religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語⑦ーリリジョンズラブ6ー

その7

 「ああどうしたことだ。」と胸騒ぎして、急いで開いて見ると、「病気の人は日に日に弱っていき、昨日の暮れ方のこれこれの時分に亡くなりました。」と書いてあるのを読んで、目がくらみ、心は乱れて、「これはどういうことだ。」と夢の中にいるような心地である。

 民部は涙が止まらず、

 「今一度会えるのを頼みにはるばるやって来たが、もう一日二日を待たないで消えてしまった露のような命のはかなさよ。このような心づもりではなかったろうに。きっと『いかにせむ死なば共にと思ふ身の同じ限りの命ならずば』などとお嘆きになったことでしょう。ですから太傅殿、あなたの私のせいで亡くなった人を、今わの際にさえ一目見られなかった心の内を推し量るのもつらく思われます。襁褓の頃からお世話をしてきた方ですからどれほどか落胆されているでしょう。私もここまでやって来た上は、急いで都へ上がって、途方に暮れて嘆きなさっている父君母君の御心も慰め、また亡き人の後の業(葬儀・法事)なども営みたいと思います。」

 と申し上げると、傅は、

 「ありがたい御心でございます。ここまで尽くしてくださったのですから、何の恨みもございません。ただ亡き人の命の脆さこそ、どうにもこうにも悲しいことです。」

 と言って、また泣き沈む様子はどうにも絶え難い。民部も時折洟をかんでは、

 「ある者は生き残り、ある者は先に死んでゆくはかなさは、この世の宿命ではあるが、このような例は聞いたこともございません。」

 と嘆きながら、あくる日、日の暮れかかる頃都へ着いた。

 父君はもちろん母君も並々の人には見えず、高貴な方であろうが、わざわざ几帳の外まで走り出て来て、民部の袖に縋り付きなさる。傍らに倒れ臥す傅たちは、「ああ辛い、悲しい。」とこらえきれずに嘆くのも無理はない。暫くして、父の中納言卿が傅に向かっておっしゃった、

 「あの日おぬしが出立してから、少しは心も慰むようで、病気も快方に向かうようではあったが、再び日に日に重くなっていき、もはや薬など飲ませる者もなくなって、息絶えるのを、皆で魂を呼び返そうと大声で叫んで聞かせたが、それも無情にもただの昔語り(呼びかけたことが単なる思い出話?)になってしまった。

 今わの際の親心、特に母の嘆きのやるせなさはご推察あれ。嘆いても帰ってくるわけではないので、鳥部山の辺で、空しき煙となしてその骸一人を見送り捨てたのでございます。」

 父君の再び咽かえるのを見て、人々は大声を出して一斉に泣いたのである。

 民部が、かつて忍んだ一間に入って見ると、空しく脱ぎ捨てた衣、朝夕手慣れた調度などもそのまま残って、見るにつけても涙を催された。ふと周囲を見ると、使い古した扇に、「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひん涙の色ぞゆかしき」などという中宮定子の歌など辞世を思わせる古歌が様々に薄書きに書いてあって、 

  日影(ほかげ)待つ露の命は惜しからで会はで消えなむことぞ悲しき

  (日の光が出て消えてしまう露の命は惜しくはない。ただ、あの人に会わずに消え

  てしまうことが悲しい。)

 とと書いている筆跡も、弱り果てていた時と見えて、文字もたどたどしい。民部は胸が塞がれるような思いである。生前の姿が目の前に浮かんで、もはや惜しくもない命を、亡き人のために捨てようと一途に心を決めてしまった。

 つらさに堪えぬ涙の川も、もはや流れて今日は七日になった。初七日に父の中納言卿・太傅などが、弔いをした所を訪ねると、民部も同行して詣でたが、鳥部山の煙は、どれがどれの煙とはわからないが、その煙が親しく思われ、鳥部山の対のあだし野の露はあわれだなあと思うにつけても、藤の弁の君が眠る辺りの草の葉で、断ってしまおうと思う自分の命も、近くで死ねるのだと思うとかえってうれしくて、

  先立ちし鳥部の山の夕煙あはれいつまで消え残れとか

  (先立ったあなたの火葬の夕煙は、ああいつまで消え残れというのか。⦅もう消え

  てもいいのですよ、次は私の煙が立ちますので。》)

 父の卿は、

  先立ちて消えし浅茅の末の露本の雫の身をいかにせむ

  (先立って死んでしまった浅茅の末の露のような我が子に、遅れて残る滴のような

  親の私はどうしたらいいのだろう。)

 さて、民部は泣く泣く火葬場に行って、そのあとを見るにつけても、まずは涙に暮れて何も考えられず、暫くして、花など手向けて、心静かに念誦して、やがてその場にいる生きている人に言うように、

