religionsloveの日記

室町物語です。

鳥部山物語⑤ーリリジョンズラブ6ー

その5

 都では、藤の弁はに部と別れて以来、枕に残る民部の移り香をしきりに嗅いでは、その人に添い臥している心地になって、一日二日と起き上がりもせず、袂も涙で朽ちてしまうほど泣き悲しみなさるが、自分以外に誰もこのつらさを語り合う者もいなかった。多少心慰められる者としては、例の仲立ちをした少年ばかりが、絶え絶えにではあるが、訪ねて来て、民部との思い出を秘かに語り合っていた。しかし、それさえいつしか途絶えがちになって、消息を知るよすがもなくなり、一人心の中で恋い悲しみ、起きることもなく、かといって眠ることもできず、床の中で夜を明かし、昼は閨の中ではありながら、民部のいる東の空をぼんやり想い、風が吹いて音がするのも、民部の訪れを思い出して懐かしく、隈なく澄みきった月が山の端から上るのを見ても、以前民部が「月には影の」と詠んだの時の面影がはっきりと浮かんできて、ひたすら恋しい思いが募ってきて、古歌の「形見こそ今は仇なれこれなくば忘るるときもあらましものを」ではないが、思い出も今となってはかえって仇となってしまうと、恨めしく思うが、そうはいっても未だに慕わしくて、

  ながめやる夕べの空ぞ睦まじき同じ雲居の月と思へば

  (遠く眺めやる夕べの空は心が引かれるものだ。あの人も同じ雲居の月を見ている

  と思えば。)

 と独り言を言って、「どうした私はこんなに心が弱いのだろう。」と人目を気にするが、ますます苦しくなって、全く人に会うこともなく、ただ籠ってばかりいた。父母はとてもいたわしく思って、神仏に祈り、加持など様々なことを行ったがその効験もなく、ひたすら思い悩んでいる様子で、時々胸をせき上げてひどく耐えられない程苦しみ惑っている。

 人々が「どうしたらよいのか。」ともどかしく思っている中で、この稚児の傅(めのと=養育係⦅男である⦆)が枕元に寄り添って、鬢のほつれ毛を撫でながら、

 「ああなんとも正体もなくなって。どうしてそのようなつらそうな姿をお見せなさるのですか。幼いころから成長するまで、お育て申し上げて、これから先の素晴らしい栄華をも見守りたく思っていましたのに、明日をも知らぬ命になるとは。何事かお悩みがあるのでしょうか。御心の内を私には隠し隔てなくお語りください。このように何日も何日も病んでいるのは、若君の御心があまりに繊細であることにもあるのですよ。」

 と言葉を尽くして語りかけると、藤の弁は少し枕をもたげて、声も絶え絶えにささやくのである。

 「あなたの事は私も頼りに思っていました。私が思い悩んでいることは何も恥ずかしいことではないのかも知れませんが、言ったとしてもどうにもならない事なのです。かなうことができないのですから、あの人のために浮き名を噂されることは、たとえ名取川の波に沈み果てるように、涙に沈んでもいたすまいと、深く心の内に秘めて今日まで過ごしてきました。しかしもやや私の命もいつ知れずと思われます。心の内を見せずにあの世に行ってしまうのも辛ろうございます。あなかしこ(畏れ多くも)、お語りしましょう。でも、私が死んだ後も決して誰にも言い漏らさないでくださいませ。」

 と、民部との出会いから今までの事を語りながら、涙に咽ぶのであった。

 傅は藤の弁が、その幼な心にこれほどにまで思い悩んでいたことを、意外な思いで可哀そうに感じて、共に涙を落したのであった。

 「そのような事をずっと思っていたのですね。そして健気にも良心が咎めていたのですね。でも、そのような恋はこの世にないことではないのですよ。そこまで包み隠すことではないのですが、あまりにも自分で抱え込んで、このように病んで弱りなさったのですね。」

 と急いで父母にお告げすると、ひどく慌てておっしゃった。

 「なんとも度の過ぎた恥じらいぶりよ。それほどまでに恋心を秘めていたのか、愚かなことだ。そういうことならば、その人をここへ迎え入れよう。造作もない事。他に人に任せては人違いすることもあるかもしれない。太傅(たいふ=めのと)よ、おぬしが急いで東に下り、その民部卿をお連れ申しなさい。」

