religionsloveの日記

室町物語です。

松帆物語②ーリリジョンズラブ8ー

その2

 藤の侍従が十四歳になった春の頃、かつて慣れ親しんだ横川の法師や、京の町の風流な若君たちが来合せて、

 「人が申すところによると北山の桜が今盛りだそうです。侍従の君もご覧になったらどうですか。ご一緒いたしましょう。」

 などと口々に言うので、奥山の桜の色や香りに強く心魅かれて、急遽出遊することとなった。身分柄道中の人目も憚られて、ことさら身をやつして出かけた。

 若公達が駒を並べて道すがら見渡すと、遠山の山の端はぼんやりと霞んで、野辺の景色は一面に青めき、芝生の中に名も知らぬ花々が菫に交じって色とりどりに咲いて、空高く雲雀は姿も見えず囀り合っているその様は何とも言いようもない。

 目指す山はやや深く入った所で、山川の流れも岩のたたずまいも、まるで絵を見るように思われた。吹く風にそこはかとない花の匂いが運ばれてきて、人々は浮き浮きしながら急いで登ってみると、数えきれないほどの桜の花が、枝も撓むほどに開いていて、「今日来なければ、さぞ心残りだったであろう。」と思われるほどの花ざかりである。山に隠れた所とは思われない程、都から訪れたと思しき人が大勢集まって、木の根元や岩陰の苔の上に群がって座り、歌を詠んだり酒を飲んで、様々に遊んでいるのが見える。

 侍従の君は花を眺め入って佇んでいたが、みんなが花よりもこの君に目を止めて見つめているので、ぞろぞろと歩いているのもなんとなくきまりが悪く、「花が十分あって、人目につかない引き籠った所があったらなあ。」と思いながら探していくと、とある寺の本堂の傍らに院家であろうか、檜皮葺きの軒端に忍ぶ草が我が物顔に繁っていて、破れた御簾が懸けられている荒れた僧坊があった。連れの中の一人にここを知る者がいて、暫くはここに逗留しようとの事となった。

 短冊を取り出して詩や歌を吟じなどして、京から持ってきた檜破子の料理や竹筒に入った酒などで、遊山のささやかな宴を楽しんでいた。そこに一人の法師が現れた。年の程は三十ほどで人品卑しからぬ風体である。花を眺め入っていた侍従の君を見染めて、心奪われたのであろう、軒端の御簾近くまで慕って来て、花には目もくれず侍従を眺めている。御簾の中に駆け込みそうな勢いで、なんとも不快なので連れの男たちが出てきて、

 「お忍びで出かけたのである。だからこのような隠れ家で遊んでいるのだ。無礼ではないか。」

 などと荒々しく制するので、やむを得ず出ていくしかなかった。

 しばらくして、十二三歳ほどの美しく着飾った童子が、小さい花の枝を結び付けた文を、取次ぎの挨拶もしないで御簾の内に差し込んだ。侍従が手に取って見ると、

  夕霞立ち隔つとも花の陰さらぬ心を厭ひやはする

  (夕霞が私とあなたを隔てても花の陰のようなあなたから去らない私の心をあなた

  は嫌ったりするのでしょうか、いや嫌わないでください)

 と整った文字で書かれている。「返歌をなさいませ。」と周囲は勧めるが、「恥ずかしい。」などと言って傍らにいる人に譲って返させようとするが、「それは薄情でしょう。」などと言って催促するので、

  花に移るながめをおきて誰が方にさらぬ心のほどをわくらむ

  (立ち去らずにじっと花を見ているあなたの心を差し置いて誰に私の愛情を裂こう

  としましょうか)

 とうっすらとした文字で書いて差し出した。法師はこれを見て非常に喜んで涙さえ流したそうだ。

 さて、この文の主が気になって法師がどこから来てどこへ行ったのかを使いの童に尋ねると、きつく口止めされていたのだろう、固く口を開かなかったのだが、そこは子供の事、様々に問い詰めるととうとう、「岩倉の某の坊にいる、宰相の君という方でございます。」と白状した。侍従は「聞きもしない方だ。きっとこの宰相は、何のつてもなく自分の思いだけを頼りに、言い寄ってきたのだなあ。」と思った。

 一行はその夜はここに留まった。この院の花はことに趣深かった。一つの木で紅い花白い花の枝が交って咲いているのである。酔いに任せてまどろみがちに時を過ごせば三日三晩遊んでも遊び足りなく思われたが、都からは帰京を促す使いがたびたび来たので、未練を覚えて振り返りがちに四条の邸へ帰っていった。

 

