religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語(全編)ーリリジョンズラブ6ー

その1

 この世はなんと無常なものであろうか。

 武蔵の国の片隅に、とある精舎があり、多くの学僧が仏道に励んでいた。その司である某の和尚と申す方の弟子に、民部卿という者がいた。この民部は容色は端正で、学道への志も深く、仏典だけではなく、史記など漢籍の難しい経巻をも読みこなし、和尚も頼もしく思って常に側近く召し使っていた。常々、松吹く風に心ときめかし、谷を流れる水の音に心を慰めながら、深い仏法の淵源を尋ね求め、窓には蛍を集め飼い、枝には雪を積み慣らし、その蛍雪で学びにいそしんでいた。周囲の人々は、その才気でいずれは法灯を掲げてこの世の闇を照らす高僧にになるだろうともてはやしていた。

 その頃、九重(宮中)では何とかいう御修法があって、諸国から高僧たちが集い参内する事があった。この和尚もその数に入って、召されて上京することになった。精舎こぞって大騒ぎで旅の準備を整え、夏の初めに都へ向かった。当然お気に入りの民部も同道する事になったのである。

 武蔵野は、初夏の木々の梢も青々と繁り、庭の千草も花の色を添えて、とても涼し気な宵の間の三日月もすぐに草場に沈み、古今集の「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る」ではないが、余情がしみじみと感じられる。民部が出立の後の事などを何くれと同宿に託しているうちに、夏の短夜は浮き枕(旅たちのあわただしさ)で休む間もなく、ほんのうたた寝するばかりで夢だけを残して夜はすっかり明け、旅立ちということになった。

 東路の旅は十日余りで都に着く。

 乱世といい、荒廃しているとはいってもやはり都、九重の歳月を重ねた荘厳さは、民部の目には神々しく映った。御修法は数日で終わったが、和尚はすぐに帰国する様子もなく都で月日を送っているうちにその年も改まった。空はくまなくうららかに晴れ渡り、雪間からは青んだ草が萌え出でて、民部の心も自然とのびのびする。まして田舎育ちの身には玉を敷き詰めたような都の豪壮な家屋敷は、庭園をはじめとして見どころ多く磨き立ててあり、詳しく説明しようにも、言葉を尽くすことができない程であった。

 とある日、都の四方の山々の春霞が晴れていく頃、民部は「そういえばまだ名高い桜の名所も見ていないなあ。」と思い立って、おなじく花見をしたいと思っていた同宿たちと連れ立って、北山の方を目指して出かけた。花見の人出でごった返して、老若貴賤が色とりどりの粧いで行き交っている。その中で、傍らの桜の花陰に寄せてひときわ鮮やかな牛車が停められていた。付き従っている下僕たちが近寄って、「とても趣深い花の様子を御覧なさいませ。下草も菫交じりでゆかしく咲いていますよ。」などと車の中に語りかける。その声に促されるように車から降りた稚児は、年の程は十六には足りぬほどで、色々に染め分けた衣を柔らかく着こなして桜を眺めている様態・髪型・後ろ姿など、この世の人とも思われない程で、艶やかな様子は計り知れないほど美しい。

 

その2

 民部は稚児の姿を遠目にほのかに見だけだで、すっかり心を奪われた。花見も十分堪能し、さあ帰ろうかとなっても、花ならぬ稚児をのみうっとりと見惚れ続けている。これでは一緒に来た人々も、さすがに気が付いて言い出すかもしれない、それも思慮に足りないことだと、心に秘めて宿所へと帰った。

 しかしそれ以来、稚児の面影ばかりが心に浮かんで、昼は終日(ひねもす)夜は通夜(よもすがら)嘆き明かして、今は心もみだれ髪のように乱れ、万葉集の「恋草を力車に七車積みて恋ふらく吾が心から」ではないが、言っても言っても言い足りない恋心は、恋草を七台の力車に積んでも積み足りない程に募るのであった。車は巡る、ならば私もあの稚児に巡り会うこともあるかもと、確たる手掛かりもないのに、京の町をくまなくさすらい歩いて捜したが、恋焦がれる思いも、海人の乗り捨てた捨て舟を一人掉さして漕ぐようなもので、どこぞと教えてくれるよすがもないので、毎日毎日空しく宿所へ帰るのであった。 

 朱雀大路には、三条から九条まで東西に坊門がある。その四条坊門の辺りを通り過ぎた時、名のある公卿の住む家と見えて、古びた木立ちが奥深く繁り、どことなく心魅かれる邸宅があった。思わず門近くまで近寄って内を窺うと、梅の折り枝の蝶や鳥が飛び違っている模様の風雅な水干を着た、類なき美貌の稚児が散り過ぎた花の梢をつくづくと眺めて歌を口ずさんでいる。

  移ろひてあらぬ色香に衰へぬ花も盛りは短かかりけり

  (時は移りあられもない色や香りに衰えてしまった。花も盛りは短いものだな

  あ。)

 高欄にそっと寄りかかって頬杖をついている姿に、民部は肌寒くなるほどの感動を覚えるのであった。目を凝らせば、それは紛れもない、せめて夢にでもと恋い慕っていた北山の花のえにしのあの稚児であった。民部は高鳴る動悸を抑えながらさらに近寄ると、気配を察したのか、誰かに見られているかもしれないと、そそくさと部屋に入ってしまった。これは何という僥倖だと、暫くはそこに立ち尽くしていたが、新古今集の「忘れてはうちなげかるるゆふべかなわれのみ知りてすぐる月日を」ではないが、相手の気付いてくれない恋心に、夕暮れの鐘の響きもつれなく聞こえ、日もとっぷりと暮れていつまでもそうしてもいられず、不案内な都の道を、心乱れてさまよいながらどうにか宿所へ戻ったのだった。

 それ以来、民部は心の病に床に臥し、和尚にお仕えすることもままならぬようになった。和尚も心配して急ぎ薬などを手配したが、全くその効果もない。

 とある日、五月雨がしめやかに降り続けるもの寂しい夜に、この民部と共に長年和尚にお仕えしている者が、病に臥す枕元に近寄って、このように語った。

 「以前、北山での花の夕間暮れにほのかに見た美しい稚児、その月影が入る空のように、その人がお入りになったお屋敷を詳しく知っている者がございましたぞ。それによると某の中納言とか申す方の御子という事です。」

 民部はぼんやりとした頭で聞いていたが、聞くや重い枕をもたげて、

 「どうだろうか、その人に言い寄る手立てはないものでしょうか。」

 と尋ねると、

 「そうなんです。そのお住まいになっている東に、垣根は野苺が生えて、軒端にはしのぶ草が繁っていて侘しげに住みなしている、ささやかな家を通り過ぎがてらそっと見入ると、その家の主でしょう、六十ほどの老人がおりました。埋火に手の甲をかざして腰をかがめているのをよくよく見ると、以前から見知った人でした。近寄って、昔の思い出などを語らっているうちに、かの君のことなども問わず語りに出てきて、どうもごく親しく隣づきあいをしているようです。御病状も快方に向かったならば、かの家へお行きなさってしばらくの間、仮に逗留なさったならば、玉の簾の間を通る風のように、あなたの心をお伝えすることもきっとできるでしょう。」

 などと仕向けると、民部も大きくうなずき、笑みを浮かべていると、これも和尚に親しく使えている同朋の式部という者がやって来て、

 「御病気はいかがですか。このように寝込んでばかりでは、気も疲れひどく心もしぼんでしまいますよ。どこでもいいのです、しかるべき家をひとつ求めてそこに逗留して気を紛らわしなさい。」

 などと気の置けない語り口で勧める。折にかない、うれしく有難いとは思うが、興奮して浮き立つのもいかがかと、さりげなく振る舞い、

 「そうなんです。自分でもそうは思うのですが、和尚様がどのようにお考えになっていなさるか。」

 と眉をだるそうにひそめて言うと、

 「あなたを案じている和尚様の事だから、どうして不快に思いなさるか。一つ私から申し上げてみましょう。」

 と即座に座を離れると、まもなくやって来て、

 「おおよその事を申し上げましたところ、民部卿の御心に任そうとおっしゃいなさいました。早々にも誰かにお宿の手配をさしなさいませ。」

 と親切に語って出て行った。

 その3

 民部は その配慮がうれしく、やや心が晴れる心地もして、身支度をして、かの蓬生の家を訪ねた。

 宿の主は非常に歓待して、数日もすると互い気の置けない仲となったのであった。また、その翁の子で、まだごく年若くはあったが、情けを解する少年が慕い寄って、常に民部の心を慰めていた。

 ある時その少年を側近く呼んで、今までのいきさつを詳しく語ったところ、少年も切ない民部の心を察して、隣家の様子を説明して、

 「実は私めは、その父中納言君の元に、長年にわたって親しく出入りさせてもらっていますから、よくよく事情は存じ上げているのです。その稚児様は、西の家では唯一無二の大切な方と、この上なく大事にお育てしているのですよ。お名前を『藤の弁』と申します。御容貌はもう絶世というばかりで、御心映えも人に優れて、父君母君は限りなく愛おしみなさって、めったなことでは室外にもお出しにならない程ですよ。明けても暮れても、ただ深窓の内で、和歌に打ち込んだり、手習いに心を傾けたりなど、そのようなことばかりしています。私めぐらいでしょうか、折々にお訪ねして所在ない時のお相手をしてお心を慰めているのは。

