religionsloveの日記

室町物語です。

嵯峨物語⑩ーリリジョンズラブ5ー

本文 その8

 松寿君が都へ帰りなさると、母君は待ち受けなさっていて、

 「それにしても長いこと会っていなかったので、どのようになっているのかと思いも募っていましたが、こんなにもすばらしく成長しなさって。自ら志した学問の道なので場所は選ばないとは言っても、山里は侘しいことこの上ないと聞きますので、心慰められることもなかったでしょう。子を思う親の心ほどやるせないものですよ。それにしても立派になられました。 聞くところでは学問もたいそう上達なさったとのこと、父中納言殿もどれほどかうれしく思われていることでしょう。これで父君のご病気が快方に向かえば、決して悲しいことにはならないでしょう(喜ばしいことこの上ありません)。」

 と言って袖の涙を絞るのです。松寿は父君の枕元に寄り添います。

 「父上、どうしてこのようにお弱りになったのですか。松寿もここにおりますよ。」

 と声をかけますと、中納言殿は、少し首をもたげて、一言、

 「わしの亡き後は帝にしっかりお仕えするのだぞ。」

 と言ったなりでした。

 禰宜や法師が、祈祷やほぎまじない(祝ぎ呪い)を試みましたが、無常の世の中、生者必滅のはかない有待(うだい)の身であり、、ついにははかなく、お亡くなりになりました。

 悲しみに暮れてばかりはいられませんので、鳥辺山の夕べの煙と、火葬いたしました。親しい身内の嘆きは言うまでもありませんが、上は帝をはじめとして、下は賤しい仕丁(よほろ)までも、この人のために悲しんだのです。昔、唐の魏徴が薨去した時、皇帝太宗は、「この一臣を失うことは、鏡を失うようなものだ。」と嘆き、心暖かく「温公」と慕われた宋の司馬光の喪には、百姓が自分の衣服を売ってさえ香奠を供えた、という故事もこのようなものかと思い浮かべられるのでした。

 やがて死後の弔いも済ませて、松寿君は父の遺言通り、内裏へ出仕することとなりました。

 

原文

  松寿都へ帰り給ひければ、母君待ち取り給ひて、

 「さてもや久しく見もし見えねば、いかにいかにと思ふのみかは。生ひ立ちもいかばかりにかならせつらめ。自ら好ける道には所をしも言はねど、山里はものの侘しき事のありと聞けば、さこそはつれなく、慰む方なう侍らせ給ふらめと、人の親の子を思ふばかりやるかたもなかりしに、いとうつくしく生ふし立つる。学びもまた卑しからぬなど言へば、*いかにうれしく覚え給へるぞや。猶、父中納言殿の御いたはりのみよくならせ給はんには、よにまた悲しき事やはあらん。」

 とて御袖を絞り給ひける。

 松寿、父の御枕に寄りて、「なでうかう弱らせ給ひけるぞや。松寿もこれにありけるものを。」とのたまひければ、少し*御髪(みぐし)をもたげさせ給ひて、「我が身なからむ後、君によく仕へてよ。」となんのたまひて、その後は御言葉もなかりけり。

 宮寺の御祈り・*ほきましなひしかども、無常の世の中、*有待(うだい)の身の上なれば終にはかなくならせ給ふ。

 さてもやはあるべき事ならねば、*鳥部野の夕べの煙となし奉る。親しきうちのお嘆きはさらなり。上は君をはじめたてまつり、下は賤しき*丁(よほろ)までも、この人のためにぞ悲しみ侍りける。

 昔、唐の*魏徴が薨ぜし一臣、鏡を失ふことを嘆き、宋の*温公の喪に、百姓(はくせい)衣を鬻(ひさ)いで祀るためしもかくやと思ひなん出でられける。

(注)いかにうれしく=尊敬語が使われているのでうれしく思うのは、父中納言であろ

    う。

   御髪=頭。首。

   ほきましなひ=「祝(ほ)ぎ呪(まじな)ひ」か。辞書にはない言葉。

   有待の身=生滅無常の世に生きるはかない身。

   鳥部野=鳥辺山。化野と並ぶ京都の火葬場。

   丁=国家のために徴発されて使役された人民。

   魏徴=初唐の政治家。諫臣として知られ、その死に際して皇帝太宗は「この一臣

    を失うことは鏡を失うようなものだ。」と嘆いたという。

   温公=北宋の政治家、司馬光。没後「温国公」に封ぜられた。死に際しては、

    「宋史」(維基文庫)によると、人々は「鬻衣以致奠」(自分の着物を売って

    まで供物を供えた。)とある。温和な性格で百姓から慕われたという。

嵯峨物語⑨ーリリジョンズラブ5ー

本文 その7

 「父中納言殿は御具合がよくなく、患っていましたが、ただの風邪だろうかと気にも留めずに過ごしていましたが、急に病状が悪化したようでございます。御使いではなく、あなたご自身が急いで都へおいでなさい。その際には僧都もお誘いなさい。御祈祷をしていただきたいのです。」

 使者はこのように母上の言葉を伝えます。松寿は、「これはなんということだ。」と驚いて、僧都に子細を告げると、すぐさま僧都と連れ立って都へ向かおうとします。出がけに松寿君は律師を近くに呼びなさって、

 「『一条郎殿がこれほど私に深く想いをかけてくださったのに、すげなくやり過ごしたことは、我ながら今となっては返す返す申し訳ないことだと思っています。一条殿はどれほど不快な思いをなさったかと恥じ入るばかりです。それなのに未だ私を 見下しなさらず、昨日からこの里を訪れなさったと聞いて、うれしく思い、お会いして心ゆくまま親しくお言葉を交わして、今までの失礼を言い訳したいなどとも思っていましたが、父君の危篤と言う思いがけないことが起きてしまったので、致し方ないこととなってしまいました。こうなっては今はもう私の事など思い捨ててしまってください。その方がありがたいです。』一条殿にはこのようによくよく申してくださいませ。長年暮らしたこの院を出立するのも名残りが多く、再びここに戻ってくるのもいつの事かと思うと涙が・・・」

 などとおっしゃって、涙の袖を絞りなさいます。律師も、「まことに。」とだけ言葉をかける他なくて、松寿君の行くのを見送るのでした。

 雲樹院に戻り、一条郎に伝えますと、「はかなく消えた契りをあれこれ言ってもどうにもならない。」とただただ泣くばかりでした。

原文

 「父中納言殿、御心地例ならずなやませしかども、そぞろ風にもやとうち過ぎぬるに、俄かにしもいとあやしく見えさせ給ひける。御自ら急ぎ都へ。僧都も誘(いざな)ひ給へ。御祈りのために。」など聞こゆ。

