序章
人はなぜ人を恋うてやまないのか。愛すれば愛するほど苦悩や艱難が待ち受けているのにどうして愛することをやめないのか。なにゆえに人は人を求めるのか。
我々は天地自然を愛する。理由などない。好きだから愛する。
春の花が樹頭に咲きほころぶ。その紅を渇仰する心は、天上菩提に導かれる機縁だという。秋の月が水底に冴え輝く。その光を賞玩する心が一切衆生を救済する実相だという。
天は何も語らない。しかし花や月、万物をして真理を示している。心あるものはそれを悟らんと学び努めなければならない。
世間は苦しみに満ちている。人がこの娑婆から脱したいと思う時、その煩悩によって菩提となる。天人でも衰え滅する。この運命から逃れたいと思う時、その生死によって涅槃へと達する。
諸仏は直截に語らずとも、菩薩に化身して順逆の道理をもって教え導き、罪あるものは邪より正に入れ、機縁のないものは悪より善に改めさせなさる。かようなことは経論に説くところであり、書伝にも夥しく載せられている。私のようなものが語りつくすことはできない。
ただ、近頃、世にも不思議のことを耳にした。これこそ如上の真理を示現するものではなかろうか。
ここに集い来られた面面よ。枕を欹ててお聞きなされ。老いの寝覚めに秋の夜の長物語を一つ申し上げよう。
今となっては昔のことだが、西山に瞻西上人と申して世に聞こえた道学兼備の方がいた。この方は元は北嶺比叡山の東塔の衆徒で勧学院宰相に仕えていた律師桂海という人である。内典では天台宗玉泉の流れを酌んで四経三観の理を極め、外典では黄石公の兵書を研学し、嚢沙背水の知略で知られていた。
ある時は忍辱の衣に大衆を救わんとの心を包み、ある時は誰をも屈服させる剣の刃で猛々しく勇敢に振る舞う。実に聖俗ともに頼もしい、文武の達人であった。
上人若き折、思うよう、「咲く花はやがて落ち、萌える葉はいずれは散る。この世は儚い一夜の夢のようなものだ。自分は縁あって俗塵を離れて釈家の門に入ったのに、朝な夕な名聞利養に走るばかりで、出離生死の営みを怠っている。なんと情けないことだ。すぐにでもこのお山よりさらに奥山に分け入って、柴の庵を結んで隠れ住み、仏道に専心したいものだ。」と。
そうはいっても、旧縁断ち難きも世の常、医王山王の結縁も捨てられず、同朋同宿との別離もつらいことと空しく月日を送っていた。
しかし思いは言の葉に表れる。詩に曰く、
朝々暮々風塵底(朝な夕な俗塵をさすらい)
失脚誤生三十年(道を踏み外し誤った三十年を生きてきた)
何日人間栄辱眼(いつの日か人間界の栄辱を見ることなく)
古松陰裏看雲眠(老松の陰の草庵でのどかに雲を見ながら眠られるだろうか)
(注)瞻西=西方浄土を仰ぎ見るといったニュアンスの僧名。
勧学院宰相=宗学の学問所の助教か?
律師=僧官の一つ。五位に準ずる。五位は貴族でいうと殿上人。
玉泉=天台宗の別称。
四経三観=仏教の教理。
忍辱の衣=袈裟。
黄石公=漢の張良に閉所を授けてという隠士。
嚢沙背水=「嚢沙」「背水」はいずれも軍略。
出離生死の営み=名誉や利益、生死の迷いを離れ純粋に仏道に励むこと。
医王山王=比叡山の本尊薬師如来とその垂迹の日吉山王権現。
第一章
「これほど遁世発心を願い立ってもかなえられないのは、邪魔外道が我を妨げているからであろうか、それならば仏菩薩の加護によってこの願いを成就させよう。」
桂海は石山寺への参篭を思い立つ。観世音菩薩にすがって迷いを断とうと考えたのである。
祈る。ひたすら祈る。
両膝を地につける。次いで両肘。合掌して頭面を地に伏す。五体投地を繰り返す。頭面接足、一心に観音に頂礼する。
一七日の間、「道心堅固証無上菩提」と祈り続ける。
満願七日の夜、祈り果てて桂海は礼盤を枕にまどろむ。
すると、仏殿の帳の内から一人の稚児が立ち現れる。容色は美麗、言い表しようのないほどの艶やかさである。
稚児は庭へと進み出る。桜の木陰に佇むと、散り乱れる花びらが雪のごとく降りかかる。青葉勝ちに縫いをしたその水干姿は、遠山桜に花が二度咲いたかと見まがうほどの美しさで、花びらを袖に包みながら、どこへ行くとも知れず、暮れゆく風景の中に消えて見えなくなる。
と、夢より覚めて我に返る。
第二章
桂海は、この夢はきっと所願成就の証であろうと喜んで、まだ東雲の明けやらぬうちにお山へと帰る。
「きっとあの夢が私を導いてくれる。」
そう思うと、今更なお奥山に移り棲んで専心しようとの心もすっかり失せて、ただ仏菩薩の御恩が降臨して、わが心にも道心が起こるのだろうと、他力を本願する心ばかりである。
それにしても、夢が脳裏から片時も離れない。あの美麗の稚児の艶やかさが桂海の心をとらえてやまない。
いや、私は現実を生きているのだ。
勤めよう。念じよう。
心のさざ波をを静めんと仏前に向かって香を焚く。すると、漢の李夫人を呼び寄せる反魂香の煙に身を焦がしたという、その武帝の思いもわが身と思い知られる。
時の流れに身を委ねようと山桜を眺めては空山に対して佇みいる。しかし、夢に巫山の神女と契りを結び、「私は朝な雲に、夕な雨になって立ち現れましょう。」と言い残して消えたという、その神女の面影を嘆く、楚の襄王の涙も他人事とは思われない。
あの稚児が忘れられない。狂おしい気持ちは日々募るばかりだ。
丈夫の男桂海も、常には非ず心が乱れる。
もしや、お山の守護、山王権現がご神託で、ただ我一人の衆徒を失うことすら、三尺の剣を逆さに飲むがごとく惜しみ悲しんで、離山させまいと、道心を妨げなさっているのか。たとえそのような神慮であっても、法灯を掲げ叡山を守る衆徒であり続けるにも、命あればこそ。このまま煩悩にとらわれ続けていれば日暮れを待つほどの命も頼まれまい。
あの結願の果てが、この結果なのですか。石山の観音様よ、お恨み申し上げます。
桂海は再び石山寺を詣でんと山を下った。
(注)反魂香=焚けば死者の魂を呼び返して煙の中にその姿を現すという想像上の香。
漢の武帝が李夫人の死後、焚いてその姿を見たという。
巫山=楚の襄王(懐王とも)は夢に巫山の神女と契りを結んだという。
この故事から男女の情交を「巫山の夢」「朝雲暮雨」「雲雨」ともいう。
第三章
叡山から石山への道すがら三井寺を通る。
折しも春の雨。小止みなくしとしと降る雨には蓑傘も効かない。法衣も顔もぐっしょり濡れてしまう。
桂海律師せん方なく、しばしの雨宿りとて金堂の軒をを借りようと、聖護院の傍らを通る。塀越しに老桜が覗える。雲が湧き出るがごとく垣から溢れてその色を見せている。
「遥かに人家を見て花あれば則ち入る」
白氏文集のそんな一句が思い浮かび、門のたもとに立ち止まる。
稚児がいた。
年は十六ほど、水魚紗の水干に薄紅の衵を重ね着て、細(ほそ)やかな腰回り、裾長く雅やかに袴を着こなしている。誰かに見られているとは気づかず、御簾の内から庭に立ち出でて、雪が重たげに積もっているような下枝の花を一房折り取って、
降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け
(たとえ濡れても山桜の枝を折ろう。雨雲を吹き返す強風が花を散らすといけない
から。)
と口ずさんで花から落ちる雫に濡れている様子は、これも花かと疑われる美しさで、風に誘われ散り消えるのではないかと胸が高鳴るばかりである。雲よ霞よ大いなる袖でこの稚児を覆って守り給えと心乱れる。
門の扉が風にキリキリと鳴る。
稚児は誰ぞいるかと不審げに門の方を見やって、花房を手にかかりの木を巡って歩む。海松房のようにゆったりと広がった黒髪のすそが柳の糸にまとわりつかれて引かれるのを見返す。そのぼんやりしたまなざし、かんばせの言いようもない美しさ。
これぞあてどなく心を迷わせた夢の中の稚児の姿。私を悩まし続けたあの夜の夢が、今、現(うつつ)にある。あるはあるのだが、では如何せん。なんの分別も思い湧かない。桂海は日暮れてもなお立ち去ることができず、その夜は金堂の縁に伏して、夜もすがらぼんやり物思いにふける。
是や夢ありしや現わきかねていづれにいづれに迷ふ心なるらん
(これが夢なのか。それとも前に見た夢が現実なのか。いずれがいずれかわかりか
ねて、私の心はどちらを迷っているのだろう。)
(注)三井寺=正式には園城寺。寺門派の総本山として、比叡山の山門派と対立した。
聖護院=子院の一つか。京都の聖護院はかつては寺門派の三門跡(聖護院・円満
院・実相院)後述第十五章によれば、寺内に三門跡の御房があったという。
白氏文集=白居易の詩文集。好んで朗詠された。句意は「貴賤も親疎も関係な
い。遠い人家でも花が咲いているのが見えれば訪ね行くのだ。」
水魚紗=水や魚の刺繍が施されたうすぎぬ。
かかり=蹴鞠の競技場(コート)。四隅に桜・柳・松・楓を植える。
海松房=海松(みる=海藻の一種)の枝が房のように広がっているもの。
第四章
翌朝、昨日の聖護院の御房を訪ねる。
房内を覗っていると、小ざっぱりした美しい童が、手水鉢の水を捨てに外に出てきた。桂海律師は、これは昨日の稚児の侍従の童子ではないかと思い、立ち寄って声をかける。
「少々お尋ね申し上げるが。」
童は驚く素振りも訝る気色もない。
「何事でございましょう。」
桂海は胸の高鳴りを抑えつつ、さりげない様子を装いながら尋ねる。
