religionsloveの日記

室町物語です。

塵荊鈔(抄)③ー稚児物語4ー

第三

  巻2から巻10までは花若・玉若の記述は多少の問答はあるようですが、ほとんど見えないようです。(精読したわけではありませんが。)ですから③は巻11冒頭から始めます。

 早物語の盲僧が情感たっぷりに玉若・花若・師匠の情愛を語ったのでしょうか。それが巻2か巻10まで続くと思うとすごいのですが、実際は百科事典みたいに知識の披瀝に終始しているようです。

 それで、巻11の冒頭では突然玉若が病気になってしまいます。巻10に伏線があるわけでもなく急に物語的になってしまいます。ちょっと無理がある感じです。稚児物語的な部分の割愛があったのでしょうか。

 そして、師匠の僧正が玉若の病は恋のなせる業だと恋の典拠を述べるのですが、玉若に否定されます。なんとも感動できないのですが・・・

 

 玉若殿が病に就く事

 さて、玉若殿は体に異常をきたして、ぐったりとした様子で病の床に就きました。それは、昔、漢の李夫人が昭陽殿で病の床に臥した辛さや、唐の楊貴妃が「梨花一枝春雨を帯ぶ」と形容なされた御様子もこのようなものだったのだろうかと思われるほどです。僧正がひどく驚いて、

 「そなたの御様子を拝見いたすと、ひどく常ではない御様子と見て取りました。どなたかを偲んでの忍ぶ草の思いが長く続いて、袖の中に隠しておいても蛍のようにその色は顕れるのですよ。どのような事でもお悩みになっているお心をお語りなさいませ。お相手が天竺・震旦・新羅百済の方ならさておいて、我が日本の事ならばどんなことでもあなたの思いをかなえて差し上げましょう。」

 とおっしゃるので玉若殿はとても驚きなさいました。

 「お師匠はなんとも思いもよらぬ事をおっしゃいますよ。」

 と言って季節外れの紅葉を散らすように顔を赤らめなさいました。僧正殿は重ねて言葉を続けます。

 「昔もそのような例はございます。語るのも畏れ多いのですが、天照太神兜率天にいらっしゃった時に、富士浅間大菩薩に恋をなさって、一首の歌を送りなさいました。

  浪高み荒磯崎の浜松は琴一伽羅の響きなりけり

  (波が高い荒磯崎では浜の松の松風も波の音に消えて、唐琴一台分の音色しか聞こ

  えません。あなたのお声もほとんど聞こえないのです。)

 と御詠なされたので、白衣の仙女が忽ち富士の峰の頂に立ち現れなさいました。仙女は反魂香を焚いて大菩薩の魂を呼び寄せ、天照大神一行は駅鈴を鳴らしながら駿河の国に行き、その面影だけですが御覧になって大日霊(おほひるめ=天照大神)の御心は慰められ、恋に闇路も晴れなさって、富士の煙も絶えたという事です。この浅間大菩薩をまた千眼大菩薩(千手千眼観自在菩薩)と申すのは、愛欲こそ菩提に至るという愛染明王の御垂迹で、三十二相を具えなさっている女体の御神様だからです。

 この富士山は昔は天竺七島のうち、第三(もしくは三つ)の島であったが、本朝天つ神の時代に割れ裂けて飛んできたので飛来峰と名付けたのです。その時波の上に浮いていたのが波で打ち寄せたのです。その後、人の世となって、この国を駿河の国と名付け、それで『駿河の山』となったので、枕詞では『打ち寄する駿河』というのです。また、麓を元の浮嶋に因んで『浮嶋が原』というのです。

  舟よばふ富士の川戸に日は暮れて夜半にや過ぎむ浮嶋が原

  (舟を呼んで富士川の河口の港に日は暮れて出港しても夜半に浮嶋が原を過ぎるだ

  ろうか)