 松寿、さていかにと驚き給ひて、僧都にしかじかと告ぐ。やがて僧都連れ立ち出で給ふ。松寿、律師を近づけ給ひて、

 「かばかり人の思ひ深かりけるに、つれなく見過ぐしける事、今は我ながら物憂く思ひ返し侍るぞや。いかにいぶせく思しつらんほども思はれて、いと*面なからずしもあらず。しかるに猶、それとも*思ひ下げ給はず、昨日より訪ひ来し給ふなど聞けば、うれしく見奉りて、細やかに物語などして、心のゆかんほどはありし事ども言ひ分かんなど思ひつるに、かう図られぬ事のあれば、力なくうちやみぬ。今よりはただ 人の思ひ捨て給はんをこそ、猶ありがたく思ひ侍るべけれ。これらよく申させ給へなん。*たちの名残りも多く、かへさもまたいつのほどにかあらんずらんと思ふに、涙の。」

 などのたまひて、御袖を絞り給ひければ、律師も、「げにや。」とばかり言ひやりたる方なくて、立ち別(あか)れぬ。

 一条郎にかくと知らせければ、とにかうにはかなき契りの程言はんもとて泣くばかりなり。

 

(注)面なからずしもあらず=面目なくないことはない。面目ない。

   思ひ下げ=見下す。軽蔑する。

   たち=「立ち」あるいは「館」か。あるいは「直路(ただじ)」か。「夢の直 

    路」は夢で恋しい人のもとへまっすぐ進むこと。

嵯峨物語⑧ーリリジョンズラブ5ー

本文 その6

  夜が明けて、せめて遠目にだけでもと、一条郎は松寿君のいる院に行って物陰から窺いますと、折悪しく不在のようだったので、立て切ってあった障子の端の方に詩歌を書き付けました。

  標格清新早玉成(標格清新早く玉成す)

  問斯風雨豈無情(問ふ斯の風雨豈に情無からん)

  怨魂一夜同床夢(怨魂一夜同床の夢)

  落月疎鐘却易驚(落月疎鐘却つて驚き易し)

  「標格は清新で若くして立派な玉となったあなた、昨夜来の風雨に情を催さないの

  か。私は恨めしく思いながら一夜同床の夢を見ても熟睡はできず、月が西に落ちる

  明け方に鐘が間遠に鳴るのにはっと目が覚めるのです」

  それと言はば百夜が千夜も通はめど絶えて音せぬ人いかにせん

  「はいと言ってくれたなら百夜でも千夜でも通いましょうが全く返事を下さらない

  人をどうしたらいいのでしょうか」

 それ以来、余りに愚かしい我が身を情けなく思い、「後世に障りがあるわけでもない世捨て人の自分が、今更恋の虜になったことだなあ。」と思うと、涙も枯れ果てて、露を払うように涙を払った寝覚めも、今となってはかえって昔の事になったのです。

 律師も一条郎の余りの嘆きぶりにいたたまれず、再び松寿君の元に行き、あれこれ言い含めて、とにかく返事を取り付けて、一条の元に送りました。一条が驚いて文を開いて見ると、律師の筆跡と思われます。

 「須磨の海人の綱手引く網が弛(たゆ)いようにあなたもたゆく(元気がなく)、網にかかる海松布(みるめ)ではありませんが、傍から見る目にもいたわしくて、やっとのことであれこれ言い繕って松寿君の御返事を取り付けて。」

 などと細々と書いてあります。

 「ああ、この律師殿の情けほど類ないことよ。」とうれしく思い、松寿君の御返事を見ると、漢詩と和歌が一首づつ書かれてありました。

  錦字慇懃織得成(錦字慇懃に織成るを得)

  無情未料又多情(無情未だ料らず又多情)

  君恩元是如朝露(君恩元是れ朝露のごとし)

  薄命一時何足驚(薄命一時何ぞ驚くに足らん)  

  「錦に思いの詩を縫い付けて織物とした。それが妻から夫への愛の便りだ。それは

  無常と言えようか、かえって多情かもしれませんよ。あなたの思いは朝露のように

  はかなく過ぎていく。運の悪さも一時の事、気にすることではありません。(いず

  れ情は通じましょう。)」

  それと言はぬまをこそ我は通はめれとはで音する人のなければ

  「はいともいいえとも言わぬ間を行ったり来たりしています。問いかけずに訪ねて

  くるような人はいないので。(形式にこだわらず訪ねてくればいいのに)」

 「これはきっと、氷っていたいた松寿君の心も溶けたという意味であろう。」と一条は気もそぞろに、地に足もつかず、律師の元に一目散に駆けつけ、ここ数日の厚情に感謝したのでした。

 律師も格別に喜んで、「松寿殿にお会いしますか。君に気に入られるなど妬ましいことです。」と軽口をたたいておりました。

そんな折、僧都の院には松寿君の母君から御使いが来ていたのです。

 

原文

  夜明けて、松寿君のおはしける所へなん到りて、ものの隙より窺ひけれども、時しもおはしまさざりければ、立てる障子の端にかくぞ書き付けける。

  *標格清新早玉成(標格清新早く玉成す)

  問斯風雨豈無情(問ふ斯の風雨豈に情無からん)

  怨魂一夜同床夢(怨魂一夜同床の夢)

  落月疎鐘却易驚(落月疎鐘却つて驚き易し)

  *それと言はば百夜が千夜も通はめど絶えて音せぬ人いかにせん

 それよりして、ただ*数ならぬ身をのみ恨みて、後世に障りなき身の今更に*恋の奴となれることよと思ふに、涙さへ尽きて、露払ふべき寝覚めも今はなかなか昔なりける。

 律師も猶憐れなることに思ひしかば、とかく言ひ含めて松寿君の御返事をなん取りて遣はしける。一条驚きて見るに、律師のと思しくて、「須磨の海人の綱手も弛く引く網の*余所にみるめもいたはしくて、やうやう言ひしつらひて、松寿君の御返事を取りて。」など細やかに書きたり。

 あはれこの人の情けばかり世に類ひもあらじとうれしくて、松寿君の御返事を見るに、一首の詩歌ありけり。

  *錦字慇懃織得成(錦字慇懃に織成るを得)

  無情未料又多情(無情未だ料らず又多情)

  君恩元是如朝露(君恩元是れ朝露のごとし)

