religionsloveの日記

室町物語です。

花みつ④ー稚児物語3ー

上巻

その7

 岡部は心中、「ここで言い出すよりは、とりあえずは帰って改めて手紙で申し上げてみよう。」と思ってお帰りになる。花みつ殿は、さすがに父が恋しく、妻戸の陰に寄り添うように立って、父が帰るのを見て涙を流しなさっていると、岡部も気づいて花みつに会おうと立ち戻って見る。互いに目と目を見合わせて、「おうい花みつ。」と呼びかけようと思うが、「そうはいっても師匠の勘気に当たった者をこの岡部が呼び出すとしたら人は怪しからぬことだと思うだろう。」と思い直して何もなかったようにお帰りになった。(これが今生の別れになるとは・・・)

 花みつは心の中で、「私は生きていても甲斐のない身であるなあ。愛してくださった母には先立たれ、一人存命である父には憎まれ、師匠にも嫌われ、誰にも好意を持たれずただ生きていて、人に爪弾きにされるのも口惜しいことだなあ。」としばらくは沈みながらうつ伏していなさったが、どのようにお思いになったのだろうか、召し使っていた松王という童を呼んで、「お前は大夫殿と侍従殿の坊に行って、ちょっと申し上げたいことがあるので、今すぐにお出でいただけませんかと伝えよ。」と申しなさると、松王は二人の坊へ参って、この事をかくと伝えた。

 二人の僧は承知して、何事だろうと長絹の衣に大口袴を着て、なぎなたを携えて急いでやって来ると、花みつ殿は、「お聞きになって早くもお出でなさるとは嬉しいことです。今宵の美しい月を一人で眺めるのは残念です。三人で御堂の縁で一晩中眺めていたいと思うのですがいかがですか。」とおっしゃると、二人の法師は、「それはまことに風情ある事でございます。」と言って三人連れだって出かけなさった。

 夜が更けて人も寝静まった後で、花みつは涙を流しながら月を見る。袖は涙の露に濡れて月が映る程である。二人の法師は、「これはこれは、どうしてそのように涙にくれる姿を見させるのですか。心の中にお思いになていることがありますならば、包み隠さずお語りなされ。」と申し入れると、花みつは涙を抑えて、「生きるがつらいのはこの世の習い、私だけが不幸を嘆くべきではないのでしょうが、よくよく考えて見ると私ほど悲しい身の上はないと思います。父ぬは不興を買い、師匠にも憎まれ、生きていても仕方ない辛い身の上で、人々と語り明かすのも今宵限りと思ったので、涙も止むひまもないほどなのです。私が亡くなってしまっても死後の弔いをお願いいたします。」と言うので、二人の法師は、「これは不吉な事です。たとえ父上が不興をお示しになったとはいっても、それは一時の戒めであって、どうしていつまでもお許しにならないことがありましょう。また、別当がどうしてあなたの事をお憎みなさっているでしょう。そもそも学問の修養では、優れているものに対してはより厳しく諫めるのが世の常です。『ひたすら学問にはげんで立派な学匠になってほしい。』という御心で、父上はわざと不満そうな態度を取っているのでしょう。自分だけがつらいと世を恨みなさるのは愚かな事ですよ。」と様々になだめるので、花みつ殿はうれしそうにして、「それはそうと御身たちにお願い申したい事があります。かなえていただけますか。」とおっしゃると、「たとえ『我々の命がほしい』という仰せであっても、どうして拒みましょうぞ。包み隠さずお話しください。」と言うと、「決して人のお語りなさるな。この事がもし漏れ聞こえてしまったならば、草葉の陰でお恨み申し上げますぞ。」とよくよく口止めしなさった。

 

原文

その7

 岡部心に思しけるは、「ここにて申し出ださんより、まづこのたびは、文して申し見ばや。」と思ひ、帰らせ給ふ。花みつ殿、さすがに父の恋しさに妻戸の陰に立ち添ひて帰り給ふを見て、涙を流し給へば、岡部もこの者を見るとて、立ち戻り見給へば、互ひに目と目を見合はせて、「いかに花みつ。」と言はんと思へども、「さすがに岡部が師匠の気に違ひたる者を呼び出ださんも、人の怪しめん。」と思ひて、さらぬ体にて帰り給ふ。

 花みつ心の中に、「ありて甲斐なき我が身かな。愛ほしみ給ひし母には遅れ、一人ある父にも憎まれ、師匠にも悪しく思はれ、何のよしみありてか永らへ、人に指を指されんもも、口惜しさよ。」しばしば臥し沈み給ふが、いかが思し召しけん、召し使ひける松王といへる童を近づけて、「汝は*大夫殿と侍従殿に行きて、ちと申したき事ある間、ただ今の程にお出であれ。」と申し給へば、松王二人の坊へ参り、この由かくと申す。

 二人の僧承り、何事やらんと*長絹の衣・*大口着て、なになた(なぎなた?)横たへ急ぎ来たりければ、花みつ殿、「聞こし召し早く来たり給ふうれしさよ。今宵の月一人眺めんも名残りあり。御御堂の縁にて夜もすがら月を見ばやと思ふはいかが。」とのたまへば、二人の法師、「それこそまことにおもしろく候はん。」とて、三人連れて出で給ふ。

 夜更け人静まりて後、花みつ涙を流し、袖の露に月の宿るばかりなり。二人の法師、「これは何故かやうに見えさせ給ふぞや。御心に思し召す事あらば、包まず語り給へ。」と諫めければ、花みつ涙を抑へ、「憂き世の習ひ、我のみ嘆くべきにはあれねども、よくよく物を案ずるに、それがしほどものの悲しき身はあらじ。父には不興せられ、師匠にも憎まれ、ありて甲斐なき憂き身なれば、人々と語らん事も今宵ばかりと思ふ故、涙の隙もなきぞとよ。なからん後をばよきに頼み奉る。」とありければ、二人の法師、「こは忌々し。たとひ父の不興し給ふとも、一旦の戒めなれば、などか許し給はざらん。又別当の何とて憎み給ふべき。それ学問の習ひには*さかしきは、なほ諫むる習ひなれば、『ただよく学問をして学匠ともなり給へかし。』との御事にて、父の不興し給ふなるべし。憂き身と世を恨み給ふこそ愚かなれ。」と様々になだめければ、花みつ殿うれしげにて、「さても御身たちに申したき事あり。かなへて給はらんか。」とのたまへば、「たとひ*命の御ようにも、いかが逃れ侍るべき。包まず語らせ給へ。」と言ひければ、「かまへて人に語らせ給ふな。この事漏れ聞こえなば、*草の陰にても恨み申さん。」とよくよく口をぞ固め給ふ。

(注)ありて甲斐なき=生き残っても甲斐がない。「とまる身はありて甲斐なき別れ路

    になど先立たぬ命なりけん(玉葉2340)」。

   大夫殿と侍従殿=花みつと親しい僧侶であろうが、なぎなたを持って参上するの

    はやや武に誇る存在だからであろうか。「月花」では「侍従」は「二条」であ

    る。

   長絹=長尺に織り出した絹布。

   大口=大口袴。長絹・大口とも若年の衣装のようである。

   さかしき=賢い。賢い者にはさらに𠮟責し、成長させようとする意図であろう。

    「さかしき」を「生意気だ」と取ることもできないではないが、それでは慰め

    にならない。

   命の御用=命が必要。「死んでくれ」という命令であっても。

   草の陰=草葉の陰。あの世。