下巻
その5
さて、里への手紙と書かれたものには、
母上に死に別れてこの方、羽のない鳥のような心地がして、日々を過ごしていま
したが、別当の御心に背くのみならず、頼みと思っていた父にも不興を買い、誰を
頼りに月日を送り申し上げましょうか。専ら、「憂き世に生きていてもどうしよう
もない。」と思って、身を亡き者にしようとする事は、きっと恨めしく思うでしょ
う。師匠に不平を言い、父を恨み申し上げる心中は、どれほどか罪深い事でしょ
う。私の事を思い出されるならば、その時々は後生を弔いなさってください。
と書き留め、
惜しまれぬ深山の奥の桜花散るとも誰かあはれとは見ん
(惜しいことだと思う。深山の奥の桜の花はたとえ散っても誰があわれと見るだろ
うか。私、花みつが死んでも誰も悲しまないでしょう。)
と書かれていた。
「きっと里への恨み、別当への恨みが抑えきれなくてこのように亡くなったのだなあと思われます。」と人々はひどく悲しみを催した。そうして、この手紙をこしの坊に持たせて、急いで里へ下向させた。
岡部殿にこの事を申し上げると、意外な事と、さあどうしたものかと茫然としていなさったるばかりであった。暫くして涙を抑えて、「情けないことだ、私は凡夫のあさましい身であることよ。このようにさえ思っているとは夢にも気付かず、昨日までを過ごしたとは愚かな事よ。神仏にお願い申し上げて儲けた子を、どうして勘当しようか。たとえ勘当しても、もし花みつの母がこの世に生きているならば、ここまで嘆くことはなかろうに。母はきっと草葉の陰でも私を恨めしく思っているだろう。」と今までや過去を嘆くほどは、見聞きする人で哀れだと思わぬ人はいなかった。
その6
さて、こしの坊が暇乞いをして立とうとすると岡部は、「私も山へ参って変わり果てた姿をもう一度見申し上げよう。」と言って馬にも乗らず徒歩で寺に上り、花みつの死骸に取りついて、顔を押し当てて引き起こし、「何と恨めしい我が子よ。まだ幼い者であるので、学問に身が入っていなくて、別当のお気に召さなかったのかと気がかりであったのだ。それで京から下って、説得して行いを改めさせようと思ったのだ。しかし、師匠をさしおいて親の身で悪しき子をよき様になそうと説得するのも、人聞きがどうかと思うにつけ、呼び出しをしなかった。ところがそれを勘気が強いと思ったのだろう。恨みが募ってこのような事になってしまったのか。このような心であったとは全く知らず、昨日まで会わなかったのは後悔が残る事だ。年月が流れてもお前の母上を忘れる事がなかったのは、お前がこの世に生きていたからであったのだ。年老いた父をどうなれと思ってどこへ行こうというのだ、花みつよ。父も一緒にというならば、どうして命を惜しもうか。私もあの世に連れて行けよ。」と言って嘆きなさるのももっともな事である。このありさまを見聞く人は、貴賤を問わず袖を濡らさぬものはいなかった。
このままにしてもいられないので、野辺送りをして火葬しなさった。月みつ殿は兄の白骨を拾い収めて、大夫・侍従を連れてどこへともなく行きなさった。別当も、この浮き世に暮らすのも詮無いことだと思って、さらに山深い所に篭居なさった。
そうしているうちに、岡部殿も、花みつとは死別し、月みつとは生き別れ、それぞれに思いを重ねて、栄華を振り捨てて、元結を切って遁世し、子供たちの行く末を念じて、別当の住みなさる庵室で心を澄まして修行し、峰に上っては薪を拾い、谷に下りては閼伽水を汲み、朝夕、仏前の香に身を染めて、来し方行く末を静かに思うのであった。
というわけで、この岡部某は武勇の達人として肩を並べる人もなく、天下に名を知られた人であって、政治の道に忙しく、仏道への信心は薄かったが、一心に正直に努め、神仏に祈りなさったことにより、仏が仏道に導く方便として、仮に花みつを授けなさったのだ。その思いもよらぬつらい別れや嘆きによって、武家の棟梁であった人が、このように善人になりなさった事は、まことにありがたい次第である。
その7
一方、大夫・侍従・月みつ殿の三人は、高野山へ上って花みつ殿の後世を弔った。ありがたいことである。それにしても、月みつ殿は幼い時から大勢の衆徒たちに付き添われ、余計な風にも当てさせまいと大切にされ、ぜいたくに暮らしなさっていたが、いまや狐や狼、野干を友として、峰の花を摘んで、谷の閼伽水を汲んで仏前に供え、亡き人を思い出す暁は、墨染めの衣が涙で乾くことなく、三人で語り合って心を慰め、心を澄まして学問に取り組み、大学匠の名声を博して、庶人を導き、六十三歳で大往生を遂げなさった。じつにたぐいまれな善知識で、その死を惜しまぬ人はいなかったということである。