 この山をまた般若山といいます。その形は蓮の花を合わせたようで八弁です。中央に窪みがあります。その底には水が湛えられています。また四八山ともいいます。三十二相を具現した美しい山なのでそういうのです。また浅沼の岳、藤岳ともいいます。この沼の四方から藤が生え上って中で寄り合っています。また鳴沢ともいいます。この峰には大きな沢(崩落地)があります。その沢の水と火が相克して噴煙と水蒸気が交じり合って立ち上り、沸騰した水が沸き返る音が常に絶えません。ですから袖中抄に、このような歌があります。

  さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと

  (共に寝る時間は玉の緒のように短い。恋しく思うことは富士の高嶺の鳴沢の

  ように鳴り響いています)

  煙立つおもひや下にこがるらん富士の鳴沢声むせぶなり

  (富士山に煙が立っている。私があなたを思う思いの火がその煙の下で焦げるよう

  にあなたを恋い焦がれているのでしょうか。富士の鳴沢の音は咽ぶように聞こえて

  きます)

 また、この山を富士と名付けたのは、御神体が女神でいらしたので、男の士(もののふ)を富ませようと欲したために人々が言祝いで名付けたともいわれています。また、不尽とも書く理由は、至って高いので眺望が尽きないからとのことです。もしくは四時雪が消え尽きる事がないからです。また不死とも書き、蓬莱ともいいます。これは仙術の方士がやって来て不死の薬を求めた蓬莱山がこの山であると言ったからです。そうして秦の二世皇帝の皇子が方士に従ってこの山の麓にやって来て住んだという事です。秦河勝はこの皇子の十三代の後裔です。また、日本記紀には宣化天皇の御宇に海中から湧き出したともいわれています。また、孝霊天皇の御時に一夜で地中から湧き出して一由繕那(16㎞)にもなったと云々。それで新山といい、見出し山ともいいます。また、三重山、神路山、常盤山、三上山などと申すも説あります。

 また、天武天皇の御宇に、駿河に国に竹作りの翁という者がいたそうです。竹を植えて上手に育てる人であったそうです。その翁がある時竹藪の中で鶯の卵をあるのを見つけました。その中に金色に輝く卵がありました。これを取り上げて自分の家に置くと、七日経って端厳美麗の少女となって光を放ったそうです。そこで翁は自分の子として赫姫(かくやひめ)と名付けました。駿河の国の国司、宰相金樹がこの事を帝に奏聞しました。帝はこの赫姫をお召しになってこの上なく御寵愛なされました。三年を経てこの姫が帝に申し上げました。『私は天上の世界の天人です。君とは宿縁があって仮に下界に下ってきましたが、縁は既に尽きようとしています。』と言って形見の鏡を献上して天へと昇って行きました。また、不死の薬に一首を添えて残し置きます。

  今はとて天の羽衣着る時ぞ君をあはれと思ひ出でぬる

  (今はもうお別れだと思って天の羽衣を着る時になってあなとのことを恋しく思い

  出されます)

 帝は御返歌に、かの薬を添えて返しなさいます。

  逢ふことの涙に浮かぶ我が身には不死の薬もなににかはせむ

  (逢うことができないで涙に浮かぶ我が身にとっては不死の薬も何になろうという

  のです、何にもなりません)

 その後帝は鏡を抱いたまま床に臥してしまいます。焦がれる胸の思いが鏡に燃えついて全く消えなかったので、公卿たちが僉議を開いて、土の箱を作ってその中に鏡を入れて、元あった所だからと駿河の国に送って置きましたが、猶燃える事は止まないので、国人は大いに懼れて、富士の頂まで上り置いたのですが、この煙はやはり途絶える事はありませんでした。その後朱雀天皇の御宇に、富士の煙の中から声があったといいます。

  山は富士けぶりも富士のけぶりにて知らずはいかにあやし(かなし?)からまし

  (山といえば富士、煙といえば富士の煙です。そんなことを知らないとはなんと不

  思議な⦅悲しい⦆ことでしょう)