 そのようにひたすら思い悩んでいるのを、傍で見ても気の毒でなりません。ひとつ、私から言い寄ってみましょうか。思いを受け入れてくれるかどうかはわかりませんが、『いくたびもかきこそやらめ水くきの岡のかやはら靡くばかりに』という歌もございます。筆の限りを尽くして何度も言い寄ればお心が靡くこともあるやもしれません。」

 と言った。民部は限りなくうれしく思って、とても香りのたかい年月を経て少し黄ばんだ厚手の極上のみちのく紙(檀紙)に、

  「過ぎがてによその梢を見てしより忘れもやらぬ花の面影

  (通りすがりによそながら美しい花の梢《のようなあなた》を見てしまいました。

  それ以来その面影は忘れ去ることはできません。)

 月の夜も、潮が干るではないが、昼間も波風が立つように、立ち居につけても乾かないのは、雄島の海人の袖でなくても、涙で濡れているからです。」

 と興に任せて書いたのを、この少年は受け取って、その日の暮れ方に西の家を訪れた。

 人々は少年の来訪を喜び、世間の事、最近の出来事、面白い事、不思議な事、あれこれ語り合いながら少年が、藤の弁の様子を窺うと、若君は秋の情趣に心魅かれたのか、白い色紙に、荻・尾花が乱れ咲いている絵をこの上なく上手に描いている。近寄って、

 「なんと画力は上達なさいましたね。最近はいろいろ雑用もありましてお訪ねすることもありませんで。」

 などと声を掛けると、辺りに人がいないようなので、例の手紙を取り出して、

 「このようなことは言い出すのも、さすがに心苦しいことなのですが、この手紙の主が切実に恋して病に悩んでいなさるのも気の毒でして、それに強引に頼まれまして拒否することもできませんで。」

 と言って、以前からの経緯を事細かく申し上げたのだが、藤の弁はただ顔を赤らめて何も語らない。少年はそうなるだろうなとはわかっていたが、

 「人がこれまで恋い慕いなさって書いた手紙を、どうして空しく捨てられましょうか。なんと情趣のない行為ですか。」

 と説得すると、几帳の陰で帳を少し押し開いて、流し目でちらっと見るのを、チャンスだと、

 「たった一言でも返歌を。」

 と強く促すと、

 「偽りばかりが多いこの世に、どこへ行くかもわからないあてにならない人にどうして返り事などできましょうか。」

 と言い放つのをあれこれ宥めすかしているうちに、外からやって来る人がいたので、何もなかったようなふりをして、その夜は空しく帰ってのである。

 戻っては民部に子細を語ると、ますます上の空になって、

 「何度でもわが想いを伝えよ。たった一文字の言葉でもいただいたならば、それを携えて、限りあるこの世の仏道修行にも喜んで励もうぞ。」

 と少年に会うたびに強く迫るので、再び西の家へ行き、

 「先日のちょっとだけしか話せなかったことですが、どのようにお考えですか。人を通してしか伝えられない辛さのせいか、自分のことをさえ恨んで雨のような涙に、他の人の袂さえ所かまわず濡れしきるのです。民部卿の涙は世界中に溢れてしまいます。余りにつれなくなさると、後々かえって恨みを買うことになるのですよ。御返歌だけでも。」

 と手を変え品を変え勧めると、

 「私も岩や木でなく、人の情けは知っています。でも浮名を流すようなことは包み隠したいのですが。」

 と言って、

  見えしより忘れもやらぬ面影はよその梢の花にやあるらむ

  (あなたが見かけて以来忘れられないと言った花の面影というのはどこかよその梢

  の花ではないでしょうか。)

 とだけ、まるで手習いのように書き散らした手紙を、やっとのことで受け取って、急ぎ戻って、返歌として差し出すと、受け取るのさえもどかしく、急いで開いて見ると、丸みを帯びた崩し書きは鳥の足跡のようにたどたどしく、書きぶりも幼くて、上手に連綿体では書けてはいないが、それがかえって上達した先が想像されて、可愛らしい感じさえした。あたかも光源氏が若紫の手習いを見守るがごとくである。

その4

 すると民部はいてもたってもいられず、さらに返歌をする。

  「散りも始めず咲くも残らぬ面影をいかでか余所の花に紛へん

  (残らず咲いて散り始めない満開の桜をどうして別の所の花と見間違いましょう

  か。私が見初めたのはあなたに他なりません。)

 全く並大抵の色香ではなく見間違うはずはないのに、誰からどのように聞いたので

すか。」

 などと様々に口説いた言葉を、仲立ちの少年はまた隣家に行き、申し上げると、その歌を繰り返し口ずさみなさっていたが、もし誰かに漏れ聞こえたらやっかいな事になろうから、とにもかくにもと、

  「恥づかしの*もりの言の葉漏らすなよ終に時雨の色に出づとも

  (恥ずかしいから、杜の木の葉ではないが、この言葉は漏らさないでください。最

  後には時雨に打たれ紅葉となるように赤らめた顔色が人にわかってしまっても。)

 何事も何事もよろしくお願いします。」

 などと恥ずかしそうに言うのもいとおしい。早速民部に伝えると、藤の弁の心情もわかり、身の病は次第に癒えてはいくのだが、会えない事に心の(ねぬはなの)苦しさは、(信夫の浦には海松布も繁く生えているのだが)、忍んでいても人の見る目にもはっきりわかるほどであった。

 しかし、数日過ごしているうちに、どうしたはずみか人目の切れる時があり、それに紛れて、ある夜秘かに稚児の住んでいる部屋へ忍び込むことができたのであった。

 普段から焚いているのであろう、さりげない薫物の匂いがしめやかに香って、この世の極楽浄土とも形容したいその部屋を、妻戸を少し開けて見入ると、花紅葉が描かれた屏風を引き廻らして、かすかな灯火の下で数々の草紙を広げて心静かに首をちょっと傾けて読んでいるようだ。鬢のほつれが顔にこぼれかかり、輝くようにぼんやり見えるかんばせは、露を含んだ花の曙、風に従って揺れる柳の夕景色のように美しい。民部には、あの北山で見初めた時の様子も、ただ今のこの艶やかさに比べれば、数の内にも入らないと思われる。

 妻戸を押し開けてそっと入ると、藤の弁は心得ていたのか、静かにゆったりと振る舞う様子は覚め切っていない夢の中のような感じで、民部は傍らに寄り添って、辛いにつけ、嬉しいにつけ、まず涙が先だって、

 「以前からの私の心尽くしは推察なさっていらっしゃるかもしれませんが、それでも私の私の思いの深さには、思い至らないでしょう。」

 などと涙を拭って申し上げるが、稚児の背けて恥じらっている顔の色合いは、例えるならば露を含んで重たげな秋萩が枝もたわわに咲き乱れているようで、その粧いは、いとおしいとも美しいとも表現するのも愚かしいほどである。民部はもはや冷静ではいられず、日頃の憂さの限りを、この逢瀬の夜の内にも言い尽くそうと語り居ると、なんとも辛いことに、別れを急き立てるように夜明けを告げる鶏の八声も、もはやあちこちで鳴きしきるのである。新勅撰集の「おのが音に辛き別れのありとだに思ひも知らで鳥や鳴くらむ」のように辛く思って、離れ離れになってしまう衣々(きぬぎぬ=後朝)の別れの袖の涙も所せまく(あたりいっぱいに)流れる思いで、有明の月が、形見のように稚児に似た様子で浮かんでいるのにも、悲しみに暮れる心地がして、

  面影よいつ忘られむ有明の月を形見の今朝の別れに

  (有明の月をあなたの面影の形見として今朝別れたが、きっといつまでも忘れられ

  ない事だろう。)

 と咽せ返って詠みかけると、若君も類なく悲し気に、

  限りとて立ち別れなば大空の月もや君が形見ならまし

  (今を限りと立ち別れたならば大空の月もあなたの形見となるのでしょうか。)

 と互いに振り返り振り返りしながら別れた。

 その後は浅からぬ契りとなって、折々尋ねて語り交わしているうちに、次第に春も暮れて行った。時の移り行くのは世の習いであるが、(今更、更えるのも億劫な夏衣を断ったり重ねたりするわけではないが、)夏の日々も経ち重なって、もはや東国へ出立する頃となった。

 人々が故郷への土産にと錦で飾った花衣を手に喜びはしゃいでいる中で、民部一人だけが人知れず憂鬱な思いで平静ではいられず、袖の露(涙)も置き所なく流れ、千入(ちしお)染めに色濃く染まった紅色も褪せる程になってしまった。しかし、一人留まることもできず、一緒に旅立ちの準備をしていたが、せめてもう一度、落ち着いてしんみりと語らい合いたいと、思い悩んでいるうちに、早や明日にも都を立ち去る事と決まった。

 民部は、あるとしても今宵を限りの逢瀬に、涙の淵もせき止め難く、辛さにまかせて正気の沙汰なくぼんやりとしていた。事情を知った仲立ちの少年は、あれこれと段取りをつけてくれた。二十日余りの月が徐々に上る頃、人が寝静まって、いつもの妻戸から忍び入ると、古今集の「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする」ではないが、袖に焚きしめた香の匂いはなつかしく、今宵は今までになく心ときめき、屏風を少し引き寄せて隠れているのを、おもむろに押しのけて見ると、藤の弁はすでに悄然と泣き尽くしていた。こらえきれずに涙を流し、民部にしなだれかかるように寄り添って、

