第二章
桂海は、この夢はきっと所願成就の証であろうと喜んで、まだ東雲の明けやらぬうちにお山へと帰る。
「きっとあの夢が私を導いてくれる。」
そう思うと、今更なお奥山に移り棲んで専心しようとの心もすっかり失せて、ただ仏菩薩の御恩が降臨して、わが心にも道心が起こるのだろうと、他力を本願する心ばかりである。
それにしても、夢が脳裏から片時も離れない。あの美麗の稚児の艶やかさが桂海の心をとらえてやまない。
いや、私は現実を生きているのだ。
勤めよう。念じよう。
心のさざ波をを静めんと仏前に向かって香を焚く。すると、漢の李夫人を呼び寄せる反魂香の煙に身を焦がしたという、その武帝の思いもわが身と思い知られる。
時の流れに身を委ねようと山桜を眺めては空山に対して佇みいる。しかし、夢に巫山の神女と契りを結び、「私は朝な雲に、夕な雨になって立ち現れましょう。」と言い残して消えたという、その神女の面影を嘆く、楚の襄王の涙も他人事とは思われない。
あの稚児が忘れられない。狂おしい気持ちは日々募るばかりだ。
丈夫の男桂海も、常には非ず心が乱れる。
もしや、お山の守護、山王権現がご神託で、ただ我一人の衆徒を失うことすら、三尺の剣を逆さに飲むがごとく惜しみ悲しんで、離山させまいと、道心を妨げなさっているのか。たとえそのような神慮であっても、法灯を掲げ叡山を守る衆徒であり続けるにも、命あればこそ。このままでは日暮れを待つほどの命も頼まれまい。
石山の観音様よ、お恨み申し上げます。
桂海は再び石山寺を詣でんと山を下った。
(注)反魂香=焚けば死者の魂を呼び返して煙の中にその姿を現すという想像上の香。
漢の武帝が李夫人の死後、焚いてその姿を見たという。
巫山=楚の襄王(懐王とも)は夢に巫山の神女と契りを結んだという。
この故事から男女の情交を「巫山の夢」「朝雲暮雨」「雲雨」ともいう。