religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)⑬ー稚児物語4ー

第十三

 そうしているうちに右方の舞手が「新鳥蘇」という、鳥類の楽を舞っている最中に,

虚空から白鷹が、千部経の結縁(法会)のためにでありましょうか、舞下りてきました。

 およそ吾が朝での、放鷹(鷹狩)の起源を申し上げますと、人皇十七代の帝、仁徳天皇四十三年乙卯歳九月の事です。西ほくという者が百済国より名鷹を携えて渡来したのです。その使者の船は、越前の国敦賀の津に停泊しました。同国の丹生の北郡は、正頼公の知行の地でした。帝は法に則って(あるいは帛を贈り物として)政頼公に命じて百済使節を迎えさせました。正頼は敦賀に下り、その名鷹を請け取り、玄黄玉帛の豪華な贈り物を携えて西ほくの来訪を労います。またひそかに古竹という美女を送りました。かの使節は、そこで手厚いもてなしに感謝して家伝の秘書、鷹飼、犬飼の装飾を正頼公に授けました。公はかの使者に次のような歌を送りました。

  こちくてふことかたらはば笛竹のひとよのふしも人に知らすな

  (こちくという美しい女性と語り合った一夜の事は人には知らせないでください。

  同様に胡竹の笛の音は一節も人に聞かせてはいけないし、『こちく』の秘事は誰に

  も秘密です。)

 これを笛竹の歌といい、それに因む「笛竹鈔」という秘書があるのです。詳しい奥義は旃の巻に書き留めているという事です。正頼公は、かの使臣と上洛し、名鷹と秘訣の品々を叡覧に備えます。天皇はそこで正頼公を鷹匠として勢子や遠見の者を調達し、春蒐補耕や、秋獮省斂といった農閑期の狩を創始なさったのでした。その後めでたい兆しがあったという事で、そのお告げによって、かの鷹を富士山の麓に放ちなさったということです。するとその鷹から八王子が生じたというのです。これが本朝の鷹の道の濫觴(起源)です。かの正頼公は古代中国、古(いにしえ)の少昊の司寇の爽鳩氏、前漢景帝の郅都官のような方です。しかし実は文殊師利菩薩の生まれ変わりで、諏訪大明神垂迹です。

 鷹狩は殺生の罪とも言えましょうが、方便の殺生は、菩薩の万の善行をも超えた和光の利益を施します。衆芸を興ずる場においては、殺心を施すことが却って慈悲の心となり、群書を学ぶ畑で遊ぶ時には、文徳を修めることが却って武勇となるのです。

 政頼公が韘(ゆがけ)を佩びて右を顧みれば緑の鞲(たかだぬき)が霧をまとって、鷹はモズやつるを捉え、餌を執って左を旋回すると、朱色の緤(きずな)は雲を突き抜け、鷹はオオワシを攻撃するのでした。政頼公は、攣旋子、餌袋、へをまき(角へんに發)鞭桙、左右近衛の節々、随身の狩装束、犬飼鷹飼の緋の衽、藤紺の袴、革袴、錦の帽子、責子の杖等といった諸法を制定したのです。

 同じ仁徳天皇の御代に雲雀野で御幸をして以来、大原野、小塩、小野渡、淡津野、嵯峨野の原、交野、御野、小倉の峯、禁野の帰るさ、薦野、岩瀬野、鳥屋野、百舌野、宇多、芹川などの標野(御鷹場)でのお遊びは絶える事はございません。

 とりわけ大鷹、野曝しの熨羽、山鴘の上羽、峯飛渡る箸鷹の谷越え風流れ、升掻の羽見伏せ、窮れを搦む草執り、木居懸る鈴の音、またす立たずして摺り立て、雎鳩の羽使の動ぎ草、落羽も早き隼などは好まれました(?)。

 鷹の種類は、白鷹、兄鷹(せう)、鷂(はいたか)つみ(堂の上に下が木のへんに鳥のつくり)、?(堂の上に下が川のへんに鳥のつくり)、雀𪀚(えつさい)、兄鷂(このり)や差羽(さしば)、眉白(まみじろ)の鷹、真白符(ましらふ)羽白などです。帝の愛した鷹には古くは平城天皇の磐手、野守、延喜の帝白兄鷹、一条院の鳩屋、赤目、雎鳩腹、後一条院の難波、藤沢、山蛾等、柄巻、平賀鷹と申すものなど、数限りがございません。