 「これはどのような宿縁のなす業でしょう。あなたのお心に誠があるならば、ただ今の愛情はお忘れなさいますな。」

 と語りかける折も折、月の光がほのかに南の窓から差し込んで藤の弁の白い顔が浮かび上がる。民部はそれをじっと見つめて、

  いかばかり月には影の慕はれむ曇る夜半さへ忘れやらじを

  (どれほどか月はその姿が慕わしく思われようか、曇って見えない夜半でさえ忘れ

  られないのに。あなたも今こうして目の前に見ると限りなく愛しく感じます。)

 と、おいおいとしゃくりあげるのも留められず、弁の君も涙で湿った眉押し拭って、暫く民部を見つめて、

  「いかにせむ涙の雨にかきくれて慕はむ月の影もわかねば

  (どうにもなりません。涙の雨に見えなくなって慕わしい月のようなあなたの姿も

  分からなくなって。)

 一緒に死ねる命ではないので。」

 と、命に代えても暫しは留めたいと思う別れである。だから昔物語「伊勢物語」でも

「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や鳴きなむ」言ったのももっともなことである。まして秋ならぬ夏の夜の短かさは夢よりももっとあっけなくて、言い足りずに言葉を残して鳴く鶏の声に、まったく心も空っぽになって、互いに手を取り交わして、

「『忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月の巡り逢ふまで(伊勢物語)』です。お互い再び巡り逢うまでは忘れないでいましょう。」

 と約束を交わして、涙とともに立ち別れたのである。

 まもなく逢坂山を越えかかり都を振り返ると、民部は、またいつの世に再会できるのだろうかと嘆かしくて、

  いつとなき世のはかなさを思ふにもいとど越え憂き逢坂の関

  (いつ再会できるかもわからない世のはかなさを思うにつけてもこの逢坂の関を越

  えるのはとてもつらいことだなあ。)

 と詠む。

 数日の後に、一行は武蔵の国に着いたのである。

 その5

 都では、藤の弁は民部と別れて以来、枕に残る民部の移り香をしきりに嗅いでは、その人に添い臥している心地になって、一日二日と起き上がりもせず、袂も涙で朽ちてしまうほど泣き悲しみなさるが、自分以外に誰もこのつらさを語り合う者もいなかった。多少心慰められる者としては、例の仲立ちをした少年ばかりが、絶え絶えにではあるが、訪ねて来て、民部との思い出を秘かに語り合っていた。しかし、それさえいつしか途絶えがちになって、消息を知るよすがもなくなり、一人心の中で恋い悲しみ、起きることもなく、かといって眠ることもできず、床の中で夜を明かし、昼は閨の中ではありながら、民部のいる東の空をぼんやり想い、風が吹いて音がするのも、民部の訪れを思い出して懐かしく、隈なく澄みきった月が山の端から上るのを見ても、以前民部が「月には影の」と詠んだの時の面影がはっきりと浮かんできて、ひたすら恋しい思いが募ってきて、古今集の「形見こそ今は仇なれこれなくば忘るるときもあらましものを」ではないが、思い出も今となってはかえって仇となってしまうと、恨めしく思うが、そうはいっても未だに慕わしくて、

  ながめやる夕べの空ぞ睦まじき同じ雲居の月と思へば

  (遠く眺めやる夕べの空は心が引かれるものだ。あの人も同じ雲居の月を見ている

  と思えば。)

 と独り言を言って、「どうした私はこんなに心が弱いのだろう。」と人目を気にするが、ますます苦しくなって、全く人に会うこともなく、ただ籠ってばかりいた。父母はとてもいたわしく思って、神仏に祈り、加持など様々なことを行ったがその効験もなく、ひたすら思い悩んでいる様子で、時々胸をせき上げてひどく耐えられない程苦しみ惑っている。

 人々が「どうしたらよいのか。」ともどかしく思っている中で、この稚児の傅(めのと=養育係⦅男である⦆)が枕元に寄り添って、鬢のほつれ毛を撫でながら、

 「ああなんとも正体もなくなって。どうしてそのようなつらそうな姿をお見せなさるのですか。幼いころから成長するまで、お育て申し上げて、これから先の素晴らしい栄華をも見守りたく思っていましたのに、明日をも知らぬ命になるとは。何事かお悩みがあるのでしょうか。御心の内を私には隠し隔てなくお語りください。このように何日も何日も病んでいるのは、若君の御心があまりに繊細であることにもあるのですよ。」

 と言葉を尽くして語りかけると、藤の弁は少し枕をもたげて、声も絶え絶えにささやくのである。

 「あなたの事は私も頼りに思っていました。私が思い悩んでいることは何も恥ずかしいことではないのかも知れませんが、言ったとしてもどうにもならない事なのです。かなうことができないのですから、あの人のために浮き名を噂されることは、たとえ名取川の波に沈み果てるように、涙に沈んでもいたすまいと、深く心の内に秘めて今日まで過ごしてきました。しかしもはや私の命もいつ知れずと思われます。心の内を見せずにあの世に行ってしまうのも辛ろうございます。あなかしこ(畏れ多くも)、お語りしましょう。でも、私が死んだ後も決して誰にも言い漏らさないでくださいませ。」

 と、民部との出会いから今までの事を語りながら、涙に咽ぶのであった。

 傅は藤の弁が、その幼な心にこれほどにまで思い悩んでいたことを、意外な思いで可哀そうに感じて、共に涙を落したのであった。

 「そのような事をずっと思っていたのですね。そして健気にも良心が咎めていたのですね。でも、そのような恋はこの世にないことではないのですよ。そこまで包み隠すことではないのですが、あまりにも自分で抱え込んで、このように病んで弱りなさったのですね。」

 と急いで父母にお告げすると、ひどく慌てておっしゃった。

 「なんとも度の過ぎた恥じらいぶりよ。それほどまでに恋心を秘めていたのか、愚かなことだ。そういうことならば、その人をここへ迎え入れよう。造作もない事。他に人に任せては人違いすることもあるかもしれない。太傅(たいふ=めのと)よ、おぬしが急いで東に下り、その民部卿をお連れ申しなさい。」

 と仰せになるので、傅もうれしく思って、再び枕元に寄り、

 「父上母上の仰せ事をいただいて、その恋い慕うお方を尋ねに、今より東へ下りますぞ。急いで連れて参りますから、暫くの我慢と思って心慰めていてください。」

 などと言い残して、傅は夜を日に継いで東へ下り、話に聞いた精舎を訪ね、取次を求め、民部に対面した。

 「これこれの事でございます。あなたも若君をお気の毒とは思いなさらぬか。」

 と言うや否や涙に咽ぶので、聞いていた民部も呆然とするばかりである。暫くしてこう言った。

 「もっともなことです。そのような事がございましたが、万事世の中(通常男女の仲、ここでは恋仲)は秘める事とて、はっきり言い出すこともできずにいました。傅のあなたにさえお伝えしなくておりましたのを、今このように訪ねていらしたことは、全く面目ございません。私とても、都を出て以来、若君を片時も忘れる事はなかったのですが、この生活の中では誰にも思いを語ることができず、ただ徒に今日まで過ごしてきましたが、藤の弁様の切なる想いの程を聞きまして、もうこらえることはできません。どうにかして、若君と再会しとう思います。」

 と言って、すぐに外に出て行ってた。そして、かつて都で病んでいた頃とても誠実に介抱してくれた同朋の元に行って、傅の訪問を偽りにこう語った。

 「数年来、昵懇にしていた縁者が、『このほど都の近くまで上っていましたが、思いがけない病気に冒されて、この世にとどまるべき時も少なくなりました。あなたにお伝えしたいことがあります。命ある内に今一度お会いして。』と俄かなる使いが来たのです。お願いです、ああ、あなたのお計らいで三十日余りのお暇をいただいて、ほんの一目でも会うことができたら。」

 と嘆いて訴えるのを、「造作もないことよ。」とすぐに和尚に言上すると、「それはもっともなことだ。」と暇が与えられた。

 二人はとても喜んだ。折しも涙を誘うような秋風の訪れに、虫も数々の鳴き声を添えて、粗末な旅衣の草の袂も深く露に濡れ、月さえ押し分けて進む草深い武蔵野を、まだ東雲の夜明けに出発した。

 その6

 道行くと、富士に高嶺に降る雪も、積もる想いになぞらえられて、 

   消え難き富士の深雪にたぐへてもなほ長かれと思ふ命ぞ 

  (なかなか消えない富士に積もる深雪に例えても、それよりさらに長くあれと思う

  あなたの命です。)

 などと胸から溢れ出でることを口ずさみながら行き、清見が関では磯を枕とし、涙を袖に流しながら、打ち解けても寝られない海士の磯屋に旅寝して、「波のよるひる」と言うのも我が身と思い知られて、その一通りではない悲しさはたとえようもない。

  なかなかに心尽くしに先立ちて我さへ波のあはで消えなむ

  (あなたのことを心配する前に、あなたに逢わずに返って私が波の泡と消えてしま

  いそうだ。)

  こらえきれない辛さのあまりに。

 日も次第に経っていき、土山という宿場に着いた。明日はいよいよ都へとお互いに喜び合う心に中にも、もどかしさや胸騒ぎを感じるところに、京から文を持った使いが来たのである。

