religionsloveの日記

室町物語です。

花みつ③ー稚児物語3ー

上巻

その5

 別当を始め人々は、「かわいそうに、花みつ殿は母に先立たれて、いつの間にか父さえ心変わりして、疎(おろそか)かに扱うように見えなさるにつけても、先ずは月みつ殿をいとし子と思っているのだろう。」と思って待遇し(月みつの方を大切に扱う)なさるのも道理である。

 ようやく京の争乱も鎮まって、岡部は播磨に下向し、「花みつは成人したか。月みつはどうか。」と問うと、継母は、「兄弟そろって大人っぽくなりましたが、花みつは最近学問を怠って、野山に宿って別当の坊にも全く一夜も寝ないで、若い同宿たちと連れ立っているので、別当が御勘当なさったと承っております。私としても疎略に扱っていたつもりはありませんが、このような事を聞くと恨めしく思います。」と言って涙を流すので、岡部は聞きなさりながら、「そうであったか、しかしまことの親ではないので弁護もしないで、父の私にまでもこのように花みつの讒言を聞かせるのだ。」と残念に思いながらも、「もしかしたら、この女房の嘘ではなく、本当にそのような事があるかもしれない。」と思って、花みつを強引に呼び下らすのも、別当の機嫌を損なうことになろうと、月みつを呼んで事の事情を糺そうとお思いになって、手紙を遣わした。手紙には、「月みつだけ山を下りなさい。花みつは改めてこれから迎えを上り遣わせよう。」と書いてあった。

 花みつは心中、「さては父上もきっと心変わりなされたに違いない。私は兄なのでまずは私を先に呼び寄せて下らせるはずであるのに、月みつだけを呼びなさるとは、思いもかけない事だ。」と涙ぐみなさるのを、月みつはご覧になって、「私共が父上の元へ参って、兄上の事もよきように申して、今日のうちにでもお迎えを上らすようにいたしましょう。」と言って出て行きなさるので、「羨ましいことよ。月みつは弟であるのに、母親がいらっしゃるので、父上の取り扱いも丁寧で、里へ下がることだなあ。父の御前ではよきように頼むぞ。」と言って以前からいた部屋に閉じこもって、涙を袖に包みなさってうつ伏していらっしゃった。

 月みつも名残惜しげにしばらくは輿にも乗らず、同宿を近づけて、「花みつ殿をお慰め下さい。私が父上にお目にかかったならば、よいように申し上げて、どのような御不興でも、我が身に代えて御機嫌をお直し申し上げましょう。」と無邪気におっしゃる月みつ殿のお気持ちこそありがたいことである。

その6

 月みつが急いで里へ下りなさると、岡部殿はお会いになって、「もう下ってきたのか。この数年会わない間に美しく成人したのはうれしいことだ。さすがに山育ちという事で、色は白く上品で物言い人当たりに至るまで、我が子とも思われない。花みつも幼い頃から一際美しかったので、いよいよ立派に成人しているだろうな。」と涙を抑え、「どうして別当は勘当なさったのか。すぐにでも参上し、別当の御前に伺うことも許してもらって、面会したいものだ。」と思って、再び月みつを連れて書写山へ上りなさった。

 別当は出てきてお会いなさり、様々にもてなしなさるが、あたりを見るに、同じような稚児は並び居るが、花みつは見えなかった。岡部が心中思うに、「きっと別当の勘当は深いのだろう。私がごくまれに伺ったことであるから、大概の勘当は許して面会させてくださるだろうに、部屋に押し込めておきなさるとは恨めしいことよ。」そうはいっても、師匠が諫めていなさるのを、不躾にお許しになって会わせてくださいとは言いづらく、こぼれる涙を押しとどめて世間話ばかりをするのであった。別当もまた岡部殿が不機嫌そうで、花みつの事を一言もおっしゃらないので、言い出すこともできないで、花みつの部屋へ立ち寄って、「花みつよ御身は本当に父上の不興を買っているようだ。しかしながら今すぐにでも、事情を説明して誤解をお解きなさい。不安にお思いにならないで。」と慰めの言葉をかけて座敷に戻りなさる。

 花みつ殿は何もおっしゃらず、ただ、「よろしいように(なさいませ)。」とだけ言って障子の陰に隠れていて、遠くから父上を御覧になって、恨めしくも懐かしくもあり、とめどなく涙をお流しになるのであった。

 岡部は思いに堪えかね、「今は申しましょう。ここに急いで上ったのは、花みつに会いたくて参ったのです。法師の役目としてせめて一言でも別当殿、ご説明ください。それについてはどのようなお怒りがございましても、お許しを請い申し上げるのに。何もおっしゃらないとは、どれほど重大な咎を花みつは犯したのでしょうか。」と言おうかと考え込んで、顔色も普段とは違って、心浮かない様子なので、別当はその態度を見て、「いやいや、岡部殿は機嫌が悪そうである。不躾に言い出してもまずいことになりそうだ。」とお互いに心を隔てて、その日を空しく送りなさった。それが長い別れの初めだとは、後になって思い当たる事だった。