 話に聞く鳩屋鷹と申す鷹は、昔出羽の平賀という所から帝に献上された名鷹です。この鷹は放たれた時、八幡に行って鳩と交わったそうです。次第に鳩も恐れなくなり、その中の一羽の鳩を伴って、平賀へ飛び下ったそうです。この鷹の母はその昔、ある鷲に取り殺されたそうです。その鷲がかの鳩に落ち合った所を、鷹と鳩が一緒に母の敵を食い殺したそうです。そして鷹は宮中に戻り、鳩は八幡に帰ったといいます。その鷹が鳩と契って産んだ子を鳩屋と名付けたということです。その歌に、

  出羽のなる平賀の御鷹立ち帰り親の為には鷲をとりけり

  (出羽の平賀に鷹は舞い戻って親の仇の鷲を討ち取ったことだなあ)

 また二十鳥屋飼ったという一説があります(意味不明)。鶚(みさご)腹の鷹、獺腹(うそばら)の犬という交配の俚諺も見られます。

  礒の山雎鳩(みさご)の巣鷹取り飼はば獺の子孕む犬を飼ふべし

  (磯山の鶚の巣にいる雛鷹を飼いならすならば、同時に獺の生んだ犬の子を飼うべ

  きです)

 黄鷹とは一歳の鷹をいい、撫(なで)鷹とは二歳をいい、鴘(かへる)ともいい、片鴘(かたかへり)も二歳の鷹です。青鷹は三歳をいい、白鷹とは諸鴘をいいます。赤鷹とは白い斑のある鷹です。山陰とは山で一年を経た鷹です。山片鴘とは山一年で鳥屋で一年過ごしたものをいいます。箸鷹(はしたか)は一説には鷹の総称といいます。また鷂(はいたか)をいうという説もあります。袖中鈔では鳥屋出しの鷹をいうとあります。鳥屋出しの時、古箸に火をともして出すからといいます。また七月の御魂(盂蘭盆会)の時供える苧殻の箸を使うともいいます。

 半(はしたこ)とは兄鷹(せう)より小さく鷂(はいたか)よりは大きい鷹です。兄鷹は雄、白鷹は雌、つみ(常のへんに鳥のつくり)は雄、鷂は雌、覚(离のへんに鳥のつくり)(のり)は雄、零鳥(にさい)は雌、鷣(つみ)雄です。また栖(巣)鷹鴘(すたかかへり)とは、巣鷹(巣の中にいたひなの鷹)をその年飼って二歳になったものです。空取鷹(そらとりたか)とは鳥を空中で攻めて、草むらに入らずに飛んだまま取るのをいうのです。また「退羽撃つ」という表現には数多の意味がございます。

  除羽打つ眉白の鷹の餌袋に置(招)き餌もささで帰りつるかな

  (言いつけに背かないで飛んでいく鷹の招き寄せる餌は無用な事なので刺さないで

  帰ったことだよ)

 小鷹が鷹匠の指図に背いて飛んで行ってしまうので、それを「除羽打つ」といい、また、手を離れた鷹をもいい、またそれを野涯(のぎは)打つともいうのです。

  かりそめに見てし鳥立(とだ)ちをたちしのび交野の雉の野涯打つなり

  (交野の鳥立ち⦅鳥を集めるように作った草原》を飛び立ちかねている雉をとちょ

  っと見ただけで鷹は野涯を打った⦅矢のように獲物に向かった》ことだなあ)

  御狩する末野にたてる一松*たがへる鷹の*こいにかもせむ

  (帝が狩りをする末野に立っている一本松は手元に帰ってくる鷹の止まり木にしよ

  う)

  鳥屋かえる吾がたならしの箸鷹のくると聞こえる鈴虫の音

  (羽を生え替えさせるために鳥屋に私の手なずけた箸鷹が帰って来ると、秋の鈴虫

  の声が聞こえることだよ)

 また「除羽打つ」を「軒端打つ」ともいいます。「たがへる」「たならん(し?)」という表現は、「たとと(意味不明)」と同音です。また「十度返る」を「とかへり」と読むことがあります。それは鷹が毛が生え変わるのをいいます。鷹狩をもとかえりといいます。