原文

 玉若殿違例之事

 ここに玉若殿例ならず、所労の心地にて悩み給ふ。されば昔、漢の*李夫人の昭陽殿の病の床に臥し、唐の楊貴妃の*梨花一枝春雨を帯び給ふ御有様もかくやらん。僧正大いに驚き曰ひけるは、「此の御気色を見たてまつるに、殊なる御風情とのみ見及び申し候ふ。*忍ぶ草の縁を長し、袖の蛍の色顕はれ給ふ。何事にても思し召す事御心を隔てず御物語候ふべし。天竺・震旦・新羅百済の事は先ず置きぬ、吾が朝においては何事にても御意に任すべき。」と宣ひければ、玉若殿大いに驚き給ふ。「さても思ひもよらぬ事を宣ふものかな。」とて、時ならぬ顔に紅葉を散らし給ふ。僧正重ねて曰ひけるは、「昔もさるためしの候ふ。忝くも天照太神兜率天に御座(おまし)て、富士浅間大菩薩を恋ひさせ給ひて、一首の歌を送り給ふ。

  *浪高み荒磯崎の浜松は琴一伽羅の響きなり*けり

 と御詠ありければ、富士峯頭に即ち白衣の仙女顕現し給ふ。*反魂香を焼(た)き、*駅路の鈴を鳴らし、面影ばかり御覧じて*大日霊(おほひるめ)御心を慰み、恋の闇路も晴れ給へば、富士の烟りも絶えにけり。彼の*千眼大菩薩と申すは、*愛染明王の御垂迹、三十二相を具へ給へる女体の御神なり。

(注)李夫人=漢の武帝の夫人(側室)。絶世の美女で寵愛されたが若死にしたとい

    う。

   梨花一枝春雨を帯び=長恨歌の一節。楊貴妃の悲しげな様子。

   忍ぶ草の縁を長し=意味未詳。自分の恋心を抑えていたという事か。

   袖の蛍の色顕はれ=文保百首に「袖につつむ蛍のみかはあきらけき君の光も身に

    ぞあまれる」藤原実重、とあるようである。袖に隠しても蛍に光と君(帝)光

    は明るいのである、という意味か。僧正は玉若の病気を恋に病と解釈したの

    だろう。

   浪高み・・・=一伽羅が何の単位なのか。唐琴一台分か。波が高い荒磯崎なので

    で浜の松の松風も波の音に消えて、唐琴一台分の音色しか聞こえない、との意

    か。典拠未詳。荒磯は歌枕としては越中の海岸だが。

   けり=原文では「梟」だが、文脈上「鳧」でけりと読むのだろう。

   反魂香=焚けば死人の魂を呼び返してその姿を煙の中に現すことができるという

    想像上の薬。

   駅路の鈴=駅鈴。駅使(公用で旅する者)が与えられた鈴。この鈴によって各駅

    で宿泊・食糧を供給された。仙女が駅鈴を鳴らす意味がわからないので、天照

    大神の一行の方が鈴を鳴らして現地(駿河)に赴いたという苦しい解釈をす

    る。

   大日霊=大日孁貴(おほひるめのむち)。天照大神の別称。

   千眼大菩薩=文脈上富士浅間大菩薩指すが、「千眼」は千手千眼観自在菩薩に通

    ずる。浅間大菩薩は本地垂迹による本地仏大日如来らしい。女神天照大神

    大日如来に恋をしたというエピソードは何に拠るのか。祭神としては「木花開

    耶姫」で女神である。

   愛染明王=愛欲を主体とする愛の神。煩悩である愛欲が菩提となる、その象徴。

 此の富士山の昔は*月氏国七島の内、第三の島なりしが、吾が朝天神の時代に破裂(われさ)けて吾朝へ飛び来るゆえ、*飛来峰と名付く。其の時波上に浮きけるを、浪打ち寄せけり。其の後人代に成りて此の国を駿河の国と名付け、然れば駿河の山と成る故に、「*打ち寄する駿河」と云へり。また、麓を*浮島が原と云ふ。

