その6
道行くと、富士に高嶺に降る雪も、積もる想いになぞらえられて、
消え難き富士の深雪にたぐへてもなほ長かれと思ふ命ぞ
(なかなか消えない富士に積もる深雪に例えても、それよりさらに長くあれと思う
あなたの命です。)
などと胸から溢れ出でることを口ずさみながら行き、清見が関では磯を枕とし、涙を袖に流しながら、打ち解けても寝られない海士の磯屋に旅寝して、「波のよるひる」と言うのも我が身と思い知られて、その一通りではない悲しさはたとえようもない。
なかなかに心尽くしに先立ちて我さへ波のあはで消えなむ
(あなたのことを心配する前に、あなたに逢わずに返って私が波の泡と消えてしま
いそうだ。)
こらえきれない辛さのあまりに。
日も次第に経っていき、土山という宿場に着いた。明日はいよいよ都へとお互いに喜び合う心に中にも、もどかしさや胸騒ぎを感じるところに、京から文を持った使いが来たのである。
原文
やうやう行けば、富士の高嶺に降る雪も、積もる思ひによそへられつつ、
消え難き富士の深雪にたぐへてもなほ長かれと思ふ命ぞ
など胸より余る事ども、口ずさみつつつもて行くほどに、*清見が関の磯枕、*涙かたしく袖の上は、*解けてもさすが寝られぬを海士の磯屋に旅寝して、*波のよるひると言へるも我が身の上に思ひ知られて、大方ならぬ悲しさ、また何にかは似るべき。
なかなかに心尽くしに先立ちて我さへ波の*あはで消えなむ
わりなさのあまりなるべし。
日もやうやう重なるままに、*土山と言ふ厩に着きぬ。明くる空は都へと、こころざし喜び合へる中にも、いとど心やましきに、京よりとて文もて来たり。
涙かたしく=涙を流しながら腕やひじを枕にして一人で寝る。
解けてもさすが寝られぬ=さすがに打ち解けて寝られない。「君はとけても寝ら
れ給はず」(源氏物語・帚木)
なみのよるひる=「波の寄る」と「夜昼」を掛ける。何かの和歌に拠るか。
あはで=「波の泡」と「逢はで」を掛ける。