religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語③ーリリジョンズラブ6ー

その3

 民部は その配慮がうれしく、やや心が晴れる心地もして、身支度をして、かの蓬生の家を訪ねた。

 宿の主は非常に歓待して、数日もすると互い気の置けない仲となったのであった。また、をの翁の子で、まだごく年若くはあったが、情けを解する少年が慕い寄って、常に民部の心を慰めていた。

 ある時その少年を側近く呼んで、今までのいきさつを詳しく語ったところ、少年も切ない民部の心を察して、隣家の様子を説明して、

 「実は私めは、その父中納言君の元に、長年にわたって親しく出入りさせてもらっていますから、よくよく事情は存じ上げているのです。その稚児様は、西の家では唯一無二の大切な方と、この上なく大事にお育てしているのですよ。お名前を『藤の弁』と申します。御容貌はもう絶世というばかりで、御心映えも人に優れて、父君母君は限りなく愛おしみなさって、めったなことでは室外にもお出しにならない程ですよ。明けても暮れても、ただ深窓の内で、和歌に打ち込んだり、手習いに心を傾けたりなど、そのようなことばかりしています。私めぐらいでしょうか、折々にお訪ねして所在ない時のお相手をしてお心を慰めているのは。

 そのようにひたすら思い悩んでいるのも、傍で見ても気の毒でなりません。ひとつ、御心を伝えてみたらどうですか。思いを受け入れてくれるかどうかはわかりませんが、『いくたびもかきこそやらめ水くきの岡のかやはら靡くばかりに』という歌もございます。筆の限りを尽くして何度も言い寄ればお心が靡くこともあるやもしれません。」

 と言った。民部は限りなくうれしく思って、とても香りのたかい年月を経て少し黄ばんだ厚手の極上のみちのく紙(檀紙)に、

  「過ぎがてによその梢を見てしより忘れもやらぬ花の面影

  (通りすがりによそながら美しい花の梢《のようなあなた》を見てしまいました。

  それ以来その面影は忘れ去ることはできません。)

 月の夜も、潮が干るではないが、昼間も波風が立つように、立ち居につけても乾かないのは、雄島の海人の袖でなくても、涙で濡れているからです。」

 と興に任せて書いたのを、この少年は受け取って、その日の暮れ方に西の家を訪れた。

 人々は少年の来訪を喜び、世間の事、最近の出来事、面白い事、不思議な事、あれこれ語り合いながら藤の弁の様子を窺うと、若君は秋の情趣に心魅かれたのか、白い色紙に、荻・尾花が乱れ咲いている絵をこの上なく上手に描いている。近寄って、

 「なんと画力は上達なさいましたね。最近はいろいろ雑用もありましてお訪ねすることもありませんで。」

 などと声を掛けると、辺りに人がいないようなので、例の手紙を取り出して、

 「このようなことは言い出すのも、さすがに心苦しいことなのですが、この手紙の主が切実に恋して病に悩んでいなさるのも気の毒でして、それに強引に頼まれまして拒否することもできませんで。」

