本文 その12
中将は、 三年間父上の行った道を改めることなく守ってこそ孝子の道と言えるのに、勅命なので拒否できるわけもないが、どれほども経たないのに住み替えたことは、何とも畏れ多く罪深いことだと思いなさって、つらいことと思い悩んでいました。
そんな折、本源の侍従が、中将がふさぎ込んでいるとのうわさを聞いたのか、ふらりとやってきて、昔の父君の思い出などを話題にして、言い慰めていたのですが、ふと思い出したように一通のとても上品に書きなした文を取り出して、「これをご覧ください。」と差し出します。中将が開いて見ますと、一条郎の筆跡で、
恋ひ死なん後にあはれや知らるべき生きてし問ふは甲斐なかりけり
「私が恋に焦がれて死んだ後であなたは私の『あはれ』に気づくでしょう。生きて
このように手紙を書き続けても甲斐のないことです。」
と詠まれていました。中将は、
「『本当に、このように思いを寄せる文を送り続ける方がいらっしゃるのを、知らん顔して放っておいたのは、ひどく情け知らずに思われるでしょうが、ご存じのように、故中納言殿がみまかった後は、政事にばかり紛れて、ああしようこうしようと思っても、なかなか思うようにはいかない毎日でした。いつとやお約束できませんが、突然にはなるかもしれませんが、きっとお訪ねいたしましょう。』このように一条殿に申し上げなさってくれませぬか。」
と言って、侍従をお返しなさいました。
一条はこのことを聞いて、「ああつらい、生きているのも嫌だ。」と思っていた自分の命も、今はただ惜しくばかりなって、「今日はあの人が到りなさるか、明日は中将が来たるか。」と毎日毎日門に立って待っていましたが、中将は待てど暮らせど現れず、あたかも、西王母の仙桃が落ちて、再び結実する三千年後を待って今は花も咲くだろうかと待っているようなもので、かえって期待しなかった時より苦しく連れく思われるのです。
中将は、決して約束は忘れず、少しでも暇があったら思っていましたが、八月二十三夜は月待の日で、月が出ている間はと、出立なされました。
お供には誰彼などを伴わせ、急いで馬を引き寄せて乗り、慌ただしくお立ちなさいます。夕闇は道もおぼつかなくはっきりしません。辺り一面の野原をかき分けて行くと、辺りにすだく虫の声や流れる谷川の水の音、稲葉がそよめく秋風と夜が更ければ更けるほど、秋の気配が身に染みて、心あるあの人はどのように思っているだろうかと思いやりながら、一条の庵に訪ね着きなさいました。
荒れ果てた住まいはもの寂げではあるけれど、透垣(すいがい)など、ここかしこと風情のある様です。夜はすっかり静まって物音もせず、人も寝静まっているのかと、しばし門口で佇んでいますと、童部が行ったり来たりする様が明り障子にほのかに見えます。
そこで供の者に門扉を敲かせますと、とても気品のある男(一条郎)が出てきて、
「ここは世捨て人が人目を避けて住んでる所、訪ねて来るような場所ではありませんのに、どちらからお訪ねですか。」
と言います。
「さるお方がお忍びでやって来たのです。お咎めなさいますな。」
とお供が言うのを、一条は、「もしや。」と肝がつぶれるような思いで、外に出てみますと、まごうかたなき中将殿であります。すぐさま招き入れました。ずいぶん待たされた来訪で、接待の準備も整っていなかったのですが、普段から焚きしめた香の匂いはしめやかに香っていて、趣深く酒宴を開きなさいました。
中将は盃を手にしながら、
「すぐにでもお訪ねしたかったのですが、ぐずぐずして思っていると様々な支障が次から次へと起こって。」
などと申しますと、一条郎は、
「山里に隠れ住んでいまして、『一条郎』という名前は、名前ばかりが大げさで、私は似つかわしくなくもあれこれ思い悩んで、苦しいことばかり多かったのですが、今宵あなたにお会いできて、すかっり忘れることもできそうで、ありがたい中将殿の情けは、身に余るほどです。」