 斑模様は、白符、真白符、また大黒符、小黒鴫符、卯の花符、鶉符、青符、赤符があります。羽には委(なえ)羽、熨羽、本羽、立合羽、風切火打羽、桙羽、平羽。位毛、下毛、晶(さより)毛、絃(ことぢ)毛、乱緋、乱糸、蛛(くも)手、目隠、足毛。尾には尾像尾、屋像尾、町像尾など、けならしには、なら尾、大石打、小石打など、芝引きの尾は只一羽で摺るのです(意不通)。

 さて、その鷹は、首や頭は白い線を施したようで、羽毛は班模様でした。内爪、懸爪、取居(すへ)、鳥搦みの指は太く、翼のつけねをいう髀間(かくたい)の部分は広くて馬の通るほどです。後方に三つの河を流すような模様を施し、前方には小山を抱きかかえるような相好は、前代未聞の見事な姿です。人々に心残りをさせまいと、鏡にその影を映しなさると、その面持ちは稚児にして姿は鳥、迦陵頻伽の形に生き写しで、高く舞い上がり、雲仙(雲の彼方か?)へと飛び昇りました。三千坊の大衆が舞童を賞嘆していた大音声は、俄かにひっそりと哀傷悲歎のささめきとなって、そのみな涙で着衣の袖を濡らしたのでした。この時の鏡に映る風情は、十明達や、十羅刹のようです。鷹の姿は昔の玉若殿の麗しい容色を失ってはいません。まるで帝釈天がこの世に現れたかのようです。舞台の上の舞童は一円乗の守護神で、当比叡山の鎮守の、日吉山王が稚児として現じ、今日の法会を執り行いなさったかのようにきらびやかです。また西方浄土にいらっしゃる二十五の菩薩達が、伎楽や歌詠をして舞い遊びなさっても、この法会にはどうして勝りましょう、いやとても及びません。

 昔、大覚世尊(ほとけ)が霊鷲山にいらっしゃって、同居・方便・実報の三つの現世世界を司っていましたが、その三つの世界の成道(悟りを開く事)が今ここに達成されました。ですから「亡霊玉若殿は、忽ち歌菩提、舞菩提のお迎えをいただき、直ちに歌詠如来の果位(悟りの境地)に登り、六義(和歌)の華やかな才能を簪にして、極楽往生する九品の蓮台に到る方であってほしい。」と思う、見聞きした貴賤、集い会った尊卑も、ことごとく邪見の妄執を捨てて、無生の法忍の心の安らぎの覚えるような、僧俗相集った大法会として、天下無双の梵筵(仏教の宴席)でした。ただ生前の願いを成就するだけの法会ではありません。人々の滅後の証果(仏果が現れること=往生)も惑いありません。

 このようにして修善の供養は終わり、導師の僧正は高座を下り、持仏堂に閉じ籠もりました。そのまま軽い病にかかっていましたが、ある日、身を洗い清め浄衣を着て、縄床の椅子に趺坐して泊然として(心静かに)、往生なさいました。その時筆を染め、辞世の歌に、

  貯敷(たのもしき)四種曼陀羅の光かな吾が後の世もくらからんやは

  (四種曼陀羅の光り輝く図は頼もしいことだなあ。私が死んだあと行く世界も暗い

  ことがあろうか、いやきっと明るいだろう)

原文

 然る処に右の者共が「*新鳥蘇」と云ふ、鳥類の楽の最中に虚空より白鷹、千部の経結縁の為かや、舞下りけり。

 凡そ吾が朝、鷹の起こりを申せば、人皇十七代の帝、仁徳天皇四十三年乙卯歳九月、*西ほく(棘に似ているが、束を二つ並べてその下に人を書く)百済国より名鷹を渡さる。其の使ひの船、越前の国敦賀の津に泊まる。同国に丹生の北郡、正頼公の采邑の地なり。*帠(ゆへ)を以つて公に勅して百済使節を迎へしむ。正頼敦賀に下り、彼の名鷹を請け取り、*玄黄玉帛の盛礼を具へて西ほく(束束の下に人を書く)の*皇華を労ひて、また密かに古竹と云へる美女を送る。彼の使節、廼(すなは)ち懇懃の志を謝して家伝の秘書、鷹飼、犬飼の装飾正頼公に授く。公彼の使者に送る歌に、

