religionsloveの日記

室町物語です。

あしびき⑲ーリリジョンズラブ2ー

巻三 第六章

 侍従は得業の手紙を見て後は、悲しみに沈んで寝込んでしまったので、人々はしばらくはそうもなるであろうと思っていたが、次第に体も衰えて、ひどく気弱にばかりなっていくので、律師も、「これはただ事ではあるまい。このような物思いがきっかけで、病気になってしまったのか。」ととても心配する。

 山では適切な治療もできないし、侍従の父朝臣からも、「重病の由、どうにかして下山させて医者にも見せたい。」と言ってよこしたので、京に下り、陰陽師の家訪ねさせ、医師にはその術の限りを尽くさせたが、これと言って病因を言い当てることも、病状を改善して治癒することもできず、日に日に弱っていくように見えたので、母や乳母などが嘆きあうことは、一方ではなかった。

 侍従は心の内では、何の病であろうか、行方不明の若君への一筋の思いが積もったからであることは自覚していたが、そのような理由だとはとても言い出せなくて、違う理由などを取り繕っていた。「物の怪にでも取り付かれたのかもしれない。息子はきっと座主を継いで、比叡山の法灯を掲げる者になるであろうといわれていたので、魔王が妬んで妨げようとしているのであろうか。」と、父母も困り果てて、「護身加持でもさせてみようか。」と言うので、侍従は、「どうしてそんなことができましょうぞ。山の法師が験者を頼むなど恥ずかしいことです。確かにこのような状態ではそうお考えになるのももっともですが、今となってはどうとなっても(死んでしまっても)仕方ないことです。」などと言うので、「浄行の身であるからそう思うのでしょうが、尊い僧が験者を用いることは昔も今も例は多いことです。だから、『空也上人の肘が折れなさったのを智弁僧正が祈祷してお治しになったり、玄昭律師に物の怪が憑いた時は、浄蔵貴所が験を施した。』と言い伝えられているのですよ。決して忌むことではありません。とりわけ最近世間では評判の、刃の験者と言う人がちょうど京にいるらしいのです。この人は大峯山の大先達で、『なか床の一和尚』で、那智の石窟に何年も参籠し、諸国霊験の地の行脚を積み重ね、飛ぶ鳥も祈り落とすという尊い人との噂です。」と言うので、父がこれほどに言うのをかたくなに拒むこともできず、この山伏と会見してその様子を見ると、髭・髪は白髪が混じって、長年の修錬の行で、功徳も積んでいるだろうと思われる。昔の役行者もかくあるかと思われて、物の怪も悪魔も寄り付きそうもないさまである。

 その脇に、年まだ二十歳に足らずと見えるしとやかに魅力的で、髪や眉の辺りはふさふさとして、衣の裾をゆったりと着こなしている稚児が従っていた。近寄ってみると、山伏の弟子と見えたのは、実は数年来慕い続けていた奈良の若君であった。

 侍従の君もこの若山伏も、お互いに気づいて、「ああ、これはどうしたことか。」と言って、袖で顔を覆って、何も言わず泣き続けた。験者も父朝臣も、どういうことかと驚きあきれて、ただ眼を見合わすだけであった。

 ややして、侍従は刃の験者に向かって、琴の次第を詳しく語った。白河に宿所で若君を見染めたこと。若君が単身山に訪ねてきたこと。再度山に上る約束で奈良に帰ったこと。迎えに行く直前に若君が失踪したこと。それがきっかけで病に伏したこと・・・験者は「何とも不思議で感動的なことだよ。私は、思いがけず熊野へ行く道でこの人に行き会って、心持も器量もすべて望ましいので、片時も離すことはありませんでした。少将の君を、大峯・葛城の難行にも同行させ、帝や女院の加持祈祷でもこの人を助修として、このように伴っているのでございます。」と語った。若君は、山伏には少将の君と呼ばれていたのであった。

 これを境に侍従の病はみるみる平癒していった。父母は、「侍従の心中を察せず、筋違いな心配をしていた。」と省み、験者は、「もはや護身加持の必要はないでしょう。先達はお暇いたしましょう。」と言うので、父朝臣は、それはそれとして、あらん限りに饗応した。

 先達が帰ろうとすると、少将は、自分の気持ちを伝えて暇乞いをした。先達は、「長いこと共に暮らしてきたことゆえ、別れるとあれば名残多くて、どうとでも勝手にせよとは思わないが、事の次第を聞いてしまった上は、融通もせず邪魔立てしたら、情け知らずとも思われよう。少将は侍従の君に従っていくがよいだろう。おぬしがどこにいようとも忘れることはあるまい。このように京に来たときはきっと連絡を取って会おうではないか。」と言うので少将も、「それは申すに及びません。こちらの様子は絶えずお手紙でお知らせしましょう。」などと約束して別れた。

 少将は、髪を切られて登山できなくなって以来の苦しい心中を語った。「迎えのものが来ると決まったのに、髪を切られてしまい、行けなくなって、やむにやまれず姿を消したのでございます。難行苦行をしていた間も、『お召しになろうとしていた律師様はどれほどありえないことだと思っているだろうか。また、侍従の君の心中はいかばかりだろうか。』などとあれこれ思い悩みました。でも一方では、『あの人(侍従)はどう思っているだろう。たいして思い入れもないのに、自分だけがこんなに悩んでいるのかも。』と自分を責めたりしましたが、あなたも、私の失踪が原因でこのように苦しんでいたのだなあと、誠実なお心も思い知られ、感じ入っています。こうなったからには、かねてからの願いに背くようなことは決していたしません。あなたと共に山へ上りたいと思います。どのようにかお取り計らいください。」と言うと侍従は、「私の方もただこのことだけを山王大師に祈願していたのだよ。たとえ末法の世とはいっても、神仏の見えない加護は失われていないのだなあと、心強く思われることだ。おぬしが住山の決意を変えていないのは喜ばしい限りだよ。」と言って、少将を連れて山に上った。

 律師はすでに齢七十にも及んで余命いくばくもないほどであった。後のことは侍従に託そうと思っていたが、当の侍従が何年も患って、いつ死ぬかもわからない様だったので、心づもりと大いに違ってしまったと深く嘆いていたが、病気が平癒して帰山するばかりか、少将の君までも連れて上ってきたので、しかるべき諸天善神のお計らいかなと喜んだ。

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(注)なか床の一和尚=不明。文脈上、高位の修験者であるらしい。

   末法=釈迦入滅後1500年経った、仏の教えの廃れた時代。