religionsloveの日記

室町物語です。

嵯峨物語⑨ーリリジョンズラブ5ー

本文 その7

 「父中納言殿は御具合がよくなく、患っていましたが、ただの風邪だろうかと気にも留めずに過ごしていましたが、急に病状が悪化したようでございます。御使いではなく、あなたご自身が急いで都へおいでなさい。その際には僧都もお誘いなさい。御祈祷をしていただきたいのです。」

 使者はこのように母上の言葉を伝えます。松寿は、「これはなんということだ。」と驚いて、僧都に子細を告げると、すぐさま僧都と連れ立って都へ向かおうとします。出がけに松寿君は律師を近くに呼びなさって、

 「『一条郎殿がこれほど私に深く想いをかけてくださったのに、すげなくやり過ごしたことは、我ながら今となっては返す返す申し訳ないことだと思っています。一条殿はどれほど不快な思いをなさったかと恥じ入るばかりです。それなのに未だ私を 見下しなさらず、昨日からこの里を訪れなさったと聞いて、うれしく思い、お会いして心ゆくまま親しくお言葉を交わして、今までの失礼を言い訳したいなどとも思っていましたが、父君の危篤と言う思いがけないことが起きてしまったので、致し方ないこととなってしまいました。こうなっては今はもう私の事など思い捨ててしまってください。その方がありがたいです。』一条殿にはこのようによくよく申してくださいませ。長年暮らしたこの院を出立するのも名残りが多く、再びここに戻ってくるのもいつの事かと思うと涙が・・・」

 などとおっしゃって、涙の袖を絞りなさいます。律師も、「まことに。」とだけ言葉をかける他なくて、松寿君の行くのを見送るのでした。

 雲樹院に戻り、一条郎に伝えますと、「はかなく消えた契りをあれこれ言ってもどうにもならない。」とただただ泣くばかりでした。

原文

 「父中納言殿、御心地例ならずなやませしかども、そぞろ風にもやとうち過ぎぬるに、俄かにしもいとあやしく見えさせ給ひける。御自ら急ぎ都へ。僧都も誘(いざな)ひ給へ。御祈りのために。」など聞こゆ。

 松寿、さていかにと驚き給ひて、僧都にしかじかと告ぐ。やがて僧都連れ立ち出で給ふ。松寿、律師を近づけ給ひて、

 「かばかり人の思ひ深かりけるに、つれなく見過ぐしける事、今は我ながら物憂く思ひ返し侍るぞや。いかにいぶせく思しつらんほども思はれて、いと*面なからずしもあらず。しかるに猶、それとも*思ひ下げ給はず、昨日より訪ひ来し給ふなど聞けば、うれしく見奉りて、細やかに物語などして、心のゆかんほどはありし事ども言ひ分かんなど思ひつるに、かう図られぬ事のあれば、力なくうちやみぬ。今よりはただ 人の思ひ捨て給はんをこそ、猶ありがたく思ひ侍るべけれ。これらよく申させ給へなん。*たちの名残りも多く、かへさもまたいつのほどにかあらんずらんと思ふに、涙の。」

 などのたまひて、御袖を絞り給ひければ、律師も、「げにや。」とばかり言ひやりたる方なくて、立ち別(あか)れぬ。

 一条郎にかくと知らせければ、とにかうにはかなき契りの程言はんもとて泣くばかりなり。

 

(注)面なからずしもあらず=面目なくないことはない。面目ない。

   思ひ下げ=見下す。軽蔑する。

   たち=「立ち」あるいは「館」か。あるいは「直路(ただじ)」か。「夢の直 

    路」は夢で恋しい人のもとへまっすぐ進むこと。