 「それにしてもほんの一日二日を待たないで早世なさる情けなさよ。どれほど私を憎らしいと思っていなさったか。この世は誰にも思いのままならず、縁は薄くとも、来世は必ず浄土で同じ蓮台に坐そうと、殉死は罪深い迷いとはわかってはいますが、ずっと前から死ぬときは同じと思っていたことなので、(もしくは、何時の頃からも後追いするのは、続く習いのようなもので)、私は遂げなければいられません。」

 などと訴えるように言い、懐にあった守り刀を秘かに抜いて身に当てて、もはやこれまでと思えたが、傍らの人が咄嗟に見とがめて、「何をするのか。」と抱き止めると、中納言を始め、人々が取り付いて、やっとのことで刀を奪い取った。

 中納言は涙ながらに民部におっしゃった。

 「藤の弁が亡くなったことは今更言ってもしかたない。あなたまでも亡くなりなさったならば、若君の死に重ねて更に辛い目を見せなさるということか。もしあなたに御志があるというなら、亡き跡の営みをしっかりなさってくだされば、死んでいった人の罪障も軽くなるでしょう。」

 と切々と説得するので、後追いの本懐も遂げられず、その後、武蔵の国へ帰ることもなく、北山の麓に柴の庵を結んで、墨染の衣もさらに色濃く、仏道に打ち込み、寝ぬ夜の現世の夢幻にも目覚めたのか、

  あらぬ道に迷ふもうれし迷はずはいかでさやけき月を見ましや

  (あってはいけない道に迷うのもかえってうれしいことだ。迷わなければどうして

  このようなさやかな月のような悟った心に出会うことができたろうか。)

 などと詠んで、暫くはここで勤行していたが、夕べの鐘に誘われるように、どこかへ行ってしまったという。それはわからないことだ。

 

原文

 「あはやいかに。」と胸うち騒ぎて、とく開き見れば、「悩める人、日に添ひ弱りゆきて昨日の暮れかかる程になむ絶え入り侍りぬ。」とあるを見るに、目眩れ心惑ひて、「これやいかに」と*夢の渡りの浮橋をたどる心地なむしける。

 民部涙の隙なきにも、

 「今一度の頼みにこそ、遥々たどり来しに、一日二日を待たで消えにし露のはかなさよ。かからんとてのあらましにや。『*同じ限りの』とは嘆き給ひにけむ。されば我ゆゑむなしくなりし人を、今はの際にさへ一目見給はぬそこの心の内、推し量るもうたて覚ゆ。襁褓(むつき)の中より見そなはし給ふ事の人なれば、いかばかりかあへなしと思ひ給はむ。我もこれまで立ち越えし上は、急ぎ都へ上りて、頼りなく嘆き給はむ父母の御心も慰め、またなき人の後の業をも営み侍らばや。」

 と聞こえければ、

 「ありがたき御心にこそ。かくまで物し給ふ上は、なにし恨みか侍らん。ただ亡き人の命の脆さこそ、とにもかくにも詮方なけれ。」

 とて、また泣き沈みける気色、いとわりなしともわりなし。民部も絶え絶え洟うちかみて、

 「*後れ先立つはかなさは、大方世のさがなれど、かかる例こそ聞きも習はね。」

 とうち嘆きつつ、明日、日の暮れかかる程に都になむ着きぬ。

 父はまいて母は、*おぼろけの人には見え給はぬを、几帳の外まで走り出で、民部が袖に縋り給へば、傅などは傍らに倒れ臥し、「*辛しや、憂し。」と嘆く声、理に忍び難し。稍ありて父の卿、傅なる男に向かひてのたまふやう、

 「ひと日ここを出でしより、少しは心も慰む気にて悩みもいささか軽らかに見えしが、また日に添ひて重りゆき、はや薬など、物すべき頼みもなくなりて、絶え入りけるを、*呼び生けなどしけれども、情けなく*昔語りになししなり。

 今はの際の*心の闇、母が嘆きのやる方なさ、ただ推し量れよ、嘆きて帰らぬ道なれば、*鳥部山の傍らに、ただ一人のみ送り捨てて、空しき煙と上せしは。」

 とて、また咽せ返り給ふを見て、人々声を*捧げて*さと泣きにけり。

 民部の君、一間なる所に入り見れば、空しく脱ぎ捨てし衣、朝夕手慣れし調度なども、さながら残りて、いとど*涙のつまとなりぬ。また傍らを見れば、なれたる扇に「*恋ひむ涙の色ぞゆかしき」など言へる古言ども、数々に書きて、

