その3
さて、東谷の昌道心の堅さからかねてから決意していた。日光には中禅寺という東谷よりもさらに山深い霊社があって、この奥殿のある山は、古くから黒髪山と呼ばれていた。
勝道上人がこの御山に立木の自然木に千手観音を彫り、御堂を弘法大師が建立して「補陀落山」という額を書いたという。そこには「南方無垢の成道(南方無垢世界に成仏できる)」と見える。この山には三年間籠り居て、勤行した先例がりった。昌長僧都はそれを自分も行おうと考えた。しかし、千代若には寺中に留まるよう、おっしゃったが、千代若はどう考えたのか、「師匠と同じ閼伽の水をも汲み、花をも摘んで、共にお勤めを遂げとうございます 。」と言って一緒の中禅寺に籠ったということである。
この所の様子を言うなら、後ろには高山二荒山が峩々と聳え、前には中禅寺湖が湖水を湛えている。源氏物語に「なほかひなしとや塩ならぬ海」と琵琶湖を詠んだのにもこの場所は同様の趣があるようだ。
連歌師春陽坊専順の歌がある。
厭ふらむ黒髪山に影映す海の鏡の霜と雪とを
(黒髪山の姿が中禅寺湖の水面に鏡のように映っている。しかし、霜や雪がかかっ
ていて白髪交じりみたいで、見る人はがっかりするだろうなあ。)
飛檐(ひえん=軒)の柱に今に残る、これも連歌師、十住心院心敬の歌には、
頼もしな三年(みとせ)籠れる法の師をさぞな天照る神もまぼらむ
(頼もしいことだ。三年間この中尊寺に籠った法師をきっと天岩戸に籠った天照大
神も見守っているだろう。)
これは先ほど先例と書いた三年の御籠りを詠んだのだろう。また聖護院道興は、
雲霧も及ばで高き山の端に沸きて照り添ふ日の光かな
(雲霧も届かないほど高い二荒山(日光山)の山の端に沸き上がるように照り添え
る日の光であることよ。)
さてまた発句には、折しも秋の半ばということで、誰であろうか、
湖に錦を洗ふ紅葉かな
(湖に錦の衣を洗うような紅葉であることよ。)
と詠むと、そばに居る人が脇句を付けて、
江に影ひたす秋の遠山
(入り江にその姿を浸して映っている秋の遠山よ。)
と唱和したとか。その他、故人の名歌があるけれども、みんな散逸してしまった。しかし、*新田刑部大輔源尚純卿が、歌の浜という南の岸で詠んだ歌は残っている。
越の湖にありと言ふなるうたの浜合はせて見ねど負けじとぞ思ふ
(越の湖にあるという歌の浜、この中禅寺湖の歌の浜とは比べ合わせて見たわけで
はないが、こっちが劣っていることはないと思うよ。)
万葉集に採られた名所には、紅葉の浦・やしほの滝・老松・若松・寺が崎・日輪寺・上野島がある。岩古浜・千手の岡なども、その景色は筆にも写し難い。
さて、十二の年に昌長僧都に仕えた千代若も、三年の籠りの内に十五歳になった。当然いつまでも稚児でいさせられる訳でもなく、昌長僧都は御髪(みぐし)を剃って出家すべき由を、仰せつけたが、一山の老若は、その美貌が損なわれるのを惜しみ、御髪を削ぐことにとどめて、一応戒律を保ったという体裁にして、弁公昌信とぞ名のった。
尼削ぎの髪はふさふさして、顔に散りかかって、美しい眉がその隙間から顕るのを、例へて言うならば、これこそ「霞の間より樺桜の匂ひたる」と紫式部が書いた表現そのものと思うわれる。
原文
さて、僧都の御坊、*中禅寺とてなほ山深き霊社おはします。この御岳をこそ世に言旧りたる*黒髪山とぞ聞こえける。
*勝道上人かの御山に*千年の霊像を刻み立て、御堂をば*弘法大師建立し給ひて「補陀落山」と額を書き給ふ。ここに「*南方無垢の成道」と見えにける。かの山にありて三年籠り居て、*勤行せらるる例(ためし)ありけり。千代若殿は寺中におはしますべき由、のたまひけれども、いかなりける御心やおはしけん、「同じ*閼伽の水をも汲み、花をも摘まん。」とのたまひて籠らせ給ひけるとかや。
この所の様を言へば、*腰は高山峩々として前に湖水を湛えたり。源氏物語に「*なほかひなしとや塩ならぬ海」と詠みしもこの所の様なるべし。
*春陽坊専順の歌に、
