  限りとて立ち別れなば大空の月もや君が形見ならまし

 と互ひに返り見がちにて立ち別れぬ。

 その後はなほ浅からぬ契りとなりて、よりより訪ひ交はしぬる程に、やうやう春も暮れぬ。

 折節の移り行くは世の中の習ひなれど、今更*替へ憂き夏衣の日も経ち重なりて、はや東の方へ赴く頃にもなりしかば、故郷の*つとにとて*錦をかざす花衣の色めき合へる中に、民部一人人知れぬ物思ひに置き所なき袖の露、*紅の千入(ちしほ)も浅きまでになり行きけれども、とどまるべき道ならねば、共に出で立つ営みの中にも、「今一たびしめやかにうち語らひてもがな。」と思ひ煩ふ程に、はや明日なむ都の地を立ち去るべきに事定まりければ、今宵ばかりの逢瀬に、涙の淵もせき止め難く、終にかかる*憂きにも習はで漫ろ言して*ものも覚えぬ様なり。

 仲立ちとかくこしらへて二十日余りの月のやうやう差し上る頃、人を静めて例の妻戸より忍び入りければ、*五月待つ花橘の匂ひならねど、*いとなつかしき袖のかほりも、今宵は常ならぬ心地して、心ときめきせらるるに、屏風少し引きそばめたるに、やをら押しやりて見れば、早やいたう泣きしほれ給へるなりけり。念じあへずうち泣かれつつ傍らに添ひ臥して、「これやいかなる宿世のなす業ならん。御心のまことしあらば、今の情け、な忘れ給ひそ。」と寄り語らふ折しも、月影のほのかに南の窓より差し入るを見て、民部、

  いかばかり月には影の慕はれむ曇る夜半さへ忘れやらじを

 とさくりもよよと留め難きを、弁の君もいとしめりたる眉押し拭ひ、とばかり見やりて、

  いかにせむ涙の雨にかきくれて慕はむ月の影もわかねば

 *同じ限りの命ならずは。

 と、命に代へても暫し留めまほしき今の別れなり。されば*昔語りにも千夜を一夜と言ひしもさる事なり。まいて秋ならぬ夜の短かさは夢よりもなほ程なくて、言葉を残す鳥の音にいとど心も空になれば、互ひに手を取り交はし、*ほどは雲居にと契りおきつつ、涙とともに立ち別れぬ。

 やがて逢坂山越えかかるにも、またいつの世にと嘆かしくて、

  いつとなき世のはかなさを思ふにもいとど越え憂き逢坂の関

 やうやう日数経るほどに、武蔵に国に着きぬ。

(注)散りも初めず咲くも残らぬ=「今日見ずはくやしからまし花ざかり咲きも残らず

    散りも始めず(謡曲鞍馬天狗)」。出典は未詳。

   風のつて=風の便り。風聞。

   杜の言の葉=典拠があるのか?「杜」は「漏り」を掛けるか。「思ひそむる杜の

    木の葉の初時雨しぐるとだにも人に知らせむ(続新古今)」か。

   根蓴菜の=「苦し」の枕詞。

   信夫の浦の海松布=「信夫の浦」は福島県南部の海岸。歌枕。「忍ぶ」に掛け

    る。「海松布」は海藻。「見る目」を掛ける。

   いかなる=この辺を詳述しなのが、読み手としては歯がゆい感じがする。

   生ける仏の御国=生ける浄土。この世の極楽。

   引き回し=張り巡らし。

   押し拭ひ=涙を拭って。返歌をくれたことには感謝するが、ちょっとそっけな

    い、との意か。

   八声の鳥=夜明けにたびたび鳴く鶏。

   おのが音に =「おのが音に辛き別れのありとだに思ひも知らで鳥や鳴くらむ(新

    勅撰集794)」を踏まえる。鶏よあなたの声でつらい別れがあるのをわからな

    いのか、の意。

   形見顔=形見のように別れた人を思い出させる姿。藤の弁はよく月に例えられ

    る。

   替へ憂き=「花の色に染めし袂の惜しければ衣更へ憂き今日にもあるかな(拾遺

    集81)」 を踏まえるか。「夏衣」「断ち(経ち)」「重なり」は縁語。

   紅の千入=紅に色濃く染めたもの。それが色あせるほど涙を流したという。

   つと=土産。

   錦をかざす=錦を飾る。美しい着物を着る。錦を着て凱旋する。

   憂きにも習はで=わかりづらい。大成本「うきにもならいて」。校註日本文学大

    系本により改めた。つらさで行動が普通でない様か。

   ものも覚えず=正気ではなく。

   いとなつかしき・・・=以下十六行が「続群書類従本」では「面影よ・・・」の

    歌の前に入っている。

   五月待つ=「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集3・夏・

    139)を踏まえる。

   同じ限りの=「いかにせん死なばともにと思ふ身を同じ限りのいのちならずは

    (続古今・1207)」を踏まえるか。

   昔語り=伊勢物語。第二十二段「秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千代し寝ば

    や飽く時あらむ」と返しの「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や

    鳴きなむ」を踏まえる。

   心も空に=気もそぞろである。放心状態である。

   ほどは雲居に=「忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月の巡り逢ふまで(伊

    勢物語及び拾遺集)」を踏まえる。