と言うと、月はまだ東に差し込んだばかりの子の刻で、深夜に野原一杯に虫の声が鳴き渡るのも、そのタイミングを心得ているようで、辺り一面露が下りるのもこの上なく情緒あるものと見えます。
思い出すことなどを語り合わせて、話は尽きないのですが、宴を果てても枕を寄せて、夜長という名は名ばかりの秋の夜はあっけないほどに過ぎてゆくのでした。
政務は致し方ありません。夜明け方のまだほの暗いうちに中将は帰りなさったのでした。
西山一夜送君帰(西山一夜君帰るを送る)
夢入白雲深処飛(夢に白雲深く飛ぶ処に入る)
「西嵯峨野で一夜過ごした君を見送ります。夢で白雲のようなあなたが遠く飛んで
行くところが見えます。」
という詩句がありますが、このような心情を語っているのでしょうか。
この後は、中将君と一条郎殿は親しく交わる事篤くして、中将はもちろん一条郎も漢和の知識が豊富だという事で、朝廷の公務なども相談しなさったということです。
ああ、もう随分昔の事でございます。
見る人の袖より袖に移すなり涙かきやる水茎の跡
「この物語を読んだなら必ず涙を流して袖を濡らし、さらに次に読んだ人も移され
て袖を濡らすでしょう。涙を掻き上げて。この書き写した水茎の跡を見れば。」
(完)
原文
*三年父の道を改むる事なきをもて*孝子の道とすることなるを、勅なれば否ぶべきにはあらねど、幾程なくて住み替へし事の空恐ろしく、罪深き事に思ひ給ひて心憂く思し煩ひけるに、本源の侍従出で来たりて、去にし事など引き出でて言ひ慰めけるが、いと卑しからず書いたる文なん取り出だして、「これ見給へ。」とて奉りける。中将開きて見給ひけるに、一条郎が手して、
*恋しなん後にあはれや知らくべきいきてしとふはかひなかりけり
となん詠みける。
「まことにかく言ひやまず人のなん侍りけるを、知らず顔にて過ぐさんも、わりなく思ひ知らぬやうなれど、知ろしめすらんごとく、故中納言みまかりて後は政事にのみ紛れぬれば、*心得ぬ事のみ多し。いつはとはなしに、ふとこそ*訪ひ給はめれ。」
かく申させ給へとて、侍従を帰し給ひける。
一条、この由をなん聞きて、つらきものにして*永らへまうき命も今は惜しくのみなりて、今日や人の到り給ふ、明日や中将の来たると、日々門に倚れども、その人とも見えざりければ、*王母が桃を持ちてまた花もや咲きぬらんと、なかなか頼めざらんより、心苦しみ覚えける。
中将は、暫くの暇もあらばと思し忘れずおはしけるが、*八月二十三夜、月出づる間はとて、出で立たせ給ふ。お供に誰彼など急ぎて馬引寄せ、うち乗りていと慌ただし。夕闇たどたどしくて道も見えず。*そことなき野原かき分け行くに、*みぎりにすだく虫の声、流るる谷の水の音、稲葉そよめく秋風は、夜更くるままに身に染みて、心ある人やいかにと、もののあはれに御心を悩まして訪ね到り給ふ。
荒れたる宿の寂しげなるに、透垣などここかしこ、由あるさまなり。夜いたう静かにて、音もなければ、人静まりけるにやと、しばし佇み給へば、童部の行き交ふほど、明り障子に見えて、いと幽かなり。
やがて門たたかせければ、いとあてなる*をのこ出でて、「これは問ふべきにもあらぬに、いづくよりぞ。」と言ふに、「さるお方の忍びて入らせ給ふぞ。さぞな咎めそ。」と言ふを、一条もしやと肝つぶれて、立ち出でつつ見るに、まがふべき程にもあらねば、やがて案内して入りぬ。
*無期(むご)の事に、とりあふべきいとまなけれど、匂ひしめやかに香りて、*御酒(みき)などよくさまにとり行ひけり。持てる御杯の上にて、
「とみにも訪はまほしけれど、思ふに怠る障りのみありて。」
など聞こえ給へば、
