religionsloveの日記

室町物語です。

松帆物語④ーリリジョンズラブ8ー

その4

 その頃、時の第一人者として思いのままに政治を執り行っていた太政大臣の御子で、左大将殿という方がいた。その御前で、源氏物語の雨夜の品定めではないが、夏の雨が静かに降って日も永い頃に、くつろいで世間話などを人々がしていた。そのついでに、この侍従の 容貌・心様がたぐいまれである事を誰かが話題にしたのを、左大将は興味を覚えて何度もお召しの使いを遣わした。

 宰相が出て使いに、

 「仰せ事は忝うございます。お召しに応じて参りたくは思いますが、この頃は気分がすぐれず病気で臥して暮らしているのです。すこしでもよくなった時にはきっと参上いたしましょう。よろしくお伝えください。」

 と言ったので、使いもその旨を伝える。

 五六日あって再び使いが来た。今度は文を持参してである。

 「『世の中はかくこそありけれ吹く風の目に見ぬ人も恋しかりけり(噂に聞いて実際には会ってもいない人を慕わしく思うのが本当の恋なのですね)』という古歌が身に染みて思われるのですが、そのような私の心がわかりますか。病で苦しんでいるとのこと、気がかりです。梅雨の晴れ間には心地も少しは爽やかになりなさるでしょう。思い立っておいでください。」

 などと書いてあって、

  ほととぎす恨みやすらん待つことを君に移せる五月雨の頃

  (ホトトギスも今頃恨んでいるでしょう。自分の鳴き声を待っていると思っていた

  私が待つ相手をあなたに移してしまったこの五月雨の頃に。)

 との歌が添えられている。返歌に、

  五月雨の晴れ間もあらば君が辺りなどとは去らん山郭公

  (五月雨の晴れ間があったならばあなたの周囲をどうしてホトトギスが去りましょ  

  う。みんなあなたに寄り集まってきますよ。)

 と申し上げるだけは申し上げて、何度催促があっても、やはりまだ心地がすぐれない旨を宰相から申し上げて、邸に籠っていた。

 そうはいっても、何することもなく籠っているのも無聊で、ある時宰相はこっそりと侍従を連れて岩倉へと行った。それを左大将の家人がしっかりと見咎め、殿の御前でしかじかとありのままを注進した。左大将は「さては日頃の気分がすぐれないというのは本当の事ではなかったのだな。」と激怒した。人々は「きっと宰相法師とやらの仕業だろう。憎らしい奴です。」など異口同音に申して、すぐに使いの者が中将の元へ向かった。

 「病気ですと言っていたのは皆偽りであったのだな。宰相法師とかと忍び歩きしていたとかいうことは、太政大臣の御子である左大将殿を軽んじるにもほどがあるぞ。」

 などと憤りをぶつけて、兄の中将に事細かく事情を伝えると、中将は青ざめて、宰相には何も伝えず、侍従に装束を整えさせ、一つ車に乗って急ぎ参上した。大臣の邸は門を入るや鋪き詰めた玉がまばゆいほど輝いている豪邸である。左大将は他に誰もいない所で侍従と対面する。灯火が仄かに灯って、人見えぬ方にて対面し給ふ。灯し火ほのかに、空薫物(そらだきもの)がどこからか燻らせられてしっとりと趣深い。

 左大将には、侍従がまだ幼かった頃殿上の間でほのかに見た記憶はあったが、今の美しさはその比ではない。正面からしっかりと見たいと思うが、恥じらっている様子で顔をはっきりとは見せずおもどかしく思われる。それでも、侍従の美貌に左大将の心はたちどころにとらえられて、侍従の気に入るような遊びをあれこれとして、片時もそばを離れさせず親しく語らった。左大将は親しく近づけば近づくほど愛情が深まり、侍従はその思いに添わねばと思うのだが、宰相の事ばかりが心を離れず、大将の喜んでいる様子にもうれしくは感じられない。心が通い合っているからか、夢に現れるのは宰相の事ばかりである。

 大将殿は、この法師を心から憎らしいと思い、「近所をさえうろつきまわせたくない。」とまで怒っているのを宰相は知らないで、侍従と会いたいとの衝動に駆られて、御殿の周囲を中を窺いながら徘徊するので、口のさがない者たちがあれこれと御前で言上して、太政大臣の権力で淡路の国へと追放されることとなった。