  *こちくてふことかたらはば笛竹のひとよのふしも人に知らすな

 是を笛竹の歌と云ひ、故に「笛竹の鈔」と云へる秘書あり。精微蘊奥は留めて*旃の巻にあるとかや。正頼公、彼の使臣と上洛し、鷹幷に秘訣等を叡覧に備へ、天皇乃ち正頼公を鷹将(匠)として勢子遠見を調(ととの)へ、*春蒐補耕の法の始め、*秋獮省斂の道を興し給ふ。其の後奇瑞に依りて、彼の鷹を富士山に放さる。乃ち八王子を生ず。本朝鷹の道の濫觴なり。彼の正頼公は古の*爽鳩氏郅都官の属(たぐひ)の如し。寔は*曼殊室利の後身、*諏訪大明神垂迹なり。*方便の殺生は菩薩の万行に超ゆる和光の利益を致し、衆芸の場に出でて、殺心を施して慈となし、群書の圃に遊びては、文徳を修め武とす。*韘(ゆがけ)を佩びて右顧すれば*緑鞲霧を縈(まと)ふて、*鴂鵙鵠を択り、餌(ゑば)を執りて左旋すれば、*朱緤雲を穿ち、*鵰鷲兵を伐つ。*攣旋子、餌袋、へをまき(角へんに發)鞭桙、左右近衛の節々、随身の狩装束、犬飼鷹飼の緋の衽、藤紺の袴、革袴、錦の帽子、責子の杖等の法を定む。

(注)新鳥蘇=「しんとりそ」、舞楽の曲名。高麗楽

   西ほく=未詳。仁徳天皇の御代の放鷹の起源としては、「群書類従」や「古事類

    苑」を参照すると、「日本書紀」には、阿弭古(あびこ)氏が捕らえた稀鳥を

    帝に献上したところ、酒君(公)(さけのきみ、もしくはしゅこう)が、「こ

    れは百済でいう倶知(くち)である。」と言い、飼いならして鳥を狩ったのが

    初めだとある。酒公は百済の王族でらる。「嵯峨野物語」では仁徳天皇の御代

    に高麗から鷹が献上されたとある。これも「酒のきみ」が飼育したとある。

    「養鷹記」では、仁徳46年に百済が使者を遣わして、鷹と犬を献上したとあ

    る。使者が越州敦賀の津に着くが、その時の鷹飼が米光、犬飼が袖光といっ

    た。勅命を奉じた政頼は敦賀に赴き米光に就いて鷹狩を学んだという。政頼は

    帝に賞せられ采邑を賜ったとある。「鷹経弁疑論」では、仁徳16(46か)

    年に摩訶陀国(インドのガンジス川州流域の国)から越前敦賀の津に駿王鳥と

    呼ばれた鷹が持ち運ばれた。鷹匠は勾陣、またの名を采毛といった。姿は僧の

    ようで帽子をかぶっていた。公卿たちは僉議して勅命で蔵人政頼を派遣したと

    世に言われるが、(事実に)相応しないとある。「小倉問答」には、唐より

    「俊鷹」という鷹を持参して渡来したシュクヮウ(光)という鷹匠は、三年間

    滞在して帰国の際に美人「こちく」に鷹書一巻を与えたとある。「鷹聞書」の

    「鷹秘抄」では、仁徳46年に百済から名鷹「くりてう」に十二巻の文書が添

    えれられて献上されたが読むことができなかったとある。使者は帽子をかぶり

    僧のようであったという。やがて政頼の時代にから(唐もしくは韓)の鷹飼い

    が敦賀の津にやってきて、十二巻の書を開いて、十八の秘事三十六巻を習っ

    て、そのお礼に「こちく」というはした女を与えると、鷹飼いは喜んで鷹匠

    装束や道具を差し上げたという。鷹の道を学んだ政頼は上京の際にこちくに極

    意は秘密にするように和歌を送る。それは「夜とる沢の水」という秘薬の事で

    あるという。その他、「啓蒙抄」に「兼光」兼光とこちくの娘で政頼の妻は

    「朱光、もしくはよねみつ」、「政頼流鷹方之書」では、鷹飼いは「来光」犬

    飼いは「由光」、「政頼流鷹詞」では鷹飼いは「米光」犬飼は「田光」、「鷹

    秘伝書」では、鷹飼いは「米光」犬飼いは「神光」。

     「西ほく」に該当する固有名はどれだろうか。あるいは役職等の一般名詞か

    もしれない。

   帠=法(のり)という意味だが、「ゆへ」という訓はわからない。あるいは

    「帛」か。

   玄黄玉帛=黄色や黒色の素晴らしい供物、贈り物。

   皇華=勅使。来朝したことをいうか。

   こちくてふ・・・=「こちく」は美女の名であるが、呉竹もしくは胡竹(横笛)