 その7

 「ああどうしたことだ。」と胸騒ぎして、急いで開いて見ると、「病気の人は日に日に弱っていき、昨日の暮れ方のこれこれの時分に亡くなりました。」と書いてあるのを読んで、目がくらみ、心は乱れて、「これはどういうことだ。」と夢の中にいるような心地である。

 民部は涙が止まらず、

 「今一度会えるのを頼みにはるばるやって来たが、もう一日二日を待たないで消えてしまった露のような命のはかなさよ。このような心づもりではなかったろうに。きっと『いかにせむ死なば共にと思ふ身の同じ限りの命ならずば』などとお嘆きになったことでしょう。ですから太傅殿、あなたの私のせいで亡くなった人を、今わの際にさえ一目見られなかった心の内を推し量るのもつらく思われます。襁褓の頃からお世話をしてきた方ですからどれほどか落胆されているでしょう。私もここまでやって来た上は、急いで都へ上がって、途方に暮れて嘆きなさっている父君母君の御心も慰め、また亡き人の後の業(葬儀・法事)なども営みたいと思います。」

 と申し上げると、傅は、

 「ありがたい御心でございます。ここまで尽くしてくださったのですから、何の恨みもございません。ただ亡き人の命の脆さこそ、どうにもこうにも悲しいことです。」

 と言って、また泣き沈む様子はどうにも絶え難い。民部も時折洟をかんでは、

 「ある者は生き残り、ある者は先に死んでゆくはかなさは、この世の宿命ではあるが、このような例は聞いたこともございません。」

 と嘆きながら、あくる日、日の暮れかかる頃都へ着いた。

 父君はもちろん母君も並々の人には見えず、高貴な方であろうが、わざわざ几帳の外まで走り出て来て、民部の袖に縋り付きなさる。傍らに倒れ臥す傅たちは、「ああ辛い、悲しい。」とこらえきれずに嘆くのも無理はない。暫くして、父の中納言卿が傅に向かっておっしゃった、

 「あの日おぬしが出立してから、少しは心も慰むようで、病気も快方に向かうようではあったが、再び日に日に重くなっていき、もはや薬など飲ませる者もなくなって、息絶えるのを、皆で魂を呼び返そうと大声で叫んで聞かせたが、それも無情にもただの昔語り(呼びかけたことが単なる思い出話?)になってしまった。

 今わの際の親心、特に母の嘆きのやるせなさはご推察あれ。嘆いても帰ってくるわけではないので、鳥部山の辺で、空しき煙となしてその骸一人を見送り捨てたのでございます。」

 父君の再び咽かえるのを見て、人々は大声を出して一斉に泣いたのである。

 民部が、かつて忍んだ一間に入って見ると、空しく脱ぎ捨てた衣、朝夕手慣れた調度などもそのまま残って、見るにつけても涙を催された。ふと周囲を見ると、使い古した扇に、「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひん涙の色ぞゆかしき」などという中宮定子の歌など辞世を思わせる古歌が様々に薄書きに書いてあって、 

  日影(ほかげ)待つ露の命は惜しからで会はで消えなむことぞ悲しき

  (日の光が出て消えてしまう露の命は惜しくはない。ただ、あの人に会わずに消え

  てしまうことが悲しい。)

 と書いている筆跡も、弱り果てていた時と見えて、文字もたどたどしい。民部は胸が塞がれるような思いである。生前の姿が目の前に浮かんで、もはや惜しくもない命を、亡き人のために捨てようと一途に心を決めてしまった。

 つらさに堪えぬ涙の川も、もはや流れて今日は七日になった。初七日に父の中納言卿・太傅などが、弔いをした所を訪ねると、民部も同行して詣でたが、鳥部山の煙は、どれがどれの煙とはわからないが、死を決意する自分には、その煙が親しく思われ、鳥部山の対のあだし野の露はあわれだなあと思うにつけても、藤の弁の君が眠る辺りの草の葉で、断ってしまおうと思う自分の命も、近くで死ねるのだと思うとかえってうれしくて、

  先立ちし鳥部の山の夕煙あはれいつまで消え残れとか

  (先立ったあなたの火葬の夕煙は、ああいつまで消え残れというのか。⦅もう消え

  てもいいのですよ、次は私の煙が立ちますので。》)

 父の卿は、

  先立ちて消えし浅茅の末の露本の雫の身をいかにせむ

  (先立って死んでしまった浅茅の末の露のような我が子に、遅れて残る雫のような

  親の私はどうしたらいいのだろう。)

 さて、民部は泣く泣く火葬場に行って、そのあとを見るにつけても、まずは涙に暮れて何も考えられず、暫くして、花など手向けて、心静かに念誦して、やがてその場にいる生きている人に言うように、

 「それにしてもほんの一日二日を待たないで早世なさる情けなさよ。どれほど私を憎らしいと思っていなさったか。この世は誰にも思いのままならず、縁は薄くとも、来世は必ず浄土で同じ蓮台に坐そうと、殉死は罪深い迷いとはわかってはいますが、ずっと前から死ぬときは同じと思っていたことなので、(もしくは、何時の頃からも後追いするのは、続く習いのようなもので)、私は遂げなければいられません。」

 などと訴えるように言い、懐にあった守り刀を秘かに抜いて身に当てて、もはやこれまでと思えたが、傍らの人が咄嗟に見とがめて、「何をするのか。」と抱き止めると、中納言を始め、人々が取り付いて、やっとのことで刀を奪い取った。

 中納言は涙ながらに民部におっしゃった。

 「藤の弁が亡くなったことは今更言ってもしかたない。あなたまでも亡くなりなさったならば、若君の死に重ねて更に辛い目を見せなさるということか。もしあなたに御志があるというなら、亡き跡の営みをしっかりなさってくだされば、死んでいった人の罪障も軽くなるでしょう。」

 と切々と説得するので、後追いの本懐も遂げられず、その後、武蔵の国へ帰ることもなく、北山の麓に柴の庵を結んで、墨染の衣もさらに色濃く、仏道に打ち込み、寝ぬ夜の現世の夢幻にも目覚めたのか、

  あらぬ道に迷ふもうれし迷はずはいかでさやけき月を見ましや

  (あってはいけない道に迷うのもかえってうれしいことだ。迷わなければどうして

  このようなさやかな月のような悟った心に出会うことができたろうか。)

 などと詠んで、暫くはここで勤行していた。

 しかし、いつの日か、夕べの鐘に誘われるように、どこかへ行ってしまったという。

 それはわからないことだ。

 

原文

その1 とにかくに、常ならぬものはこの世なり。

 ここに、先(さい)つ頃武蔵の国の*片方(かたへ)に、物学ぶ*精舎(さうざ)なむありけり。その司(つかさ)某の和尚とかや聞こえし人の御弟子に、民部卿と言ひしは、容色いと清げに心の根ざし深く、我が家のことならぬ、史記などやうの難き巻巻をだに方々に通はし読み聞こえ給ふれば、こと人よりも*すくよかに思し給ひ、傍ら近く召されて、年頃仕え奉りぬ。

 常はただ松風に眠りを覚まし、谷水に心を遣りて、*深き法の水上を訪ね、窓の蛍を睦び、枝の雪を慣らして、法の灯し火をも掲げつべき*さきらはあればとて、片方の人もいと*もてなすなるべし。

 さればその頃、*九重になにの*御修法(みしほ)かありて、国々より貴き僧たちの参り集ふことなむ侍りける。この和尚もその数に召されて上り給ふべきに定まりければ、上・中・下、旅装ひとてののしりあへり。頃は夏立つ初めなれば、木々の梢も繁りあひ、庭の千草も色添へて、いと涼し気なる宵の間の月も、やがて草葉に隠れ、武蔵野の名残り覚えて、*紫のゆかりあれば、後のことなど何くれと言ひこしらへぬるうちに、短き夜半の*浮き枕、結ぶともなきうたた寝の、夢を残して明け離れむとする頃、あずまの空を立ちて、日数十日余りに都になむ着きぬ。

 何事も衰へたる世とはいへど、なほ九重の*神さびたる様こそこよなうめでたけれ。かくて程経ぬれば、御祈りの事は果てぬれど、なほ帰るほども*ゆるぎなければ、その事ともなく月日を送りけるほどに年も返りぬ。

 空の気色名残りなく、うららかに雪の間の草も青み出でて、自づから人の心ものびらかに、まいて玉を敷ける*御方々は、庭より始めて見どころ多く、磨き増し給へる有様、*まねびたてむも言の葉足るまじくなむ。

 いつしか都近き四方山の端、霞の余所になりゆく頃は、まだ見ぬ花も面影に立ちて、同じ心の友どちうち連れ、*北山の方へと志しける道の程に、老いたる・若き・貴き・賎しき、行き来る袖も色めき合へる中に、*さはやかなる車片方の木陰に寄せて、付き従ふ男(をのこ)なんど差し寄りつつ、「いとをかしき花の気色御覧ぜよ。菫交じりの草もなつかしく。」なんど聞こえければ、下り給へる粧ひ、年の程まだ*二八にも足り給はぬほどなるが、色々に染め分けたる衣いとなよやかに着なして、眺め給へる様体、*頭付き後ろ手なんどこの世の人とも思はれず、艶やかなる様計りなし。