「いや、昨日の暮れ方であったが、この院家で、水魚紗の水干をお召しになった、年の頃十六ぐらいであろうか、お若き方をお見かけ申し上げたのですが、そこもとはご存じであろうか。」
童は心得顔でにっこり笑う。かの方を見れば誰もが口をそろえて尋ねるのですよとでも言いたげである。
「そのお方でございますか。きっと私がお仕えしている方でございましょう。御名を梅若君と申し、お里は花園の左大臣殿でございます。偽り多きこの世をも全くお疑いなさらない純真無垢なあどけないお心をお持ちの方です。その聖い心根といい、類まれな美しさといい、寺中の老僧若輩、誰もが皆お慈しみ申し上げているのでございます。
老いは、春に咲き遅れた花を見て散るのを惜しむように、若君のことをわが身のように気遣います。
若きは、中秋の月の翳りない光を独り占めしたいと願うように、若君の虜となっているのでございます。
それゆえ、この御所の門主様は悪い虫がつかぬようにと、非常に厳しくしなさって、梅若君も管絃・風流の席の外は御房をお出にならず、いつとなく深窓の内に向かって、漢詩を作り、和歌を詠んでは退屈な日々を送っているのでございます。」
やはり現実であったのだ。
桂海は、はやる心にまかせてこの侍童に文を託して己の心を伝えたいと思うが、そうはいっても余りに不躾であろうと自制し、石山には詣でず、己が山へと帰る
(注)院家=寺領内にある子院で門跡に次ぐ格式の寺。
第五章
律師はあの満願の日に夢に見た稚児の姿、また、桜の下に現れた梅若の面影が心の中で絡み合い、まどろむことも起き上がることもできず毎夜を過ごし、昼は昼で悶々とした日々を送っている。
何か手掛かりはないだろうか。
一人の旧知を思い出す。
「あの御仁は確か聖護院の近くに住まわれておったような。」
詩歌の会のついで、酒宴の道すがらと折にふれて訪ね、一夜二夜と語り明かす。
「いつぞやお見かけしたのであるが、このお近くにございます聖護院に目鼻立ちの整った童がいるような。そなたはご存じであろうか。」
と尋ねると、亭主はにやりと笑う。
「ほう、お気に召したのですかな。その童なら知っておる。梅若君にお仕えする桂寿丸のことでござろう。見目もよく情も深く、上下誰にも可愛がられている美童でござるよ。」
「その桂寿という童、ここに呼び寄せることはできぬものかな。」
「わけもないこと。すぐにでも。」
と茶をたてて、酒宴を設け桂寿を招く。
やってきた桂寿が桂海に気づかぬわけはない。しかし、怜悧な桂寿はそ知らぬふりして接待に応じる。酒や菓子に無邪気に喜んで見せ、亭主の語らいには即妙に答える。なるほど、人の心を離さない。寺中のお気に入りになるのもむべである。
そして、桂海の心を見透かすように自らは語りださず、時機を待っている。
宴果てて亭主が酔いに伏しまどろむ頃、
「ぬしはもうお気づきであろうが、私は過ぐる日、そなたの君、梅若君をお尋ねした比叡山の僧、桂海律師と申す者だ。
前世の宿縁であろうか、夢に現に梅若君を見申し上げて後は観念座禅の行学に打ち込むこともできず、寝ても覚めてもかの君のことが気にかかり、迷いの月は晴れず、心の花は開かない有様だ。
桂寿よ、私を助けると思って便宜をはからい、そなたの御所を垣間見て、花の木陰に戯れるあのお姿を今一度拝見させてくれぬか。さすれば、憂世のつらさのいささかも晴れ、お山へも戻れよう。
いや、かような妄執止み難きを、逢うて久しくもないそなたにお打ち明けするのもいかがなものかとは思うたが、心の中に積もる思いを言い尽くさないでは、仏陀に願いも届かず、わが身の行く末もどうなることにか。」
思いのたけが湧き出でる泉のように溢れる。一語一語が勁くて重い。豪宕俊逸の桂海の目にも涙が光る。桂寿はじっと見つめて視線をそらさない。何かを推し量っているようである。
「なるほど、あなたの心の深いことは十分思い知れました。あの方は素晴らしいお方です。慎み深く、どなたにもお優しい。されど、というかそれだからこそ、ただお一人の方に情けをかけることがありましょうか。いやそれもわかりません。
御文をお書きになったらいかがでしょうか。お心に届くこともあるやもしれません。私がお取次ぎいたしましょう。きっと。」
桂海、嬉しさに次から次へと言の葉が浮かび上がる。書き尽くさんとすれば紙を何枚黒く塗りつぶしても足りない。それならかえってこの方がと、和歌一首だけ書きつける。
知らせばやほの見し花の面影に立ちそふ雲の迷ふ心を
(あなたにお伝えしたい。ほのかに見た花のように美しい面影を慕い、花に添う雲の
ように思い迷う私の心を。)
(注)観念=真理を悟ろうと念じること。
座禅=端座念思し悟りの道を求めること。
豪宕俊逸(ごうとうしゅんいつ)=豪快で心が広く、しかもその才能が優れ秀
でていること。
第六章
聖護院に戻った童は、梅若の許に伺う。
「梅若君、昨夜あるお方から文を預かってまいりました。
いつぞやの夕べ、雨の中を花の木陰に立ち出でなさったことがございましたでしょうか。その折、垣間見られた数寄人がおりましたのでございます。君の美しさに、たちどころにお心を奪われ、袖が紅に染まるほど悲しみの涙を流し、自分の心も抑えられないほどでございました。
その方のお気持ちが綴られたお手紙です。
ご覧になっていただけないでしょうか。そして、返りごとでもあれば。」
梅若は頬を赤らめながら受け取って紐を解こうとする。
折しも渡殿のきしむ音がする。出世の僧都が入ってくる。
梅若はとっさに袖の内に押し隠し見せまいとする。恋文など見つけられたらただでは済まない。左大臣家の御曹子だ。
教学が始まった。やっかいだなと思っても、桂寿はどうすることもできない。縁に腰かけて待つしかない。日暮れの頃にはお勉強も終わるだろうとぼんやりしていると、しばらくして書院の窓から手だけがそっと出る。白く細やかな指に挟まれたたとう紙。
返書である。
おやおや、あの厳しい僧都の目を盗んで、どうやって読んでどうやって書いたのだい。まあいい、律師はまだあのお宅にいるのかな。
童は急いで手紙を届ける。
律師は目を輝かせて、居ても立っても居られない様子で手紙を童から奪い取る。稚児の文にも言葉はなく、和歌だけが書かれている。
憑(たの)まずよ人の心の花の色にあだなる雲の懸る迷は
(あてにはなりません。人の心は移ろいやすい花の色のようなもの。浮気な雲が迷
わせてもどうなるものか。)
注)袖が紅に・・・=原文「袖ノ色モハヤ紅ノフリ出デテ泣ク計ニ」
「ふり出づ」は、①紅色に染める。②声を出す。の両義がある。「紅にふり出
でて泣く」は、「声を出して泣く」の意と、「紅涙(悲しみの血の涙)を流
す」の意が掛けられている。
出世=貴種に近侍し教学を教える僧。梅若の教育係であろう。
僧都=僧綱の一つ。位は上から、僧正・僧都・律師の順。
たとう紙=懐紙。
憑まずよ・・・=一見拒否しているように見えるが、相手を信用していないだけ
で、期待を抱かせる歌である。
第七章
律師はこの返事を見て心浮かれる。
まだ逢ってもいないのに逢瀬の後の別れのつらさを思いやり、山へ帰ろうとの心は全く起きない。暫くはここに留まって、せめて遠目にでもあの梢を眺めて暮らしたいとさえ思うが、それはさすがに節度を欠く行いだろうと、
「桂寿よ、かたじけなかった。稚児殿のご返事は確かに頂いた。私はいったん比叡の山に帰る。いつかは逢える日もあるだろう。必ず戻ってまいるから。」
と、童に別れを告げて比叡山へと帰る。
しかし、一足歩んでは振り返り、二足歩んでは一歩戻ると、遅々として歩は進まない。春の日長というのに坂本までもたどり着かずに日が暮れる。戸津の辺りの埴生の小屋に一夜の宿を借りる。
終夜悶々として、翌朝山へ上ろうとするが、千曳の縄が腰につけられているように、心の中で別の自分が引き留めるのだ。
桂海はふらふらと彷徨する。つま先は大津を刺している。
雨が降り出す。蓑笠をまとい旅の体で行くと、前方遠く唐傘を差した騎馬がやって来る。遠目に見やると桂寿である。
「これは律師、不思議なこと。実は申し上げたいことがございまして、見知らぬ山までも行こうとしたのでございますよ。このようなところでお会いできようとは。」
といって馬より飛び下り、桂海の手を取って側の辻堂へ立ち寄る。
「いかがいたした。」
と問うと桂寿は懐から色美しく香を焚きしめた文を取り出す。入れていた袖まで香気につつまれている。
「梅若様は、あなたが叡山に帰られたとお聞きになって、私をなじるのです。『どうして帰したのですか。あなたはその方とお話をしたのでしょう。それならどのあたりにお住まいかも察せましょう。たとえお山がどんなに奥深くても、あなたが全く知らない場所でも、きっと必ず訪ねて参れ。』と。まだ会ってもいないあなたにどれだけ心を奪われたのか、とんでもない無茶なお言葉。もう尋常ではないお心の迷われようです。まして、一夜の契りを交わした後でもありましたらどれほどのことになっていましたか・・・」
と冗談めかして笑うので、桂海も戯れて、
「全く、そんな別れの嘆きをしたいものだ。」
と返しつつ封を開く。
いつはりのある世を知らでたのみけん我が心さへ恨めしの身や
(男女の仲にうそはつきものなのに、そんなことも気づかないであなたを信じてしま
った。そんな私の愚かな心までもうらめしくおもわれますよ.)
