religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り⑦ー稚児物語2ー

下巻

その7

 乳母は稚児が失踪した後は、尼となって一筋に勤行をして稚児の後生を弔っていた。それ以外は明け暮れ泣いているばかりであった。

 後夜の勤行で夜明け近くまで起きていると、妻戸を叩く音がする。「門を開ける音もしないのに。」と不思議に思いながら、押し開けて見ると、失踪していた稚児が見知らぬ美しい女房と立っていなさるので、あっけにとられて夢のような心地がした。

 稚児は中に入って一連の事どもを語りなさる。乳母は、「これは仏のお導きだ。」と手を合わせて、うれしさに涙がこぼれるのであった。

その8

 さて、大臣の邸では、「姫君がなかなか起きなさらない。どうしたのか。」と部屋を覗うと姿が見えない。女房たちは茫然として、こっそりとあちらこちらとお探ししたがいらっしゃらない。そのまま秘密にしていくわけにもいかないので、殿や奥方に申し上げると、あたり隈なくこんな所までという場所さえも捜させたが、その甲斐もない。二人は現実のこととは思われず、空を仰いで途方に暮れていた。

 奥方様は、もう死んだ人のような状態である。邸の内には心当たりにものはいない。ただ騒ぎ合っているばかりであった。

 内裏や春宮に申し上げるのにも、ありのままに言うのも軽率であろうと、「最近病に臥せっていましたが、もう命の限りとなってしまいました。」というようなことを言上すると、あらゆる方面からお見舞いの使者がひっきりなしに訪れる。内裏からも使者が参って、夢か現実かわからない程の一大事となった。

 大臣は、開け放たれた妻戸の内の人気のない部屋を見て、「これはきっと天狗の仕業に違いない。」とお思いになって、「まるで噂に聞いた比叡山の稚児のようではないか。」などとお思いになって、秘かに祈祷なども始めた。山の僧正にもありのままを申し上げて、祈祷していただきたいとの旨をお伝えする。

 僧正は、自分もみすみす稚児を失ったので、「この大臣の事も、我が山で起こったことと同様なのだろうか。」と思うのである。「さあ祈祷を始めましょう。こんな状況ではあるが、私の法力をもってすれば。」と大臣には頼りにしてくださいと申し上げる。

その9

 まさか本当のことだったのか、宇治には尼天狗が言ったように、尼の子であろうからすが多く集まって、加えていた物を落としたのをご覧になると、毛の生えた手であった。稚児たちは、「これはきっと、私たちを逃がしたことで、尼天狗が天狗たちに殺された証拠だ。」と思われて、しみじみと悲しくて、手厚く供養をなさったということである。

 姫君は、懐妊のためつらそうになさっていた。稚児は、「どうしよう。」と切なく思っていたが、さして苦しみなさらないで、鶴の一声のような元気な呱々の声を上げて赤子をご出産なさった。

 乳母の娘の侍従が抱き上げて見ると、玉のように光る若君でいらっしゃったので、「このように美しいとは・・・びっくりしました。」とうれしく思われた。

 姫君は、「殿や奥方にも、この出産をお知らせして、盛大にお祝いしてほしいなあ。ここは祝ってくれる人も少ないし。」と運命とは言いながら残念に思われるのであった。

原文

その7

 乳母は児失せて後は、*様変へて一筋に*行ひて児の後生をぞ弔ひける。明け暮れ嘆きて泣くよりほかのことなし。

 *後夜の行ひに起きたるに、妻戸を叩く音のしければ、「門を開くる音せぬに。」と不思議に覚えながら、押し開けて見たれば、失ひたてまつりし児の、見知らぬ美しき女房と立ち給へるに、あきれて夢の心地ぞしける。

 内へ入りてこの事ども語り給ふ。乳母、仏の*御しるべとて、手を合はせて、うれしきにも涙はこぼれけるにこそ。

(注)様変へて=出家して尼となって。

   行ひて=読経して。勤行して。

   後夜の行ひ=後夜(夜半から朝)に行う勤行。

   御しるべ=お導き。

その8

 さてもかの殿には、「姫君遅く起き給ひしかば、いかに。」とて見たてまつりしに、見え給はねば、人々*肝心(きもごころ)もなくて、忍び忍びにここかしこ、求めたてまつるにおはせねば、さてしも隠すべきならねば、殿・上に申しければ、思ひ寄らぬ所まで尋ねたてまつれども甲斐なければ、現とも思されず、空を仰ぎてあきれてぞおはしましける。

 上は、ただ亡き人のやうにてぞおはしける。殿の内にもの覚ゆる人なし。騒ぎ合ひたるさま、言ふばかりなし。

 内裏・春宮の聞こえも、軽々(かろがろ)しければ、日頃悩み給ひしが、*限りの様になり給へる由を言はせ給へるに、方々よりの御使ひなど隙なし。内裏よりも御使い参りなどして、夢うつつともわき難きことなり。

 開きたりし妻戸をご覧じて、偏に天狗の仕業とぞ思しける。「山の児などのやうにや。」など思すにも、忍びてお祈りども始めらる。僧正にも、ありのままに申し給ひて、祈り致し給ふべき由のたまふ。

 *目にみすみす児を失ひ侍りにしかば、「この御事も、さやうにこそは。」と覚え侍り。「御祈りを始め侍るべし。*さりとも。」と、頼もしく思すべき由のたまふ。

(注)肝心もなくて=原文「肝心もとなくて」。茫然自失として。

   もの覚ゆる=正気でいる。

   限りの様=危篤。臨終。

   目にみすみす=目の前に見えていながら。見る見る。

   さりとも=そうはいっても、いくらなんでも、の意だが、何に対して「さりと

    も」なのか。私のようなものでもという謙遜か。

その9

 まことにや、宇治には尼天狗の言ひしごとく、*からす多く集ひて、物を食ひ落としたりしを、御覧ずれば毛を生ひたる手なり。尼天狗の失せける験と覚えて、あはれに悲しくて、孝養よくよくし給へリけるとかや。

 姫君は、御心地例ならず、悩ましくし給へば、児、「いかにせん。」と心苦しく思ひたてまつるに、いたくも患ひ給はで、*鶴(たづ)の一声鳴き出で給ひぬ。

 乳母の娘、侍従ぞ抱き上げたてまつりて見たてまつれば、玉光る若君にてぞおはしましける。「肝心をつぶしつるに。」とうれしく覚えけり。

 姫君は、殿・上に知られたてまつりて、かかることあらば、いかにところせきまで騒ぎ給はまし。人少なう侍るにつけても、*宿執口惜しく覚えらるる事のみぞありける。

(注)からす=尼天狗の子供たちであろう。

   鶴の一声=他の鳥には類を見ない大きな一声。赤ちゃんの元気な呱々の声な形

    容。鶴の一声は転じて他を圧倒する権威者の発言の意に用いられるが、ここで

    はその意ではない。

   宿執=前々からの確執。確執というより一連の不義理、不孝であろう。