その3
その時の上人の心中はなんともやりきれない。鳥は死ぬ時はその声はや柔らかになるといい、人は別離の時はその言葉は哀切であるという。そうでなくても遺言の言葉だと思えば悲しいのに、このように来し方行く末の事を心を込めて何度も何度も言うので、その悲痛は胸に迫るものであった。
愛別離苦の悲しみはどの人にもあるものだが、この上人の悲嘆は比類ないものであった。春の朝に花を見る人は散り別れるのを悲しみ、秋の暮に月を詠ずる客は陰る空を恨むごとく、美しいものを愛おしむのは世の常である。凡そ三年三月の間の長谷寺参詣の霊験と思われ最愛この上ない美しい稚児を得た。それが正に三年三月の間馴れ親しんだと思うと、突然の別れを迎えたのだ。そのお嘆きは至極道理であろう。月にも似た麗しい面影は、どこの雲に隠されたのか、花の如く可憐な粧いは、どんな風に散り去っていったのか。老少不定の涙が濡らす衣はいつになったら乾くであろうか。師弟別離のつらい思いはいずれの日にか止むのであろうか。傷ましいことよ、老いを負った者がこの世に留まり、いとけない者があの世へと去る。青い露草の花は散り紅い楓の葉が何事もないように残っているようなものである。僧正遍照の「すゑの露もとのしづくやよの中のをくれさくだつためしなるらん」の歌の心に通じている。
そのままにしておくわけにはいかないので、上人は泣く泣く稚児を棺に入れた。遺言のとおりに持仏堂に安置して仏事は怠りなく執り行われた。遠く近くの衆徒が集まって法華経一部十巻二十八品六万九千三百八十四文字をこの一日のうちに書写して納経して供養し、この稚児の菩提に手向けた。供養の説法が終わると、この上人は悲しみの思いがあまって棺の蓋を開けて稚児の姿をご覧になろうとする。すると室内には栴檀沈香の清らかな薫香立ち込めて、棺の中からはかつて蘭麝の艶めかしい香気を焚きしめた稚児が、その粧いを改めて、金色の十一面観音へと変じて現れたのである。
青い蓮花の御眼は鮮やかで、丹い果実の唇は厳かな笑みを含み、迦陵頻伽のような美しい声を出して、上人に告げた。
「我は現世の者ではない。普陀落世界の主、大聖観自在尊という、これが我が本身である。仮に縁ある衆生を済度しようと初瀬山の尾上の麓に住んでいたのだ。汝が多年の参詣を懇切に思い、我が三十三応身の中でも童男の姿に化身して、二世の契りを結ばせたのである。
そなたをこれから七年後、中秋八月十五日には必ず汝を迎えに来よう。極楽の九品(くほん)の蓮台での再会を期せよ。」
と言って、自ら黄金の光を放って電光のように虚空に上がり、紫の雲の中に隠れなさったのである。
今に伝わる、興福寺の菩提院の稚児観音がこれである。この観音に契ろうと願って参詣し功徳を積む人は、観音様はそれがためにご利益を与えて、まさに童子の身となって顕現なさるのである。そのようなわけで近里・遠山の多くの衆徒が集って法華大乗(法華経)を書写したならば、観世音はその内証の功徳を顕して、忽ちに生身の体として姿を現し衆生を済度するのである。三世の諸仏がこの世に現れる真の目的と言うのは、今この大聖観自在尊が行ったこの内証のご功徳なのである。
原文
その時、上人の心中せむかたなし。*鳥は死すとてはその声や柔らかに、人は別るるとてはその詞(ことば)哀れなり。さらぬだに詞だにも遺言と思へば悲しきに、来し方行く末の事かきくどき申されけるに、いとど哀れも切なり。
愛別離苦の悲しみは人毎(ひとごと)なれどもこの嘆きは例(ためし)少なき事どもなり。春の朝に花を見る人散り別るるを悲しみ、秋の暮に月を詠ずる客陰る空を恨む。凡そ*三年三月の間の長谷寺の参詣の験(しるし)と覚えて*最愛たぐひなし。三年三月のほど相馴れて、俄かに別れて嘆きしも理なり。月に似たりし面影、何(ど)の雲にか隠し、花の如くなりし粧ひ、いかなる風にか誘はれけむ。*老少不定の涙の衫(さん)と何(いづれ)の時にか乾かむ。師弟別離の思ひ何の日か休まむ。哀れなるかなや、老いを負ひたるは留まり、幼(いとけな)きなるは去る。*青花の散り紅葉のつれなきにたぐふ。*本の雫末の露に相似たり。