 と仰せになるので、傅もうれしく思って、再び枕元に寄り、

 「父上母上の仰せ事をいただいて、その恋い慕うお方を尋ねに、今より東へ下りますぞ。急いで連れて参りますから、暫くの我慢と思って心慰めていてください。」

 などと言い残して、傅は夜を日に継いで東へ下り、話に聞いた精舎を訪ね、取次を求め、民部に対面した。

 「これこれの事でございます。あなたも若君をお気の毒とは思いなさらぬか。」

 と言うや否や涙に咽ぶので、聞いていた民部も呆然とするばかりである。暫くしてこう言った。

 「もっともなことです。そのような事がございましたが、万事世の中(通常男女の仲、ここでは恋仲)は秘める事とて、はっきり言い出すこともできずにいました。傅のあなたにさえお伝えしなくておりましたのを、今このように訪ねていらしたことは、全く面目ございません。私とても、都を出て以来、若君を片時も忘れる事はなかったのですが、この生活の中では誰にも思いを語ることができず、ただ徒に今日まで過ごしてきましたが、藤の弁様の切なる想いの程を聞きまして、もうこらえることはできません。どうにかして、若君と再会しとう思います。」

 と言って、すぐに外に出て行ってた。そして、かつて都で病んでいた頃とても誠実に介抱してくれた同朋の元に行って、傅の訪問を偽りにこう語った。

 「数年来、昵懇にしていた縁者が、『このほど都の近くまで上っていましたが、思いがけない病気に冒されて、この世にとどまるべき時も少なくなりました。あなたにお伝えしたいことがあります。命ある内に今一度お会いして。』と俄かなる使いが来たのです。お願いです、ああ、あなたのお計らいで三十日余りのお暇をいただいて、ほんの一目でも会うことができたら。」

 と嘆いて訴えるのを、「造作もないことよ。」とすぐに和尚に言上すると、「それはもっともなことだ。」と暇が与えられた。

 二人はとても喜んだ。折しも涙を誘うような秋風の訪れに、虫も数々の鳴き声を添えて、粗末な旅衣の草の袂も深く露に濡れ、月さえ押し分けて進む草深い武蔵野を、まだ東雲の夜明けに出発した。

 

原文

 都には立ち別れ給ひしより、せめて枕の移り香も、人に添ひ臥す心地してければ、その一日二日は起きも上がり給はで、袂も朽つるばかり泣き悲しみ給へど身より他には誰かあはれとも言い合はすべき。

 少し慰さむ方とては、かの仲立ちせし男ばかりぞ、絶え絶え訪ひ来て、ありし事ども秘かにうち語らひ侍りしが、それさへいつしか疎くなりて、事問ふよすがもなければ、一人心に恋ひ悲しみて、起きもせず寝もせぬ床に夜を明かし、昼は閨の内ながらも、そなたの空を眺めやり、吹き来る風の訪れも、いとなつかしく、山の端近く出る月の、くまなく澄み上るにも、「月には影の」と*詠め給ひしその面影、ひしと身に添ひて、恋しうのみ思ひ勝りければ、「*形見も今は仇なれ」と、うらめしき中にも、さすがにまた慕はれて、

  ながめやる夕べの空ぞ睦まじき同じ雲居の月と思へば

 とひとりごちて、「などかうしも心弱き様に。」と人目も思ひ返せど、いやまさりにのみ苦しければ、つやつや人にも見え給はず、ただ籠り居がちなるを、父母はいと悲しき事に思ひ給ひて、神仏に祈り加持など様々行ひ給ふれど、その験なくただあながちに物思ひ給へる気色にて、折々胸せき上げていみじう堪へ難げに惑ひ給ふ。

 人々いかにと心やましく思へる中に、この稚児の*傅(めのと)なる者、御枕に寄り添ひつつ、鬢の髪なでて、

 「あな現なや、いかにさは心憂き目見せ給ふぞ。*双葉の昔より*およすけ給ふまで生ふしたて参らせて、なほ栄ゆく末のめでたさを見奉り侍らや、と思ふにぞ、明日知らぬ命も惜しまれ侍る。されば何事にもあれ、御心にあらんほどの事、我には隔て給ふべきかは。かく日を経て悩み給ふも、かつは御心弱さにこそ。」

 といろいろに慰めければ、少し枕をもたげ、いと苦しげなる声して聞こえ給ふは、

 「そこの事をば、我もいささか疎かには思ひ侍らず。心にあらん程の事、何かは*まばゆかるべきなれど、言ひ出でてもその甲斐あらばこそ。とてもあへなき事ゆゑに、人の為、*浮き名取川のよしやなみだ(波、涙)に沈み果つとも、深く念じて日頃は過ぐし侍りしが、今は*玉の緒も頼み少なく侍れば、心の内言はで果てなむも黄泉路うたてしさに語り侍る。あなかしこ。なからむ後にも、ゆめ漏らすことなかれ。」

