巻一 第一章
さほど昔のことではなかったが、二代の帝に仕えた儒林の隠士がいた。
この隠士は菅原の家風を継承し、 一筋に祖霊天神の霊力を頼みとして、大学寮でも蛍雪の功を積み、刻苦研鑽したので、学才の名声は朋輩の中ではだれにも引けを取らないほどであった。
しかし、学問の家は押しなべて貧しい。菅原家もさしたる家領もなく、公に出仕して、どうにか生計を立ててはいたが、鬱々として不如意な生活を送っていた。
隠士は次第に儒学への情熱が失せていき、学問の交わりも途絶えがちになり、それに反比例するかように世を厭い、仏道に傾倒していった。
菅原某には一人の子がいた。人は侍従の君と呼ぶ。わが身は世捨て人、どうにでもなれとは思うが、この子の行く末は唯一の気がかりであった。侍従は容貌は比類ない美しさで、学才も抜きんでて、親を離れて学者の目から見ても、将来が楽しみな稚児であった。
初めは、自分は影法師のような日の当たらない一生であろうが、この子こそ一流の学者に仕立て上げて、絶えようとする我が儒の道を継承して、廃れようとする菅原の家を再興させようと思っていた。しかし、自身が九流の学を修めようという気概が薄れ、不遇をかこつようになると、隠士の心も変化していった。
『法華経 妙荘厳王本事品第二十七』は妙荘厳菩薩が悟りに到達する話である。バラモン教を信奉する王であった妙荘厳王は、夫人と仏道を修めて神通力を得た浄蔵・浄眼の二王子の諫めにより法華経を聞いて、仏法に帰依したというものである。隠士は我が子に、浄蔵を見た。侍従をどこであろうかしかるべき僧房に預けて出家修学させて、徳を備えた僧となって、己の後生菩提を弔ってもらおうとの思いに至ったのである。
さて、そのような僧房があろうかと探し求めると、比叡山の東塔に某の律師とかいう、戒を保って行を重ね幾年月、日々新たに修錬を怠らない尊い僧がいるという。この律師には弟子・同法は数多くいた。しかし、いずれもやがて法灯を掲げる者になるとは見えなかった。自分の後を継いでくれるような器量を備えた者がいたらなあと、縁を頼って秘かに探し求めていた。
侍従の傅(めのと)がこの噂を聞きつけた。
「比叡山東塔の律師が、自分の後継者として法灯を掲げる器量人を探しているようです。殿は侍従の君をどこかの僧房に預けたいとお考えのようですが。」
と父朝臣に語る。
「そのような立派な律師がいるとは私も噂に聞いておる。願ったりかなったりである。話を進められないものか。」
菅原朝臣はその気になった。律師にもその意向が届いた。器量も申し分ない稚児だという事であった。早速、律師は自ら隠士の邸を訪れた。律師が懇ろに申し入れると、隠士も快く承諾して、登山の日程などを約束して、律師は山へ帰っていった。
(注)『あしびき』は新日本古典文学大系で翻刻されています。室町仲世さんという漫
画家がウェブ上で絵物語を公開されています。美しい絵です。
九流=儒家・道家・陰陽家・法家・名家・墨家・縦横家・雑家・農家。外典とい
われる仏教以外の学問。
律師=僧綱の一つ。僧正、僧都、律師の順。
同法=同門の僧。
傅=養育係。