この物語を見聞きする人は、よくよく悪心を払いつつ、後生を願いなさりなさい。
世の中は咲き乱れたる花なれや散り残るべき一枝もなし
(世の中は咲き乱れた花であろうか。散り残るような花は一枝もない。すべてのも
のは花と散ってしまうのである。)
原文
その5
さて、里への文とありしには、
母上に別れしよりこの方、羽なき鳥の心地して、明かし暮らししに、別当の御心
に違ひ参らせ候ふのみならず、頼み奉る父にさへ不興せられ、誰を頼りに月日を送
り参らせん。憂き世にありても何かせんと思ふ心を先として、身を亡き者となさし
事、さこそ恨めしくや思すらん。師匠をかこち父を恨み奉る心の中、いかに罪深か
らん。思し出さん折々は跡弔ひてたび給へ。
と書き留め、
惜しまれぬ深山の奥の桜花散るとも誰かあはれとは見ん
と書かれたり。
「さてこそ里への恨み、別当への恨み、せんかたなきままに、かやうにはかなくなりける。と覚えたり。」といとどあはれを催しけり。さてこの文を、*こしの坊に持たせ、急ぎ里へ下しける。
岡部殿にこの由申しければ、あまりの事にや、さていかにやいかにやとばかりにてあきれはてて居給ひけり。ややありて涙を留め、「うたての事や。凡夫の身のあさましや。かくまで思ふとは夢にも知らずして昨日を過ぎし事の愚かさよ。神仏に申して儲けし子を、何しに勘当すべきぞや。ただこれとても花みつが母、憂き世にあるならば、かくまで憂き嘆きはあるまじきものを。さこそ草の陰にても、我を恨めしく思ふらん。」と来し方行く末の嘆きのほど、見聞く人ごとに、あはれと訪はぬ人ぞなき。
(注)こしの坊=未詳。
その6
さて、こしの坊いとま申さんとて、立たんとすれば、「それがしも参りて変われる姿を今一目見参らせん。」とて、*徒跣(かちはだし)にて寺の上り、花みつが死骸に取りつきて顔さし当てて引き起こし、「恨めしの我が子や、未だ幼き者なれば、学問をも心に入れざるにより、別当の心に違ひぬるかとおぼつかなさに、京より下り、申し直さんと思ひしに、親の身として悪しき子をよき様に言ひ直さんも、人聞きいかが思ふにつき、呼び出ださざることを恨みて、かやうになりけるかや。かかる心のあらんとつゆほども知らずして、昨日見ざりし事の悔しさよ。母が事をこそ年月の過ぎ行くに従ひて忘るるひまもなき事も、御身憂き世にあるゆゑぞや。年老いつる父を、いかになれとていづくへ行くぞ。花みつ、父もろともにと言ふならば、などか命を惜しむべき。我をも連れて行けや。」とて嘆き給ふも理なり。このありさまを見聞く人、貴きも賤しきも袖を濡らさぬはなかりけり。
かくてもあるべきならねば、野辺に送り煙となし奉りけり。月みつ殿も兄の白骨を取り、大夫・侍従連れて、行き方知らずになり給ふ。別当も憂き世の住まゐ詮無しとて、なほ山深く閉ぢ籠もり給ふ。
さるほどに、岡部殿も栄華を振り捨て、花みつに死して別れ、月みつに生きて離れ、方々思ひを重ね、元結切り遁世し、子供が行方の*すてかたなさに、別当の住み給ふ庵室に*行ひ澄まし、峰に上りて薪(たきぎ)を拾ひ、谷に下り閼伽の水を掬ひ、朝夕香の煙に身を染めて、来し方行く末の有様を観じ給ひけり。さればこの岡部の某は武勇(ぶやう)の達者、肩を並ぶる人もなく、天下に名を著はせし人なれば、世の政道に暇もなく、仏道に心の薄かりしかども、一心に*しやうしきを守り、神仏に祈り給ふにより、仏の方便にて仏道に導かんそのために、仮に花みつを授け、思はざるに憂き別れ、その嘆きを*したいて武家の棟梁なりし人の、かやうに*善人となり給ふ事、まことにありがたき次第なり。
(注)徒跣=裸足で往来する事。
すてかたなさに=見捨てることができないで、と言う意味か。「花月」は「やる
かたなさに」。
行ひ澄まし=仏道の戒めを守り心を清くして修行に励む。
しやうしき=正直か。
したいて=慕ひて、か。
善人=因果の道理を信じて善い行いをする人。あるいは「仙人」で、山中で修行
をする人か。
その7
さるほどに、大夫・侍従・月みつ殿三人は高野山へ上り、花みつ殿の御跡をぞ弔い給ふぞありがたき。さても月みつ殿は幼き時よりあまたの衆徒たちに*介錯せられ、あらぬ風にも当てじと栄華に栄へ給ふに、今は狐狼*野干を友として、峰の花を摘み、谷の閼伽水を取りて手向けとし、亡き人の事を思ひ出づる暁は、墨の衣干しかね、三人共に語り慰み、学問の窓に心を澄まし、大学匠の名を取り、庶人を導き、つひに六十三にして大往生を遂げ給ふ。まことに例少なき善知識、惜しまぬ人もなかりけり。
これを見聞かん人々は、よくよく悪心を払ひつつ後生を願ひ給ふべきなり。
世の中は咲き乱れたる花なれや散り残るべき一枝もなし g
(注)介錯=付き添って世話をする事。
野干=狐に似た伝説上の悪獣。または狐の異名。