第三章
叡山から石山への道すがら三井寺を通る。
折しも春の雨。小止みなくしとしと降る雨には蓑傘も効かない。法衣も顔もぐっしょり濡れてしまう。
桂海律師せん方なく、しばしの雨宿りとて金堂の軒をを借りようと、聖護院の傍らを通る。塀越しに老桜が覗える。雲が湧き出るがごとく垣から溢れてその色を見せている。
「遥かに人家を見て花あれば則ち入る」
白氏文集のそんな一句が思い浮かび、門のたもとに立ち止まる。
稚児がいた。
年は十五六、水魚紗の水干に薄紅の衵を重ね着て、細(ほそ)やかな腰回り、裾長く雅やかに袴を着こなしている。誰かに見られているとは気づかず、御簾の内から庭に立ち出でて、雪が重たげに積もっているような下枝の花を一房折り取って、
降る雨に濡るとも折らん山桜雲のかへしの風もこそ吹け
(たとえ濡れても山桜の枝を折ろう。雨雲を吹き返す強風が花を散らすといけない
から。)
と口ずさんで花から落ちる雫に濡れている様子は、これも花かと疑われる美しさで、風に誘われ散り消えるのではないかと胸が高鳴るばかりである。雲よ霞よ大いなる袖でこの稚児を覆って守り給えと心乱れる。
門の扉が風にキリキリと鳴る。
稚児は誰ぞいるかと不審げに門の方を見やって、花房を手にかかりの木を巡って歩む。海松房のようにゆったりと広がった黒髪のすそが柳の糸にまとわりつかれて引かれるのを見返す。そのぼんやりしたまなざし、かんばせの言いようもない美しさ。
これぞあてどなく心を迷わせた夢の中の稚児の姿。私を悩まし続けたあの夜の夢が、今、現(うつつ)にある。あるはあるのだが、では如何せん。なんの分別も思い湧かない。桂海は日暮れてもなお立ち去ることができず、その夜は金堂の縁に伏して、夜もすがらぼんやり物思いにふける。
是や夢ありしや現わきかねていづれにいづれにまよふ迷ふ心なるらん
(これが夢なのか。それとも前に見た夢が現実なのか。いずれがいずれかわかりか
ねて、私の心はどちらを迷っているのだろう。)
(注)三井寺=正式には園城寺。寺門派の総本山として、比叡山の山門派と対立した。
聖護院=不明。子院の一つか。京都の聖護院はかつては寺門派の門跡。
白氏文集=白居易の詩文集。好んで朗詠された。句意は「貴賤も親疎も関係な
い。遠い人家でも花が咲いているのが見えれば訪ね行くのだ。」
水魚紗=水や魚の刺繍が施されたうすぎぬ。
かかり=蹴鞠の競技場(コート)。四隅に桜・柳・松・楓を植える。
海松房=海松(みる=海藻の一種)の枝が房のように広がっているもの。