    も意味し、それが「此方来(こちく)」とかけているのであろう。「ことかた

    らふ」は「語り合う」のだが、男女の仲で言い契るニュアンスもある。「笛

    竹」は「ひと節」を引き出し、「一夜」と掛ける。「ふし」もメロディーであ

    り、秘伝の一節だろう。「こちく」「笛竹」「ひとよ」「ふし」は縁語。歌の

    こころは、「こちくという美しい女性と一夜語り合ったならそのことは人には

    知らせないでおくれ。同じように胡竹の笛の音は一節も人に聞かせてはいけな

    いし、『こちく』の秘事は誰にも秘密です。」か。

   旃の巻=笛竹抄の巻名か。秘伝の類が書かれていたのか。

   春蒐補耕・秋獮省斂=「春蒐・秋獮」は春の狩や秋の狩で、耕作や収穫を補うこ

    とか。「天子適諸侯曰巡狩、諸侯朝於天子曰述職。春省耕而補不足,秋省斂而助不

    給。(孟子・告子下)」という記述がある。天子は狩と称して春秋に巡察して農具

    を補助したり、労働力を補った、ということか。

   爽鳩氏郅都官=爽鳩は鷹類の鳥名。爽鳩氏は五帝である少昊の司寇。郅都は前漢

    景帝時代の官吏。「蒼鷹」と呼ばれ恐れられた。

   曼殊室利=文殊師利。文殊菩薩

   諏訪大明神=武道の神、狩猟の神とされる。

   方便の殺生=鷹狩の殺生を仏の方便として正当化する論理。学問が武勇に通じと

    いう逆説と対にして説いている。

   韘=鷹匠が左手にはめる革製の手袋。

   緑鞲=緑色の鞲(たかだぬき)。鷹を腕に止まらせる革の手袋。

   鴂鵙鵠=鴂(もず)鵙(もず)鵠(つる、白鳥)。

   朱緤=朱色の緤(きずな)。

   鵰鷲=オオワシ。飼鷹がオオワシを討つのか。飼っているのがオオワシで兵を討

    つのか。前者に取る。

   攣旋子=以下鷹狩の道具か。  

 同じ代、*雲雀野の御幸より以降(このかた)*大原野、小塩、小野渡、淡津の野、嵯峨野の原、交野、御野、小倉の峯、禁野の帰るさ、薦野、岩瀬野、鳥屋野、百舌野、宇多、芹川の*勝遊絶ゆる事なし。殊更*大鷹、野曝しの熨羽、山鴘の上羽、峯飛渡る箸鷹の谷越え風流れ、升掻の羽見伏せ、窮(つか)れを搦む草執り、木居(こゐ)懸る鈴の音、またす立たずして摺り立て、雎鳩の羽使の動ぎ草、落羽も早き隼や、*白鷹、兄鷹(せう)、鷂(はいたか)つみ(堂の上に下が木のへんに鳥のつくり)、?(堂の上に下が川のへんに鳥のつくり)、雀𪀚(えつさい)、兄鷂(このり)や差羽(さしば)、眉白(まみじろ)の鷹、真白符(ましらふ)羽白、古の天皇の*磐手野守、延喜の帝白兄鷹、一条院の鳩屋、赤目、雎鳩腹、後一条院の難波、藤沢、山蛾等、柄巻、平賀鷹と申す共、屑(もののかず)にて候はじ。

(注)雲雀野=未詳。

   大原野=以下天皇の遊猟のために出入りを禁じられた標野(禁野=しめの)。

   勝遊=楽しく遊ぶこと。

   大鷹=以下はそれぞれの鷹の飛び方やしぐさか。

   白鷹=以下は鷹の種類。この辺は何かの資料を能く咀嚼しないで列挙しているの

    ではないかと思えてしまう。

   磐手=「大和物語」に見える平城天皇のお気に入りの鷹。以下帝の愛鷹。

 *彼の鳩屋鷹と申すは、昔出羽の平賀と云ふ所より名鷹を帝王に奉る。此の鷹放たれて*八幡に行き鳩中に交はる。漸く鳩も恐れず。或時此の鷹鳩一つと伴ひ、平賀へ飛び下る。此の鷹の母鷹其の古、鷲にとらる。其の鷲彼の鳩に落合ふ処を、鷹鳩相共に母の敵の鷲を食ひ殺す。鷹は宮中に参り、鳩は八幡に帰る。其の鷹鳩と契りて子を生みたるを鳩屋と名付けたりと云へり。其の歌に、

