religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り②ー稚児物語2ー

上巻

その4

 姫君の病状はすっかり回復なさったので、僧正は比叡山にお帰りになったが、稚児は乳母のもとにとどまった。

 食事も全くとらず、ぼうっと物思いにとりつかれて病がちになっていると、比叡山からもひっきりなしに使者が遣わされて、医師も大騒ぎして薬を施すが、さしたる効果もなく、僧正は嘆かわしく思って、「もしや物の怪にでも取り付かれたのか。」と思って加持祈祷をしたが、その声さえもやかましく聞こえ、せめて静かに物思いをしたいと、無理やり起き上がって居ずまいを正し、病は苦しくはないのです、との旨を申して、僧たちを山へ帰して、あれこれと思い悩んでいるようであった。

 夜はくつろいで眠る様子でもなく、昼は終日床に臥して暮らしているので、乳母が思うには、「どのような御病気とも思われない、きっと悩み事があるのでしょう。」と。稚児はいくらか心地のおさまる時には手習いをしている。それを手に取って見ると、「霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」とだけ何度も同じことを書いてあるのを見て、「やっぱり悩み事がございましたのですね。」と思って枕元に近寄って、「このご病状は尋常ではありません。何かお悩み事でもございますのでしょう。どのようなことでも私めにおっしゃってください。仏や神がいらっしゃるのですから、どのようなことでもどうしてかなえられないことがございますでしょうか。悩み事を打ち明けないで死んでしまったならば、それこそゆゆしく罪深いことだと申せましょう。」などと言葉巧みに申すも、「何事をそんなに悩みましょうか。」と言葉少なに語るのが、

ますます不審に思われて、嘆いたりなだめたり様々に口説いたところ、「まことに、『忍ぶれど・・・』の古歌ではないが、人に問われるまでになったのだなあ。袖の色が涙で変わるのも我ながらつらい、いっそ語ったなら心慰めることもあろうか。」とは思ったが、乳母に知られることも恥ずかしくて、どう言ったらいいかもわかないが、「下燃えに・・・」の歌ではないが、思いを秘めたままで煙と消えてしまうのも罪深いことだと思って、顔を赤らめながら、とある花の夕べから思いの募った心の内、思いがけなくも比類ない姫君の美しさが忘れられなく、心が騒ぎ胸の高鳴りが静まることもない、その心境をぽつりぽつりと語り出すと、乳母は、「そうでございましたか。」と驚きながらも聞き入るのであった。

その5

 乳母は稚児のために昼夜あれこれと思案し続けた。そして一案を思いついたのである。かの僧正がなんとかの宮という方が御出家なされた時に、受戒の布施として贈られた、なんとも美しいい手箱を、この稚児は賜っていた。その手箱を乳母は童に持たせて、その大臣の女房たちがいる長局に参って、童に、「手箱をお召しの方はいますか。」と言わせると、とある局が二人を呼び入れた。

 この上なく美しい手箱であったので、その女房は奥方様に持っていき、お見せすると、姫君が入内する時の持参品として、様々に風情を凝らして作った手箱の中でも、これに少しでも及ぶ物はなかったので、「これはお召しになりましょう。」ということで、この乳母と会って女房たちがその由を申すと、この手箱の主の乳母は、そこに並びいる女房の中でも若くて美しい一人を見て、袖を顔に押し当ててさめざめと泣くのであった。

 人々は、「どうしたのですか。」と驚いて尋ねると、「申し上げることも辛いことですが、私には一人の娘がございました。その娘が亡くなってしまったのを嘆き悲しんで、『せめて我が娘に似ている人をお見せください。』とあらゆる神仏に祈り申したのですが、こちらの御方に寸分たがわずいらっしゃるのが、あまりに昔のことが偲ばれてこらえきれずに。」と言ってとめどもなく泣き崩れるので、女房たちも、「何と悲しいこと。」と言って、皆涙ぐんだのであった。

 さて、「手箱の代金を。」と言うと、「いえいえ、この手箱のおかげでこれほど恋しい人の事を、お目にかかって心を慰められたのですから、ただもう、この手箱を差し上げてここに置いていることで、何度でもここに参ってこの方にお目にかかる事を許されれば、それに過ぎたる代金はございません。」と言って帰ってしまおうとすると、女房たちはその人の局はどこかなどと教えた。そして、手箱はそのまま置いて乳母は帰っていったのであった。

