religionsloveの日記

室町物語です。

あしびき㉗ーリリジョンズラブ2ー

 巻五 第三章

 奈良にとどまった禅師は、東南院を訪ねた。僧都は年老いて病に沈んでいたが、跡目のことなどを遺言できる僧侶も俗人もいなかったが、「様々なところを巡り巡って戻っておいでになったか。返す返すもうれしいことよ。」と言って、準備して迎え入れ、再び東南院で修学することとなった。やがて僧都が身まかって後は、東南院の跡を継いで、三会の講匠を務め、ほどなく権律師に昇進した。

 一方侍従は以前のように熱心に修学し、学才の誉れはますます高まり、叡山のため、門跡のためには、どちらにとってもなくてはならない存在となった。門跡領も数多く拝領して、位階・俸禄も全く不満なく過ごした。やがて師匠の律師が僧都に転任して、探題の位にまで栄達したが、ほどなく亡くなったので、本尊・経典をはじめとして大切なものはみなこの人が引き継いだ。

 こうしているうちに、父朝臣が病気であるとの知らせが来たので急いで下ってみると、もはや回復しない病と見えた。枕元で仏の教えを説き、念仏を勧めると、病者が頭をもたげて言うには、「儒教の中に『鳥の将に死なむとする時はその声哀しく、人の将に死なんとするその言や善し死なむとする時はその言葉善し』とある。私の言うことをよくよく聞きなさい。」と。

 さらに、「お前が幼かった時から、器量も優れて見え、いずれは一門の業である学問を継がせ、朝廷へも出仕させたいと思っていたが、やがてこの夢幻のようなはかない現世で栄達を願うより、仏門に入って一筋に修学して悟りを開き、私の菩提をも弔ってほしいと思うようになったのだ。お前は期待通りに修学の誉れありとの評判も聞いて、願っていた通りだと喜んでもいた。しかしだ、それが名聞利益のための勤行だとしたら、まことの出離の要にかなう行いだとは思われないのだ。確かに人並みには顕密兼備の修行をしてはいるが、今一層心を入れて修行するのであれば、私も安心して冥土に行けよう。」と言って、これを末期の一言として持仏の阿弥陀像に向かって、念仏を二三十遍高らかに唱えて、やがて眠るように死んでいった。

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(注)三会の講匠=奈良で行われる三大法会の講師。説教をする人。

   鳥の将に・・・=「鳥之将死 其鳴也哀 人之将死 其言也善」(論語・泰伯)

    死に際の時は哀しげに鳴き、臨終の人は正しいことをいう、の意。

   顕密兼備=顕教密教を兼ね備えた天台宗の教え。

   出離の要=生死の迷いを離れ、悟りを開くための肝要な点。