 (注)片方=場所。田舎。

   精舎=寺院。

   すくよかに=壮健で頼もしく。

   深き法の水上=仏法の教義の源泉。

   さきら=才気。

   もてなす=もてはやす。

   九重=宮中。内裏。または都。

   御修法=国家または個人のために僧を呼んで密教の修法を行う法会。宮中では正

    月に真言院の御修法を行うが、季節からするとそれとは異なる特別な修法か。

   紫のゆかり=「紫の一本ゆゑに武蔵野の草はみながらあはれとぞ見る(古今集

    雑上}」による。武蔵野の情景に後ろ髪引かれる思いがあったのか。

   浮き枕=旅寝の枕、ここでは出発前の枕。

   神さびたる=古色があり荘厳な。

   ゆるぎなければ=動きがない。帰る気配がない。

   御方々=家々。

   まねびたてむ=見聞した物事の有様を詳しく言い立てる。

   北山=京都北部の山々。

   さはやか=鮮やかで美しい、の意か。

   二八=十六歳。

   頭付き後ろ手=髪型や後ろ姿。

  

その2 民部、ほのかに見てしより、そぞろに心惑ひて、かへさの後も慕はしきまでなむ見惚れたるを、伴ふ人々も目咎むる程なれば、さすがに人の言ひ思はむも浅はかなればと心に籠めて、立ち帰りしより面影にのみ覚えて、昼はひめもす(終日=ひねもす)、夜はすがらに嘆き明かし、今は心もみだれ髪の、言ふにも余る恋草は、積むとも尽きぬ*七車の、また巡り会ふ事もやと、至らぬ隈もなく惑ひありきて求むれど、ひとり*こがるる捨て舟の掉さして、いづこと*教ふるよすがもなければ、空しく立ち帰りけるが、四条の*坊門とかやうち過ぐるに、公卿の住む家と見えて、奥深く木立ちもの古り何となくなつかしく覚えければ、門の傍らに差し入りたるに、形いと類なき児の、梅の折り枝に蝶鳥飛び違ひ*唐めきたるをうち着て、散り過ぎたる花の梢をつくづくと眺めて、

  移ろひてあらぬ色香に衰へぬ花も盛りは短かかりけり

 と口ずさみながら、そばなる高欄に、そと寄りかかりて面杖(つらづえ)つき給へる様、肌寒きまでなむ覚えける。つくづくとうちまもれば、夢にもせめてと恋ひ慕ひし北山の花の縁(えにし)、つゆまがふべくもあらず。胸うち騒ぎて、なほ立ち寄りければ、見る人ありと苦しげにて、やがて紛れ入りぬ。

 これやいかにと暫しは立ちやすらひ侍れど、*我のみ知れる夕暮れの鐘の響きもつれなくて、はや日も暮れぬれば、いつまでかくてもと、*辿る辿るうち帰りぬ。

 今はひたすら病の床に臥して、和尚に仕へものする事も怠り給ふれば、急ぎ薬の事なんどとかく沙汰し侍れど、いささかも験(しるし)なし。雨しめやかに降り暮らしたる夜のいともの寂しきに、*年頃付き従ひし者なむありしが、悩める枕に差し寄り聞こえけるは、「過ぎにし花の夕間暮れ、ほのかに影を見る*月の入り給へる空、詳しく知れる者侍り。某の中納言とかや言へる人の御子なり。」と漫ろに語るをうち聞きて、重き枕をもたげ、「いかにその人の事言ひ寄るべきよすがや*ある。」と尋ねければ、「さればとよ、その住み給ふ東にささやかなる家の垣に*苺むし、軒は*忍交りに生い茂りてもの侘しげなるを、過ぎがてにそと身入れ侍れば、主六十(むそじ)余りにもや侍らむ、*埋火の元に手の裏うち返し傾き居たるをよくよく見ればはやうより知れる人にてなむ侍る。差し寄りて来し方の事どもうち語らひしに、かの君の事まで問はず語りし出でて、いと懇ろにものし侍るぞや。御悩みも怠り給ふ程は、暫しかれが家に*立ち越え給ひて、仮にも住ませ給はば、*玉だれの隙にも御心を伝へ給ふ程の事はなどかなからむ。」と*唆し侍れば、民部うちうなづき微笑みてゐたる所に、これも和尚に親しく仕へものする*同朋の訪ひ来て、「悩みいかが侍る。かくのみ籠りては、気も疲れいとど心も*結ぼふれなむに、いづくにもあれさるべき屋、ひとつ求めて心をも慰め給へかし。」となれても聞こえければ、うれしとは聞き居たれど、*あはだれたるわざはいかにと、おいらかにもてなし、「さればよ。自らもさは思ひながら、和尚の御心の図り難さに。」と、まみいとたゆげなれば、「いかで悪しくは思し給はむ。聞こえ上げ侍らむ。」とてそのまま立ち出でぬ。

 とばかりありてまた詣で来たり。「あらましの事聞こえ侍れば、そこの心に任すべき由のたまひ侍るぞ。早く人して宿の事ものし給へ。」といと睦まじく語らひ置きて出でぬ。

(注)七車=「恋草を力車に七車積みて恋ふらく吾が心から(万葉集・四・69

    4)」。「恋草」は恋心。恋の草が車七台一杯になる程積もったという事。

   こがるる=「恋に焦がれる」と「捨て舟を漕ぐ」をかける。海人の捨て舟を漕ぐ

    とはあてのないことのたとえ。

   教ふる=原文「をしゆる」。

   坊門=まちの門。平安京では朱雀大路に面して、三条以下九条までの各房ごとに

    東西十四門が設けられていた。また、坊門のあった小路を坊門小路と言い、通

    りを指すこともある。

   唐めきたる=異国風の。平凡ではない、風雅な。

   我のみ知れる=忘れてはうちなげかるるゆふべかなわれのみ知りてすぐる月日を

    (新古今・恋一・1035・式子内親王)を踏まえるか。相手は気付いていない片

    思いの恋心を言う。別に典拠があるかもしれない。

   辿る辿る=迷い尋ねて行く様。

   年頃付き従ひし者=年頃というのだから、武蔵の国にいた時から和尚に仕えてい

    た者だろう。会話の内容から民部との主従関係とは思われない。友人として一

    緒に北山に行った一人だろう。その者が藤の弁の東隣の住人と旧知の間柄とは

    どういう状況かわからない。

   月=稚児を例える。

   ある=原文「あり」。

   苺=野いちご、木いちごは古くから食されていたようであり、「枕草子」にも用

    例はあるが、垣根に苺が生えているという用例は見ていない。校註日本文学大

    系では、「苔むし」としている。

   忍=しのぶ草、または軒しのぶ。荒れた庭や門の象徴。しのぶ草は秋のもの。し

    のぶ草から作った吊りしのぶなら夏だが、用例は時代が下る。

   埋火=灰に中に埋めた炭火。冬のものであろう。季節がわからない。

   立ち越え=出かける。

   同朋=「続群書類従」「続史籍集覧」「校註日本文学大系」では「式部とい ふも

    の」。事情を知って助言したというより、たまたまの助言が状況にぴったりあ

    ったと解したい。

   結ぼふれ=気がめいる。

   あはだれたる=未詳。性急な様、興奮する様を言うか。

 

その3 民部、うれしさに少しは晴るる心地して、具足取りしたため、かの*蓬生の宿へ立ち越えぬ。主いともてなして、日数を経るままに互ひに心置かずなりにけり。また、かの翁が子に年いと若きが情けある者にて、常に寄り来て慰め侍るを、ある時傍らに招きて、はやくの事どもうち語らひければ、をのこもいとあはれと思ひて聞こゆるやう、「*やつがれこそ、その御父なりける人の御元へ年頃参り馴れてよくよく知り侍れ。かの児の御事は、*二人の中にただ一人にて、 こよなうかしづき給ふなり。御名をば、『藤の弁』と申し侍り。御かたち世に越え、御心ざまも人に優れ給へれば、父母限りなくいとほしみ給ひ、おぼろけにては外(と)へも出でさせ給はず。明け暮れはただ深き窓の内にて*和歌の浦波に心を寄せ、手習ひなんどのみ事とし給ふぞや。やつがればかりぞよりよりは訪らひ聞こえてつれづれをも慰め侍る。ひたすらに思し給ふもいとほしく見奉れば、言ひ寄りてこそ見侍らめ。承け引き給はむは計り難けれど、*水茎の岡の茅原靡くばかりに、御心尽くしの程をも告げ知らせ給へ。」

 と聞こえければ、民部かぎりなくうれしと思ひて、いと香ばしき*みちのく紙の少し年経て厚きが黄ばみたるに、

  「過ぎがてに余所の梢を見てしより忘れもやらぬ花の面影

  *月の夜も潮の昼間も波風の立居につけて乾かぬは、雄島の海人の袖ならでも。」

 など書きすさびたるを、かのをのこ取りてその日の暮れかかる程に、西の家にまかりけるに、人々の珍しみ合へりて、世の中の物語、この頃ある事のをかしきも怪しきもこれかれうち語らひ侍るに、君はいと心憎く、秋のあはれ思し召し給ふにや、白き色紙に荻・薄乱れ合ひたる絵を二なく描かせおはし給ふ。差し寄りて、