(注)埴生の小屋=粗末な小屋。
千曳の縄=千人で曳いても動かない石を曳く縄。
いつはりのある世=世は世間ではなく、男女の仲。ここでは僧と稚児の仲。
第八章
「聖護院の目と鼻の先に顔見知りの衆徒の僧房がございます。私が頼めば大丈夫ですから、そこに暫くご逗留なさって、折々御簾の隙間を気にかけてご覧になってください。いずれ機会も訪れましょう。」
と童は自信ありげに強く誘う。房主が桂寿をお気に召しているのであろう。その言葉に心惹かれて、律師は再び三井寺へと行く。
桂寿が頼むと房の主は桂海に書院の一室を提供する。迷惑がるどころか、かえって歓待する。訳知り顔の態度、桂寿と桂海の関係を早合点しているのであろうか。
ある日は稚児を数多召しては管絃の宴を、ある日は褒貶の歌合せを催して手厚くもてなす。
桂海は亭主には、三井寺の守護神、新羅大明神にとある願をかけて七夜参詣するのだと説明し、、夜な夜な院に忍び入り、築山の松の木陰、潜在の前栽の草の夜露の許に隠れ梅若の姿を窺う。
梅若も桂海が潜んでいるのを心得ているのであろう。人目が切れるのを窺っている様子である。
しかし好機は訪れない。
梅若の淋しげなつらそうな顔を、物陰から見るよりほかないわが身がつらく思われる。
「ええい、このように遠くから見ることだけが、自分のほうの一方的な逢瀬であるのか。あのかんばせ、若君は確かに私を思ってくれているのであろう。ならば、その心映えを命の頼みとして我慢するしかないのか。」
桂海は自分に言い聞かせつつ、宵は院に通い、朝は房に帰る。そんな日々が十日余りになる。
房の主は桂海がいたく気に入ったのか、「いつまでもお泊り下され。」と言ってくれるが、結願の七日はとうに過ぎている。
「これも縁であったという事か。明日には山へ帰ろう。」
と、窓を鳴らす小石の音。
開けてみると塀越しに、桂寿が顔をのぞかせている。桂寿は声を忍ばせて、
「若君が、『今夜、御所へ京からの客人が来られています。ご酒宴が開かれ、門主・客人皆いたく酔われてございます。山へお戻りになると伺いましたが、夜更けまではお帰りにならないでお待ちください。私のほうでこっそりそちらへ伺いましょう。』との仰せ。私が召し連れて参ります。門を鎖さずにお待ちください。」
と用件のみ伝えて忙し気に言い捨てて帰っていく。
(注)褒貶の歌合せ=和歌の優劣を批評しあう歌会。
前栽=「せんざい」と読む。庭の植え込み。
第九章
律師はこれを聞いて、心浮かれ魂乱れ、地に足がつかない。
夜更けて、鐘撞く音をつくねんと聞き、月が南へ廻るのさえ待ちかねていると、白壁の門の戸を誰かが開ける音がする。書院の杉障子から見やると、例の童が魚脳提灯を持って立っている。
二人の姿が暗闇に薄青くおぼろげにかすんで浮かび上がっている。梅若のしなやかでしっとり濡れた金紗の水干がほのかに光っている。
かかりの木の下で、辺りを気にしながら佇んでいる梅若にそよ風に揺られた柳の枝がまつわりつく。ためらいがちで不安げな面持ちがいじらしい。
桂海は息をするのも忘れ、ぼんやりと梅若を見つめている。
桂寿が先に入り、紗窓の軒の簾台の端に蛍の灯を掛け、書院の戸をとんとん叩く。
「こちらにお渡りしてよろしいものでしょうか。」
と取り次ぐが、桂海は言葉を発することもできず、ただ、声する方にいざり寄る。その気色で存在を伝える。童は聡く、直ちに庭に戻り、
「確かにこちらです。ささ、早く。」
と申し上げると、若君は前に立って妻戸を入る。
桂寿は見届けると、後に続かず、外からそっと妻戸を閉める。
今、目の前に梅若がいる。塀越し遠く見やって、あの袖の移り香がこちらに届けと願っていた、その梅若が今は身に触れるばかりに寄り添い、芳香をくゆらせながら、我が方に肢体を傾きかける。
美しくたおやかな秋の蝉のような初元結、緩やかに弧を描く三日月の黛の鮮やかさ、花にも妬まれ、月にも恨まれそうな百々のかんばせ、千々の媚、絵に描こうとも筆に及ばず、言葉にしようとも語り尽くせない。
桂海の心は、苦しさ・悲しみ・懊悩、様々が絡み合って鬱屈に凝り固まっていた。それが徐々にうち解けていく。
やがて下紐もうち解ける。
桂海と梅若は枕を交わす。
浅からぬ縁、二人の行く末をねんごろに語らう。
閨は寒く、夢は醒めやすく、時は無情に過ぎて行く。
東雲の時を告げる鳥の声も恨めしく、悲しみの涙もとめられない。桂海は、冷え切った着物を着る。有明の月が西の窓からくまなく差し込み、梅若の寝姿を浮かび上がらせる。
寝乱れた髪がはらはらとふりかかっている。かかり際の眉の辺りがぼうっと明るく、ほのかに憂いを含んだ表情。
「私は再び逢うまでこの面影を、記憶にとどめて居られるだろうか。」
桂海は、自問した。
注)魚脳提灯=魚の頭部の軟骨を煮て半透明にして覆いに用いた提灯。
金紗の水干=金色の糸で刺繍した薄い絹織の水干。
紗窓=薄絹を張った窓。
初元結=元服の時、初めて髪を結った紫色の組紐。ここでは紐飾りの美しさでは
なく、初々しい元結姿の髪の美しさを表したものか。
美しくたおやかな・・・=原文「嬋娟タル秋ノ蝉ノ初元結、宛転タル峨眉ノ黛ノ
匂」は美人の形容の常套表現。
百々のかんばせ、千々の媚=様々に見せる美しい表情、様々に見せる魅惑的な媚
態。
第十章
夜が明ける。聖護院の鹿鳴の宴も果てて、今は森閑としている。
桂海は梅若を見送ると、内には入らず、かといって去るでもなく門の石畳に立ちやすらいでいる。
桂寿が現れ、言葉なく文を差し出す。
開けてみると、言葉少なく、和歌が一首、
我が袖に宿しや果てん衣々の涙にわけし在明の月
(私の袖にはずっと涙に映じて有明の月が宿り続けていくのでしょうか。後朝の別れ
に涙ながらに二人で見た有明の月が。)
律師は書院に帰り返歌をしたためる。
共に見し月を余波の袖の露はらはで幾夜歎き明かさん
(あなたと二人で見た月を、涙の露で濡れた袖に映しとどめています。別れた後もこ
の夜露を払うことなく幾夜月を映して嘆き明かすことでしょうか。きっといつまで
も嘆き明かし続けることでしょう。)
(注)鹿鳴の宴=賓客をもてなす宴。
第十一章
桂海は、夢とも現ともわからない梅若の面影と、自分のものとはいいながら己の袖に残る梅若の移り香をよすがとして山へ上る。
心しおれて人に語りかけられてもろくに返事もしない。泣くでもないのに自然と涙があふれ、抑える袖も朽ち果ててしまいそうである。病と称して人とも会わず、床に伏して、物思いに沈んで日々を送る。
聖護院。桂寿が庭先にいると、以前桂寿が招かれた桂海と旧知の僧が声をかける。
「桂寿殿、過日わしの房で宴を開いた折の桂海律師を覚えておいでか。あの方は比叡山東塔の勧学院の宰相の許におるが、山から下ってきた者によると、近頃病に臥せっているとのお噂、あの剛健な方がのう。」
桂寿が梅若に仔細を伝えると、梅若はまことにもどかしそうに思いくずおれ、常にさえ内端な性格であるが、ますます悄然としている。
たとえ病であっても、まことの心あるならば消息の一つもあるはずであろう。やはりあだし心?それとも文も書けぬほどに弱っておいでか?心は千々に乱れるが日数は空しく経っていく。
若君は意を決し、童を呼ぶ。
「桂寿よ、あの夜の夢の直路(ゆめのただじ)のような逢瀬は、まことに現かと思われるほどなのに、本当のことだよと目を覚まさせてくれるような便りも来ません。誰がつらいと思っているかわかっているのでしょうか。このまま私から遠ざかってしまうおつもりでしょうか。そなたから、あの方が風邪の心地と聞きましたが、露のようにはかない人の命いつどうなってしまうかわかりません。もしはかなくなったとしたら、その亡き跡を訪ねたところで何の甲斐もありません。