 と言って、以前からの経緯を事細かく申し上げたのだが、藤の弁はただ顔を赤らめて何も語らない。少年はそうなるだろうなとはわかっていたが、

 「人がこれまで恋い慕いなさって書いた手紙を、どうして空しく捨てられましょうか。なんと情趣のない行為ですか。」

 と説得すると、几帳の陰で帳を少し押し開いて、流し目でちらっと見るのを、チャンスだと、

 「たった一言でも返歌を。」

 と強く促すと、

 「偽りばかりが多いこの世に、どこへ行くかもわからないあてにならない人にどうして返り事などできましょうか。」

 と言い放つのをあれこれ宥めすかしているうちに、外からやって来る人がいたので、何もなかったようなふりをして、その夜は空しく帰ってのである。

 戻っては民部に子細を語ると、ますます上の空になって、

 「何度でもわが想いを伝えよ。たった一文字も言葉でもいただいたならば、それを携えて、限りあるこの世の仏道修行にも喜んで励もうぞ。」

 と少年に会うたびに強く迫るので、再び西の家へ行き、

 「先日のちょっとだけしか話せなかったことですが、どのようにお考えですか。人を通してしか伝えられない辛さのせいか、自分のことをさえ恨んで雨のような涙に、他の人の袂さえ所かまわず濡れしきるのです。民部卿の涙は世界中に溢れてしまいます。余りにつれなくなさると、後々かえって恨みを買うことになるのですよ。御返歌だけでも。」

 と手を変え品を変え勧めると、

 「私も岩や木でなく、人の情けは知っています。でも浮名を流すようなことは包み隠したいのですが。」

 と言って、

  見えしより忘れもやらぬ面影はよその梢の花にやあるらむ

  (あなたが見かけて以来忘れられないと言った花の面影というのはどこかよその梢

  の花ではないでしょうか。)

 とだけ、まるで手習いのように書き散らした手紙を、やっとのことで受け取って、急ぎ戻って、返歌として差し出すと、受け取るのさえもどかしく、急いで開いて見ると、丸みを帯びた崩し書きは鳥の足跡のようにたどたどしく、書きぶりも幼くて、上手に連綿体では書けてはいないが、それがかえって上達した先が想像されて、可愛らしい感じさえした。あたかも光源氏が若紫の手習いを見守るがごとくである。

 

原文

 民部、うれしさに少しは晴るる心地して、具足取りしたため、かの*蓬生の宿へ立ち越えぬ。主いともてなして、日数を経るままに互ひに心置かずなりにけり。また、かの翁が子に年いと若きが情けある者にて、常に寄り来て慰め侍るを、ある時傍らに招きて、はやくの事どもうち語らひければ、をのこもいとあはれと思ひて聞こゆるやう、「*やつがれこそ、その御父なりける人の御元へ年頃参り馴れてよくよく知り侍れ。かの児の御事は、*二人の中にただ一人にて、 こよなうかしづき給ふなり。御名をば、『藤の弁』と申し侍り。御かたち世に越え、御心ざまも人に優れ給へれば、父母限りなくいとほしみ給ひ、おぼろけにては外(と)へも出でさせ給はず。明け暮れはただ深き窓の内にて*和歌の浦波に心を寄せ、手習ひなんどのみ事とし給ふぞや。やつがればかりぞよりよりは訪らひ聞こえてつれづれをも慰め侍る。ひたすらに思し給ふもいとほしく見奉れば、言ひ寄りてこそ見侍らめ。承け引き給はむは計り難けれど、*水茎の岡の茅原靡くばかりに、御心尽くしの程をも告げ知らせ給へ。」

 と聞こえければ、民部かぎりなくうれしと思ひて、いと香ばしき*みちのく紙の少し年経て厚きが黄ばみたるに、

  「過ぎがてに余所の梢を見てしより忘れもやらぬ花の面影

  *月の夜も潮の昼間も波風の立居につけて乾かぬは、雄島の海人の袖ならでも。」

 など書きすさびたるを、かのをのこ取りてその日の暮れかかる程に、西に家にまかりけるに、人々の珍しみ合へりて、世の中の物語、この頃ある事のをかしきも怪しきもこれこれうち語らひ侍るに、君はいと心憎く、秋のあはれ思し召し給ふにや、白き色紙に荻・薄乱れ合ひたる絵を二なく描かせおはし給ふ。差し寄りて、