その6

 その後、乳母は麝香や薫物などの高価なものまで持ってきて与えたので、若い女房たちは歓待して、知人とでぃて深く交わることとなった。

 女房たちは手箱の代金を乳母が受け取らないのも申し訳ないと、さりげなくお金のようなものを渡そうとするのを、頑なに受け取らないのも不審の種となると思って、多少は受け取ったりして、常に通っていた。

 この御殿は多くの女房が出入りしていた。それを見て、「ああ、私がお育てした君がいらっしゃるのですが、この御屋敷にお仕え申し上げることができましたならば、どれほどかうれしいことでしょう。」と乳母が申し出ると、人々は、「姫君の御入内にあまたの女房をお求めでございます。そんな折節ですから申し上げて見ましょう。」などと言って、その事を申し上げる。

 すると奥方様はは、「まことにこの手箱の持ち主ならば、どれほどか雅やかな人であろうか。」と思って、「局に呼び寄せてみよ。」とおっしゃるので、その旨を語ると、乳母は喜んで帰った。

 「稚児殿、無理にでも何か召し上がって、ご身体を恢復させて、その後女房の装束をなさって、大臣のご邸にお伺いなされ。」と乳母が申し上げると、稚児はその発想が空恐ろしく、尋常ではなく思いなさるが、「それもそうだ、せめてお屋敷の中でもう一度お見かけするだけでも。」と思う心がそうさせたのか、容態は好転し、次第に頭を持ち上げて、少しづつ食事もとれるようになってきた。死をも覚悟していた稚児には、この変わりようが自分でも信じられないと思われるほどであった。

原文

その4

 姫君、御心地怠り果て給ひぬれば、僧正は山へ帰り給ひけれども、児は*乳母(めのと)のもとにとどまりぬ。

 つやつや*物も見入れず、ほれほれとしてもののみ思はしき身になり果てて悩みけるに、山よりもひまなく人を遣はして、薬師何かと*もてさはぐり給ふ験もなかりければ、僧正思し嘆きて、物の怪にやとて加持をしけれども、*御しんの声もかしがましく、せめて静かにものだにも思はばやと思へば、強ひて起き居などして苦しからぬ由申して、僧たちをも山へ返して、そのことともなく悩みけり。

 夜はうちとけてまどろむ気色なく、昼は日暮らし臥し暮らしければ、乳母思ひけるは、「いかなる*御いたはりともさして覚えねば、思ふことはしおはするやらん。」と思ひけるに、心地のひまには手習ひをし給ふを取りて見るに、「*霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ」とのみ、*同じことを書置きたるを見て、「さればこそ、思ふ事おはするなめり。」と思ひてさし寄りて、「この御心地のやう、ただ事にあらず。いかさま思ふ事おはすにこそ。いかなる事なりともおのれにはのたまへ。仏神おはしませば、いかなる事なりとも、などかかなへ奉るべき。思ふ事を言はで果てぬるなん、ゆゆしく罪深き事とこそ申し侍れ。」など口ききて申しければ、「何事をかは、さまで思ふべき。」と言少ななるもあやしくて、いよいよ様々にうち嘆きつつ口説きければ、「げに*人の問ふまでなりにける。袖の色も我からあはれにて、語りて慰まん事もや。」と思せども、乳母が心の内もはづかしく、言ひてん言の葉も覚えねども、*思ひ消えなん煙の末も罪深ければ、顔うち赤らめつつ、花の夕べより思ひつる心の内、思ひかけず、ためしなかりし御様の忘れ難き御面影に、騒ぎ初めにし胸の静まる世なきさまを言ひ出で給へるに、「さればよ。」といとあさまし。