  日影待つ露の命は惜しからで会はで消えなみことぞ悲しき

 と書ける筆の跡も、いたう弱り給へる折ぞと覚えて、文字も定かならず見ゆ。民部胸塞(ふた)がり、ありし姿のつと添ひて、いつの世に忘るべくもあらず、今はただ惜しからぬ命、亡き人のために捨てむ事を、ひたすらに思ひ込めけり。

 されば、*うきには堪えぬ涙川、流れて早き日数も、今日は七日になりぬとて、父の卿・傅など、ありし所にたどり給ふれば、民部も同じく詣でけるに、鳥部山の煙、それと*と(は・わ・あ)かねど、いと睦まじく、*化野(あだしの)の露あはれと見るにつけても、君が辺りの草の葉に、思ひ消えなむ命の程も、なかなか今はうれしくて、

  先立ちし鳥部の山の夕煙あはれいつまで消え残れとか

 父の卿、

  *先立ちて消えし浅茅の末の露本の雫の身をいかにせむ

 さて、民部は泣く泣く*三昧の方に行きて、空しきしるし見るにも、まづ涙に暮れて暫し物も覚えず。ややありて、花など手向けつつ、心静かに念誦し終はりて、*生きたる人にもの聞こゆるやうに、

 「さても暫しを待たで世を早うし給ひし事のうたてさよ。いかばかりか我を辛しと思すらめ。誰も心のままならねば、この世の縁薄くとも、来む世は必ず同じ蓮(はちす)の臺(うてな)にと思ふあまり、罪深き迷ひなれど、世世を経て思ひなれにし事の、今更改め難ければ。」

 などうち嘆きて、懐にありし守り刀を、秘かに*抜きそばめ、*今はかうと見えしを、そばなる人、はやく見つけて、こはいかにと抱き止むれば、中納言をはじめ、人々取り付き、先づ刀をばからうじて奪ひ取りぬ。

 中納言、泣く泣く民部にのたまふやう、

 「亡きが事は今は甲斐なし。そこにもなくなり給ひなば、亡きが嘆きにとり重ね、またも憂き目見せ給ふか。*御志侍らば、後の業営み給はむこそ、消えにし者の罪も軽からめ。」

 と様々に言ひ留め給へば、本意も遂げず、それより武蔵へも帰らず、北山の傍らに柴の庵を引き結びて、墨の衣も色深く、寝ぬ夜の夢も覚めけるにや、

  *あらぬ道に迷ふもうれし迷はずはいかでさやけき月を見ましや

 と詠めて暫しはここに*行ひしが、夕べの鐘の、うち誘ひて、またいづちへかたどり行きけむ、おぼつかなき事にこそ。

 

(注)夢の渡りの浮橋=夢の浮橋。夢の中で行き通う道。またはかない夢。転じて、は

    かない事。

   同じ限りの=「いかにせむ死なば共にと思ふ身の同じ限りの命ならずば(続古今

    集)」前出。

   襁褓の中=幼いころ。

   後れ先立つ=ある者は生き残り、ある者は先に死んでゆく。死別する。

   おぼろけの人=平凡な人。特別親しいわけではない人。

   辛しや、憂し=他の諸本は「つらし心憂し」。「心」を「や」と読み違えたか。

    意味が通るのでこのままにした。

   呼び生け=大声で呼んで生き返らせること。

   昔語りとなししなり=過去の事となったしまった、か。しっくりこない。

   心の闇=特に子に対する愛から理性を失って迷う親心。「人の親の心は闇にあら

    ねども子を思ふ道にまどひぬるかな(後撰集:雑一)」。

   鳥部山=京都東山の火葬場。

   捧げて=大きな声を出して。

   さと=さっと。ざっと。一斉に。

   涙のつま=涙を流すきっかけ。

   恋ひん涙の=「夜もすがら契りしことを忘れずは恋ひん涙の色ぞゆかしき(後拾 

    遺集・十一:哀傷)」。中宮定子の辞世の歌とされる。

   うき=「憂き」と「浮き」を掛ける。

   化野=嵯峨野にある火葬場。「鳥辺山の煙」「化野の露」は対。

   先立ちて=「末の露本の雫や世の中の後れ先立つためしなるらむ(新古今集)」

    を元歌とする。

   生きたる人に=皆に聞こえるように自殺を言い放つのは、現代人的には止めてほ

    しいとの下心を感じてしまうが・・・

   三昧=三昧場。火葬場。墓地。

   抜きそばめ=刀を抜いて側に寄せる。

   今はかう=もはやこれまで。これが最後だ。

   御志侍らば=この説得の方が民部よりよほど仏道にかなっている。

   あらぬ道に=「暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月(拾遺

    集・20・哀傷)」(和泉式部)を踏まえるか。歌意は、迷いに末に悟りを開

    いたことになるが、その後失踪してしまった結末とはちぐはぐな感じがする。

   行ひ=仏道修行。もしくは菩提を弔うことか。