 「いかに*御筆の跡は上がらせ給ふにや。この程は障る事ありて、訪れも聞こえ侍らず。」

 など言ひたるに、人さへなければ例の文取り出でて、

 「かかる事は言ひ出でむも、さすが苦しき事ながら、切(せち)なる思ひに悩み給ふもいとほしく、また強(あなが)ちに頼まれ侍るも否み難さに。」

 とて、はやくの事ども詳しく語り聞こえけれど、ただ顔うち赤めて、とかくの事ものたまはねば、理とは知りながら、

 「人のかくまで恋ひ悲しみ給ふ文を、いかでか空しくは捨て給ふべき。情けなのわざや。」

 と、かき口説きければ、*机の陰に少し押し開き、*尻目にそと見やり給へるを、ついでよしと思ひて、「ただ一言の御返しを。」と責め聞こえければ、

 「ただ偽りの人の世に、行方も知らぬあだ人の。」

 と*もて放ち給へるを、とかく言ひ慰めけるうちに、外より来る人あれば、さらぬ由してその夜は空しく立ち帰り、ありし事ども民部に語り聞こえければ、いよいよ*空になりて、

 「なほしも聞こえさせよ。ただ一文字の言の葉だにあらば、限りあらむ道の*つとにもいかばかりうれしかるべき。」

 など向かふごとに責め聞こえければ、また立ち越えて、

 「*ひと日のあからさま事をば、いかが思し給ふにや。人づてのみの苦しさは。」

 とて、自らさへ恨み給ふ涙の雨に、余所の袂さへ*ところせくこそ。余りに人のつれなきも、後はなかなか仇とこそなれ。御歌の返しばかりは。」

 といろいろに勧めければ、

 「我も岩木ならねば人のあはれは知りながら、*浮き名もさすがつつましくこそ。」  とて、

  *見えしより忘れもやらぬ面影はよその梢の花にやあるらむ

 とばかり*手習ふやうに書きすさびたるをやうやう乞ひ取りつつ、急ぎ立ち帰り、御返しとて差し出だせば、取る手も遅しととく押し開きて見れば、*ふくよかに崩し書きたるが、鳥の跡のやうにて若々しう、よくも続けやらぬほど、生ひ先見えていとうつくし。

 

(注)蓬生の宿=蓬の生い茂った荒れた家。東隣の家。

   やつがれ=自称。へりくだって言う。

   二人の中にただ一人=未詳。和歌を踏まえた表現か。

   和歌の浦波=和歌の浦は歌枕。それに掛けて和歌の道を示す。

   水茎の=「いくたびもかきこそやらめ水くきの岡のかやはら靡くばかりに」(新

    後拾遺集)を踏まえる。筆の力で相手の心を靡かせよ、との意。

   みちのく紙=奥州産の楮を原料とした上質の紙。檀紙。

   月の夜も=七五調で一見長歌のようにも見えるが地の文であろう。「潮の干る」

    と「昼間」を掛け、「波」を縁語として引き出している。「波風が立つ」と

    「立居」を掛ける。「雄島」は歌枕。

   御筆の跡は上がらせ=画力が上達したという事。

   机=「少し押し開き」とあるので、几帳の事か。

   尻目=横目、流し目。ちらと見る事。

   もて放ち=取り合わないでいる。

   空になりて=上の空になって。

   つと=携えて持っていくもの。

   ひと日=以前のある日。ただ、最初に民部が藤の弁を見初めた時も、朱雀大路

    近で再び見た時も、藤の弁は気付いていないようである。あからさまの事(ち

    ょっとした短い時間の間)というが接点はないように思われる。ここでは、先

    日の少年と藤の弁との会話と解しておく。

   ところせく=場所が狭い。民部が流す涙が大量で、他人である自分の袂さえ濡れ

    るほど部屋いっぱいにあふれ、の意か。

   浮き名もさすがつつましく=浮名を流すのはさすがに憚かられて。

   見えしより=私ではなく別の人を見初めたのでしょうというつれない返事。

   手習ふやうに=習字でも書くように書き散らして。

   ふくよかに=決して達筆ではないが、将来性のある書きぶり。若々しうは「幼稚

    である」の意。「いと若けれど、生い先見えて、ふくよかに書い給へり(源氏

    物語・若紫)」を踏まえている。