どんなに奥山深くても私は桂海さまを訪ねていきたい。
しかし、何も申し残さずにこの院家から消えてしまったなら、門主様のみ心にさぞや背くことになるでしょう。私にはできないことです。
行方も知らぬあだ人が言い捨てた言葉、まことめかして私の心に火を付けて本気にさせたのは、誰でしょう。
そなはた律師と昵懇なのであろう。詳しいお住まいもご存じのはず。たった今からでも私を導いてあの人のもとへ。たとえどんな山々でも、たとえどこの浦々でも。
でも・・・」
と訴え嘆く。涙がはらはらこぼれる。
初恋。
桂寿は思う。
若君の初めての人。純情なのだ。そのこと以外は何も考えられない。何も手がつかないのだ。私など及ぶべくもない。
「その方の在所は、私が詳しく伺っております。お供をいたしましょう。
でも・・・とおっしゃいました。若君が失せたとあれば、門主様もきっとお心を害されましょう。しかしそれはその時、後で何とでもお取り繕いななれるがよろしいでしょう。」
そういうより外はない。
桂寿とてもさほど詳しいわけではない。戸津の浜までしか行ってないのだから。
若君と桂寿、二人してどこへ行くとも確かならず、ただ山を目指して出立する。
(注)夢の直路=夢の中で恋しい人のもとへ通ずるまっすぐな道。
心を付ける=桂海が梅若に心を付ける(想いをかける)とも、梅若に桂海に対し
ての思いを付ける(好意を起こさせる)とも解釈できる。
第十二章
霧が深い。
桂寿は梅若が初めて聖護院に来た日を思い出す。
鳰の湖に濃い狭霧が立ち込め、三井の寺も一間先さえ見定めることができない中、突如現れた一行。霧の底から湧き出でるように。雲の上から降臨するかのように。
わたしも寺に入って間もないころだった。
うちつけな来訪に門主様は驚かれたが、人品卑しからぬ公達が威儀を正して言う。
「わたくしの主家である、花園の左府よりご依頼がござった。大臣がわたくしものとご寵愛なさっている御曹子、梅若殿と申すのですが、しばらくどこぞしかるべき院にて、学問をも詩歌管絃をも深く学ばせんとのこと。この院家、お噂聞き申しております。どうか若君のご教導願えませんでしょうか。」
持参した数々の金銀財宝、いやそれよりも目前にいる稚児のあどけなさ、かわいらしさに門主は否むべくもない。
年の近いわたしは若君に仕えた。
名も告げず、折々に贈り物が届けられる。告げずとも、左大臣殿が若君にことよせているのだろうと、大衆は合点して疑わない。
今思うと、里からの文はなく、客人も絶えて来なかったのであるが。
いや、誰も詮索しないのだ。梅若は何の係累もなく、唯一の梅若という存在だったのだ。
霧が晴れる。
あの時と違うのは、若君が輿に乗っていず、徒歩であることだ。
どれほど歩いたろうか。若君は、三台九棘の家の生まれで、香車宝馬に乗らずに泥にまみれて土を歩むことなどないお方である。足取り重く、心もくずおれて全く歩むこともできない。
手を引く童も疲労困憊、疲れ果てている。
「誰でもいい。我らを救い給え。天狗・妖怪でも構わない。我らを比叡の山へ連れて上ってほしい。我らを救い給え。」
とつぶやいて湖に浮かぶ月に心を悩ませる。唐崎の松の木陰で休んでいる。
と、四方輿が目の前に置かれる。簾の内から異様に年老いた山伏が顔を出す。
「お二人はどこへ行かれようとしているのか。」
桂寿はつい、すべてを正直に話してしまう。
山伏は輿からおりて、
「これは奇縁、拙者はあなた方のお尋ねする勧学院の隣の房へ上ろうとしたのでござる。お二人ともひどくお疲れのように拝見いたしました。拙者は歩いていきましょう。お二人はこの輿にお乗りなされ。」
皺んだ老山伏の表情は判然としない。
疲れ果てている二人は言われるがままに従う。梅若と桂寿を載せた輿は、力者十二人、飛ぶがごとく疾駆する。いや、飛んでいるいる。背中に羽がある。山伏に化けていた天狗なのである。
輿の中の梅若と桂寿は何も知らずに揺られている。
茫々と広がる湖水を乗り越え、冥々と暗い雲霧をかき分けあっという間についたのは、比叡の山ではなく、大和大峯山の釈迦ヶ嶽。
力者たちは有無を言わさず、盤石を敷き詰めた石の牢へ押し込める。
漆黒の闇。昼夜もわからず、月日の光も見えない。苔の雫に濡れている。松風のような不気味な声がこだまする。
二人は事態が呑み込めない。ただならぬことになったのは確かなようだ。ただ涙を流すばかりである。
黒々とした石室にすすり泣く声が聞こえる。それも一通りの数ではなさそうだ。松籟ではなかった。男もいる。女もいる。念ずる声も混ざっている。僧侶もいるようだ。
(注)鳰の湖=琵琶湖。
三台九棘=公卿以上の高貴な貴族。
四方輿=公卿、僧綱などが遠出するときに用いた四方に簾を垂らした輿。
第十三章
若君がいなくなった。
扈従(こしょう)の童もいない。
門主の嘆きは並々でない。寺内をくまなく捜させたが、誰も知る人はいない。道行く旅人にも尋ねる。すると、坂本から大津に訪ねる旅人が、
「お尋ねのお若い主従、昨夕戌の刻であろうか、唐崎の浜でお見かけもうしたぞ。月を見ながら人待ち顔で佇んでおった。」
と語る。
「さては、先だって稚児が秘かに言い交した山徒がいるとの噂を聞いたが、そやつがかどわかして連れて行ったに違いない。」
梅若を預かっていた聖護院の周章狼狽はいうに及ばず、三井寺こぞって憤ること尋常ではない。
相手が延暦寺なのである。
寺中の老若貴賤、皆が烈火のごとく怒っている。集団の怒りは増幅する。歯止めが効かない。
「すぐにでも山門へ攻め寄るところだが、相手は叡山、ちと難儀であろう。それにしてもかような大事、父の大臣がご存じないことはなかろう。先ずは花園の左府の館へ押し寄せて恨みを訴え申そう。」
と言って、門徒の大衆五百余人、白昼、左府の邸宅、三条京極へ打ち寄せる。
恨みを申すといいながら、歩を進めるごとに異様な興奮に包まれてくる。一人一人の顔に殺気が充溢する。
左大臣家は何のことやらわからない。憤怒の形相の僧兵五百人が陸ヤマボウシ 続と押し寄せる。心当たりがないのだが、問答する雰囲気ではない。
とりあえず、降りかかった火の粉と、五十人ほどの郎党で守りを固める。
その抵抗がまた、怒りに火をつける。
山法師(延暦寺)・奈良法師(興福寺、東大寺)と並んで寺法師と恐れられている三井寺の僧兵である。塀を毀ち邸を破り、所かまわず火をかける。
渡殿・釣殿・泉殿、甍を並べた棟々・珠の欄干、一宇も残さず焼き払う。
第十四章
園城寺の歴史は、延暦寺との確執の歴史といっていい。
672年頃創建された園城寺は、天智・天武・持統の帝が産湯と浸かった霊泉があって、御(三)井の寺とも呼ばれたという。
この古刹を中興したのが円珍である。
比叡山で修学した円珍は、入唐し、天台・真言等の教学を学ぶ。
帰朝の船中の夢に現れた新羅明神は、自分は円珍の仏法を守る守護神だとし、荒廃した園城寺に導く。円珍は三井寺を再建し、寺内に新羅明神を祀る。
比叡山に地歩を築いた円珍は、866年に園城寺を延暦寺の別院とした。その二年後、円珍は第五代天台座主となった。
円珍入寂後、円珍門徒は、第三代座主の円仁門徒と不和になり、こぞって三井寺に下山した。
当時、正式な僧侶になるには、受戒しなければならなかった。受戒に必要なのが、しかるべき戒師と正式な戒壇であった。(正しい戒律を初めて日本に伝えたのが鑑真和尚という。)