 「いかに*御筆の跡は上がらせ給ふにや。この程は障る事ありて、訪れも聞こえ侍らず。」

 など言ひたるに、人さへなければ例の文取り出でて、

 「かかる事は言ひ出でむも、さすが苦しき事ながら、切(せち)なる思ひに悩み給ふもいとほしく、また強(あなが)ちに頼まれ侍るも否み難さに。」

 とて、はやくの事ども詳しく語り聞こえけれど、ただ顔うち赤めて、とかくの事ものたまはねば、理とは知りながら、

 「人のかくまで恋ひ悲しみ給ふ文を、いかでか空しくは捨て給ふべき。情けなのわざや。」

 と、かき口説きければ、*机の陰に少し押し開き、*尻目にそと見やり給へるを、ついでよしと思ひて、「ただ一言の御返しを。」と責め聞こえければ、

 「ただ偽りの人の世に、行方も知らぬあだ人の。」

 と*もて放ち給へるを、とかく言ひ慰めけるうちに、外より来る人あれば、さらぬ由してその夜は空しく立ち帰り、ありし事ども民部に語り聞こえければ、いよいよ*空になりて、

 「なほしも聞こえさせよ。ただ一文字の言の葉だにあらば、限りあらむ道の*つとにもいかばかりうれしかるべき。」

 など向かふごとに責め聞こえければ、また立ち越えて、

 「*ひと日のあからさま事をば、いかが思し給ふにや。人づてのみの苦しさは。」

 とて、

 「自らさへ恨み給ふ涙の雨に、余所の袂さへ*ところせくこそ。余りに人のつれなきも、後はなかなか仇とこそなれ。御歌の返しばかりは。」

 といろいろに勧めければ、

 「我も岩木ならねば人のあはれは知りながら、*浮き名もさすがつつましくこそ。」  とて、

  「*見えしより忘れもやらぬ面影はよその梢の花にやあるらむ」

 とばかり*手習ふやうに書きすさびたるをやうやう乞ひ取りつつ、急ぎ立ち帰り、御返しとて差し出だせば、取る手も遅しととく押し開きて見れば、*ふくよかに崩し書きたるが、鳥の跡のやうにて若々しう、よくも続けやらぬほど、生ひ先見えていとうつくし。

(注)蓬生の宿=蓬の生い茂った荒れた家。東隣の家。

   やつがれ=自称。へりくだって言う。

   二人の中にただ一人=未詳。和歌を踏まえた表現か。

   和歌の浦波=和歌の浦は歌枕。それに掛けて和歌の道を示す。

   水茎の=「いくたびもかきこそやらめ水くきの岡のかやはら靡くばかりに」(新

    後拾遺集)を踏まえる。筆の力で相手の心を靡かせよ、との意。

   みちのく紙=奥州産の楮を原料とした上質の紙。檀紙。

   月の夜も=七五調で一見長歌のようにも見えるが地の文であろう。「潮の干る」

    と「昼間」を掛け、「波」を縁語として引き出している。「波風が立つ」と

    「立居」を掛ける。「雄島」は歌枕。

   御筆の跡は上がらせ=画力が上達したという事。

   机=「少し押し開き」とあるので、几帳の事か。

   尻目=横目、流し目。ちらと見る事。

   もて放ち=取り合わないでいる。

   空になりて=上の空になって。

   つと=携えて持っていくもの。

   ひと日=以前のある日。ただ、最初に民部が藤の弁を見初めた時も、朱雀大路

    近で再び見た時も、藤の弁は気付いていないようである。あからさまの事(ち

    ょっとした短い時間の間)というが接点はないように思われる。ここでは、先

    日の少年と藤の弁との会話と解しておく。

   ところせく=場所が狭い。民部が流す涙が大量で、他人である自分の袂さえ濡れ

    るほど部屋いっぱいにあふれ、の意か。

   浮き名もさすがつつましく=浮名を流すのはさすがに憚かられて。

   見えしより=私ではなく別の人を見初めたのでしょうというつれない返事。

   手習ふやうに=習字でも書くように書き散らして。

   ふくよかに=決して達筆ではないが、将来性のある書きぶり。若々しうは「幼稚

    である」の意。「いと若けれど、生い先見えて、ふくよかに書い給へり(源氏

    物語・若紫)」を踏まえている。

  

その4 さればなほ耐え難さにまた押し返して、

   「*散りも初めず咲くも残らぬ面影をいかでか余所の花に紛へん

 ただ大方の色香ならねば紛ふべくもあらぬを、いかなる*風のつてにも。」

 などさまざまにかき口説きたるを、仲立ちまた立ち越え、とかく聞こえければ、この歌を繰り返し詠(なが)め給ふが、よしや人の漏り聞かむはなかなかなれと、とにもかくにもとて、

  「恥づかしの*杜の言の葉漏らすなよ終に時雨の色に出づとも

 何事も何事も悪しからぬやうに。」

 など聞こえ給ふもいとほしくて、民部にとく聞こえければ、悩みいつしか怠りながら、*根蓴菜(ねになは)の苦しきものは、*信夫の浦の海松布(みるめ)繫くて、日頃過ぐし侍りけるが、*いかなる人目の紛れにや、ある夜秘かに児の住み給ふ方へ忍び入りたるに、わざとならぬ匂ひしめやかにうち香りて、*生ける仏の御国とも言はまほしきに、妻戸の少し開きたるより見入れたれば、花紅葉散り乱れたる屏風*引き回し、かすかなる灯し火の元に数々の草紙広開げて心静かにうち傾き居たるに、こぼれかかりたる鬢のほつれより匂やかにほのかなる容貌(かほばせ)、露を含める花の曙、風に従へる柳の夕べの気色、かの北山にて見初めしは、なほ事の数ならずとおぼえける。

 押し開けて入りたるに、のどやかにもてなしたるけはひ、見果てぬ夢の心地しながら、傍らに寄り添ひつつ、辛きにもうれしきにも涙まづ先立ちて、

 「ありしながらの心尽くしは推し量り給ふも、なほ浅くや。」

 など*押し拭(のご)ひ聞こえけれど、人はいと背きて恥じらひ給へる顔の色合ひ、物によそへば、露重げなる秋萩の枝もたわわに咲き乱れたる粧ひ、いとほしくも美しなど言ふも愚かなれば、現(うつ)し心もなくなりて、日頃の憂さの限りも会ふ夜の内にと語らひ居たるに、何の辛さにか別れを急ぐ八声の鳥も早や声々にうちしきれば、「*おのが音に辛き別れの」とうち侘びて引き別れぬる衣衣(きぬぎぬ=後朝)の、袖の涙も処せく覚えけるに、有明の月の*形見顔なるもなほかき暮らす心地して、

  面影よいつ忘られむ有明の月を形見の今朝の別れに

 と咽せかへれば、君も類なくあはれに、

  限りとて立ち別れなば大空の月もや君が形見ならまし

 と互ひに返り見がちにて立ち別れぬ。

 その後はなほ浅からぬ契りとなりて、よりより訪ひ交はしぬる程に、やうやう春も暮れぬ。

 折節の移り行くは世の中の習ひなれど、今更*替へ憂き夏衣の日もたち重なりて、はや東の方へ赴く頃にもなりしかば、故郷の*つとにとて*錦をかざす花衣の色めき合へる中に、民部一人人知れぬ物思ひに置き所なき袖の露、*紅の千入(ちしほ)も浅きまでになり行きけれども、とどまるべき道ならねば、共に出で立つ営みの中にも、「今一たびしめやかにうち語らひてもがな。」と思ひ煩ふ程に、はや明日なむ都の地を立ち去るべきに事定まりければ、今宵ばかりの逢瀬に、涙の淵もせき止め難く、終にかかる*憂きにも習はで漫ろ言して*ものも覚えぬ様なり。

 仲立ちとかくこしらへて二十日余りの月のやうやう差し上る頃、人を静めて例の妻戸より忍び入りければ、*五月待つ花橘の匂ひならねど、*いとなつかしき袖のかほりも、今宵は常ならぬ心地して、心ときめきせらるるに、屏風少し引きそばめたるに、やをら押しやりて見れば、早やいたう泣きしほれ給へるなりけり。念じあへずうち泣かれつつ傍らに添ひ臥して、「これやいかなる宿世のなす業ならん。御心のまことしあらば、今の情け、な忘れ給ひそ。」と寄り語らふ折しも、月影のほのかに南の窓より差し入るを見て、民部、

  いかばかり月には影の慕はれむ曇る夜半さへ忘れやらじを

 とさくりもよよと留め難きを、弁の君もいとしめりたる眉押し拭(のご)ひ、とばかり見やりて、

  「いかにせむ涙の雨にかきくれて慕はむ月の影もわかねば」

 *同じ限りの命ならずは。

 と、命に代へても暫し留めまほしき今の別れなり。されば*昔語りにも千夜を一夜と言ひしもさる事なり。まいて秋ならぬ夜の短かさは夢よりもなほ程なくて、言葉を残す鳥の音にいとど心も空になれば、互ひに手を取り交はし、*ほどは雲居にと契りおきつつ、涙とともに立ち別れぬ。