(注)乳母=乳母の場合も、男の養育係の場合もある。文脈で判断する。

   物も見入れず=物を食べない、の意。辞書には「見入る」に「食べる」の語釈が

    ないが、「ご覧じ入る」に「召しあがる」の語釈はある。本書には散見される

    表現であるが、他に用例がないのか。

   もてさはぐり=「もて騒ぐ」か。

   御しんの声=語義未詳。加持祈祷の声か。

   御いたはり=病気、または心の痛み。

   霞の間より・・・=「山桜霞の間よりほのかにも見てし人こそ恋しかりけれ(恋

    1・紀貫之)」を踏まえる。

   同じことを書き置きたるを見て=奈良絵本「書き重ねて、心ゆかしき手習ひは、

    恋しとのみなど、言はぬに繁き乱れ葦のいかなる節に、など書きなしたるを見

    て、」とやや詳しい。

   人の問ふまで=「しのぶれど色に出でにけり我が恋はものや思ふと人の問ふま

    で」(平兼盛拾遺集11)を踏まえる。

   思ひ消えなん煙の末=下燃えに思ひ消えなむ煙だに跡なき雲のはてぞ悲しき(新

    古今12・藤原俊成女)、思ひ消えむ煙の末をそれとだに長らへばこそ跡をだ

    に見め(とはずがたり3)等を踏まえるか。恋心を秘めたまま死んでしまって

    は悲しい、との意か。「思ひ」の「ひ」は「火」との掛詞。「火」と「煙」は

    縁語。

その5

 乳母、夜昼案じて*あしうちつつみて、僧正のいづれの宮とかやの御出家の時に、御戒の布施に出だされたりける手箱の、なべてならず美しかりけるを、この児にたびてけるを、乳母、童に持たせて、かの大臣殿の*御局町へ参りて、「手箱の召しや。」と言わせければ、ある局呼び入れぬ。

 なべてならず美しかりければ、*御上に持ちて参りて見せたてまつるに、姫君の*内参りの御料に、様々風情を尽くしてせらるる御手箱の中に、これが片端に並ぶもなかるければ、召さるべきにて、*あひしらはせられけるに、女房どもあまた見えける中に、若き人のみにくからぬがあるを見て、この手箱の主、袖を顔に押し当てて泣くこと限りなし。

 人々、「いかに。」とあきれて尋ねけるに、「申すにつけても、*かたはらいたく侍れども、わらはが一人娘の侍りしが、失せて侍るを嘆き悲しみ侍りて、『似たらん人を見させ給へ。』と四方の仏神に申し侍るが、この御方に少しも違はせおはしまさぬが、あまりに昔恋しさ忍び難く。」とて、*せきあへず泣きければ、女房どもも、「あはれなることにこそ。」とて、皆うち涙ぐみぬ。

 さて、手箱の代はりの事のたまへば、「いや、これほど恋しき人の事を、慰みに見合いまいらすることも、手箱ゆゑに侍れば、ただ参らせおきて、常に参りて、見まいらせ侍らんに過ぎたる代はりや侍るべき。」とて、帰りなんとすれば、*この人の局など教へられぬれば、手箱は置きて帰りぬ。

(注)あしうちつつみて=語義未詳。足を包むことに何か意味があるのか。

   御局町=局が多く並んでいる所。ながつぼね。

   御上=姫君の母である奥方様に。

   内参りの御料=春宮に入内する際の持参品。

   あひしらはせ=語義未詳。会って知らせる、の意か。「あひしる」は交際する、

    の意だが、「交際」は唐突な感じがする。

   かたはらいたく=つらく。

   せきあへず=止めることができないで。こらえきれず。

その6

 その後、麝香(じゃかう)・薫物(たきもの)をさへ持ちて来て取らせければ、若き人々もてはやして喜び、浅からぬ知り人になりにけり。

 手箱の代はり取らぬもかたはらいたしとて、なにとなきさまにて、金(かね)ていの物たびければ、さのみ取らざらむも怪しかるべければ、少々は取りなどして、常に来通ひけるに、女房たちなどあまた出で入るを見て、「あはれ、わらはが養い君のおはしますを、この殿に候はせたてまつりて侍らば、いかがうれしく侍らん。」と申し出でたるに、人々、「御内参りにあまた人を尋ねらるる折節なれば、申してみん。」など言ひて、この由を上に申せば、「げにこの手箱の主ならばゆかしくこそ。」とて、「局まで呼びてみよ。」とのたまへば、この由語るに、喜びて帰りて乳母申しけるは、「いかにとしても少しづつ物をも見入れ給ひて、御心地をも治して、女房の装束し給ひて参らせ給へ。」と申しければ、空恐ろしく、ものぐるほしと思せども、「げに、せめて*御垣の内ばかりなりとも今一度。」と思ふ心にひかれつつ、やうやう頭(かしら)もたげて少しづつ物なども見入れらるるぞ、我ながら現とも覚えぬ心地するや。

(注)御垣の内=宮中を言うが、ここでは大臣邸。