  薄命一時何足驚(薄命一時何ぞ驚くに足らん)

  *それと言はぬまをこそ我は通はめれとはで音する人のなければ

 となん書き給へり。

 さては御心の解けさせ給ひけるにやと、一条、心空にのみなりて、踏む足さへ留まるべくもあらざりければ、律師のがり行きて、このほどの情けありし事ども、懇ろに語らふ。律師もやんごとなくて、「松寿君に見え給はんや。いと妬(ねた)ふ。」など言ひ戯れけるに、松寿君の母君のお使ひなりとて参れりけり。

(注)標格清新早玉成=「標格」は優れて高い品格。「玉成」は宝石のように立派にな

    る事。「疎鐘」は時折り鳴る鐘。詩の意は、「若くて立派なあなたはこの風雨

    に情を催さないのですか。一夜同床の夢を見て恨めしく思っている私は熟睡も

    できず、西に月が落ちて明け方の鐘が間遠に鳴るのにはっと目が覚めるので

    す。」か。

   それと言はば・・・=イエスと言ったら幾夜でも通うのに、の意。漢詩を要約し

    ている形。

   数ならぬ身=取るに足りない身。

   恋の奴=恋の奴隷。

   余所にみるめ=「傍から見る目」の意だが、海松布(みるめ)を掛けて「海人」

    や「綱手」の縁語としている。

   錦字慇懃織得成=律師の漢詩に韻字を合わせて唱和している。「錦字」は、錦に

    織り込んだ文字。妻が夫を慕って送る手紙。前秦の竇滔の妻が遠い任地の夫を

    慕って錦に長詩を織り出して送った故事による。「君恩」は主君の恩。それが

    朝露の様だったというのは判じ難い。「君恩」を「あなたの思い」と解釈する

    のか?詩の意は、「あなたから丁寧なラブレターを戴きました。無常と言いま

    すが多情かもしれませんよ。あなたの思いは朝露のようにはかない。運の悪さ

    も一時の事、気にすることではありません。」一条が喜んだのだから、松寿君

    の方でも心を許す内容なのだろうが、よくわからない。

   それと言はぬ・・・=各句の初めが、「それと言は・も(ま)・かよはめ・た

    (と)・人」と同じであったり、近い音であったりと、漢詩の唱和に近い趣向

    である。「まを」が未詳。「間を」か。「かよはめれ」は「かよふめれ」とあ

    るべきところ。音を合わせるために無理をしたのか分かりづらい。歌の意は、

    「はいとも言わずに私は行ったり来たりしているようだ。訪ねてくる人もいな

    いので。」か。

嵯峨物語⑦ーリリジョンズラブ5ー

本文 その5

 過日の詩席は思い出しても、この上なく心慰められることではありましたが、今は松寿君の事ばかりが心にかかって他には何も考えられません。「自分らしくもない。世を捨てて、世にも捨てられた自分がこのように悶々としていいはずがない。」と悩みを断ち切ろうとするのですが、寝れば夢、覚めれば現に、思いは日増しに募っていくばかりです。かつて楚の懐王が巫山の神女と夢に契りを結び、神女が、「朝は雲となり、夕べは雨となって参りましょう。」と言い残して去ったのを、朝朝暮暮恋い偲んだという故事も思い出されます。

 一条郎殿は、その思いを言の葉にして何度も何度も松寿君の元へ書き送ります。しかし返事は一度もございません。

 一条は、せめて遠目にでも松寿の姿を見たいと思います。とある冷たい冬の雨が降る日、一条は意を決します。過日の詩会に同席した雲樹院の律師を訪ねます。雲樹院は僧都の院の傍らにあります。律師も一条の事は覚えております。一条が松寿君への思いを打ち明けると、律師殿も不憫に思われて、「法師というものは世間では、すげなく薄情なものと思われていますが、それでもこの仕打ちは私から見ても、どれほどか つらく思われているか心中お察しいたします。歌に言う『最上の川の稲舟』の『いな』ではありませんが、松寿君が『いなぜ(否是)』どちらというかはわかりませんが、とりあえず君の御心を試みにうかがって参りましょう。」と言うので、一条はとても頼もしく思って、涙も溢れんばかりでした。

 律師は僧都の院に赴いて、松寿君と対面して、四方山話をした後で、やおら切り出しました。

 「それにしても、うかがう所ですと、一条郎殿から頻りに御文を戴いてるとの由。君はどのように考えておいでですか。例えるべきことではないかもしれませんが、吉野山や初瀬川の花や紅葉も見る人がいるからこそ名所となるのです。あなたのようにたった一人でつれなく過ごすのも、なんとも寂しいことで、嘆かわしく存じます。

 空に浮かぶ名高き望月(名月)も時を待たずに欠けていくものです。春が更け夏が長け秋が過ぎて、稚けない人も目の当たりに雪のような白髪になるのです。仏の神通力を得たとしても、やがては霊鷲山雲に隠れるようにいなくなり、孔子の奥深い教えを受けても、滔々と流れる泗水に消える飛沫のように散っていくのです。そうでなくとも人として、貴きも賤しきも誰一人この世に留まる者はいません。

 これほどはかない世の中に、これほど人を悩ましなさるのも、我執の罪は深く、仏のみ教えにもまことに背きなさることだと思いますよ。『今日は折しも雨が降っていて所在なく、いてもたってもいられずこちらへ参りました。』とおっしゃる一条殿の心映えも好ましいものですよ。」

 と縷々と説得するのですが、松寿はとりあえずの形だけの返事さえもしませんので、律師もそれ以上の説得もできず、「岸根に生えるとげの鋭い浜菱さえも、浪にかかることがあるように、心が靡くことがありそうなものなのに。」と恨めし気に出ていくのでした。

 一条郎の方は、律師が出ていってから、山風が吹いて来て竹の葉がそよぐ音を聞いても、「あれは応(おう)と吹いているのか、否(いな)吹いているのか。」と心も千々に乱れていました。

 やがて律師が戻ってきて、「常盤の山の峰が高いように、松寿君の志も高いようです。新古今の『わが恋は松を時雨の染めかねて真葛が原に風さわぐなり』『時雨の雨染めかねてけり山城の常盤の杜の真木の下葉は』ではないですが、松は時雨でも紅葉に染めることができないように、松寿君の心は染めることができませんでした。」と申し訳なさそうにおっしゃるのです。それも今更ながらどうしようもなく、その夜は律師の院に泊まって夜もすがら涙の内に臥したのでした。

