religionsloveの日記

室町物語です。

松帆物語①ーリリジョンズラブ8ー

その1

 さほど昔の事ではなかったが、四条の辺りに中納言で右衛門督を兼任している方がいた。中将である御子が一人いたが、それに続く御子が生まれず、寂しく思っていたが、ずいぶん経って年の離れた弟が生まれた。成長したらさぞ美しくなるだろうと思われるかわいらしさで、この上なく大切に育てられた。ところが、父の中納言卿が突如亡くなった。頼りとする大黒柱がなくなったが、中将の君はこの弟を愛しく思い、十歳までは自ら養育した。

 ある時、中将たちの伯父にあたる横川に住む禅師房が中将を尋ねて来て言った。

 「中将よ、父亡き跡、おぬしがこの若君を自分で育てようとしても、思うに任せぬ事であろう、それよりは比叡山に入山させて、しかるべき学問をさせてはいかがであろう。」

 このように何度も熱心に勧めるので、横川の禅師に託して山へ上らせたのであった。

 内典外典、何れの学問にもまた和歌の道にも熱心に励み、筆を取ってもしっかりとした書きぶりで、様々な遊びも巧みにこなした。心映えもひときわ優美で、比叡山中の称賛を一身に受け、稚児や童子たちも睦まじく交らうほどに、三年ほどを過ごした。

 この母君は年を取ってからの末っ子が可愛かったのだろう、「長く顔を見ないのは悲しいことです。」としばしば里へ呼び寄せる。それを見かねた禅師は、

 「この御子は学問の方面でも、聡明で賢い人です。このまま法師にして、父君の菩提を弔わせたらどうですか。」

 と熱心に説得したが、母君は、

 「それは惜しいことです。墨染めの衣の姿に身をやつさせるのは忍びなく、八雲立つ奥山に住ませることなど、私には辛いことです。」

 と言って、取り付く島もないので、禅師としてもやむを得ない。

 母君はこのままでは、御子を言いくるめて出家させてしまうかもしれないと危惧して、「多少の不如意はあっても御子は京に住ませましょう。」と中将に相談すると、中将も、「弟が傍らにいれば自分も何かと慰められるでしょう。」と同意して申し入れるので、禅師も、いたしかたないと、その才を惜しんで、泣く泣く都へ送って行った。横川の山水の風景はもの寂しいとはいっても、三年間暮らしていたこの御子にとっては名残多く、一緒に遊んでいた稚児・童子と離れることも悲しかった。皆で京近くまで見送って余波(なごり)を惜しんだのである。

 禅師が横川に戻ってきて、御子がこの年月手習いをして暮らしていた部屋を開けて見ると、とても美しい筆跡で障子に一首の歌が書き付けられていた。

  九重に立ち帰るとも年を経て慣れし深山の月は忘れじ

  (京の都に帰っていっても長年見慣れたこの深山の月は忘れませんよ)

 これを見て、禅師の君をはじめとして誰も泣かない者はいなかった。

 この後、御子は元服して、藤の侍従と名乗った。髪上げしてもその美しさは劣ることなく、周囲の者も目を見張るほどの容貌であった。 

 

原文  

 遠からぬ世の事にや侍りけん、四条わたりに中納言にて、右衛門の督掛けたる人なむ

おはしましける。中将殿とて御子一人ありて、さうざうしく思しけるに、ありありて児出で来給ひにけり。生ひ先見えて容貌(かたち)いと美しくものし給ひければ、限りなくかしづき給ふほどに、父の卿はかなくなり給ひぬ。*方便(たつき)なきやうにておはしけるに、中将の君*らうたき者にして十ばかりまでぞありける。

 その頃、*横川に禅師の房とて、このおぢ(伯父?叔父?)になんおはしける、中将に申し給ふ。

 「この若君、いたづらに生ひ出で給はんよりは、*山に上らせて物習はし給へかし。」

 など、*よりより勧め申されしかば、横川へぞ上(のぼ)せられける。

 大方の学問にも和歌の道にも心を入れて、筆取ることもたどたどしからず、はかなきすさび事もつきづきしく、心ざま人に優れたりしかば、*一山のもてあそび、児・童子も睦まじきことに思ひしほどに、三年ばかりこの山に送りけるになむ。

 かかれば、この母君、「久しく見ぬは悲し。」とて折々里へ呼ばせけるに、ある時禅師申されけるは、

 「学問の方も聡く、賢き人なり。法師になして父の御跡をも訪はせ給へかし。」

 など懇ろに語らひ申し給へば、

 「可惜(あたら)、形を墨の袖にやつさんも情けなく、*八重立つ雲に交じりなむも心苦し。」

 などのたまひて、うちとけたる答へもし給はねば、力なし。

 かくて後は危ふくや思はれけん、京に住ません事を中将にも申し給ふに、つれづれの慰めにもとや思はれけん、同じ心にのたまへば、禅師もいかがはせんとて、泣く泣く京へぞ送りける。この児も、横川に住み着き給ひければ、寂しかりし山水にも名残多く、遊び伴ひし児・童にも離るる事なん悲しかりける。皆、京近きわたりまで送り来てぞ、余波(なごり)惜しみける。

 さて、禅師立ち帰りて、年月手習ひなどして住み給ひし所を引き開けて見給へば、いと美しき手して、障子に書き付けらる。

  *九重に立ち帰るとも年を経て慣れし深山の月は忘れじ

 これを見て、禅師の君よりはじめて皆泣きにけり。

 かくて後は、元服して、藤の侍従とぞ申しける。*上げ劣りもせず、いよいよ目驚くばかりの容貌にて物し給ひける。

 

(注)松帆物語=室町物語大成に拠った。多くは「松帆浦物語」。「嵯峨物語」には

   「松帆の草子」とある。

   方便なき=頼りとするところがない。

   らうたき=可愛い。

   横川=比叡山の三塔の一つ。禅師は母君の兄か。

   よりより=折々。

   山=比叡山

   一山のもてあそび=比叡山中の人々の賞玩の対象。アイドル。

   八重立つ雲=幾重にも雲が重なって立つ。そのような山奥の比叡山

   九重=宮中、内裏。ここでは都、京の町のこと。

   上げ劣り=元服して髪を上げて結った時に、かわいらしさがなくなり、以前より

    劣って見える事。