原文  

 十四になり給ひし春の頃とかよ、元立ち慣れし横川の法師、また京にも優なるをのこ、あまた来合ひて、

 「北山の桜今なむ盛りなるよし人申すなり。侍従の君見給へかし。伴ひ奉らん。」

 と口々言へば、*深山隠れの色香もことにゆかしき心地して、俄かに思ひ立ちぬ。道の程も人目つつましければ、わざとやつしてぞおはしける。

 若き*どち駒並(な)めて道すがら眺め渡せば、遠き山の端そこはかとなく霞みつつ、野辺の景色青み渡り、芝生の中に名も知らぬ花ども、すみれに交じり色々咲きて、雲居の雲雀姿も見えず囀り合ひたる様ども言はんかたなし。

 志す山はやや深く入る所にて、水の流れ岩のたたずまひも、写し絵を見るやうになん覚えける。うち吹く風にそことなく匂ひ来るに、人々*心あくがれて急ぎ登りつつ見れば、数知らぬ花ども枝も撓むまで開きつつ、*今日来ずばと見えたり。山隠れとも言はず都の方の人と見えて、あまた集い来て、木の本・岩隠れの*苔に群れ居つつ、歌詠み酒飲みし、遊びなど様々にぞ見えし。

 侍従の君は花に眺め入りて居給へるに、花よりもこの君に目止(とど)めたる人あまたありて、従ひありくも*もの難しく覚えければ、「花には疎からで引き入りたる所もがな。」と願ひ求めつつ行くに、本堂の傍らに*院家(いんげ)にやあらん、檜皮の軒口忍ぶ草所得顔にて、破(や)れたる御簾(みす)懸けたるあり。この連れたる人の中に知る便りありて、ここに暫しの宿りを構へたり。

 短冊取り出だしうち吟じなどしけり。京より持たせたる*檜破子(ひわりご)・竹筒(ささえ)やうのもの、旅の賄ひはかなくしつつ遊ぶに、花の下にて初めより侍従の君に心をとどめて見えたる法師、様形(さまかたち)よろしき三十ばかりなるありて、この御簾の元まで慕ひ来て、花には心を止めずして、この君の面影に眺め入りたるなりけり。

 なほ御簾の内へも*かけりこまほしき様のもの難しければ、連れたるをのこを*出だして言はせけるは、

 「人に忍ぶ故ありて、かく*隠れ家求めたり。*狼藉なり。」

 など荒々しくさへ制しければ、力なき様にて出でぬ。

 しばしありて、十ニ三ばかりの童の美しく装束したるが、小さき花の枝に結び付けたるものを*案内も言はず、御簾の内へ差し入れぬ。取りて見れば、

  夕霞立ち隔つとも花の陰さらぬ心を厭ひやはする

 と清げなる手して書きたり。「返し給へ。」とこの君に勧むれど、「恥づかし。」など言ひて傍らの人に譲るを、「情けなし。」など言ひ勧むれば、

  *花に移るながめをおきて誰が方にさらぬ心のほどをわくらむ

 とほのかに書きて出だし給へり。*これを見て限りなく嬉しく涙もこぼれ出でにけり。

 さて、この法師の向後(ゆくへ)を使ひに問ひければ、深く隠しけるを、様々言はれて童なれば、「岩倉の某の坊に、宰相の君といふ人にておはします。」と言ふ。「さてこの宰相、思ひのみを標にて尋ね寄らむ。」とぞ思ひける。

 さて人々その夜は留まりぬ。この院の花ことに面白し。*紅白枝を交へたり。*半酔半醒すれば、げに遊ぶこと三日も事足るまじう覚えぬれど、京より迎への人あまた来ぬれば、返り見がちにて出でぬ。

 

(注)深山隠れ=山の奥深いところ。

   どち=同じ仲間。どうし。

   心あくがれて=うきうきして。

   今日来ずば=今日来なければ盛りは過ぎてしまうだろう、散ってしまうだろう。

   苔=室町物語大成では「苺」。校註日本文学大系に拠った。「いはがくれの苔の

    上に並み居て、かはらけまゐる(源氏物語・若紫)」の用例あり。

   もの難し=なんとなく厭わしい、嫌だ。

   院家=大寺院に属する子院。門跡に次ぐ格式。

   檜破子・竹筒=檜の薄板で作った弁当箱。上等なものとされた。竹筒は酒を入れ

    たのであろう。

   出だして言はせ=主語が侍従という事になるが、周囲が忖度して行ったのだろ

    う。

   隠れ家=あるいは「院家」を「隠家」に当てたのかもしれない。

   狼藉=無礼。

   案内=あない。取次ぎを乞うあいさつ。童の登場が唐突。

   花に移る・・・=わかりづらい。「心を別く」は愛情の半分を他の人に移す、の

    意。立ち去らずにじっと花を見ているあなたの心を差し置いて誰に愛情を裂こ

    うとしましょうか、という意か。

   これを見て=嬉しかったのは童か?法師か?法師と解する。

   紅白枝を交へたり=突然変異種で一つの木に濃さの異なる花が咲く桜がある。そ

    れか。

   半酔半醒=半睡半醒は夢うつつ。酔いに任せてだらだら遊ぶことか。