religionsloveの日記

室町物語です。

花みつ①ー稚児物語3ー

 「花みつ」は「室町物語大成」には、10巻に「花みつ」「花みつ月みつ」が、補遺2巻に「月みつ花みつ」が所収されています。あらすじはほぼ同じですが、表現には多くの違いがあります。このブログでは「花みつ」を基本として、「花みつ月みつ」(以下「花月」と省略)「月みつ花みつ」(以下「月花」と省略)と比較しながら読んでいきたいと思います。原文は適宜ひらがなを漢字に改め、標準的な歴史的仮名遣いに改めました。

上巻

その1

 昔、播磨の国赤松(妙善律師則祐)殿の御家中に、岡部の某という者がいた。

 古くからの功臣というわけではなかったが、器量才覚が抜きんでていて、播磨の国の半国の守護代を任せられて、その家は非常に富貴だった。庶人からも尊敬を集めていた。しかし、そのような素晴らしい境遇でも、心にかなわぬことがあるのは世の習い、一人の子をお持ちにならなかった。これだけがこの夫婦の悩みの種であった。

 岡部は心中、「我が身が盛んな時は立派な暮らしを送ることもできよう。しかし、残念なことだが他家の子を養子としても、現世の跡継ぎはともかく、後世の頼りとはなり難い。やはり実子。昔から神仏に祈願すればかなうと承っている。大願成就を祈願して御子を申し受けたいものだ。」とお思いになり、我が身は潔斎し、女房は領地の氏神(法華堂)に七日間参籠し、岡部は書写山に参籠して、ひたすらこの事を一心に祈りなさった。

 岡部の女房は七日の満願の夜に、蕾の花を(仏に)頂く夢を見た。「きっと所願成就の兆しであろう。それにしても青葉のうちに散るまでを見るとは、成人まではともに暮らすことができない事の予兆なのか。」と不安に思いながらも、喜んで戻って行った。

 岡部の殿様の御夢には、満開の花を(仏に)頂くと見るや否や、風に誘われ散るのを見て、その後はどうなる事にかと気にかかりながらも、お戻りになった。

 そうすると、ほどなく女房は懐妊なさり、さしてお障りもなく男子を出産しなさった。岡部も女房もこの上なく喜んだ。二人の夢にちなんで名を「花みつ」殿と名付け、乳母・傅を多くあてがわせ大切に育てなさる。主君の赤松殿始め多くの朋輩たちは、各々言葉の限り、「おいのかほう(老いの果報、か。老いの家宝、か。別解か。)とはこのような事でしょう。」と面々にお祝いなさった。

その2

 翌年、花みつ二歳の春、赤松は岡部を呼び出した。そして言うには、「今年私は大番役に当たった。お前も知っているように私は病を患っておる。はるばる都へ上ることは無理だと思う。岡部よ、私の赤松の名字を名乗って、三年の都の警護を務めよ。」とおっしゃるので、名字を名乗る時の名誉は身にあまるほどで、早速京へと上洛なさった。

 そうしていると、ある人が、「そうはいっても都にいるうち、一人暮らしでいなさるのもお寂しいでしょう。」と言って御目容貌のたおやかなるをお差し向けなさった。岡部もまんざら朴念仁ではなかったので、この女房と深く契っということである。これも前世の契りであろうか、まもなく懐胎して玉のような男子を産んだ。岡部は内心、「書写山へ参拝して夢を見て帰ったのは、きっとこの子の事であるに違いない。」と有難く思った。おりしも九月十三日の夜の事だったので、その夜の月にちなんで、「月みつ」と名付けたのである。

 岡部は、大番役も果たしたので、月みつを母も伴って播磨へと下り、女房の手前、とある所へ隠して住ませ、この事を御台所(女房)に申すと、聞いた御台所は、「それはうれしいことです。花みつ一人では万事頼りなく思ていましたが、弟ができたとなればうれしいことです。他の所で育てるのも心配です。」と言って、月みつも呼び寄せて、自分の子の花みつよりもさらに可愛がって、花よ月よと育てなさる。一方、月みつの母親は、庶子の母であるという世間の誹りを憚って、ほんの時々岡部殿から便りがあるだけで、ひっそり暮らしていたのであった。

 このようにして年月は過ぎ、花みつ十歳、月みつ九歳の年、岡部殿がお思いになったのは、「この兄弟を無為に可愛がって手元に置くことも無益な事だ。書写山へ上らせ学問をさせよう。」と、とりあえず花みつだけを連れて書写山へ登山なさった。

 書写山別当は、岡部殿ということで直接会って、様々な趣向を凝らしもてなしなさった。酒宴は三献にも及び、岡部がさらに別当に杯を差し出す。別当がなみなみと受けなさると、岡部殿が仰る。「ただ今の御酒杯、酒肴としてお望みの事がございますならば、どのような事でもおかなえ致しましょう。」と言うので、別当は、「老いの身である拙僧には何の望みもございません。ただ、この花みつ殿を私にお預けください。この方の後見人となりたく思います。」とおっしゃるので、岡部ももとより願っていた事なので、「問題ございません。」と了承して、お互いにこの上なく喜んだのであった。

原文

その1

 昔、播磨の国*赤松殿の御内に、岡部の某といふ人あり。

 さして*旧功の人にてはなかりしかども、器量才覚世に優れたるによつて、*播磨の国半国の守護代を預かり、その家富貴(ふつき)なり。庶人の敬ふこと限りなし。されば心にかなはぬを憂世の習ひ、かかるめでたき中にも一人の子を持ち給はず。これのみ夫婦の思ひとなれり。