 やがて逢坂山越えかかるにも、またいつの世にと嘆かしくて、

  いつとなき世のはかなさを思ふにもいとど越え憂き逢坂の関

 やうやう日数経るほどに、武蔵に国に着きぬ。

(注)散りも初めず咲くも残らぬ=「今日見ずはくやしからまし花ざかり咲きも残らず

    散りも始めず(謡曲鞍馬天狗)」。出典は未詳。

   風のつて=風の便り。風聞。

   杜の言の葉=典拠があるのか?「杜」は「漏り」を掛けるか。「思ひそむる杜の

    木の葉の初時雨しぐるとだにも人に知らせむ(続新古今)」か。

   根蓴菜の=「苦し」の枕詞。

   信夫の浦の海松布=「信夫の浦」は福島県南部の海岸。歌枕。「忍ぶ」に掛け

    る。「海松布」は海藻。「見る目」を掛ける。

   いかなる=この辺を詳述しないのが、読み手としては歯がゆい感じがする。

   生ける仏の御国=生ける浄土。この世の極楽。

   引き回し=張り巡らし。

   押し拭ひ=涙を拭って。返歌をくれたことには感謝するが、ちょっとそっけな

    い、との意か。

   八声の鳥=夜明けにたびたび鳴く鶏。

   おのが音に =「おのが音に辛き別れのありとだに思ひも知らで鳥や鳴くらむ(新

    勅撰集794)」を踏まえる。鶏よあなたの声でつらい別れがあるのをわからな

    いのか、の意。

   形見顔=形見のように別れた人を思い出させる姿。藤の弁はよく月に例えられ

    る。

   替へ憂き=「花の色に染めし袂の惜しければ衣更へ憂き今日にもあるかな(拾遺

    集81)」 を踏まえるか。「夏衣」「断ち(経ち)」「重なり」は縁語。

   紅の千入=紅に色濃く染めたもの。それが色あせるほど涙を流したという。

   つと=土産。

   錦をかざす=錦を飾る。美しい着物を着る。錦を着て凱旋する。

   憂きにも習はで=わかりづらい。大成本「うきにもならいて」。校註日本文学大

    系本により改めた。つらさで行動が普通でない様か。

   ものも覚えず=正気ではなく。

   いとなつかしき・・・=以下十六行が「続群書類従」では「面影よ・・・」の歌

    の前に入っている。

   五月待つ=「五月待つ花橘の香をかげば昔の人の袖の香ぞする(古今集3・夏・

    139)を踏まえる。

   同じ限りの=「いかにせん死なばともにと思ふ身を同じ限りのいのちならずは

    (続古今・1207)」を踏まえるか。

   昔語り=伊勢物語。第二十二段「秋の夜の千夜を一夜になずらへて八千代し寝ば

    や飽く時あらむ」と返しの「秋の夜の千夜を一夜になせりとも言葉残りて鳥や

    鳴きなむ」を踏まえる。

   心も空に=気もそぞろである。放心状態である。

   ほどは雲居に=「忘るなよほどは雲居になりぬとも空行く月の巡り逢ふまで(伊

    勢物語及び拾遺集)」を踏まえる。

 

その5 都には立ち別れ給ひしより、せめて枕の移り香も、人に添ひ臥す心地してければ、その一日二日は起きも上がり給はで、袂も朽つるばかり泣き悲しみ給へど身より他には誰かあはれとも言い合はすべき。

 少し慰さむ方とては、かの仲立ちせし男ばかりぞ、絶え絶え訪ひ来て、ありし事ども秘かにうち語らひ侍りしが、それさへいつしか疎くなりて、事問ふよすがもなければ、一人心に恋ひ悲しみて、起きもせず寝もせぬ床に夜を明かし、昼は閨の内ながらも、そなたの空を眺めやり、吹き来る風の訪れも、いとなつかしく、山の端近く出る月の、くまなく澄み上るにも、「月には影の」と*詠め給ひしその面影、ひしと身に添ひて、恋しうのみ思ひ勝りければ、「*形見も今は仇なれ」と、うらめしき中にも、さすがにまた慕はれて、

  ながめやる夕べの空ぞ睦まじき同じ雲居の月と思へば

 とひとりごちて、「などかうしも心弱き様に。」と人目も思ひ返せど、いやまさりにのみ苦しければ、つやつや人にも見え給はず、ただ籠り居がちなるを、父母はいと悲しき事に思ひ給ひて、神仏に祈り加持など様々行ひ給ふれど、その験なくただあながちに物思ひ給へる気色にて、折々胸せき上げていみじう堪へ難げに惑ひ給ふ。

 人々いかにと心やましく思へる中に、この稚児の*傅(めのと)なる者、御枕に寄り添ひつつ、鬢の髪なでて、

 「あな現なや、いかにさは心憂き目見せ給ふぞ。*双葉の昔より*およすけ給ふまで生ふしたて参らせて、なほ栄ゆく末のめでたさを見奉り侍らや、と思ふにぞ、明日知らぬ命も惜しまれ侍る。されば何事にもあれ、御心にあらんほどの事、我には隔て給ふべきかは。かく日を経て悩み給ふも、かつは御心弱さにこそ。」

 といろいろに慰めければ、少し枕をもたげ、いと苦しげなる声して聞こえ給ふは、

 「そこの事をば、我もいささか疎かには思ひ侍らず。心にあらん程の事、何かは*まばゆかるべきなれど、言ひ出でてもその甲斐あらばこそ。とてもあへなき事ゆゑに、人の為、*浮き名取川のよしやなみだ(波、涙)に沈み果つとも、深く念じて日頃は過ぐし侍りしが、今は*玉の緒も頼み少なく侍れば、心の内言はで果てなむも黄泉路うたてしさに語り侍る。あなかしこ。なからむ後にも、ゆめ漏らすことなかれ。」

 とて会ひ初めし昔よりの事ども、うち語りつつ限りなく咽び給ふ 。

 いと稚きなき御心に、かくまで思し給ふ事の、不思議にもあはれに覚えて、共に涙落としつつ、

 「さる事こそかねて思ひ侍れ。賢くぞ*御心をも問ひたてまつりつれ、この世の中になき習ひかは。さまでつつみ給ふべき事にもあらざめれど、御心弱さにこそかく病みくづほれ給ふなれ。」

 と急ぎ父母に告げ聞こえければ、こよなう*経営(けいめい)してのたまふやう、

 「さてもいかなる物恥にか。さまでは心に籠めけるやらん、愚かのことよ。その事ならばここに迎へむになどかは難からん。異人(ことひと)しては違ふ事こそあれ。そこには急ぎ東へ下りて具し奉れ。」

 と仰せければ、傅もいと嬉しき事に思ひ、また御枕に立ち寄り、

 「父母の仰せ言をなむ蒙りて、その恋ひ慕ひ給ふ御行方尋ねに、ただ今、東へ下り侍るぞ。急ぎ具し奉らむに、暫しと思し給ひて御心も慰め給ひてよ。」

 など慰めおきて、夜を日に下りつつ、かの住み所尋ね求めて、案内を乞ひ、民部に対面して、

 「かうかうの事侍るをば、いかにあはれとは思し給はずや。」

 と言ふより先づ涙に咽びければ、聞く心も物も覚えず。暫くありて聞こゆるやう、

 「さればよ、さる事侍りしを、よろづ世の中の*つつましさに*しるく言ひ出づる事のかなはでうち過ぐし、そこにさへ知らせ侍らざりしを、今かう訪ね来たり給ふ事の*面伏せさよ。我も都を出でしより、片時忘れ参らする事は侍らねど、誰も心に任せぬ度らひにて、徒に今日までは過ぐしつれ、切(せち)なる思ひの由、聞くもいと堪へ難く侍り。いかにもして相ひ見侍らん。」

 とて、やがて立ち出でて、昔悩める頃、いとまめやかに慰めける同朋の元に行きて謀(たばか)るやう、

 「年頃、心尽くしに思ひおきつる縁の者、このほど都近き所まで上り侍るが、『図らざるに病に冒されて、世の中も頼み少なになり行くままに、そと聞こえ合はすべき事のあれば、命あらんほど、今一度。』と、とみに付け来し侍り。あはれそこの計らひにて、三十日余りの暇賜りて、ただ一目見もし見えばや。」

 と嘆くを、「いかで難かるべき。」とてやがて和尚へ聞こえ上げければ、「理なれば。」とて御暇賜りぬ。

 二人の者、いとうれしき事に思ひて、時しも*秋風の涙催す音ずれに虫も数々鳴き添へて、草の袂も露深く、*月をし分くる武蔵野を、まだ東雲に思ひ立ちぬ。

(注)詠め給ひし=以前に詠み交わした民部の歌。

   形見も今は=「形見こそ今は仇なれこれなくば忘るるときもあらましものを(古

    今集・746)」に拠る。

   傅=めのとは「乳母」「養育係」の両義があるが、ここはその後、武蔵まで赴く

    ことを考えると男であろう。

   双葉の昔=幼いころ。諺「栴檀は双葉より芳し」。

   およすけ=成長する。

   まばゆかる=気後れする。恥ずかしい。

   浮き名取川=「浮名を取る」と「名取川」を掛ける。名取川宮城県の川。歌

    枕。

   玉の緒=命。

   御心をも問は=良心が咎める。「心問う=良心が聞きとがめる。」(精選版日本

    国語大辞典)。

   経営=急ぎ慌てる事。慌てて騒ぎまわる事。

   物恥=はにかむこと。

   つつましさ=恋愛を包み隠しておきたい心情。貞淑なつつましさではない。

   しるく=はっきりと。

   面伏せさ=面目のなさ。

   謀るやう=京にいた頃、病気で悩む民部に余所での養生を勧めて、和尚に掛け合

    ってくれた同朋(式部か)であろうが、稚児に懸想していたのは知っていたの

    ではなかろうか。和尚を謀る必要はあったにしても、同朋には真意を伝え、協

    力してもらうのが最善だと思うのだが、この辺の嘘をつく心情がわかりかね

    る。筆者の中では整合性があるかもしれないがわかりづらい。

   秋風の=「秋風や涙もよほすつまならん音づれしより袖のかわかぬ(千載集・

    235)」。

   草の袂=粗末な衣。

   月をしわくる=和歌を踏まえた表現か。武蔵野の草は繁くて月が押し分けて進む

    という意味か。

 