 

原文

  こよなう慰むことなりながら、松寿のことのみ心にかかりて、*わくかたもなかりければ、「我ならずの心もこそあれ、世をも捨て世に捨てらるる身の程の、かくあるべきものにもなしに。」と思ひ捨て侍りけれども、猶いやましにのみして、寝ぬれば夢、覚むれば現、*雨となり雲となる朝な夕なの物思ひなりければ、はや書き遣る言の葉もあまたたびなりける。

 されど一たびの答(いら)へもおはしまさず。せめて余所ながらの姿もやと、*律師の院に至りてければ、律師もあはれに覚えて、

 「法師ばかりよにすげなう思はるる*ものから、猶これらやうのことは我が身にならばこそなれども、いかに物憂く思しめすらん。御心をば推し量らるるものを。*最上の川の稲舟の、いなせの程は知らねども、松寿君の御心をば*引き見侍らん。」

 と言へば、いと頼もしくうれしきにもいとど涙ぞこぼれける。

 律師、松寿君に至りて、いにしへ今の物語などして、

 「さてもこのほどの事どもいかに思すにか侍らん。これは例ふべきにはあらねど、吉野、初瀬の花紅葉も見る人故の名なるべし。さのみに一人のみつれなく過ぐさせ給はんも、いとさうざうしくうたてぞ見ゆる。空に名高き望月も隠るに程やはある。春更け、夏長け、秋過ぎて、稚けなかりし人も、見るうちに雪の頭(かしら)とぞなんめる。仏の*通を得しも*鷲峰の雲に隠れ、孔子(くし)の*ゆほびかなるも*泗水の沫(あわ)と消えぬ。その外貴き賎しき、一人としてとどまるべき身にしあらず。

 かほどあだなる仮の世に、さのみに人を悩まし給はんも、*人我(にんが)の罪深く、仏の御教へにもさこそは違はせ給ひけんとぞ覚ゆる。

 今日は折しも雨の内にて、つれづれいと耐へ難ければ、こなたへなど言はせ給はんには、いとつきづきしからん。」

 など細々に語らひけれども、とかうの御返事もおはしまさねば、律師も諫めかねて、「*岸根に生ふる浜菱もなみかかることはあるなるものを。」とかこち顔にて出でぬ。

 一条郎はまた、律師の出でしより*吹く山風の*おとづれに竹の葉そよぐ音までも、応(おう)とやは言ふ否(いな)とやは言ふと心を千々に動かしけるに、律師のまうで来たりて、「*常盤の山の山高み松を時雨の染めかねつ。」とのたまふにぞ、いまさら栓方なかりける。その夜は律師にとどまりて、夜すがら涙に臥しにけり。

(注)わくかたもなかり=「わくかたなし」は心を散らすことがない。他の事が考えら

    れない。

   雨となり雲となる=「巫山の雲雨」を踏まえる。楚の懐王が夢で神女と契りを結

    び、別れ際に神女が、「私は朝には雲となり、暮れには雨となりましょう。」

    と言ったという。恋い慕うことの形容。

   律師=前章に出てきた雲樹院の律師であろう。僧都の院の近くにいたのだろう。

   ものから=逆接の接続助詞。~けれども。

   最上の川の稲舟の=最上川で使われた耕作舟。いなせ(否是)を引き出す序詞的

    表現。

   引き見=引き出してみる、試す。

   通=神通力。

   鷲峰=霊鷲山。釈迦がしばしば説法をした山。理想世界を象徴するものとされ

    る。

   ゆほびか=原文「いおひか」。ゆったりとしている。深遠で奥深い。

   泗水=孔子の生地、曲阜を流れる川。「泗水の学」は儒学、「泗水の流れを酌

    む」は儒学の教えを引き継ぐ、の意。

   岸根に・・・=「岸根」は水際。「浜菱」は植物。菱とは違うようであるが実に

    鋭いとげを持つ。そのようなとげとげしい浜菱にも水際であれば浪がかかると

    いうのであるが、「なみかかる」が意味が分からない。悲しみの涙を流すこと

    がある、の意か。浪が打ち寄せるように心を寄せる、の意か。「浪」と「靡

    く」を掛けているのか。

   吹く山風=前の場面で「今日は折しも雨の内」と律師が言っているのに雨音では

    なくて風の音で例えるのはちぐはぐな感がある。

   常盤の山・・・=「時雨の雨染めかねてけり山城の常盤の杜の真木の下葉は(新

    古今・巻六冬・577)」。

嵯峨物語⑥ーリリジョンズラブ5ー

本文 その4

一条殿は夜が明けたので、下法師の案内で寺々を 見歩いていると、僧都殿が現れて、昨日来のことを法師から聞いて挨拶をします。

 「ありがたいことです。よくお訪ねくださいました。わざわざ春に家を出なくても、月の夜には閨の中にいながらでも、風情を思いやることは誰でもできましょう。そうはいっても実際に出かけて、花の下に帰ることを忘れて、月を前にして思いを陳べる貴殿の風流はなかなか捨てがたい素晴らしい心がけです。

 このような八重葎の繁るところですが春の通う道はありまして、かぐわしい梅の香をはじめ、桜の色映えなどこの上ない風情です。されどそれを共に慰め興ずる人もなくて、独り愛でては索漠として心持ちになっていたのです。桜の色も梅の香りも、それと知る人に手折って贈りたい。きっと花もなかなか訪れない風流人を待ち果てて、雪の降るように散り急いでいるのでしょう。私も全く残念なことだと寂しく思っていましたが、その甲斐あってあなたのような客人に会うことができました。

 おいおい僧たちよ、出てきて客人のお慰めをしなさい。松寿よ、松寿も出てきて詩歌でも詠じてお相手をせぬか。」

 などとおっしゃります。松寿君もほどなく立ち現れました。

 昨日は遠目にしか見なかったのですが、間近に見ると、緑の黒髪、雪の膚、御目の麗しさ、御言葉の潔さ、じつにこの世に人とも思われない美しさです。 

 僧都は内典外典いずれにも通じた方で、一条殿も詩に長じている気配であるのを察し、早速漢詩の宴を催したのでした。僧都は「残花」という題をお出しになります。人々が苦吟している中、まずは院主である僧都が披露しました。

 

  洞門深鎖自無為(洞門深く鎖して自ら為す無し)

  春到不知経幾時(春到りて知らず幾時をか経ることを) 

  忽被遊人勾引去(忽ち遊人に勾引せられ去りて)