 とて会ひ初めし昔よりの事ども、うち語りつつ限りなく咽び給ふ 。

 いと稚きなき御心に、かくまで思し給ふ事の、不思議にもあはれに覚えて、共に涙落としつつ、

 「さる事こそかねて思ひ侍れ。賢くぞ*御心をも問ひたてまつれ、この世の中になき習ひかは。さまでつつみ給ふべき事にもあらざめれど、御心弱さにこそかく病みくづほれ給ふなれ。」

 と急ぎ父母に告げ聞こえければ、こよなう*経営(けいめい)してのたまふやう、

 「さてもいかなる物恥にか。さまでは心に籠めけるやらん、愚かのことよ。その事ならばここに迎へむになどかは難からん。異人(ことひと)しては違ふ事こそあれ。そこには急ぎ東へ下りて具し奉れ。」

 と仰せければ、傅もいと嬉しき事に思ひ、また御枕に立ち寄り、

 「父母の仰せ言をなむ蒙りて、その恋ひ慕ひ給ふ御行方尋ねに、ただ今、東へ下り侍るぞ。急ぎ具し奉らむに、暫しと思し給ひて御心も慰め給ひてよ。」

 など慰めおきて、夜を日に下りつつ、かの住み所尋ね求めて、案内を乞ひ、民部に対面して、

 「かうかうの事侍るをば、いかにあはれとは思し給はずや。」

 と言ふより先づ涙に咽びければ、聞く心も物も覚えず。暫くありて聞こゆるやう、

 「さればよ、さる事侍りしを、よろづ世の中の*つつましさに*しるく言ひ出でる事のかなはでうち過ぐし、そこにさへ知らせ侍らざりしを、今かう訪ね来たり給ふ事の*面伏せさよ。我も都を出でしより、片時忘れ参らする事は侍らねど、誰も心に任せぬ度らひにて、徒に今日まで過ぐしつれ、切(せち)なる思ひの由、聞くもいと堪へ難く侍り。いかにもして相ひ見侍らん。」

 とて、やがて立ち出でて、昔悩める頃、いとまめやかに慰めける同朋の元に行きて謀(たばか)るやう、

 「年頃、心尽くしに思ひおきつる縁の者、このほど都近き所まで上り侍るが、『図らざるに病に冒されて、世の中も頼み少なになり行くままに、そと聞こえ合はすべき事のあれば、命あらんほど、今一度。』と、とみに付け来し侍り。あはれそこの計らひにて、三十日余りの暇賜りて、ただ一目見もし見えばや。」

 と嘆くを、「いかで難かるべき。」とてやがて和尚へ聞こえ上げければ、「理なれば。」とて御暇賜りぬ。

 二人の者、いとうれしき事に思ひて、時しも*秋風の涙催す音ずれに虫も数々鳴き添へて、草の袂も露深く、*月をし分くる武蔵野を、まだ東雲に思ひ立ちぬ。

(注)詠め給ひし=以前に詠み交わした民部の歌。

   形見も今は=「形見こそ今は仇なれこれなくば忘るるときもあらましものを(古

    今集・746)」に拠る。

   傅=めのとは「乳母」「養育係」の両義があるが、ここはその後、武蔵まで赴く

    ことを考えると男であろう。

   双葉の昔=幼いころ。諺「栴檀は双葉より芳し」。

   およすけ=成長する。

   まばゆかる=気後れする。恥ずかしい。

   浮き名取川=「浮名を取る」と「名取川」を掛ける。名取川宮城県の川。歌

    枕。

   玉の緒=命。

   御心をも問は=良心が咎める。「心問う=良心が聞きとがめる。」(精選版日本

    国語大辞典)。

   経営=急ぎ慌てる事。慌てて騒ぎまわる事。

   物恥=はにかむこと。

   つつましさ=恋愛を包み隠しておきたい心情。貞淑なつつましさではない。

   しるく=はっきりと。

   面伏せさ=面目のなさ。

   謀るやう=京にいた頃、病気で悩む民部に余所での養生を勧めて、和尚に掛け合

    ってくれた同朋(式部か)であろうが、稚児に懸想していたのは知っていたの

    ではなかろうか。和尚を謀る必要はあったにしても、同朋には真意を伝え、協

    力してもらうのが最善だと思うのだが、この辺の嘘をつく心情がわかりかね

    る。

   秋風の=「秋風や涙もよほすつまならん音づれしより袖のかわかぬ(千載集・

    235)」。

   草の袂=粗末な衣。

   月をしわくる=和歌を踏まえた表現か。武蔵野の草は繁くて月が押し分けて進む

    という意味か。