  出羽のなる平賀の御鷹立ち帰り親の為には鷲をとりけり

 また*二十鳥屋飼ひたるを云ふと一説あり(?)。*雎鳩(みはと)腹の鷹、獺腹(うそばら)の犬と云ふ事あり。

  礒(いそ)の山雎鳩(みさご)の巣鷹取り飼はば獺の子孕む犬を飼ふべし

(注)彼の鳩屋鷹=「かの」と冠されるほど知名度があったのか。

   八幡=京都府八幡市石清水八幡宮がある。鳩が峯という山もある。鳩は八幡神

    の使い鳥。

   二十鳥屋=未詳。

   雎鳩腹=鶚腹。鷹が鶚と交尾して生ませた子。「古今著聞集」に逸話あり。

 *黄鷹とは一歳を云ひ、撫(なで)鷹とは二歳を云ひ、鴘(かへる)とも云ひ、片鴘(かたかへり)も二歳なり。青鷹は三歳を云ひ、白鷹とは諸鴘を云ふ。赤鷹とは*白符にあり。山陰とは山にて一歳経たるなり。山片鴘とは山一年鳥屋一年を云ふ。箸鷹(はしたか)は一には鷹の摠(総)名と云へり。また鷂(はいたか)を云ふともあり。袖中鈔には*鳥屋出しの鷹を云ふ。鳥屋出しの時、古箸に火を燃(とぼ)し出だすなり。また*七月の御魂の箸とも云ふ。半(はしたこ)とは兄鷹(せう)より小さく鷂(はいたか)よりは大なり。兄鷹は雄(をたか)、白鷹は雌、つみ(常のへんに鳥のつくり)は雄、鷂は雌、覚(离のへんに鳥のつくり)(のり)は雄、零鳥(にさい)は雌、鷣(つみ)雄なり。また栖(巣)鷹鴘(すたかかへり)とは、巣鷹を其の年飼ひたるなり。空取鷹(そらとりたか)とは鳥を飛び攻めて、草に入らず空にて取るを云ふ。また*のきばう(退羽撃)つに数多(あまた)の儀侍り。

  除羽打つ眉白の鷹の餌袋に*置(招)き餌もささで帰りつるかな

 小鷹は常に主に背いて飛ぶ間、除羽打つと云ひ、また逸るる鷹をも云ひ、また野涯(のぎは)打つとも云へり。

  かりそめに見てし*鳥立(とだ)ちをたちしのび交野の雉の野涯打つなり

  御狩する末野にたてる一松*たがへる鷹の*こいにかもせむ

  *鳥屋かえる吾が*たならしの箸鷹のくると聞こえる鈴虫の音

 また軒端打つとも云へり。たがへる、たならん(し?)と云ふ事は、*たととと同音なり(?)。また十度返るをとかへりと読む。また毛を替ゆるをも云ふ。鷹狩をもとかへりと云ふ。

 符(斑)には白符、真白符、また大黒符、小黒鴫符、卯の花符、鶉符、青符、赤符。羽には委(なえ)羽、熨羽、本羽、立合の羽、風切火打羽、桙羽、平羽。位毛、下毛、晶(さより)毛、絃(ことぢ)毛、乱緋、乱糸、蛛(くも)手、目隠、足毛。尾には尾像(かた)尾、屋像尾、町像尾、*けならしは、なら尾、大石打、小石打、芝引きの尾は只一羽に摺(たた)み成せり。