  残花猶看両三枝(残花猶ほ看る両三枝)

  「寺の門は深く閉ざして何もしない。春がやってきてどれくらい時がたったのだろ

  うか。春風のような遊人が突然現れて、桜の花をことごとく持ち去った。後には花

  がニ三枝残るだけである。」

と誦しなさいました。一条郎殿が続けます。

  三日出家身未還(三日家を出でて身未だ還らず)

  山桜爛漫雨如烟(山桜爛漫雨烟のごとし)

  縦然春色渾看了(縦然《たとひ》春色渾《すべ》て看了《をは》るとも)

  猶有松花開那辺(猶ほ松花有り那辺に開く)

  「家を出て三日、まだ帰らずに彷徨している。山桜は爛漫として春雨は霧に煙るよ

  うだ。たとえこの春景色をすべて見終わり、季節が移ろおうとも、千年に一度咲く

  という松の花は変わらずそこにあるだろう。同様、松寿君というたぐいまれな方は

  いつまでもあり続けるだろう。」

 詠ずると同時に懐紙に書き付けて折り畳み、「これを松寿君に。」と差し出します。僧都の心にもかなったようで、「絶唱(優れた詩歌)には唱和できないと昔から言われてきている。これに続く詩はできないだろう。」と改めて「春風」という言葉を出題なさいました。松寿君は詩に歌を添えて披露なさいます。

  非熱非寒午睡身(熱きに非ず寒きに非ず午睡の身)

  春風座上火炉新(春風座上火炉新たなり)

  桜花豈是閑居物(桜花豈に是閑居の物ならんや)

  渡水吹香解引人(水を渡り香を吹きて人を引くことを解す)

  「午睡にまどろんでいますと熱くも寒くもない。冷ややかな春風が座上を吹くが、 

  その風が炉に新たに火を起こしたから。桜の花はのんびり咲いているのだろうか、

  いやそんなことはない。私はわかっている、桜は川を渡って風に香りを運んで、

  人々を引きつけているのだ。」

  隠れ家の花なりながら山桜あやなし香をも世に漏らすかな

  「隠れ家の花でありながら山桜は筋違いなことをする。香りを漏らして世間に知ら

  せようとするのだから。」

 詩は李白杜甫に始まり、歌は山部赤人柿本人麻呂より伝わるものです。松寿君の詩も歌も、表現は艶やかで、心情は優雅でしたので僧都は満面笑みを浮かべて、さらに僧たちに詩を請いなさると、雲樹院の律師というお方が、

  琴薬修来不出山(琴薬修し来りて山を出でず)

  禅心日日遠人間(禅心日日人間《じんかん》を遠ざかる)

  芳菲只在曲肱上(芳菲は只だ曲肱の上に在り)

  吹夢春風白昼閑(夢に吹く春風白昼閑かなり)

   「琴や薬(音楽?)を修行して山中を出ようとはしない。禅定に入った心は日々俗

  世間から遠ざかっていく。ひじを曲げて枕とし、清貧の内に暮らしていると、芳し

  い草花の匂いが漂う。夢の中を春風が吹くようで、のどかな白昼である。」

 などと詠じて、皆で大いに興じなさったのでした。

 一条殿も、「さてもう家路につくとしましょう。再び訪れましょう。心づもりしてお待ちください。」と言って院を後にしたのでした。

 

原文

 夜明けければ、僧都の寺に至りて、ここかしこ見ありくほどに、僧都の出でて、

 「優しうも訪ね入らせ給ふものかな。春は家を立ち去らでも、月の夜は閨ながらも思ひ遣るあはれは、誰人もあるにこそあれど、今更に捨て難きは、花の下に帰らんことを忘れ、月の前に思ひを陳ぶる習ひなるべし。

 かかる*八重葎(もぐら)へも春の来る道はありて、梅が香のなつかしきよりして、桜の色ことなるをだに、*荒むべき人もなければ、我のみ*見栄(みはや)さんもあぢきなく、色をも香をも知る人にこそ、折てもやらめ、来ぬ人をば花もやは、さは待ち果つべき。雪とのみ降りなまし。いとど惜しからぬかは。と言ひもて侘ぶる甲斐ありて、かく*まれ人に会ふなることよ。

 僧たち出でて慰めよかし。松寿はなどは詩歌をば詠じ給はぬぞや。」

 とのたまふほど、松寿君も出で給ひぬ。

 緑の髪、雪の膚(はだへ)、御目の麗しさ、御言葉の潔さ、まことにこの世に人とも覚えず、猶*見勝りてぞ侍りける。

 さて、題など出して人々造りあへる中に、まづ院主なればとて、僧都

  *洞門深鎖自無為(洞門深く鎖して自ら為す無し)

  春到不知経幾時(春到りて知らず幾時をか経ることを) 

  忽被遊人勾引去(忽ち遊人に勾引せられ去りて)

  残花猶看両三枝(残花猶ほ看る両三枝)

 となん誦(ず)んじ給ふ。一条、

  *三日出家身未還(三日家を出でて身未だ還らず)

  山桜爛漫雨如烟(山桜爛漫雨烟のごとし)

  縦然春色渾看了(縦然《たとひ》春色渾《すべ》て看了《をは》るとも)

  猶有松花開那辺(猶ほ松花有り那辺に開く)

 と書き付け押し畳みて、「これは松寿君へ。」など言ふに、僧都もよろしと見給ふ。「*絶唱に和なしと昔より言ひ来にければ、我らはいかがなすべき。」などのたまひて、*題をぞ作り給ひける。松寿君

  *非熱非寒午睡身(熱きに非ず寒きに非ず午睡の身)

  春風座上火炉新(春風座上火炉新たなり)

  桜花豈是閑居物(桜花豈に是閑居の物ならんや)

  渡水吹香解引人(水を渡り香を吹きて人を引くことを解す)

  隠れ家の花なりながら山桜あやなし香をも世に漏らすかな

 詩は*李杜の林より出で、歌は山柿の門より来たる。詞艶にして心優なりければ、僧都微笑みて、猶ほ僧たちの詩を請ひ給ひけるに、雲樹院の律師、

  *琴薬修来不出山(琴薬修し来りて山を出でず)

  禅心日日遠人間(禅心日日人間《じんかん》を遠ざかる)

  芳菲只在曲肱上(芳菲は只だ曲肱の上に在り)”

  吹夢春風白昼閑(夢に吹く春風白昼閑かなり)

