religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り⑥ー稚児物語2ー

下巻

その4

 さて、邸を出るには出たが、夜は深く行き交う人もいない。「どこにいったらいいのかしら。」となにも思い浮かばず立ちつくしていると、樵(きこり)らしき者がニ三人、山の方へ歩いていくのでついていきなさる。一行は山の険しい方へと行くので、か弱き足は痛く、追いつくことはできない。樵はどこへ行ってしまったのだろうか、もう見えもせず、細々とした暗い小道を足に任せて行きなさると、横雲は(こととしくて)明けていく様子ではあるが、「誰かに見とがめられようか。」と悲しい気持ちで木の下に隠れて立って見ていると、聞こえるのはただ賤しい樵の薪を伐る音だけである。

【奈良絵本のみ和歌あり】

  なげきこる山路の末は跡絶えて心砕くる斧の音かな

  (樵が投げ木を伐るという山路は、人の踏み跡も絶えている。斧の音は嘆いて心が  

  砕けるように聞こえる)

 激しい嵐に楢の葉がざわめいているのが、ぞっとするほど恐ろしく、悲しいので、「ああ、どのような恐ろしい物の怪でも私にとりついて、私を亡き者にしてほしい。」と思いなさる。

 一日中山をさまよったが、身を投げる川も見つからない。川の水屑ともなることはできないで、深い山の中をとぼとぼと歩きなさったのであった。

 次第にあたりは暮れていき、どこもかしこもほの暗く、篠の小笹を渡る風は身に染みる心地で、息も絶えそうに思われる。

 谷の方に灯火がほのかに見えたので、死を決意した身ではあったが、「とりあえずこの火の光の元に行ってどうにかしよう。」と思われて訪ねなさる。

【奈良絵本のみ和歌あり】

  みちの辺の草葉の露と消えもせで何にかかれる命なるらん

  (道の辺の草葉の露のように消えてしまわないで、何にかかって生きている露の命

  であるのだろうか)

 仮住まいのような粗末な柴の庵の戸を叩きなさると、しわがれた恐ろしい声で、「何者じゃ。」と言うので、「しばしのお宿をお貸しください。」とおっしゃると、背丈が軒ほどもある尼天狗が、紫の頭巾を被りくちばしからは長く火を吹きながら、「いったいどのような方がこんな所へいらっしゃったのですか。人が来るところではありません。お帰りなさい。」と申し上げると、姫君は、「ただ今宵だけです。泊まらせてください。」とお願いする。

【奈良絵本のみ和歌あり】  

  風渡る篠の小笹のかりの世をいとふ山路は思はましかば

  (風の渡る死にに小笹を刈るわけではないが、この仮の世を厭いながら行く死出

  の山路と思えたら歩き続けるのでしょうが⦅そうではなさそうなので泊めてくださ

  い⦆)

 中に入って見ると、炭櫃(火桶)に何かの肉の塊(人肉か)が串にさして立てて並べられている。

 「鬼の住処であったのか。」とこの上なく恐ろしく思うのであった。

その5

 尼が申すには、「私は少々神通力を得ているので、あなたの御心の内もわかります。あなたの思っている人も、まもなくここへいらっしゃるでしょう。私はもの恐ろしげで、もののあわれも知らない者でございます。稚児殿が来た時にあなたがここにいらっしゃっては具合が悪いでしょう。この厨子に入って、こっそり覗きなされ。」と言って大きな厨子の中に姫君を入れた。

 翌日の午の刻ほど、雨がパラパラと降り、風がそよそよと吹いている時に、山を轟かせて、梢を震わせてののしり騒ぎながら夥しい数の天狗が訪れてきた。

 姫君の恐怖はたとえようもなく、仏の御名を唱えて厨子の中でじっとしていると、香染の僧衣を着た白髪交じりの山伏が、脇から人を取り出したのである。姫君が凝らして見るとあの今参りであった。

 不思議な思いでご覧になっていると、恐ろしげな者どもが大勢居並んで、酒を取り出し、めいめいが酒盛りをしている。

 この稚児は正気を失っているのか、ぼうっとして、生きているかいないのかもわからない様子である。この尼が、「この稚児はひどく疲れていなさるようです。暫く私にお預けなさいませ。介抱いたしましょう。連れ歩きなさってうっかり殺してしまったならば大変ですよ。」と申し上げると、一座の棟梁と思しき者が、「師の僧正がひととおりなく祈祷いたしておるとの事なので、片時をも身を離れさせるわけにはいかないのだ。」などと言って肉塊をむしゃむしゃ食べているのを、厨子の隙間から見なさっている姫君の御心の恐ろしさは筆舌に尽くしがたい。