原文

その5

 別当を始め人々思ひけるは、「いたはしや。花みつ殿は母に遅れ給へば、いつしか父さへ心変はりて疎(おろ)かに見え給ふ上は、まづ月みつ殿こそ思ひ子なれ。」とてもてなし給ふも理なり。

 やうやう京都鎮まりて、岡部下り給ひ、「花みつは成人しけるかや。月みつはいかに。」と問ひ給へば、継母のたまふ。「兄弟ながらおとなしくなりけるが、花みつはこのほど、学問を怠り野山を家として別当の坊にも一夜とさらに寝ず、*若同宿を伴ふ故、別当御勘当の由を承る。我とても疎かには思はぬに、かかる事を聞くも恨めしく候。」とて、涙を流し給へば、岡部聞き給ひ、「さればこそ、まことならぬ親なれば、我にだにかかる事を聞かするよ。」と恨めしく思ひながら、「もしまた然様の事もやありなん。」と思ひ、*押して呼び下さんも別当の心を破るなれば、月みつを呼びて事の由を問はんと思し召し、御文を遣はされけるに、「月みつばかり下るべし。花みつはまたこれより迎ひを上すべき。」あり。

 花みつ心に思し召しけるは、「さては父も御心の変はりける事の疑ひなし。我は兄なれば先づ呼び下し給ふべきに、月みつばかり呼び給ふ事の不思議さよ。」と涙ぐみ給へば、月みつこの由を見給ひて、「我々参り御身の事をもよきやうに申し、今日のうちに御迎へを上せ申すべき。」とて出で給へば、「うらやましやな。月みつは弟なれども、母のましませば、父の御もてなしもいみじく、里へ下り給ふかや。*御前をよきやうに頼むぞや。」とて、ありし部屋に立ち籠りて、涙を袖に包み給ひて、うち臥してこそおはしけれ。

 月みつも名残惜しけ゚に、しばし輿にも乗らずして、同宿を近づけて、「花みつ殿を慰めてたび給へ。父の御目にかかりなば、よきに申していかなる御不興なりとも、わが身に代へて申し直し候はん。」と何心もなくのたまふ月みつ殿のこころざしこそありがたけれ。

(注)若同宿=若い同僚の僧。

   押して=無理に。

   御前=貴人の事か、対称の代名詞。婦人に多く使われるので継母かとも、話し相

    手の月みつともとらえられるが、ここでは「父御前によきように申し上げてく

    れ」の意だろうか。

その6

 急ぎ里へ下り給へば、岡部殿御覧じて、「早くも下りけるぞや。この年月見ざるその暇に美しく成人しけるこそうれしけれ。さすが山育ちとて色白く、*尋常にて物言ひ*さし合ひに至るまで我が子とも思はれず。花みつも*幼立ちも一際美しくありつれば、いよいよ成人してやあるらん。」と涙を抑へ、「何とて別当は勘当し給ふぞや。早く参りて、別当の御前をも許し、相見ばや。」と思ひ、また月みつを連れて書写の山へぞ上り給ふ。

 別当、出で会ひ給ひ、様々にもてなし給ふが、あたりを見れども同じやうなる児は並び居けれども、花みつは見えざりけり。岡部心に思し召しけるは、「さては、別当の深き勘当と覚えたり。我たまたま参りたる事なれば、大方の勘当をば許し給はんに、押し込めて置き給ふ事の恨めしさよ。」さればとて、師匠の諫め給ふ事を、卒爾に許し給へと言ひ難ければ、こぼるる涙を止め、浮き世の事をのみ語り給ふ。別当もまた、岡部殿の不興なれば、一言ものたまはねば、言ひ出だす言葉もなくして、花みつの部屋へ立ち寄り、「御身まことに父の不興と見えたり。さりながらただ今のほどに、言ひ直して参らすべし。心安く思し召せ。」と慰め置きて座敷に出で給ふ。

 花みつ殿はとかくの事ものたまはず。ただ、「よきやうに。」とばかりのたまひて、障子の陰に隠れ居て、余所ながら父を見給ひて、恨めしくも懐かしくも、いとど涙を催し給ふ。

 岡部、思ひに堪えかね、「今は申すべきや。これへ急ぎ上る事も、花みつが見たさにこそ参りつれ。*法師の役にはせめて一語なりとも別当ののたまへかし。それにつきていかなる不興なりとも、申し許すべきに、何とも仰せられぬこそ、いかばかりの咎をかしつらん。」案じ給へば、顔の色も違ひ心も浮かぬ風情なれば、別当見給ひて、「いやいや、岡部殿の気色悪しく見えければ、卒爾に申し出だして悪しかりなん。」と、互ひの心の隔てにて、その日を空しく送り給ふ事、長き別れの初めとは後にぞ思ひ知られたり。

(注)尋常=目立たなくてなんとなく品がよいこと。

   さし合ひ=人当たり。

   幼立ち=幼い頃の成長の様。

   法師の役=原文「ほうしのやく」。とりあえず漢字を当てて解釈したが、「法師

    の役」という用例は未見。

   ※ 花みつは父が自分を嫌いになったと誤解し、岡部は別当が花みつを疎んじて

    いるのだと誤解し、別当は岡部が、自分にも不興で、花みつに対しても何か思

    う所があるのだろうと誤解している。この心の綾が事態を悪い方へと進める。