 となん詠じて、いと興じ給へりける。

 一条も、「今は家路に帰り侍りなん。また来んほども頼め置きてよ。」とて出でぬ。

(注)八重葎=やえむぐら、とも。むしろこちらの方が一般的。雑草。

   荒む=心のおもむくままに慰みごとをする。慰み興ずる。

   見栄さん=見てほめる。

   まれ人=客人。まろうど。 

   見勝り=前日に遠目に見たのよりも、近くで見ると優って見える。

   洞門深鎖自無為=七言絶句。巧拙は弁じ難いが、平仄にはかなっているようであ

    る。類詩などはないようなので、語り手が自分で創作したのではなかろうか。

    「嵯峨物語」の作者には漢詩の創作・鑑賞の整った環境にいる者、五山の僧な

    どが想像される。詩の意は、「ひっそりとした家にいると、遊人が急にやって

    きて花をすべて持ち去り、ニ三の枝しか残っていない。」という意か。遊人

    春の風の比喩か。「洞門」は寺の門だろうが、「曹洞宗」をも連想させる。

   三日出家身未還=「松花」は伝説によると千年に一度咲く松の花。松寿君暗示す

    る。詩の意は、「家を出て三日、山桜が爛漫としている。春が尽きてすべてを

    見終わっても松花のような類まれな稚児、松寿君はいつまでもここにいるでし

    ょう。」との意か。

   絶唱=この上なく優れた詩や歌。

   題=一条郎の漢詩があまりに優れていて誰も唱和できないので、別に題を出した

    ということか。しかし、この後の二首も春がテーマである。あるいは前二首は

    「残花」というような題で、後の二首は「春風」という題であったか。

   非熱非寒午睡身=起句承句は、「昼寝をしていると厚くも寒くもない。春風は肌

    寒いが炉に新たに火を起こしたから」。転句結句は「桜の花はただのんびりし

    ているのか、いやそうではない。水を渡って香りを吹き届けて人々を引き付け

    ていると理解できる」。と解釈できるが、つながりがよくわからない。

   あやなし=筋が通らない。無意味である。

   李杜=李白杜甫。両者とも木にかかわるので林と言い、山柿は、山部赤人(一

    説に山上憶良)と柿本人麻呂。対句として門と形容した。

   琴薬修来不出山=「琴薬」は略本では「琴菓」。いずれにせよ意味不明。あるい

    は「琴楽」か。「禅心」は禅定の心。乱れない心。「曲肱」はひじを曲げるこ

    と。ひじを曲げて枕にすることから、清貧の内に閑適を楽しむこと。全体の意 

    味としては、「『琴薬』を山を下らず、悟った心は人の世から遠ざかる。貧し

    い住まいには草花のよい匂いが漂う。夢の中を春風が吹くようでのどかな昼で

    ある。」ということであろうか。

嵯峨物語⑤ーリリジョンズラブ5ー

本文 その3

 あまたこの僧房を訪れた人々の中でも殊に風雅を覚えたのは、 一条郎と申す方でしょう。

 一条郎殿は、志深く高潔な方で、今の世は人が人としての信義節操を果たさず、放恣に流れているのを嘆き、

 「世の人は賢げな物言いばかりするが、心のこもらないことしか言わない。この浮き世を渡らおうと思っているうちは、かような人々をも前向きにとらえて、私が人を人として正しく教導すればいいとも、月々日々思っていたが、そのような機会にも恵まれないでいる。それならそれでいいだろう。人を正そうとするより己の信条を守り、他者の誉れを得ようとするより自己の内に煩いをなくし、我が身を貴いと為すよりは我が心を賤しくしない事こそ、望むべき道だろう。この世に仕えても苦しいばかりだ。無理にとどまって胸が裂けそうなつらさを感じても何にもならない。」

 真摯な方です。一条殿は心に決めて、浮き世の縁を断ち切って嵯峨野の奥つ方に閑居なさっていたのでした。みすぼらしい柴の扉の庵ですが明け暮れ風流に住みなしている方ですから、折に触れて情趣にあふれた暮らしとなります。花の下、緑の陰、月の夜、雪の朝、すべてが心のまま思う存分にあわれを感じるよすがとなるのです。粗末な房屋で松に当たる雨音を聞いていると、薫物の燃えかすが炉辺に香り、荒れた書院で竹にそよぐ風の嘯(うそぶ)きを聞くと、灯した燭光が四方の壁に寒々しく揺れているといった風情です。

 元々何の係累もない身なので、勝手気ままに野山などをさまよい歩き、帰る家路も忘れ、野宿することもたびたびありました。

 とある春の暮れ方の事でした。さほど深くはない山でしたが、その奥つかたを訪ね入る事がありました。野中の寺の鐘の音が幽かに聞こえて、夕陽が西に傾いていきます。「ままよ、今宵は花の木の下陰にでも宿を取ろう。宿主の桜が一本もないなんてことはなかろうから。」とあちらこちらに立ち寄りながら時に佇んだりしていますと、風は止んでいるのに、花びらがはらはらはらはらと落ち、春の鳥が日暮れの山にもの寂しく鳴き渡っています。それがかえって夕霞の静けさを際立たせて、「風定花猶落 鳥鳴山更幽」という詩情が思い出されて、しみじみと感じ入ります。

 一条郎殿は、遠くの松陰に一人の稚児を見かけました。秋の山の紅葉のような赤い水干に、まだ紅葉していない若葉のような緑の刺繍が施された装束。清艶で優美な稚児です。一条は目を凝らします。ごく若い法師をあまた連れています。花を折ろうとその美しい手で枝を撓めているようですが、知らず知らず雪のごとく舞降る花びらがお顔に散りかかっています。「拾遺集の古歌、『桜花道見えぬまで散りにけりいかがはすべき志賀の山越え(橘成元)』ではありませんが、ここでも志賀の山越えに劣らず花の吹雪は振り払うことができない程の舞ようですね。」などと言いながら幾度となくにっこり微笑む様子は言いようも例えようもないほどと一条殿は見ます。

 「なぜこのような奥山にこのような方がいるのだろうか。」と、この後の成り行きを知りたく思って、わき目もせずに凝視していますと、頑強な仕丁が現れて輿を舁き据えると、さっと乗り入ります。稚児の輿は山の麓の大きな御堂の内に入っていくのでした。