(注)黄鷹とは=以下鷹の種類。斑や羽、毛や尾の種類を列挙する。

   七月の御魂=盂蘭盆会のこと。鷹の鳥屋出しはお盆過ぎで、その時古い箸、もし

    くはお盆の供物に供える苧殻の箸を燃やして出すらしい。

   白符にあり=「白符」は白斑の鷹であろう。「にあり」は断定の助動詞。「な

    り」と同じ。「復讐するは我にあり(聖書)」。

   鳥屋出し=成鳥になって鳥小屋を出る事。

   のきばうつ=鷹が鷹匠の手を離れて高く舞い上がる事。また獲物めがけて矢のよ

    うに飛び立つ事、飼い主に背いて飛び立つ事、獲物を取り得ないで羽ばたく

    事、などをもいう。

   置(招)き餌=鷹を呼び寄せるための餌。

   鳥立ち=鷹狩のために鳥が集まるように設けた湿地、沢、草むら。

   たがへる=手返る。鷹が鷹匠の手に返る事。

   こい=木居。狩の鷹が止まっている木。

   鳥屋かえる=夏の末に鷹が鳥屋にこもって羽が抜け落ちて冬に生え整うことを

    「鳥屋」という。そのために鳥屋に帰ることをいうか。

   たならし=手なずける事。

   たとと=未詳。「手」を意味する「た」にかかわる言葉か。

   けならし=意味不詳。「大石打」「小石打」が鷹の尾羽の名称なので、その関係

    か。音は「毛ならし」「飼いならし」に通じている。

 *首頭は白線を蒙るが如く、羽毛は班帖を著せたるに似たり。内爪、懸爪、取居(すへ)、鳥搦みの指太く、*髀間(かくたい)は広くして馬の通る計なり。後ろに三河を流し、前に小山を抱いたる相好、前代未聞の見事なり。人に思ひを尽くさせじと、鏡に影を移(映)し給へば、面は児して姿は鳥、*迦陵頻伽の形を移し、除羽打ち、雲仙と飛び昇る。三千坊の大衆は舞童を感ずる大音声、俄かに哀傷悲歎の小音(こごゑ)になりて、着衣の袖を湿(ぬら)しける。此の時の風情、*十明達、十羅刹の鏡に影を移し給ふか。また鷹の姿昔の潤色を忘れず。帝釈天の影向か。舞台の上の舞童は一円乗の守護神、当山の鎮守、日吉山王の児と現じ、今日の法会を取り行ひ給ふか。また西方浄土に御座ます二十五の菩薩達、妓楽歌詠して舞ひ遊び給ふとも、是には如何に勝るべき。

 昔、*大覚世尊霊鷲山に御座して、*同居方便実報三土の位を司り、三所の*成道今茲に顕たり。然れば「亡霊玉若殿、忽ち*歌菩提、舞菩提の来迎に預かり、直ちに歌詠如来の*果位に登り、*六義の才花を簪にし、*九品の蓮台に到らん者をがな。」*と、所謂見聞の貴賤、集会の尊卑も、悉く邪見の妄執を捨て、*無生の法忍に入らん、真俗相依の大法会として、天下無双の*梵筵なり。豈に生前の所願を成就するのみならんや。滅後の証果惑ひなき者なり。かくて修善の事終はり、導師僧正高座を下り、持仏堂に閉ぢ籠もり、微疾を受けず(受す?)、或時*澡浴浄衣して、*縄床に趺坐して泊然として、往生し給ふ。其の時筆を染め、辞世の歌に、

  貯敷(たのもしき)四種曼陀羅の光かな吾が後の世もくらからんやは

(注)首頭は=やっと本題に戻った。少年時代に読んだ「レ・ミゼラブル」に近い冗長

    さである。もっとも、この書は冗長な部分が本題で、稚児物語的な部分が付け

    足しなのだろうが。

   髀間(かくたい)=鷹の部分の名称。翼のつけねのあたり。

   迦陵頻伽=人面美女、美声の鳥。

   十明達、十羅刹=「明達」聡明で道理によく通じている人。「十人の明達の士」

    が「十羅刹女」と対に存在するのか。「十明」+複数形「達」かも。「十羅刹

    女」は、法華経受持の人を護持する十人の女。

   大覚世尊=仏の尊称。

   同居方便実報三土=凡聖同居土・方便有余土・実報無障礙土の三つの国土。四土

    から「定寂光土」を抜いたもの。

   成道=悟りを開いて仏となること。

   歌菩提・舞菩提・歌詠如来=未見。造語であろうか。ありそうな言葉ではある。

   果位=仏道修行によって得られた悟り。

   六義の才花=「六義」は和歌を指すか。「才花」は「才華」。才華は優れた才

    能、華やかな才能。花の比喩として簪にたとえた。

   九品の蓮台=極楽浄土に往生する時に座る蓮台。

   と=受ける部分が不明。なんとなくわかるが係り受けが判然としない。意訳しま

    す。

   無生の法忍=一切のものは不生不滅であることを認めること。また、その悟りを

    得た心の安らぎ。

   梵筵=仏教の宴席。法会。

   澡浴浄衣=身を洗い清めて清浄の衣を着ること。

   縄床=座面や背もたれを縄を張った作った椅子。