戒壇は、日本国には四基。奈良の東大寺・下野の薬師寺・筑前の観世音寺そして近江の延暦寺である。
三井寺は1041年に、戒壇建立を朝廷に願い出るが、諸宗に可否を問うと、延暦寺だけが反対して認められなかったのである。
これ以降、山門と寺門の対立は激化する。
山門衆徒による三井寺の焼き討ちは幾度にもおよび、堂宇をことごとく焼き尽くされることも度々あったのである。
無論、寺門から山門へ焼き討ちをかけることもあったが、寺勢の違いはいかんともしがたい。
度々焼失したという事は、度々復興したという事で、源氏一族など厚く帰依する信徒も三井寺には多くいたのである。
閑話休題。
衆徒の怒りは花園の焼き討ちだけでは収まらない。
相手は積年の讐敵、比叡山である。
全山一堂に会して僉議する。
「我が寺の稚児を山門の奴等に奪われるなど、寺門の恥辱、これに過ぎたるはない。
こうなったら、当山にも、かねてからの願いであった三摩耶戒壇を立ててしまおう。山門はきっと怒りに任せて闇雲に押し寄せてくるだろう。見事返り討ちにせば、これぞ地の利を生かして敵を滅ぼすはかりごと、ひいては、誤った邪な教えを退けて、この三井寺が正しい戒法を広める道となるであろう。
天が我々に時を与えてくれたのだ。わずかな間もぐずぐずしてはいられないぞ。」
大義は我にあり、策略も十分、という事で、一味同心の衆徒二千余人、敵が攻め寄せるとすれば如意越えの道であろうと、ところどころに空堀を切り、寺中を城構えする。
準備万端整えて、三摩耶戒壇を建立する。
(注)別院=本山に準ずる寺院。
第十五章
三井寺が戒壇を立てた。
これを聞いて山門には緊張が走る。
叡山にしてみれば、三井寺は勝手に分裂して山を下りた子寺のようなものである。親寺の延暦寺にすでに戒壇があるのに、どうして重ねて戒壇が必要あるのか。
そもそも、戒壇は伝教大師が、南都の数々の妨害を乗り越えて勅許を勝ち取ったものである。しかも大師入寂の七日後にやっと。小賢しくも園城寺は朝廷に六度も戒壇建立を願い出た。そのたびごとに兵を進め、焼き討ちをかけたというに、まだ懲りぬと見える。
蜂起しないことがあろうか。
「朝廷に奏上するまでもない。幕府へ訴えるのも無用。時を改めず、今すぐ三井寺に押し寄せて、ことごとく焼き払ってしまえ。」
末寺末社三千七百三ヶ所に檄文を飛ばす。
先ずは近国、他も続けと次々に集結する。比叡山上も麓坂本も僧兵ひしめき充満する。
時は十月、十五日は中の申の日、日吉山王を戴くわれらにはこれに勝る吉日はなかろうと、十万余騎の軍勢を、七手に分けて、正面追手、背面搦手から打ち寄せる。
或は眇々たる志賀唐崎の浜風に、駒に鞭打つ衆徒もあり、或は漫々たる煙波湖水の朝凪に、船に掉さす大衆もある。
思い思いに打ち寄せるその中で、桂海律師は心の内で思う。
「誰彼知らずとも、言わずとも、今この濫觴は全くすべてわが身から起こったことである。誰より先んじ一合戦して、勇名後記に残さねばなるまい。」
選りすぐりの同宿・若党五百人、神水飲んで誓いを交わし、五更の天の明けぬ間に如意嶽越えて押し寄せる。
追手・搦手・城の中、すべて合わせて十万七千人、同時に鬨の声を上げると、大山もこれがために崩れ、湖水もこれがために傾いて、水輪際を落ちるのかと疑われる。
手負いをいとわず、死を顧みず、乗り越え乗り越え攻め入る寄せ手、山門は、本院東塔の、習禅・禅智・円宗院・杉生・西勝・金輪院・椙本・坂本・妙観院、西塔には、常喜・乗実・南岸・行泉・行住・常林房、横川には、善法・善住・般若院、三塔蜂合するはいうまでもない。
ここが勝負の分かれ目と、防戦する、寺門の大衆は、円満院の鬼駿河・唐院の七天狗・南の院の八金剛・千人切りの荒讃岐・金撮棒の悪大夫・八方破の武蔵坊・三町礫の円月房・提げ切好みの覚増、正義を金石のごとく重く秘め、命を塵芥のように軽くして、打ち出で打ち出で防ぎ戦う。
鏃は甲冑を通し、鉾先煙塵を巻いて、三刻ばかり戦うが、寄せ手七千余騎、手負いして半死半生となる。この城は未来永劫、どれほど時がたっても落ちるものとは見えない。
桂海はこれを見て、鬱憤やるかたない。
武の人なのだ。豪気の男なのである。
「情けない合戦の有様よ。大した堀でもないのに、死人で埋めるばかりで、どうして陣を落とせないのか。我と思わんものはこの桂海に続き従い、我が手柄のほどを見よ。」
と激しく言い放ち、底狭い薬研堀にかっぱと飛び下り、二丈余りの切岸の上に、盾の縁を蹴って跳ね上がり、塗りのはがれた塀の柱に手をかけて、ゆらりと跳ね越え、敵三百余人の中にただ一人乱れ入り、提げ切り・袈裟切り・車切り・背けて持った一刀・退いては進む追っ掛け切り・将棋倒しの払い切り・磯打つ波の捲り切り・乱紋・菱縫・蜘蛛手・結果(かくなわ)・十文字、四角八方に追立てて、足をも止めず切って回る。
如意越えを防いでいた兵三百余人、これはかなわぬと思ったか、右往左往と落ちていく。
続いて八方より攻め入る桂海の手勢五百余人、走り散って、院々谷々に火をかける。折しも魔風頻りに吹き、余煙四方を覆って、金堂・講堂・鐘楼・経蔵・常行三昧の阿弥陀堂・普賢行願の如法堂・教侍和尚の御本房・智証大師の御影堂・三門跡の御房に至るまで、総て三千七百余寺、一時に灰燼となり果てて、新羅大明神の社壇以外は残る房一つもない。
注)中の申の日=ひと月に申の日は2~3回、3回ある月の2回目の申の日を中の申
という。比叡山の守護神日吉神社の山王権現は、猿を神の使いとした。
或は・・・=以下合戦の描写は、多少難解でも、戦いの雰囲気を味わうよう原文
を生かし、意訳・翻案を控えた。講談を聞くようなイメージで読んでほしい。
水輪際=世界の底。水がこぼれる際。
第十六章
梅若は、外の世界がどうなっているかなどとは知る由もない。ただ石の牢に押し込められて明け暮れ泣き沈んでいるばかりである。
と、外が騒がしい。
大勢の天狗が集まって四方山話をしているようだ。
ある小天狗が言う。
「我らが楽しみは、人の不幸や争いごと。火事・辻風・小喧嘩・相撲の物言い言い争い・白河童の印地打ち・山門南都の神輿の強訴・五山の僧の過激な論争、どれも面白い見ものであるけれど、昨日の三井寺の合戦は、近来まれな見ものであったな。」
そばにいる別の天狗が言葉を継ぐ。
「そりゃ、我らが梅若君をうまいこと略奪したことが事の起こりじゃ。
お寺はお山がかどわかしたと思うて、この大戦(おおいくさ)、空から見下ろせば、
寺門は、門主をはじめとして、皆々長絹を引きずり引きずり、蜘蛛の子を散らすように逃げ惑う様はおかしくて仕方ない。
思わず狂歌を一首、詠みもうしたぞ。」
上座に座る大天狗が聞く、
「何と詠んだのだ。」
「お聞きください。
うかりける恥三井寺のあるさまや戒をつくりて音をのみぞなく
(お気の毒な事だよ、恥を見た三井寺の有様は。戒壇を作って、泣きべそをかいて、
声に出して泣くばかりだよ。)
いかがですか。」
座中の天狗たちは、笑壺に入って笑い興じる。
天狗どもががなり立てる声は、石牢まで一句残らず届く。
「ああ、なんということ。それでは、三井寺は、私のせいで滅びてしまったのか。」
しかしながらここは石牢、尋ねる相手もいない。梅若は桂寿と二人泣くよりほかないのである。
(注)小天狗=小天狗は修行が足りず能力が劣る小さな天狗。
空印地打ち=空に向かって礫を投げる石合戦。
恥を三井寺=恥を見る、と、三井寺の掛詞。
戒をつくり=戒壇を作る、と、貝を作る(蛤の貝のようにへの字でべそをか