泣く泣く、さてあるべきにあらねば入棺す。遺言まかせて持仏堂に置きて仏事怠りなし。近里遠山の大衆集ひて、今この*法華経を一日の中に書き奉り、供養してかの菩提に廻向す。供養の*説法果てしかば、かの上人*思ひのあまり棺の蓋を開きて見給へば、*栴檀沈香の異香あまねく室内に薫ず。昔の*蘭麝の粧ひを改めて、金色の十一面観音と現ず。
*青蓮の御眼鮮やかに、*丹果の唇厳(いつく)しくして咲(えみ)を含み、*迦陵の声を出だして、上人に告げて曰く、
「我これ*人間の者にはあらず。普陀落世界の主、大聖観自在尊と言ふ、我が身これなり。暫く*有縁の衆生を度せむがために*初瀬山の尾上の麓に*住み給へり。汝が多年の参詣懇切に思へば、我が*三十三応の中には童男の形を現じて、*契りを二世に結ばしむ。
今七年といはむ、秋八月十五日には必ず汝が迎へに来るべし。再会を極楽の*九品(くほん)の蓮台に期すべし。」
とて、光を放ちて電光のごとく虚空に上がり紫雲の中に隠れ給ひき。
今、奈良の*菩提院の児観音これなり。この観音に*契りをかけて参詣し、功を積む人、ために利益して、正しく童子の身を現じ給ふ。しかるに近里・遠山の大衆集ひて法華大乗を書写せしかば、*内証の功徳をあらはし、忽ちに生身の体を現じおはす。三世の諸仏の*出世の本懐とし給ふは、今この大聖観自在尊の内証のご功徳なり。
(注)鳥は・・・=「鳥之将死 其鳴也哀 人之将死 其言也善(鳥の将に死なんとす
るやその鳴くこと哀し 人の将に死なんとするやその言うこと善し)」(論語
泰伯篇)によるのだろうが、原典の意味は踏まえていない。
三年三月=八月十八日に出会って三年後の春の暮(三月)だから三年六か月にな
る計算だが。
最愛=①たいそう愛する事。②男女または夫婦が互いに親しみ睦む事。②のニュ
アンスか。
老少不定=人間の寿命はわからないもので、老人が早く死に若者が遅く死ぬとは
限らない事。
衫=衣。単衣の衣。
青花=ツユクサ。若々しいツユクサが散るのに老いた紅葉が知らん顔して残って
いる、の意。
本の雫末の露=人の寿命は長短はあっても死ぬことに変わりはないこと。「すゑ
の露もとのしづくやよの中のをくれさくだつためしなるらん」(古今和歌六
帖)
法華経=仏教の主要経典の一つ。特に天台宗・日蓮宗では尊重される。一部十巻
二十八品六万九千三百八十四文字。一日で書写し終えるには何人必要だろう
か。
説法=仏の教えを説くことだが、儀式化された法要であろう。
思ひのあまり=三十五日経ってから蓋を開けよという遺言を破ったことになる。
栴檀沈香=「栴檀」は白檀とも。香木。釈迦入滅の時栴檀を焚いて荼毘に付した
という。「沈香」も香木。
蘭麝=蘭の花と麝香の香り。よい匂い。美しい女性が袖や衣にたきしめる芳香の
描写に用いられる。蘭麝の香りの美少年から栴檀沈香の香りの観音へと変じた
のである。
青蓮の御眼・丹果の唇・迦陵の声=仏の目・口・声の形容。
人間=「じんかん」と読む。人の住む世界。現世。世間。
有縁=仏や菩薩などに会いその教えを聞く機縁のあること。
初瀬山=長谷寺のある初瀬にある山。尾臥山もその一つか。
住み給へり=自敬表現。
三十三応=観音が衆生救済のために三十三の身に変ずる事。童男はその一つ。
契りを二世=夫婦の契りを交わすこと。上人と少人の関係を二世の契りと表現し
ているのである。純粋な師弟関係でない所が室町稚児物語に通ずる。(稚児観
音縁起は鎌倉末成立と考えられている。)
九品の蓮台=極楽浄土にある蓮の台(うてな)。
紫雲=紫色のめでたい雲。仏がこれに乗って現れたり死者を迎えに来たりすると
いう。
菩提院=興福寺の子院。菩提院大御堂。本尊は重要文化財の阿弥陀如来坐像、脇
侍として稚児観音立像も安置されているという。
内証の功徳=外用の功徳(相好・光明などの外見に現れる功徳)に対して、四
智・三身などの内面に潜む功徳。
出世の本懐=仏がこの世に現れた本意。真の目的。観音が衆生に信心によってこ
の世に姿を現し救済するという功徳は、全ての仏が願っている本当の目的であ
るというのだろう。