 なおも興味は尽きず、追いかけていって一人の法師を呼びとめて、垣間見た始終を語って問うと、「ご存じないのですか。この方こそ名高い雲の上の人、松寿君ですよ。あなたはこのような山里で行き暮れなさったのですか。この寺は古びてはいますが、僧都がしっかり管理なされて、名のある僧房もございます。今夜は私の房にお泊りになってはいかがですか。」などと言ってくれますので、「うまいこと、いいきっかけができたようだな。」と、密かに松寿君と近づけるかとの期待をかけて、寺に入りその夜を過ごしました。

 

原文

  さはある中にも、またなくあはれに覚えしは一条郎と聞こえし人なめり。

 この人は無下に志大にして、今の世の人、人にあらぬを恨みて、

 「ただ賢げにものうち言ひたる、*まこと少なきをのみやは言ふ。世に住むべく思はんほどは、世のうしろめたからで、人をも人になさばやと、日に月に思はれしかども、会ふに会ふ時なくて止みぬ由。さはさらばあれ、人を正さんより己を守らんこそ、他に誉あらんより内に煩ひなからんこそ、身の尊からんより心の卑しからぬこそ。仕へ苦しき世にしあれば、裂きけん胸も何ならず。」

 とまめやかに思ひ定めて嵯峨野の奥に閑居してぞありける。

 あやしの柴の扉(とぼそ)なれども住む人からの明け暮れなれば、折に触れたるあはれ、などかなからん。花の下、緑の陰、月の夜、雪の朝、心のままのよすがなりける。*松房に雨を聴きて眠れば香燼一炉に残り、竹院に風に嘯いて、挿せば燭光*四壁に寒し。

 もとより思ふほだしもなければ、野山などさまよひありきて、帰る家路を忘るる事なりける。

 春の暮れつ方、さらぬ深山の奥までも訪ね入る事侍りしに、野寺の鐘かすかに聞こえて、夕陽西に傾けり。「よしや今宵は花の陰にも宿らまし。主はなどかなからん。」と立ち寄りつつやすらひゐたるに、「*風静まりて花猶落つ。鳥鳴いて山更に幽かなり」と詩の心もあはれに思ほえけるに、あなたの松の陰に艶に優しき児の、*秋山の紅葉まだ若葉がちなる縫物したる装束なるが、いと若き法師あまた連れて花を折らんとしていつくしき手して、前なる枝を撓め給ひけるに、降るとも知らぬ花の雪の、御顔に散りかかりければ、*志賀の山越えならねど、これも花の吹雪は払ひもあへずと立ち返り、うち笑みたるけはひ、言ふばかりなく物にも似ぬ。「これらはかやうの人の居たるべき所にもあらぬに。」と行く先知らまほしくて、あからめもせずまもりゐたるに、健やかなる仕丁の出で来て、輿舁き据ゑければ、やがてうち乗りて、*山の腰に大きなる御堂のある内にぞ入り給ひける。

 猶、訝しくて追ひつつ行きて、初めよりのことども問ふに、下法師のとどまりて、「これぞ名高き雲の上の松寿君なりける。僧都のこれにおはしましける寺などもの古りにたれど、名所(なところ)多し。行き暮れ給へるにや。今夜はこれに。」など言ふに、「*いしうもたより悪しからず。」と差し入り居たり。

(注)まこと少なきをのみやは言ふ=逐語訳すると、「誠実さの少ないことばかりいう

    のか(いやいわない)」となり、文脈に会わない。小賢しくて誠実さがない、

    と解釈しておく。

   松房=竹院と対をなして、「庭に松が生える房」「庭に竹が群がる院」。

   四壁=四方が壁だけの粗末な家。

   風静まりて花猶落つ。鳥鳴いて山更に幽かなり=「風定花猶落 鳥鳴山更幽」は

    異なる詩句を取り合わせて対句としたもの。集句というそうである。「風定花

    猶落」は陳の謝貞、「鳥鳴山更幽」は梁の王籍の詩の一句。宋の王安石が集句

    したという。禅語として茶席に掛け軸として掛けられるという(茶席の禅語大辞

    典時代等)。時代は下るが、良寛の集句詩に「風定花猶落 鳥鳴山更幽 観音

    妙智慧 千古空悠々」がある。

   秋山の紅葉まだ若葉がちなる縫物=秋の山の紅葉は今は春なので青葉勝ちである

    がその青葉のような青葉色の、または青葉模様の刺繍、というなんともまどろ

    っこしい形容。

   志賀の山越え=近江国大津から京都北白川に出る峠道。後拾遺集・春下・137

    「桜花道見えぬまで散りにけりいかがはすべき志賀の山越え(橘成元)」

   山の腰=山の麓近く。

   いしうも=「美(い)しくも」で、うまいことの意か。

嵯峨物語④ーリリジョンズラブ5ー

本文 その2

  松寿君が弥生三月に門を敲いた庵のある山里は、都からはさして遠いところではなかったのですが、世間からは隔絶した住みぶりで、行き交う人も稀でした。峰々に繁っている松の木の下陰で柴木を取りに来た山賤(やまがつ)が斧を振るう音がコーンコーンと耳近く鳴り響き、いかにも山深く感じられます。また、山すそを一筋の清流が流れています。いつも童部が一人二人連れ立って閼伽の水を汲みに来るのも趣深い一景です。籬に卯の花が咲き乱れる四月にとなっても、卯の花くたしに見えぬ月を恋い、五月に漂う花橘の香りをまとった山杜鵑(やまほととぎす)が、村雨に霞む曙に鳴く一声に風情を覚えます。感じやすい松寿君の心にはその情景が心に染みて、思わず袖を湿らす(涙ぐむ)のです。

  松の戸をおしあけがたのほととぎす一声鳴きていづちゆくらん(山家の松の戸を押

 し開けると明け方のホトトギスは一声鳴いて行ってしまった。今頃どこを飛んでいる

 のであろうか。)

 中唐の詩人竇中行(竇常)は「香山館聴子規」の七絶で「雲埋老樹空山裡 彷彿千声一度飛(雲老樹を埋む空山の裡 千声に彷彿として一度飛ぶ」(人気のない山中は老樹が雲に包まれ、さながら千声のほととぎすが一斉に飛び立つようだ。)と吟じたといいます。松寿君もこのような風情溢れる時には、昔の人々も世間の人々も、どれほどかあわれを感じたことだろうかと思いやりなさって、このように詠じたのだろうと思われました。

 松寿君は御言葉の多い方ではなく、たった一人で脇息に凭れなさって静か見もの思いをしていることが多かったのですが、ある秋の日、思いがけず窓の外でパラパラと物音がしました。「何の音でしょうか。」と師匠の僧都に尋ねますと、師匠は謎をかけて、「『青天黄落雨(青い空に黄色い木の葉や木の実が雨のように落ちる)』と聞こえたぞ。」とおしゃったので、松寿君は即妙に、「それは『白日翠微山(ここは白昼、の山の中腹)』ということでしょうか。」と対句で答えなさったのです。