く。)の掛詞。
第十七章
かような折に、手を縛られた一人の老翁が牢に放り込まれた。異様な風体である。齢はとうに八十を超えているであろう。淡路の国で捕らえられたという。
翁はうろたえる様子も、嘆く素振りもない。
「わしは天空で酒を飲んでおったのじゃ。したら、雲の端を踏み外してのう。うっかり淡路に落ちたところを天狗めに攫もうてしもうたのじゃ。名前?好きなように呼んでくだされ。何でもいたしますぞ。虚空を駆けることなぞ誰にも引けを取りませんぞ。」
などと誰かれなく嘯く。
一両日ほどして、この翁、稚児と童が常に泣き悲しんでいるのを見て語りかける。
「袖が濡れておるのう。」
稚児も童も共に語る。
「私たちは、とある住み慣れたところを訳あって後にしたのですが、道行くところ親切に輿に乗せてくれたと思った山伏が実は天狗、この天狗道へと落ちてしまいました。
父母の悲しみ、師匠の嘆きを思いやるたびごとに、涙の落ちないときはなく、こんなに袖も濡れているのでございます。」
翁はえたり顔で、
「そういうことなら、わしに縋り付くがよい。いともたやすく都まで、お連れ申して見せましょうぞ。」
と言うや翁は若君の、袖を絞ると、たっぷり涙を含んだ袖からは、白玉か何ぞと人が問うばかり、涙の露が滴り落ちる。
翁は、真珠のような涙の露を左の手に入れ、しばらく転がし丸めると、露の玉は、程なく鞠ほどの大きさとなる。これをまた二つに分けて、左右の掌に入れ、しばらく転がしていると、二つの露は次第に大きくなって、石牢の内は滔々たる大水になってしまう。
すると翁は忽然、電王と化して、電鼓地を動かし、電光天に閃めかす。その激烈さに、さしもの荒くれ天狗どもも、恐れわななき十方へと逃げ失せる。
竜神となった翁は石牢を蹴破り、稚児と童だけでなく、すべての道俗男女を雲に乗せて、京は大内裏の旧跡、神泉苑のほとりへ置いて去る。
(注)白玉か・・・=「伊勢物語・芥川」に、白玉か何ぞと人の問ひしとき露と答へて
消えなましものを、とある。露の雫を真珠と思ったという話。
第十八章
解放された道俗男女は喜んで散り散りに去って行く。
竜神は消え失せる。天に還ったか、淵に潜んだか。
桂寿が言う。
「若君の古里、花園をお尋ね申しましょう。」
目と鼻の先である。
若君は何とも答えず、ただ肯く。訪ねていくと、かつては甍を並べ栄華を誇ったであろう邸宅楼台は、みな焼け野原となっている。人っ子一人いない廃墟である。桂寿は近くの僧房で尋ねる。
「そうそう、左大臣の御殿は、どなたかの公達の若君が、比叡山に奪われたとかで、三井寺の僧兵が押し寄せて、怒りに任せて焼き払ったとか。」
何とも要領を得ない答えである。
「梅若様、父君の行方を尋ねて身を寄せればいいのでしょうが、私は京には不慣れ、借りるべき宿もございません。お辛いでしょうが、ここは長い旅路でも、三井寺を目指し、ご門主様にすがりましょう。」
と梅若の手を引く。桂寿は童と言いながら、武家の稚児、気丈に梅若を導く。
夕刻、やっとのことで三井寺に着く。眼前に広がるのは、仏閣僧房一宇も残さず焼き払われた無残な景色。ただ、善神堂だけがぽつんと立っているひっそりとした庭には草の露が繁く、人気のない山には松の風音が響くばかりである。
ここが我々の住み慣れた房の跡かと見ると、礎の石は焼けただれて、苔の緑も色枯れている。軒端の梅の枝も焼け枯れて、匂いを運ぶすべもない。
惨状目にした梅若は、その場に泣き崩れる。
「すべてのものが変わり果ててしまった。すべて私のせいだ。さぞかし神のみ心にも背き、人の噂の種にもなっていよう。」
傍らで見守っている桂寿も、余りにいたわしくて正視できない。
日が暮れる。
どこぞに宿をと思うのだが、廃墟とはいえ長年住み慣れた思い出深いところ、なかなか立ち去りがたく、その夜は、唯一残った新羅大明神の拝殿の、軒を一夜の宿と借り、湖水の月を眺めては、泣き泣き夜を明かすのである。
第十九章
夜が明ける。梅若がつぶやく。
「ご門主様は、どこにおられるのでしょう。」
桂寿は記憶の糸を手繰る。宗の違いはあるが石山の座主とは親しい間柄だったような・・・
「ひょっとしたら、石山寺に身を寄せているかもしれません。ここは、石山の観音様を目指して参りましょう。」
昨日は京から三井寺の三里、今日は三井寺から石山寺の二里半、深窓育ちの若君にはつらい道のりのはずである。しかし、律師を追って山へ向かった時とは違う。弱音を吐かない。というより、心が弱音を吐くに至っていない。他の何かにとらわれている。
石山寺に着く。
門主の名を出すと、誰もが皆、知らぬ知らぬの一点張り。本当におらぬのか、名を出すことが憚られるのか。山の追手は厳しいのだ。
桂寿は思案に暮れる。
もうあの人に縋るしかない・・・
「梅若様、かくなる上はあの方をお頼りするしかございません。
君は、今宵はこの本堂で、参籠者に交じってお過ごしください。私は叡山へ上りましょう。律師の御房を訪ねて参りましょう。」
これが梅若君をお救いする唯一の手段、私がしっかりしなければ、とも思うが、桂海に逢って安心したい、励ましてほしい、慰めてほしいとも思う。桂寿も童、心細いのである。
若君はうつろな顔で聞いている。心は童に向いてはいない。
何がわが身をこうさせたのだろう。何千何万もの人を巻き込み、大戦(おおいくさ)まで引き起こしたのだ、との自責の念に苛まれる。
桂寿は、慰め励まし、身を献じてくれる。つらいのだ。かえってそれが痛い。
どうしてあの人を好きになったのか。桂寿の媒(なかだち)さえも恨めしく思われる。あの人に縋って、私は救われるのだろうか。私の選ぶべき道は・・・
心の内に深く思いを定めると、かえって桂寿の申し出は助かる。桂寿が律師のもとに旅立てば、もう引き留める者はいない。
「桂寿よ、律師の許に行くのであれば、私も文を託しましょう。」
桂寿は、心の紐を固く締め、足取り強く山へ行く。
梅若は、心の淵に思いを沈め、とわの別れと遥かに見送る。
桂海こそ古今無双の剛の者と讃えられる。
噂は膨らむ。単身敵陣に乗り込んで、取った首級は三千三万とも喧伝される。座主を始め、高位の僧たちも、事あるごとに桂海を召し、また、自ら書院を訪れる。
しかし、周囲が、世間が称賛すればするほど桂海の心は沈潜する。
私は、菩提の道を求め、衆生を済度するために仏の道に入ったのではなかったか。観世音菩薩に祈り、遁世修行を願っていたのではなかったか。それが今、人々には、名利を求め、武勇に驕ったものとしか見られない。賛意を込めているにせよ。
いずれは一山の主にと、本人自身を蚊帳の外にして、あれこれ口のさがない取沙汰。
私は何をしているのだ。これからどうしようというのだ。
あの稚児一人さえ救ってやれなかった。
成り行きだとか定めだとかいうのではない。
私に仏の力が宿っていなかったのだ。妄執邪念が虚飾の袈裟をまとっているのがこの私だ。
自責の言葉が次から次へと胸裏に浮かぶ。慚愧噬斉(ぜいせい)堪え難い。
と、聞き覚えのある声がする。
「律師殿、桂寿でございます。梅若様からお手紙を預かってまいりました。」
上気した桂寿の顔をそれと認めるが、口が音を発せない。両の目から涙が溢れる。童も袖を抑えて涙をぬぐう。
二人は違う涙を流している。
桂寿は、この間に起こった数奇を桂海に語りたくて仕方がない。桂寿が語り出すのを手で制し、まずは文を読んでからと、押し開く。
我が身さて沈みも果てば深き瀬の底まで照らせ山の端の月
(私の身体がこのまま沈んでしまったならば、深い流れの底まで照らしておくれ。山