厭ふらむ黒髪山に影映す海の鏡の霜と雪とを
*ひゑんの柱に今にあり。*十住心院心敬の歌には、
頼もしな三年(みとせ)籠れる法の師をさぞな*天照る神もまぼらむ
三年の御籠りを詠ませ給ひけるにや、また*雲護院道興は、
雲霧も及ばで高き山の端に沸きて照り添ふ日の光かな
さてまた*発句に、折しも秋の半ばなれば、
湖に錦を洗ふ紅葉かな
そこなる人の脇にて、
江に影ひたす秋の遠山
と申されけるとかや。その他故人の歌あれども、*みな漏らしてけり。されども、*新田刑部大輔源尚純卿、歌の浜と言ふ南の岸にて、
*越の湖にありと言ふなる*うたの浜合はせて見ねど負けじとぞ思ふ
万葉集に入れられし名所には、紅葉の浦・やしほの滝・老松・若松・寺が崎・日輪寺・*上野島あり。岩古浜・千手の岡、その景筆にも写し難し。
さて、ありありて千代若殿十五にならせ給ひけり。御髪(みぐし)剃らせ給ふべき由仰せられしを、一山の老若惜しみ参らせて、御髪を削ぎ奉りて*戒保たせ参らせて、弁公昌信とぞ申しける。
*尼削ぎの髪のふさやかに、御顔に散りかかりて、美しき御眉の顕れしを、例へて言はば、これや「*霞の間より*樺桜の匂ひたる」と紫式部が書きたりし言の葉やさながらと見えたり。
かくて山籠もりの久しかりし御慰みのためにとて、東谷に下らせ給ひける児・童子睦まじく語らはせ給ひける、*御心いよいよしなし。
(注)中禅寺=二荒山神社の神宮寺。神仏習合で寺と神社はあまり分離できない。立木
観音(千手観音)がある。ここからは、故事来歴や名所のガイドブック的記述
である。
勝道上人=奈良末期、平安初期の僧。補陀落山(二荒山=「ふたら」を「にこ
う」と読み、後の「日光山」になったとの説あり。)を開き、中禅寺を創建。
千年の霊像=立木観音か。千年は千手か。
弘法大師=空海。日光山輪王寺内に諸堂を建立した。能書家でもある。
南方無垢の成道=補陀落山は南方の海にあるという。か。成道は、悟りを開き成
仏すること。法華経・提婆達多品に、竜女が「即往南方 無垢世界(南方無垢
世界に行って)」成仏したある。
勤行=原文「こん経」。
閼伽=仏に供える水や花。
腰=語義未詳。前との対応からすると、奥、後ろの意か。
春陽坊専順=室町中期から後期の連歌師。宗祇の師。
なほかひなしとや=「わくらばに行き逢ふ道を頼みしもなほかひなしや潮ならぬ
海(源氏物語・関屋)」。「逢ふ道」が「近江路」を掛けるので本当は琵琶湖
の事。「かひなし」は「甲斐なし」と「貝なし」を掛ける。
ひゑんの柱=「飛檐」の柱か。飛檐は垂木。高く反りあがった軒。
天照る神=天照大神。自身も天岩戸に籠った。心敬の歌にあったからには三年籠
った先例があったのであろう。
雲護院道興=室町時代の僧侶。聖護院門跡なので、雲護院は誤りか。東国を巡遊
し「廻国雑記」を著した。東国巡遊が1486~1487年だから、乱世は応仁の乱を
指すのかもしれない。
発句=連歌の最初の五七五。続く七七が脇句。誰の発句か。
みな漏らしてけり=草子地というには直截的過ぎて、物語の一部とは言い難い。
日光山の諸記録をもっと沢山書くべきなのだろうが、ごめんなさいという感
じ。散逸したのだろうか。
新田刑部大輔源尚純=岩松尚純。室町後期の武将。新田氏の後裔。連歌をよくし
た。
越の湖=富山県にあった潟湖。
歌の浜=現在の立木観音のある場所。立木観音は根の生えた立木に掘ったはずな
のに、地滑りで湖に流出し、歌が浜に安置されたという。その他の地名はわか
り難い。万葉集にあるとは、同じ地名があるということか。
上野島=勝道上人を祀った人工島。時代的に万葉集にはあるはずがない。
戒保たせ=持戒。仏教の戒律を固く守る事。ここでは剃髪せずに髪を削ぐことで
一応戒律は守ったということか。
霞の間より=「春の曙の霞の間より、おもしろき樺桜の咲き乱れたるを見る心地
す。(源氏物語・野分)」を指す。
樺桜=樹皮が樺に似た桜。遅咲きか。
御心いよいよしなし=判じ難い。