  *舟よばふ富士の川戸に日は暮れて夜半にや過ぎむ浮嶋が原

(注)月氏国七島=月氏はインドの古称であろう。インドの島の一つが飛んできたとい

    う話は出典未詳だが、中国には杭州に須弥山に似ているというので須弥山の

    「飛来峰」だという景勝地があるらしい。

   打ち寄する=駿河の枕詞。一般的には「する」が「駿河」を引き出しているとい

    う解釈だが、ここでは「打ち寄せた島が駿河の富士山を作った」と解釈してい

    るようだ。ちょっと無理がある感じだ。

   浮島が原=富士山麓の湿原。語源は未確認。鎌倉時代の「東関紀行」の中に浮島

    の由来を、「この原昔は海上に浮かび、蓬莱の三つの島のごとくありけるによ

    りて浮嶋と名付けたり」とあるという。

   舟よばふ・・・=出典未詳。

 此の山をまた*般若山とも云ふ。その形合蓮花に似て八葉なり。中央に窪あり。其の底に池水湛へたり。また、四八山とも云ふ。三十二相を具せる山なり。また浅沼の岳、藤岳とも云ふ。此の沼の四方より藤生上り、中にて寄り合ふ。また*鳴沢とも云ふ。此の峰に大なる沢あり。其の水と火と相剋して烟と水気と和して立ち上り火燃水の沸き返る音常に絶えざるなり。されば*袖中抄に、