「山里に隠れぬる*名のみことごとしくて、にげなき物思ひに苦しき事のみ多かりけるに、今宵ぞ忘るるやうなる。ありがたき情けの程も身に余るばかりなり。」
と言ふに、差し出づる月もまた山の端にて、野面(のもせ)の虫の声々なるも、折知り顔なり。置き渡す露までも、なべてならぬあはれと見るに、ありし事ども言ひ出でて、つきせぬ御物語に、*枕を寄せさせければ *名のみなる秋の夜にて*ことぞともなく明け過ぎぬ。東雲(しののめ)のいと暗きにぞ帰り給ふ。
*西山一夜送君帰(西山一夜君帰るを送る)
夢入白雲深処飛(夢白雲深飛ぶ処に入る)
と言ふもこれらの事にや。
その後よりは、親しくのみなりまさりて、この人漢和の事に富めりとて、公(おほやけ)の事など語り合はせ給ひける。
今はなき世の事なりけるとぞ。
*見る人の袖より袖に移すなり涙かきやる水茎の跡
某日某時
(注)三年父の道=論語・学而篇一「子曰、父在観其志、父没観其行、三年無改於父之
道、可謂孝矣。」とある。生前は父の志をよく観察し、没後はその行いを思い出し
三年間父の行いの通りに行動するのが孝というのである。三年は服喪期間にもあた
る。
孝子=原文「かうし」。「孔子」の可能性もある。
恋ひし・・・=「恋ひしなん」は、恋ひし+なん(係助詞)ともとれるし、恋ひ
+死なんともとれる。「いきてしとふ」は、生きて+慕ふとも、生きてし+問
ふともとれる。「死なん」「問ふ」と解釈した。
心得ぬ事多し=この年の1~4月に四首の歌を詠んでいるし、季節の折々に詩歌
を述べたとの記述がある。朝廷での詩歌の披露と、私信としての詩歌のやり取
りとは性格が違うかもしれないが、読み手に対して周到な表現とは言い難い。
普通に読むと苦しい言い訳に感じられる。
訪ひ給はめれ=この後、一条郎は中将が訪れるのを待っているのだから、主語は
中将だろうが、そうすると自分に「給は」と尊敬表現を使っていることにな
る。「給はめれ」は、「給は(未然形)+め(意志・已然形)」か「給ふ(終
止形)+めれ(婉曲・已然形)」であるところ。
永らへまうき=生きているのがつらい。
王母が桃=王母は西王母。仙女で漢の武帝に不老不死の桃を献じたという。仙桃
は三千年に一度しか実を結ばないという。
八月二十三夜=二十三夜は下弦の月が深夜に上り、月の出を待つ行事(月待)を
行ったりする。ただ、1・5・9月に行うところが多いようである。ここは公務
多忙な中将が、深夜から夜明け限定で会いに行こうとしたということか。
そことなき=そこら一帯の。
みぎり=①庭、軒先。②場所。③水辺。②か。
をのこ=原文「おのこ」。「あてなる」とあるから、上品な成人男性、一条郎を
指すのであろう。
無期=長い時間。「突然の事で」だったらすとんと落ち着くが、「長い時間たっ
たので」対応する余裕もない、というのは解しかねる。ずいぶん長い間ほうっ
ておかれたので、接待する準備も整っていない、との意か。
御酒=酒。執り行ったのだから、酒宴、酒席であろう。
名のみことごとしく=名前ばかりが大げさである。一条という名前が山里に住む
身には似つかわしくなく大げさというのか。「光源氏、名のみことごとしう」
(源氏物語・帚木)の用例がある。
枕を寄せさせ=これは文脈上、同衾というよりは宴を果てても床を並べて語り合
った、という感じか。
名のみなる=「秋の夜長」というが、それは名ばかりであっという間に過ぎてい
く。
ことそともなく=あっという間に。
西山一夜送君帰=「と言ふも」とあるから、典拠があるのだろうが、確認できな
かった。句意も、名残りの惜しさを語っているのだろうがよくわからない。
見る人の=この末尾の和歌が作者か書写した人かわからないが、申し訳ないが、
泣けない。「うつす」は移すと写すを掛け、「かき」は、掻きと書きを掛ける
か。