 やうやう行けば、富士の高嶺に降る雪も、積もる思ひによそへられつつ、

  消え難き富士の深雪にたぐへてもなほ長かれと思ふ命ぞ

 など胸より余る事ども、口ずさみつつつもて行くほどに、*清見が関の磯枕、*涙かたしく袖の上は、*解けてもさすが寝られぬを海士の磯屋に旅寝して、*波のよるひると言へるも我が身の上に思ひ知られて、大方ならぬ悲しさ、また何にかは似るべき。

  なかなかに心尽くしに先立ちて我さへ波の*あはで消えなむ

 わりなさのあまりなるべし。

 日もやうやう重なるままに、*土山と言ふ厩(むまや)に着きぬ。明くる空は都へと、こころざし喜び合へる中にも、いとど心やましきに、京よりとて文もて来たり。

(注)清見が関=静岡市にあった古関。

   涙かたしく=涙を流しながら腕やひじを枕にして一人で寝る。

   解けてもさすが寝られぬ=さすがに打ち解けて寝られない。「君はとけても寝ら

    れ給はず」(源氏物語・帚木)

   なみのよるひる=「波の寄る」と「夜昼」を掛ける。何かの和歌に拠るか。

   あはで=「波の泡」と「逢はで」を掛ける。

   土山=滋賀県甲賀市の地名。

 

その7 「あはやいかに。」と胸うち騒ぎて、とく開き見れば、「悩める人、日に添ひ弱りゆきて昨日の暮れかかる程になむ絶え入り侍りぬ。」とあるを見るに、目眩れ心惑ひて、「これやいかに」と*夢の渡りの浮橋をたどる心地なむしける。

 民部涙の隙なきにも、

 「今一度の頼みにこそ、遥々たどり来しに、一日二日を待たで消えにし露のはかなさよ。かからんとてのあらましにや。『*同じ限りの』とは嘆き給ひにけむ。されば我ゆゑむなしくなりし人を、今はの際にさへ一目見給はぬそこの心の内、推し量るもうたて覚ゆ。襁褓(むつき)の中より見そなはし給ふ人なれば、いかばかりかあへなしと思ひ給はむ。我もこれまで立ち越えし上は、急ぎ都へ上りて、頼りなく嘆き給はむ父母の御心も慰め、またなき人の後の業をも営み侍らばや。」

 と聞こえければ、

 「ありがたき御心にこそ。かくまで物し給ふ上は、なにし恨みか侍らん。ただ亡き人の命の脆さこそ、とにもかくにも詮方なけれ。」

 とて、また泣き沈みける気色、いとわりなしともわりなし。民部も絶え絶え洟うちかみて、

 「*後れ先立つはかなさは、大方世のさがなれど、かかる例こそ聞きも習はね。」

 とうち嘆きつつ、明日、日の暮れかかる程に都になむ着きぬ。

 父はまいて母は、*おぼろけの人には見え給はぬを、几帳の外まで走り出で、民部が袖に縋り給へば、傅などは傍らに倒れ臥し、「*辛しや、憂し。」と嘆く声、理に忍び難し。稍ありて父の卿、傅なる男に向かひてのたまふやう、

 「ひと日ここを出でしより、少しは心も慰む気にて悩みもいささか軽らかに見えしが、また日に添ひて重りゆき、はや薬など、物すべき頼みもなくなりて、絶え入りけるを、*呼び生けなどしけれども、情けなく*昔語りになししなり。

 今はの際の*心の闇、母が嘆きのやる方なさ、ただ推し量れよ、嘆きて帰らぬ道なれば、*鳥部山の傍らに、ただ一人のみ送り捨てて、空しき煙と上せしは。」

 とて、また咽せ返り給ふを見て、人々声を*捧げて*さと泣きにけり。

 民部の君、一間なる所に入り見れば、空しく脱ぎ捨てし衣、朝夕手慣れし調度なども、さながら残りて、いとど*涙のつまとなりぬ。また傍らを見れば、なれたる扇に「*恋ひむ涙の色ぞゆかしき」など言へる古言ども、数々に書きて、

  日影待つ露の命は惜しからで会はで消えなむことぞ悲しき

 と書ける筆の跡も、いたう弱り給へる折ぞと覚えて、文字も定かならず見ゆ。民部胸塞(ふた)がり、ありし姿のつと添ひて、いつの世に忘るべくもあらず、今はただ惜しからぬ命、亡き人のために捨てむ事を、ひたすらに思ひ込めけり。

 されば、*うきには堪えぬ涙川、流れて早き日数も、今日は七日になりぬとて、父の卿・傅など、ありし所にたどり給ふれば、民部も同じく詣でけるに、鳥部山の煙、それと*と(は・わ・あ)かねど、いと睦まじく、*化野(あだしの)の露あはれと見るにつけても、君が辺りの草の葉に、思ひ消えなむ命の程も、なかなか今はうれしくて、

  先立ちし鳥部の山の夕煙あはれいつまで消え残れとか

 父の卿、

  *先立ちて消えし浅茅の末の露本の雫の身をいかにせむ

 さて、民部は泣く泣く*三昧の方に行きて、空しきしるし見るにも、まづ涙に暮れて暫し物も覚えず。ややありて、花など手向けつつ、心静かに念誦し終はりて、*生きたる人にもの聞こゆるやうに、

 「さても暫しを待たで世を早うし給ひし事のうたてさよ。いかばかりか我を辛しと思すらめ。誰も心のままならねば、この世の縁薄くとも、来む世は必ず同じ蓮(はちす)の臺(うてな)にと思ふあまり、罪深き迷ひなれど、世世を経て思ひなれにし事の、今更改め難ければ。」

 などうち嘆きて、懐にありし守り刀を、秘かに*抜きそばめ、*今はかうと見えしを、そばなる人、はやく見つけて、「こはいかに。」と抱き止むれば、中納言をはじめ、人々取り付き、先づ刀をばからうじて奪ひ取りぬ。

 中納言、泣く泣く民部にのたまふやう、

 「亡きが事は今は甲斐なし。そこにもなくなり給ひなば、亡きが嘆きにとり重ね、またも憂き目見せ給ふか。*御志侍らば、後の業営み給はむこそ、消えにし者の罪も軽からめ。」

 と様々に言ひ留め給へば、本意も遂げず、それより武蔵へも帰らず、北山の傍らに柴の庵を引き結びて、墨の衣も色深く、寝ぬ夜の夢も覚めけるにや、

  *あらぬ道に迷ふもうれし迷はずはいかでさやけき月を見ましや

 と詠めて暫しはここに*行ひしが、夕べの鐘の、うち誘ひて、またいづちへかたどり行きけむ、おぼつかなき事にこそ。

(注)夢の渡りの浮橋=夢の浮橋。夢の中で行き通う道。またはかない夢。転じて、は

    かない事。

   同じ限りの=「いかにせむ死なば共にと思ふ身の同じ限りの命ならずば(続古今

    集)」前出。

   襁褓の中=幼いころ。

   後れ先立つ=ある者は生き残り、ある者は先に死んでゆく。死別する。

   おぼろけの人=平凡な人。特別親しいわけではない人。

   辛しや、憂し=他の諸本は「つらし心憂し」。「心」を「や」と読み違えたか。

    意味が通るのでこのままにした。

   呼び生け=大声で呼んで生き返らせること。

   昔語りとなししなり=過去の事となったしまった、か。しっくりこない。

   心の闇=特に子に対する愛から理性を失って迷う親心。「人の親の心は闇にあら

    ねども子を思ふ道にまどひぬるかな(後撰集:雑一)」。

   鳥部山=京都東山の火葬場。

   捧げて=大きな声を出して。

   さと=さっと。ざっと。一斉に。

   涙のつま=涙を流すきっかけ。

   恋ひん涙の=「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひん涙の色ぞゆかしき(後拾 

    遺集・十一:哀傷)」。中宮定子の辞世の歌とされる。

   うき=「憂き」と「浮き」を掛ける。

   化野=嵯峨野にある火葬場。「鳥辺山の煙」「化野の露」は対。

   先立ちて=「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ(新古今集)」

    を元歌とする。

   生きたる人に=皆に聞こえるように自殺を言い放つのは、現代人的には止めてほ

    しいとの下心を感じてしまうが・・・

   三昧=三昧場。火葬場。墓地。

   抜きそばめ=刀を抜いて側に寄せる。

   今はかう=もはやこれまで。これが最後だ。

   御志侍らば=この説得の方が民部よりよほど仏道にかなっている。

   あらぬ道に=「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月(拾遺

    集・20・哀傷)」(和泉式部)を踏まえるか。歌意は、迷いに末に悟りを開

    いたことになるが、その後失踪してしまった結末とはちぐはぐな感じがする。

   行ひ=仏道修行。もしくは菩提を弔うことか。