の端の月よ。そして、私が死んだら、深い逢瀬を交わしたお山にいる月のようなあ
なたよ、私のことを見守ってください。)
(注)石山寺と三井寺=石山寺は真言宗、三井寺は天台宗寺門派。しかし例えば、紫式
部は石山寺で「源氏物語」を執筆したというが、式部の父藤原為時が式部没二
年後に三井寺で出家するなど三井寺との関係も深い。敵対する勢力関係ではな
かったのではなかろうか。
慚愧噬斉=慚愧は恥じ入ること。噬斉はほぞをかむ(後悔する)こと。
第二十章
桂海は驚愕し、桂寿に手紙を見せる。
「これをご覧。何とも気がかりな歌。話はあとだ。子細は道すがら聞こう。まずは急ぎ石山へ。」
と駆け出す。童も続けて駆け下りる。
今の桂海、忍んで動くことはできない。あのいくさ以来、何かあれば桂海に忠誠を尽くそうと、山徒・大衆はつき従っているのである。血相を変えて走るのを見て、多くの同宿・仲間が後を追う。
石山へ向かうと知った下法師は、東坂本に先回りし、輿を用意する。童の輿を先に立て、二丁の輿は飛ぶがごとく進む。
大津を過ぎて行く折に、何人かの旅人とすれ違う。
すると、「あの稚児が・・・」との声が耳に入る。
桂海は輿を止めさせ、舞い降りる。
「旅人の方、今なんとお話し申しておられた、」
その剣幕に気おされながらも、
「いや、哀れな稚児をお見かけしたのでございます。どんな恨みがあったのでございますか、父母・師匠は、どれほど嘆いていただろうと噂していたのでございます。」
というので、さらに詳くき聞きただす。
旅人は、立ち止まって詳しく説明する。
「いや、先ほどだが瀬田の唐橋を渡ってまいりました折、年の頃十六七に見えます稚児が、水干を着ずに小袖に水干袴だけを召しておりましたが、西に向かって念仏を十遍ほど唱えて、身を投げなさったのでございます。何とも悲しげで思いつめたる様。我らもすぐ水に入って助け上げようとしたのですが、そのまま姿が見えなくなりました。力及ばず、救えなかったのでございます。」
(注)小袖=下着。
第二十一章
旅人の語る年の程、衣装の様は疑いもなく梅若。
律師も童も全身から力が抜ける。その場に倒れ伏してしまいそうになる。
いや違う。ここはとにかく瀬田の唐橋へ。輿を舁く中間・下法師は言わずとも心得、前にも増して疾駆する。
唐橋に着く。と、端の柱の擬宝珠に、金襴の細緒の護符が碧瑠璃の小念珠を添えて掛けられている。
このお守りは、若君が肌身離さず持っていた・・・
桂海も桂寿も、咄嗟に川に飛び込もうとする。同宿は顔を青ざめ桂海に縋り付く。桂寿にも取り付く。なおも振り切り飛び込もうと暴れるが、十人二十人と群がり、必死に止める。
急流なのである。いかに水練の達人だとて、この流れにはかなわない。
小半時ほどして、ようやく桂海も心鎮める。
桂寿はしゃくりあげて泣き続けている。
この淵に沈んでは、命あるべきは望まれない。しかし、せめて、亡骸を探し出し、供養して、後追うよすがにしようと思って、漁師が乗り捨てた、小舟に乗って波の底を見る。同宿・仲間はもろ肌脱いで、下流に向けて岩の間、岸の影まで、残るくまなく捜したが、その影さえも全く見えない。
律師・童は声の限り、若君を呼ぶ。その絶叫が浦々にこだまする。
大衆も大音声で尋ねるが、さらに返す音もない。天に地に若君を探す言葉がこだまする。
何刻過ぎたであろうか、供御の浅瀬まで探し下って流れが止まった淀みの岩陰に、紅葉が浮き溜まっているかのように朱色が揺らめく。あの紅は、若君の小袖?船を近寄せてみると、岩越す波に揺られながら、漂っているのは正しく梅若。
長い髪は波間に揺られ川藻に絡まり、生前の顔そのままに笑みをたたえて浮いている。
桂海は自ら梅若を引き上げる。顔をおのれの膝に抱きかかえ号泣する。人目を憚ることなく泣き続ける。桂寿は冷たくなった両足を温めるようにそっと自分の胸に抱き入れ、さめざめと泣いている。
「このようなお姿になって・・・我らをどうしようと思って、かようなことに及んだのだ。梵天よ、帝釈よ、天神よ、地祇よ、我らの命を召しとるなら、どうぞ召しとってください。その代わり、もう一度、一度でいいから、目を開けて、生きている姿を見させてください。」
虚空に向かって咆哮する。
枝から落ちた花は、二度は咲かない。
西に傾いた残月は再び中空に還ることはない。
ぐっしょり濡れて色鮮やかになった紅梅の小袖からは雫がぽとぽと滴り落ち、はだけた襟から見える雪のような肌の胸は、冷え切っている。黛が濡れ崩れて、髻(もとどり)の解けた翠の髪がこぼれかかっている。類なく美しいかんばせは、生前と変わらない。しかし、一たび微笑めば、百の媚を振りまく瞳はふさがり、顔色も白く変わり果てている。
律師も童も、枕元足元にひれ伏して、死に絶えんばかりに泣き沈み、同宿・仲間・下法師に至るまで、苔の上に伏しまろび、泣き声のやむ時はない。
桂海は、そっと梅若の下紐を解く。優しく袴と小袖を脱がす。純白な裸体が露わになる。体全体が冷気にまとわられて、寂光を放つようである。
桂海は、自らも墨染めの衣を解き、一糸まとわぬ体となる。
両の腕で梅若の肢体を抱き起すと逞しい己の胸に胸の内に強く抱擁する。膚(はだえ)と膚をぴったり合わせ、自分の血潮の熱さを梅若に伝えようとする。
甲斐なきこととは知りながら、もしやあの笑顔が取り戻せるものならと、梅若を温め続ける。
桂寿は二人の上から法衣をそっとかける。
桂海が梅若を抱いたまま、人々は粛然と通夜を営む。
夜が明ける。京でなければ鳥辺山も化野もない。近くのしかるべき山を探して、梅若を荼毘に付す。
梅若は、一片の煙になって空に昇っていく。
煙を見届けると、同宿・仲間たちは、てんでに山へと帰っていく。律師だけが残る。童も立ち去らない。一堆の灰を前に三日の間泣き暮らす。
このまま後を追おうか、とも思う。
——底まで照らせ山の端の月——
今わの際に贈られた梅若の歌を思い出す。
川底に沈んだ私を照らし続けてほしい・・・
梅若は、私に生き続けてほしいと願ったのだ。
生きて照らし続けてほしいと望んだのだ。
照らす?梅若の跡を?それだけではあるまい。月は暗き夜にあって、あまねく此岸を照らしているのだ。衆生の上に優しい光をそそいでいるのだ。
観音に詣でて誓ったのは、この本願ではなかったのか・・・
「桂寿よ、私は比叡の山には戻らぬことにした。若君の後の世を弔って、さらに色濃い墨染めに、衣を変えて、山野を斗藪(とそう)しようと思う。おぬしはどうする。」
一緒に行きたい。連れて行ってほしい、とは思う。しかし、それは桂海の望む答えではない。わかっちゃいないのだ。
「律師がそう望むなら、私は私で自分の道を進みます。私も、いつまでも童でいられる訳ではございません。しかるべきつてを頼って、梅若様の菩提を弔いたいと思います。」
桂海は、梅若の遺骨を首にかけ、山野を駆け巡り、野宿・断食・水行と、あらん限りの荒行を試みる。
後に、西山の岩倉に庵を結んで、梅若の後世の菩提を弔う。
桂寿は高野山につてを頼って剃髪し、山中深くに籠って、仏道修行に打ち込んで、再び人里に現れることはなかったという。
(注)供御の浅瀬=実際は瀬田の唐橋の上流にある。緩やかな流れ。
斗藪=行脚・野宿などをして仏道修行に励むこと。
第二十二章
その後、園城寺の三摩耶戒壇建立の張本人の三十名は、焼き尽くされた三井寺に舞い戻る。しかし、この世の無常を嘆くよりほかすべがない。もはやここは我らが住むべき場所ではないのだ。長等(ながら)山を後にして離れ離れに仏の道を進むしかない。
