religionsloveの日記

室町物語です。

秋夜長物語㉕ーリリジョンズラブー

第二十四章

 夢の内容を語り合った大衆の面々は思う。

 「それでは、川に身を擲ったあの若君は、石山の観音様の変化であったか。我が寺門が焼失したのも、仏法を興隆し、衆生を救済する方便であったのか。」

 三十人の衆徒は信心を肝に銘じて、たとえいかなる艱難が待ち受けようとも再び寺を興すことを誓い合う。

  かの桂海は、今は瞻西と名を変えて、岩倉に庵を結んで、専心仏道に打ち込んでいるという。我々も彼を訪ねて、発心を同じくし、仏道修行を共にしようと考える。

 京師を離れ鞍馬の山近く、三間ほどの茅屋は、半ば雲がかかり、三秋の霜に打たれて枯れた蓮の葉は薄く、一朝の風に落ちた木の実は食すに余りある。ひっそりとした僧房に松吹く風、谷川の声が聞こえ、浮世の夢も覚めるがごとく、人が訪ねるとさめざめと涙を催させるような風情である。

 瞻西は書院に端座して大衆を迎える。質素というより粗末な部屋である。壁には和歌が一首掲げられている。

 昔見し月の光をしるべにて今夜(こよひ)や君が西へ行くらん

 (昔見た月の光を道しるべとして今宵あなたは西へ行くのでしょうか。昔契りを交わ

  した月《=桂海》を導きとして梅若は、阿弥陀仏のいる西方浄土へ行くのだろう

  か。)

 瞻西は、

 「私は私で念仏三昧、修行に打ち込みます。あなた方はあなた方で三井寺再興のためお力をお尽くしください。」

 と丁重に断る。

 

 どこから伝え聞かれたのか、後鳥羽院がこの歌をお聞きになり、感激なさって、『新古今和歌集』の釈教の部にお撰びなさったという。

 

 論語里仁辺篇に、「徳不孤必有隣」(徳孤ならず必ず隣あり)とある。

 瞻西上人は人を避け修行に邁進していたが、志を同じくする出家の客はこなた彼方から集い来る。説教は弁舌鮮やか、念仏は力強く、聴く者の心をとらえて離さない。

 人に慕われているのだ。

 瞻西はかつての桂海ではない。

 慕って集まるのであれば、あえてそれから遁れることはない、私の方から近付こう。このような私でも、広く衆生を利益できるのであれば、それが務め。

 上人は、東山に雲居寺を再建する。建立の儀式では、二十五菩薩の伎楽歌を詠ずる。その朗々たる声で往生を願う人を迎え入れる姿には、見る者で信心を起こさない人はいない。遠近、踵をついで来集し、貴賤、掌を合わせ敬礼する。

 仏性は縁から生ず、とは、このようなことをいうのでしょうか・・・

 

 おや、話をしていて涙が知らないうちに流れてきました。皆さんもしんみり聞いてくださったようですの。間もなく夜も明けるようでございます。秋の夜の長物語もここまでといたしましょうか。                         (了)

 

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(注)二十五菩薩=念仏を唱えて往生を願う者を守護する二十五の菩薩。