  *さ寝(ぬ)らくは玉の緒ばかり恋ふらくは富士の高嶺の鳴沢のごと

  *煙立つおもひや下にこがるらん富士の鳴沢声むせぶなり

(注)般若山=以下に[YamaReco]のHPに出ていた「富士山」の別称・呼称・愛称、呼び

    名を転載します。「日本山岳志」が出典のようです。

    不二山・ふじさん  不自山・ふじさん  不死山・ふじさん

    福慈山・ふじさん  不士山・ふじさん  不時山・ふじさん

    藤嶽山・ふじがやま 塵山・ちりやま   三重山・みえやま

    常磐山・ときわやま 二十山・はたちやま 聚新山・にいやま  

    見出山・みだしやま 三上山・みかみさん 神路山・かみじさん

    羽衣山・はぐろやま 東山・あずまやま  御影山・みかげさん

    竹取山・たけとりやま国深山・くにのふかやま 鳥の子山・とりのこさん

    乙女子山・おとめこやま 芙蓉峰・ふようがみね 八葉嶽・はちようだけ

    和合山・わごうさん 影向山・ようごうさん 仙人山・せんにんさん

    七宝山・しちほうさん  四面山・しめんさん 養老山・ようろうさん

    妙高山みょうこうさん  吹風穴山・ふくかぜあなやま  

    恋中山・こいのなかやま  鳴沢高根・なるさわたかね 高師山・たかしやま 

    時不知山・ときしらずやま  穀聚山・こくじゅうやま

    四季鳴山・しきのなるやま ずいぶんあるんですね。

   鳴沢=富士には大沢崩れという大規模な崩落地がある。山梨県側の麓に鳴沢とい

    う地名がある。

   袖中抄=鎌倉時代の歌学書。

   さ寝らくは・・・=万葉集巻14・3358に見える。「玉の緒」は短いもののたと

    え。「共に寝る時間は玉の緒のように短い。恋しく思うことは富士の高嶺の鳴

    沢のように鳴り響いている。」の意。

   煙立つ・・・=出典未詳。国立国会図書館デジタルコレクションの「袖中抄」で

    は確認できなかった。「おもひ」は「思ひ」と「(おも)火」をかける。煙と

    火と焦がるとむせぶが縁語か。「富士山に煙が立っている。私があなたを思う

    思いの火がその煙の下で焦げるように焦がれているのでしょうか。富士の鳴沢

    の音は咽ぶように聞こえてきます。」の意か。 

 また此の山を富士と名付くる事は、御神女体にておませば、男士に富めしめん事を欲する故に*俗祝ひて名(付く?)と。また不尽とも書く故は、高きに至りて瞻望尽きざるなり。また四時雪尽きざるなり。また不死とも書く、蓬莱とも云ふ。是は方士来たりて不死の薬を求めし蓬莱とは此の山と云へり。然る間、秦二世の皇子方士に伴ひて此の麓に来住す。秦河勝は彼の十三代後裔なり。また*日本記紀宣化天皇の御宇に海中より湧出すと云ふ。また孝霊天皇の御時、一夜に地より湧出で、*一由繕那と云々。然れば新山と云ひ、見出(みいだし)山とも云ふ。また三重山、神路山、常盤山、三上山など申す説あり。

(注)俗祝ひて=人々が讃美したのか。男がいっぱい集まりますよ、と御世辞を言った

    のか。

   方士=秦の始皇帝の命により不老不死の薬を求めて徐福が東海の蓬莱山を求めて

    海上に旅立ったとの記述が「史記」にある。それを承けて日本各地に徐福伝説

    が存する。富士山の麓富士吉田にも徐福伝説がある。「宮下文書」も偽書では

    あろうがそのひとつ。

   日本記紀=「古事記」「日本書紀」には富士山の記述はない。中世の「日本紀

    は必ずしも「日本書紀」を指さず、日本の歴史として多くの人に共有された神

    話という意味合いのようだ。いずれかの史料にあったのだろうか。

   一由繕那=「由繕那」は「踰繕那」か。由旬ともいう。梵語で距離の単位。一由

    繕那が40里(中国)とすると、約16㎞。

 また*天武天皇の御宇、駿河の国作竹(たけつくり)の翁と云ふ者あり。竹を植えて能く生(そだ)つる人なり。或る時竹中に鶯の卵数多あり。其の中に金色の卵あり。之を取りて吾家に置くに、七日を経て端厳美麗の少女と成りて光を放す。乃ち翁が子として赫姫(かくやひめ)名づく。駿河の国国司、宰相金樹此の由奏聞す。帝是を召して寵愛他に異なり。三年を経て彼の姫奏して曰く、「我は上界の天人なり。君と宿縁ありて仮に下界に下る、縁既に尽きぬ。」とて形見に鏡を奉りて上天す。また不死の薬に一首を添へ置く。

  *今はとて天の羽衣着る時ぞ君をあはれと思ひ出でぬる

 と。帝の御反歌に、彼の薬を添へて返し給ふ。

  逢ふことの涙に浮かぶ我が身には不死の薬もなににかはせむ

 と。其の後、帝彼の鏡を抱いて伏し給ふ。胸焦がるる思ひの火と成りて、鏡に付けて総て消えざれば、公卿僉議ありて、土の箱を作り中に入れて、本所なればとて駿河に国へ送り置くに、猶ほ焼け止まらざりければ、国人大いに懼れ、富士の頂に上せ置くに此の烟猶ほ絶えざりけり。其の後朱雀院の御宇、富士の烟の中に声ありて云ふ、

  山は富士けぶりも富士のけぶりにて知らずはいかにあやし(かなし?)からまし

 是によりて富士の烟を恋に読みけるなり。

(注)文武天皇・・・=竹取説話は中世の古今和歌集注釈書や歌論書に多く引用されて

    いる。古今和歌集序聞書三流抄にも、「日本紀云ふ・・・」として本文と同じ

    内容の記述がある。

   今はとて・・・=「時ぞ」、が「折ぞ」と若干異動はあるが竹取物語に同様の和

    歌がある。逢ふことの・・・の和歌も竹取にある。

   山は富士・・・=出典未詳だが、「神道集」巻8に「山も富士煙も富士のけぶり

    にて煙るものとは誰も知らじな」というよく似た歌がある。