しかしその前に今一度、今宵内証甚深の法施を奉って、発心修行の旅に出る暇乞いを申そうと思って、皆、新羅大明神の前で夜通し、今日を限りと法味を捧げる。
夜は更け、読経する僧たちも、夢か現か判然としない境地になる。
と、東の虚空から、馬を馳せ、車を轟かす音がする。夥しい数の大人・高客が来る様子である。
不思議なこと、誰であろうとそのきらびやかさに我を忘れて見入ると、或は法務の大僧正かと見える高僧が、四方輿に乗って扈従の大衆が前後を囲繞し、或は衣冠正しい俗体の客が、甲冑を帯びた隋兵を召し連れ、或は玉の簪を挿した夫人が、軽軒に乗って侍女数十人を左右に相従えている。
その後に立つ退紅の仕丁にある者が尋ねる。
「これはどのような方がいらしたのですか。」
仕丁の一人が答える。
「これこそ、東坂本に鎮座まします日吉の山王のご来臨でござる。」
向かう先を見ると、いつの間にか帳が張ってある。これらの高客は皆、車や輿を下りて、帳の中へ入っていく。
新羅大明神が玉の冠を被り、威儀を繕って金の幕の内から出てきて客たちと差し向う。
賓客と主人と座に着くと、まずは献杯の礼がある。続いて舞曲の宴。新羅大明神は実にうれしそうに笑って、遊宴を楽しんでいる。
やがて夜が明け、山王は帰っていく。大明神は寺門の外まで見送ると、その場にしばらく立っている。
(注)長等山=三井寺の裏手にある山。三井寺は正式には長等山園城寺という。
内証甚深の法施=深く悟るように経を読み法文を唱えること。
軽軒=軽快な上等の車。
退紅の仕丁=薄紅色の狩衣を着た下僕。
法味=講経・読経などの儀式・法要。
第二十三章
やがて大明神は、石段を上ぼり、社壇に入ろうとする。その時、通夜の大衆の一人、某の僧都が明神の前にひざまずく。涙を流しながら訴える。
「大明神、我々が三摩耶戒壇を建立したのは、勅許を求め、大方認められたいたからでごさいます。それをただ一寺、叡山が反対したのでございます。ただ私利私欲のため。そもそも、戒壇を立てるのは、山も寺も同じく、ただ天台法華を世に広め、仏道興隆を目指すもので、賛同こそすれ、非難されるべきものではありません。公も他宗も異を唱える者はいないでしょう。
それなのに、山門は、戒壇にはあれやこれやと魔障をなして、あまつさえ此度は当寺を焼き尽くしたのでございます。
この山門の非道には、明神仏陀もさぞ心を悩ましておられると思っていましたのに、当寺と敵対する山門の守護神、日吉山王に対して宴を設け、興を尽くして遊び戯れなさるとは、いかなる神慮でございましょう。我々には、はかりがたいことでございます。」
大明神は、えたり顔で大衆すべてを呼び集める。
「衆徒たちよ、皆の申すことは一見理にかなっているようで、物事の一隅しか見ていない管見であるよ。
そもそも、明神仏陀が利生方便を教え示す時、非を是として福を与えるのは、まことの思いやりとは言えないのじゃ。たとえ是であっても、それを非として罰を与えるのも、実は慈悲の心がなせるものなのじゃ。それが方便なのだよ。
なぜおぬしらに罰を与えたのか。
果をもたらす縁には、順縁と逆縁の二縁がある。我らはおぬしたちに、逆縁をもって無上菩提の果に赴かせようとしたのじゃ。私が悦んでいるところがわからないようじゃのう。
仏閣僧房が焼けた。おぬしらが造営勧進に一意に努めれば、衆生には財施の利益をもたらすことになるであろう。
経論聖教が燃えた。おぬしらが経典を専心して書写すれば、自らに伝写の結縁を与えるのだ。
おのれら次第で、非は是となり、逆は順となる。
有為のこの世に現れた報仏は、どうして生滅の真理を表さないことがあろう。
わしに願をかけた桂海が、この乱によって発心したのも逆縁。多くの衆生を化導する機縁になろうと思うて歓喜の心を表したのじゃ。山王もこれを喜んでわざわざおいでになった。その宴である。
そもそもは石山の観音。童男に変化して報仏として現れての桂海の得度。まことにめでたい大慈大悲であることよ。」
と言って大明神が帳の内へ入ったと思われたところで、通夜の大衆三十人は一斉に夢より覚める。
口々に語る夢の情景は、寸分もたがわず一致する。
(注)結縁=未来に成仏する機会を作ること。
有為=はかないこと。
報仏=報身仏、修行によって仏となった者。阿弥陀仏など。
生滅の真理=原文「生滅の相」。
わしに願をかけた=第八章、新羅大明神への願掛けと言って梅若の書院に行っ
た。
得度=悟りを開くこと。
第二十四章
夢の内容を語り合った大衆の面々は思う。
「それでは、川に身を擲ったあの若君は、石山の観音様の変化であったか。我が寺門が焼失したのも、仏法を興隆し、衆生を救済する方便であったのか。」
三十人の衆徒は信心を肝に銘じて、たとえいかなる艱難が待ち受けようとも再び寺を興すことを誓い合う。
かの桂海は、今は瞻西と名を変えて、岩倉に庵を結んで、専心仏道に打ち込んでいるという。我々も彼を訪ねて、発心を同じくし、仏道修行を共にしようと考える。
京師を離れ山里深く、半ば雲のかかる茅屋は三間ほどの狭さで、上人は秋の霜にうたれて枯れた蓮の葉のような薄い衣をまとっているだけである。しかし、朝風に落ちる木の実は余りあるほどで、食は乏しくはないと見える。ひっそりとした僧房に松吹く風、谷川の声が聞こえ、浮世の夢も覚めるがごとく、人が訪ねるとさめざめと涙を催させるような風情である。
瞻西は書院に端座して大衆を迎える。質素というより粗末な部屋である。壁には和歌が一首掲げられている。
昔見し月の光をしるべにて今夜(こよひ)や君が西へ行くらん
(昔見た月の光を道しるべとして今宵あなたは西へ行くのでしょうか。昔契りを交わ
した月《=桂海》を導きとして梅若は、阿弥陀仏のいる西方浄土へ行くのだろう
か。)
瞻西は、
「私は私で念仏三昧、修行に打ち込みます。あなた方はあなた方で三井寺再興のためお力をお尽くしください。」
と丁重に断る。
どこから伝え聞かれたのか、後鳥羽院がこの歌をお聞きになり、感激なさって、『新古今和歌集』の釈教の部にお撰びなさったという。
『論語』里仁辺篇に、「徳不孤必有隣」(徳孤ならず必ず隣あり)とある。
瞻西上人は人を避け修行に邁進していたが、志を同じくする出家の客はこなた彼方から集い来る。説教は弁舌鮮やか、念仏は力強く、聴く者の心をとらえて離さない。
人に慕われているのだ。
瞻西はかつての桂海ではない。
慕って集まるのであれば、あえてそれから遁れることはない、私の方から近づこう。このような私でも、広く衆生を利益できるのであれば、それが務め。
上人は、東山に雲居寺を再建する。建立の儀式では、二十五菩薩の伎楽歌を詠ずる。その朗々たる声で往生を願う人を迎え入れる姿には、見る者で信心を起こさない人はいない。遠近、踵をついで来集し、貴賤、掌を合わせ敬礼する。
仏性は縁から生ず、とは、このようなことをいうのでしょうか・・・
おや、話をしていて涙が知らないうちに流れてきました。皆さんもしんみり聞いてくださったようですの。間もなく夜も明けるようでございます。秋の夜の長物語もここまでといたしましょうか。 (了)
(注)二十五菩薩=念仏を唱えて往生を願う者を守護する二十五の菩薩。
*本文は『日本古典文学大系 御伽草子』(岩波書店)を参考にしましたが、アレンジが多く、現代語訳とは言えません。オマージュだと思ってください。原文と読み比べてください。なお、『秋夜長物語 永井龍男訳』が『御伽草子』(ちくま文庫)に所収されています。