その6

 尼天狗はあれやこれや言って、どうにか稚児を預かったのである。

 「もしもこの稚児を失くしたならば、尼よお前の命はないぞ。」こう言い残して天狗たちが帰ったので、厨子の中から姫君を取り出し稚児に間近で見せた。稚児は全く気付かない様子でいるので、尼は印を結んで祈りをかけ、何かの薬を立てて飲ませた。

 そうすると、この稚児は意識を取り戻して、姫君を見て抱き合い、お互いの袖を押し当てて泣くばかりであった。

 しばらくの間、心を落ち着けなさって、夢のようだった自身の様子を、語り合いなさるが、他人である尼の袂にも収まりきらない程の涙が溢れて申し上げる。「私は昔から非情の心の持ち主であったので、このような畜類となったのですが、どうにかしてこの姿を改めて、仏道に入りたいとも思っていました。ですから私の命に代えても都へお返しいたしましょう。私の子らがこの尼死んだ証拠をお見せするでしょう。私の追善供養をなさってください。これからお行きになるところは、尊勝陀羅尼の慈救の呪をお唱えくださいませ。」と申すので、二人はこの上なく喜んだ。

 「さあ、それでどちらへいらっしゃいますか。」と尼が申すと、「乳母の元へ。」とおっしゃる。尼は二人に目を閉じさせると、脇に挟んで空を駆けて、宇治の乳母の元まで行って、縁側に二人を下ろして、かき消すようにいなくなってしまった、ということである。

原文

その4

 出で給へれども、夜深ければにや、行き交ふ人もなければ、「いづくへ行くべし。」とも覚えず、立ち煩ひておはするに、木樵(こ)る者のニ三人、山の方へ歩みけるに付きておはしましけるに、山*険(さが)しき方へ行くに、御足も痛く追ひもつき給はねば、木樵る者はいづくへか行きぬらん、見えざりければ、木暗き(あるいは小暗き、か)細道を足に任せておはしませば、横雲*こととしくて明け行く気色なるに、「人や見ん。」といと悲しくて、木(こ)の下に立ち隠れ給ひて見給へば、訪るるものとては*賤(しづ)が妻木の斧の音、嵐はけしき楢の葉の、そよめきわたる、ものすさまじく、悲しき事とやる方なければ、「あはれいかなる恐ろしき物も、取りて亡き者ともせよかし。」と思ひ給ふ。

 *日暮らし山に惑ひ給へども、川など近くとも見えねば、底の水屑ともなり給はで、深き山の中にぞたどりありき給ひける。

 やうやう暮れゆくままに、このもかのも小暗くして、篠の小笹を渡る風、身に染む心地して、消え入るやうに覚え給ふ。

 谷の方に火の光ほのかに見えければ、捨てぬる身ながらも、「この光にこそともかくもならめ。」と思して尋ねおはしたれば、*かりそめげなる柴の庵なる、うち敲き給へば、かれたる声の恐ろしきにて、「いかなる人ぞ。」言ひければ、「しばし御宿貸させ給へ。」との給へば、丈、軒と等しき*尼の、*紫のほうしして、くちはし長き火をふりていでて、「いかなる人なれば、これへはおはしぬる。人来ぬ所にて侍り。帰らせ給へ。」と申せば、「ただ今宵ばかり置かせ給へ。」と言ふに、*入りて見給へば、炭櫃に何にかものの*ししむら立て並べたり。