 このように学才に聡く秀でているのは言うまでもありませんが、まことにもののあわれを深く感じる方で、早朝に起きて夜半に休むにも、終日うたたねすることもなく、様々なことを想いながら、学道に思索にと心を砕いて過ごすのでした。

 秋も深まり、軒端に近い竹林に霰が降って、葉を打つ音が高く枕元に響いても、霰は跳ねるが、君の心は跳ねる(心弾む)気持ちにはなれず、まして、月が冴え霜が凍るなんとも静かな夜の折は、寝ずに軒端で夜を更かして寝所へ入りなさるのです。

 都にいる旧知の友も噂を聞いて、「このように、休みも取らないで過度に刻苦するのもいかがなものか。」と心配したのでしょうか、いつぞやはこのような歌を送ってよこしたのです。

 山里は寝られざりけり冬の夜の木の葉交じりに時雨れ降りつつ(山里は冬の夜は木の

 葉が交じった時雨がしきりに降って寝られないことでしょうね。)

 しかし、松寿君の学道や思索に傾ける思いは倦むことなく、蛍の光毎夜明るさを増やし、窓の雪は日々に高く積み重ねるようにますます励んで、比類なきこの世の神童とまで称せられるようになったのです。

 論語に、「朋遠方より来る有り。」とありますが、心を寄せる友は、遠きを厭わず集い集まるのが世の習いで、神童松寿君の噂を聞いた者は、やがて会いたいと願い、松寿君を見たものは、すぐにも我が名を知られたいと願い、顔見知りとなった者は、懇ろに睦み親しむことを願うのです。荻原を吹く風が風音を立てるのに触れては訪れ(音擦れ)し、萩原に降る露を口実に近寄ろうと、松寿君を訪問する方はまことに多かったのです。

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原文

 さて、この山里の景色、さまで都も遠からねど、まことい浮き世の外に住みなして、行き交ふ人も稀なりけり。峰に繁れる松の陰に妻木採り来る*山賤(やまがつ)の斧の*柯(え)、いと近う響き渡るも、猶山深くなりにけり。また、麓に清き川ある。常は童部の一人二人伴ひ出でて閼伽の水汲むなどいふもあはれなり。

 *籬に咲ける卯の花は、晴れぬ雨夜の月を*見し、花橘の香をとめて、山郭公(ほととぎす)の一声も、曙霞む村雨に、御袖の覚えずしほれければ、

 *松の戸を押し*あけ方のほととぎす一声鳴きていづち行くらん

 「雲埋老樹空山裡 彷彿千声一度飛(雲老樹を埋む空山の裡 千声に彷彿として一度飛ぶ」といへるは*竇中行が古(いにしへ)、香山館のなるべし。かかる時にぞ世のためしも人の心も、いかばかりか思ひ知らせ給ひけんと*覚えしか。

 *つやつや御言葉も多からねば、一人のみ*おしまづきに寄り居させ給ひて、御心を澄ましおはしけるに、思ほえず窓の外に物ありてはらはらとなる音すめり。いかにぞやと問はせ給へば、主の僧都、*「青天黄落雨」とこそ聞きしかとのたまひければ、「白日翠微山」にもやとぞおほせける。

 かく敏(と)きなる御才などは言わずもあれ、いたうあはれをしろしめししかば、早朝(つとめて)起き夜半に寝(い)ねても、まどろむ事無う、よろづに詠(なが)めがちにぞおはしける。軒端に近き竹の葉に降りゆく霰の音も御枕に高くて、これさへ*ひとり跳ぬべき御心地もおはさぬに、まして月冴え霜凍り、もの静けき折節は、端居に更かして入り給ふ。

 都の友もやは、かくはいかがなど思し出でて、いつの事にや、

 山里は寝られざりけり冬の夜の木の葉交じりに時雨れ降りつつ

 かくて*蛍の光は夜々に増し、雪の色は日々に積もりて、この世の神童なりける。

 *その朋遠きより来る習ひなれば、聞く者は見(まみ)えんと願ひ、見る者は知られんと願ひ、知れる者は睦ばん事を願ひしかば、荻吹く風のおとづれに触れ、萩置く霜の*かごとに寄せて、問ひ来る方も多かりけり。

(注)山賤=山で生活する人。猟師、木こりなど。

   柯=柄。

   閼伽=仏前に供える水を入れる器。

   籬に咲ける・・・=このくだりは七五調。

   見し、=あるいは「見じ。」か。

   松の戸=松の板で作った扉。山中の住家を連想させる。

   あけ方=「押し開け」と「明け方」を掛けるか。

   竇中行=竇常(749〜825)。中唐の詩人。中行は字。「雲埋・・・」は「三体詩」

    所収の「香山館聴子規」の転句・結句。人気のない山中は老樹が雲に包まれ、

    さながら千声のほととぎすが一斉に飛び立つようだ、との意。

   覚えしか=「語り手がそう思った。」と解釈したが、係助詞「こそ」がない。

    「覚えしが、」とも取れるが、「つやつや」から場面が転換していて不自然。

   つやつや=(下に打消しの語を伴って)まったく(~でない)。

   おしまづき=①脇息、ひじ掛け。②机。

   「青天・・・=この応酬には典拠があるのだろうか。僧都の「とこそ聞きしか」

    というのは、そのような詩句を聞いたことがあるというのか、「あれは晴れて

    いるのに木の実か落ち葉がパラパラと雨のように降っているのだよ。」と答え

    ているのかどちらだろうか。それに松寿君は対句で答えている。当意即妙な唱

    和であるとすれば、即興のやり取りと考えた方が面白い。ただ、日本国語大辞

    典」によると、「本朝無題詩・六・別墅秋望(釈蓮禅)」に「木葉声声黄落雨

    峡煙処処翠微山」の句があるようだ。翠微には「薄緑の山」と「山の中腹」の

    意味がある。

   ひとり跳ぬべき=霰は跳ねるが、自分の心は跳ねる(心弾む)ことなく、の意

    か。

   蛍の光・・・=「蛍雪の功」の故事による。日々修学に励んで神童と呼ばれるよ

    うになった、の意。

   その朋=「論語・学而」朋自遠方来、不亦楽乎。を踏まえる。

   かごと=口実。託言。