 岡部心に嘆き給ふは、「我が身盛りなる時こそいみじく暮らすとも、年老いぬかん身の果て、いかになりなん。あさましや。他人の子を養ふ事も後の世までの頼りとはなり難し。昔よりも神仏に申せばかなひけると承る。大願を立てて*申し子をせばや。」と思し召し、我が身を清め、女房は所の*内神に七日籠り、岡部は*書写山に参りて、ただこの事を一心に祈り給ふ。

 女房、七日に満ずる夜の*夢に、蕾める花を賜ると見て、さては所願成就の思ひをなし給ふ。されどもされども、青葉にて散るを夢に見れば、成人まで我が身に添ひけん事あるまじきかと、心細く思ひながら、喜び*還向(げかふ)し給ふ。

 岡部殿の御夢想には、盛りなる花を賜ると見るに、これもやがて風に誘ふと見えければ、後いかがと心にかかり、還向し給ひけり。

 さて、ほどなく女房懐妊し給ひ、月日のいたはりもなく、男子を儲け給ふ。岡部も女房も喜び給ふ事限りなし。御夢想によそへて御名をば「花みつ」殿と名付け、あまたの*めのとをいつきかしづき育て給ふ。赤松殿を始め奉り多き朋輩たちにいたるまで、「*おいの果報とはかかる事なるらん。」と面々に祝ひ給ふ事限りなし。

(注)赤松殿=「花月』「月花」では「赤松の妙善律師」。妙善律師は赤松則祐、南北

    朝時代の武将。

   旧功の人=長年にわたって仕えている人。「花月」では「新参(しんざ)とは申

    しながら」。

   播磨の国半国の守護代=「花月」では「播磨の国西八郡の守護代」、「月花」で

    は「播磨の国の守護」。

   申し子=神仏に祈願して授かった子。

   内神=屋敷内に祀る神。「花月」では「法華堂」。「月花」では「法華寺」。

   書写山=播磨の国にある山。天台宗円教寺があり、西の比叡山と呼ばれる。

   夢=「花月」では夢の内容が夫婦逆。「月花」では、「蕾が若葉となって風に散

    る」までをまとめて、夫婦同じ夢を見たとする。

   還向=寺社の参拝から帰ること。下向。

   めのと=女性の乳母や、男性の養育係の傅。

   おいの果報=「老いの果報」か。または「老いの家宝」か。

その2

 その年も過ぎ、やうやう花みつ*二歳の春の頃、赤松殿岡部を召して仰せけるは、「今年は*大番の役に当たれり。御身の知るごとく少し所労の身なれば、はるばる上る事、いかがと思ふなり。某(それがし)が名字を名乗り三年の御番を務めよ。」のたまへば、岡部、*時の面目身に余り、忝しとて急ぎ都へ上り給ふ。

 しかるにある人申されけるは、「中々の在京の内、一人暮らし給はんも徒然(つれづれ)なるべし。」とて御目容貌(みめかたち)優なる女房を参らせけり。岡部も*岩木の身ならねば、語らひそめし睦言は、浅からずこそ聞こえけれ。これも先世の契りにや、ほどなく懐胎して玉のやうなる男子産めり。岡部心に思ふやう、「書写へ参りて御夢想を得て帰りしは、この子の事なるべし。」とありがたくも思ひ給ふ。おりしも九月十三日夜のことなれば、その夜の月になずらへて、「月みつ」とこそつけ給ふ。

 大番も過ぎければ、月みつの母をも具して下り、とある所に隠し置き、この由御台所にのたまひければ、御台聞し召し、「あらうれしや。花みつ一人にてよろづ頼りなく候ひしに、弟の出できけるこそうれしけれ。よそにて育てんもおぼつかなし。」とて月みつをも呼び取りて、我が子よりもなほいとほしみて、花よ月よと育て給ふ。月みつの母は、世の誹りの慎ましさに、かすかなる住まゐにて、ただ折々のおとづれのみにてぞ暮らしける。

 かくて月日重なり、花みつ十歳、月みつ九つの年、岡部思し召しけるは、「かれら*きやうをかく徒(いたづら)に置くことも由なし。書写の山へ上せ、学問をさせん。」と思ひ、まづ花みつばかりをして書写へ*上り給ふ。

 *別当出で会い給ひ、色々様々にもてなし給ふ。酒三献過ぎて岡部殿の杯を別当に差し給ふ。別当杯たうたうと御受けあれば岡部*たまふ。「ただ今の御肴には何にても御所望の事侍らば、かなへ参らせん。」とありければ、別当仰しけるは、「老僧の身に何の所望も候らはず。この花みつ殿を某に預け*給ふ。後見申したく候ふ。」とのたまへば、もとより岡部もその心のことなれば、「いとやすき事なり。」と了承し、互ひの喜びこれに過ぎたる事はなし。

(注)二歳=数え年であるから生後数か月。

   大番の役=大番役は平安・鎌倉時代の内裏と院御所の警護役。南北朝時代にはま

    だ存在していたが、後廃れてようである。制度として3年は長い感じ。別の賦

    役を大番といったのか。

   時の面目=その時の名誉。「花月」では主君の名字「赤松」を名乗ることができ

    るのを面目であるとする。

   岩木の身=岩石や木のような感情を持たない身。

   きやう=兄弟か。

   上り=「上らせ」であるところ。

   別当=一山の寺務を総裁する僧官。また、これ以後の描写は「花月」「月花」と

    もに「花みつ」よりかなり詳しい。

   たまふ=「賜ふ」または「のたまふ」か。

   給ふ=「給へ」か。