  

原文  

 さてその頃、世を御心のままに治め給ひし太政大臣(おほきおとど)の御子、左大将殿の御前にて、*夏の雨静かに降りて日永き頃、世にある事打ち解けつつ人々申しけるついでに、この侍従の 容貌・心様類稀なるよし申し出でしかば、心動かせ給ひて*御消息たびたびあり。

 宰相出で会ひて申しけるは、

 「仰せ事なん忝く侍り。参らまほしきを、この頃*みだり心地に患ひて臥し暮らし侍り。いささかもよろしき暇あらば参りなむ。よき様に申させ給へ。」

 とありしかば、しかじかのよし申す。

 五六日ありて、また御使ひあり。この度は御文あり。

 「『*吹く風の目に見ぬとかや』の古言も思ひ知られぬる心は分き給ふにや。*ねぬはなの苦しきよしもおぼつかなく、五月雨の晴れ間は心地涼しくなり給ふならん。思ひ立ち給へかし。」

 などありて、

  *ほととぎす恨みやすらん待つことを君に移せる五月雨の頃

 などあり。御返し、

  五月雨の晴れ間もあらば君が辺りなどとは去らん山郭公

 と聞こえて、なほ心地患はしき様いくたびも宰相申して、籠り居させたり。

 さて、徒然と籠りをらむもいかがとて、ある時忍びてこの侍従を伴ひて岩倉へ行きしを、かの殿の人よく見て、御前にてしかじかの由ありのままに申しければ、「日頃のみだり心地はあらざりしことなり。」とて、怒らせ給ふに、「宰相法師の所行なり。憎し。」など異口同音に申し侍りしかば、やがて御使ひあり。

 「患ひ給ふとありしは皆偽りなりけり。忍びありきし給ふなるは軽しめらるるなるべし。」

 など恨み給ひて、兄の中将にしかじかの由懇ろにのたまひしかば、宰相にも言はず、装束引き繕ひ同じ車にてぞ参りける。御門差し入るより、玉輝きまばゆきまでぞ覚えける。人見えぬ方にて対面し給ふ。灯し火ほのかに、*空薫物(そらだきもの)燻り出でていと艶なり。

 この人のまだ*かたなりなりし頃、殿上などにてほの見給ひし心地せしは、事の数にもあらず。*まほにも見まほしく覚え給へど、恥じらひたる様なれば、*心もとなく思すほどに、やがて御心とまりて、心に付くべき*遊びをし給ひつつ、片時去らず相ひ語らひ給ひける。御こころざしの*近優りは添ふべけれども、ただかの宰相の事なむ心に離るる折なく、めでたき御気色もうれしからず。心の通ひけるにや、常には夢にぞ見えぬる。

 さて大将殿、この法師を深く憎しと思ほせば、近き世界に徘徊させじと怒り給ふをも知らで、思ひの催しけるにや、なほこの殿の辺り窺ひありきけるを、口さがなき者の御前にて様々申しければ、淡路の国へぞ追ひやらせ給ひける。

 

(注)夏の雨=「源氏物語・雨夜の品定め」を連想させる。

   御消息=来訪を促す連絡。口頭である。

   みだり心地=気分がすぐれない事。

   吹く風の=「世の中はかくこそありけれ吹く風の目に見ぬ人も恋しかりけり(古

    今集・475)」に拠る。男女の仲(ここでは男同士だが)はこういうものだ、

    会ってもいないのに恋しく思われる、の意。

   ねぬはなの=「苦し」の枕詞。

   ほととぎす・・・=五月雨の頃はホトトギスの鳴き音を待つのが人々の美意識。

    その対象を他の者に奪われたならホトトギスもさぞや恨んでいることだろう、

    の意。

   空薫物=来客のある際、香炉を隠し置き、また、別室に火取りを置いて、客室の

    方を燻らせるためにたいた香。

   かたなり=十分に成長していない、幼い。

   まほ=直接向き合うこと。

   遊び=どのような遊びをし、どのような「語らう」行為をしたのかは想像にゆだ

    ねられる。「語らふ」は、①語る、相談する。②親しく交際する。③夫婦の約

    束をする。④情交する。などの意味がある。

   近勝り=遠くで見るよりも近くで見るほうが優って見える事。

   心もとなく=じれったく。