 「鬼の元にこそ。」と恐ろしき事限りなし。

(注)険しき=さかしいと読む。険しいの意。

   こととしくて=語義未詳。

   賎が妻木の斧の音=賤しい樵が薪を切る斧の音。

   日暮らし・・・=奈良絵本ではこの前あたりに、「なげきこるや山路の末は跡絶

    えて心砕くる斧の音かな」とある。

   かりそめ・・・=奈良絵本ではこの前あたりに、「みちの辺の草葉の露と消えも

    せで何にかかれる命なるらん」とある。

   尼=後に尼天狗と出てくる。

   紫のほうしして、くちはし長き火をふりて=語義未詳。ほうしは帽子で、天狗が

    被る頭巾のことか。室町時代までの天狗は鳥のようなくちばしを持つ者が主

     で、鼻の高い天狗は江戸時代以降。くちばしから火を吹いていたのか。

   入りて・・・=奈良絵本ではこの前に、「風渡る篠の小笹のかりの世をいとふ山

    路は思はましかば」とある。「かり」は「刈り」と「仮り」を掛ける。

   ししむら=肉の塊。尼僧は肉食は禁忌である。後で登場する法師(男)天狗山伏

    への伏線。しかし姫君はそれは知らず、恐怖の光景と目に映ったであろう。人

    肉かもしれない。

その5

 尼申しけるは、「われは*せうしんつうを得たる者にて侍る程に御心の内も知りて侍り。思す人もただ今これへおはしますべし。尼が事も恐ろしく、もののあはれも知らぬ者にて侍り。時に見え給ひては悪しかるべし。この厨子に入りて覗き給へ。」とて大なる厨子に入れぬ。

 午の時ばかりに、雨はらはらと降り、風そよそよとうち吹きて、山を響かし梢を動かして*ののめき来る者どもの訪れひ夥し。

 恐ろしさ例へん方なくて、仏の御名を唱へて居たるに、山伏の白髪混じりたるが、*香の衣着たるが、恐ろしげなる、脇より取り出だしたる人を見れば、かの児なりけり。

 不思議に見給ふに、恐ろし気なる者ども、いくらも並み居たり、酒を取り出でて各々飲みけり。

 この児はうつし心も失せにけるにか、ほれほれとして、あるかなきかの気色なるを、この尼申しけるは、「*幼き人こそ、ゆゆしくくたびれ給ひぬれ。しばし尼に預けさせ給へ。いたはりたてまつらん。具しありき給ひ候はば、*過ちもぞし給ふ。」と申せば、「僧正なのめならず祈られ候ふなれば、片時も身を放すまじきなり。」とぞ申しける者の、ししむらども食ひけるを、厨子の隙間より見給ふ心地、恐ろしなども言ふもおろかにぞ覚え給ふ。

(注)せうしんつう=小神通か。多少の神通力。

   ののめき=ののしり騒ぎ。

   香の衣=香染の僧衣。

   幼き人=稚児のこと。「稚(おさな)き人」は年齢ではなく童形の人の意味であ

    ろう。

   過ちもぞし給ふ=過失をしたら心配だ。「もぞ」は将来の事態を危ぶむ表現。

その6

 尼天狗とかく言ひて、児を預かりぬ。

 もしも失ひたらばこの尼を失ふべき由、言ひつけて各々帰りぬるに、厨子の中より姫君を取り出だして見するに、児つやつや見知らぬ気色なれば、尼、印を結び掛けて、何にか薬を立てて飲ませぬ。

 その後、この児心地*ただ直りて姫君を見たてまつりて、互ひに袖を押し当てて、泣くよりほかの事はなし。

 やや*遥かにためらひ給ひて、夢の心地しつる身の有様を、語り合はせ給ふに、よその袂もところせかりぬべきを、尼聞きたてまつりて申しけるは、「我、いにしへも心情けなく侍りければこそ、かかる畜類ともなり侍らめ、いかにしてもこの姿を改めて、仏道にも入りたく侍れば、*御命に変はり侍りて、都へ返したてまつるべし。*子どもが尼を失ひたらん験は、見せたてまつるべし。*孝養(けうやう)をせさせ給へ。わたらせ給はん所には、*尊勝陀羅尼慈救(じく)の呪などを仰(お)させ給へ。」申せば、喜び給ふ事限りなし。

 「いづくへおはす。」と申せば、「乳母が元。」とのたまふ二人を、脇に挟みたてまつりて、目を塞ぎまいらせて、空を駆けりて、宇治の乳母の元へ行きて、縁に下ろしたてまつりて、かき消す様に失せぬべし、*と言ふ。

(注)ただ直り=立ち直り。

   遥かにためらひ=「ためらひ」は、心を落ち着けての意。「遥かに」と言う形容

    がわかりづらい。

   御命に変はりて=「御祈りに変はりて」かも。

   子どもが・・・=後に尼天狗の子らが登場する。

   孝養=追善供養。

   尊勝陀羅尼慈救の呪=絵巻では「けんせうたらにしくのしゆ」。奈良絵本により

    改めた。「尊勝陀羅尼」は尊勝仏頂の功徳を説く陀羅尼、陀羅尼とは仏典を音

    訳した呪(まじな)いのような章句。慈救の呪とは、願いがかなえられる不動

    明王の呪文。

   と言ふ=急に「語り手」がコメントする。草子地と言う。ちょっと不自然。