religionsloveの日記

室町物語です。

幻夢物語④-リリジョンズラブ3-

 その1

 幻夢としても空しく月日を送るにはせんないことで、「下野国とかに下って、どうにかして尋ねて、もう一度若君に会いたいものだ。」と思い立ちました。麻の衣に菅の笠という身なりで、憂き節の多い竹の杖をつき、尽きない思いを道しるべとして、遥かに遠い東国へに道に浮かれ出ます。幻夢も我ながら愚かなこととは思うのですが、やはり恋しい人の面影が眼前を去らないで、志賀の歌枕、鏡山を通り過ぎても、鏡も悲しみの涙に曇るようで、どうにも忘れることはできません。

 夜を日に継いで行きまして、三月の十五日の酉の刻には日光山に着いたのでございます。そしてすぐにも竹林房を訪ねようとしたのですが、日光山は僧房の数六、七百にも及ぶ大きなお山でして、たやすく見つけることはできません。春の長い日も暮れてしまいますが、泊まるつてもないのでした。

 本堂の前に佇んでおりますと、法師が一人通り過ぎます。

 「この山にあるという竹林房とはどちらでしょうか。」

 と尋ねますと、

 「それがしも竹林房は存じておりますが、ここからはだいぶ遠いところでございますよ。それにこんな夜中に旅人などが訪ねて行ってもきっと門を開けることはないでしょう。

 それにこの輪王寺は規律の厳しいところでして、あなたのように夜中にうろついているときっととがめられますよ。今夜はどこでもいいからお泊りなさって、夜が明けてからお尋ねなされよ。」

 といいますので、

 「どこで宿を貸してくれましょうか。」

 と問いますと、

 「このような夜更け、人も寝静まっていますから、宿を貸してくれる人もいないでしょうなあ。そうそう、ここから五町程峰の方に行けばお堂がございます。そこで夜を明かしなされ。あそこに火が光っているでしょう。そこですよ。

 申し訳ございません。自分勝手が許されるなら私の房へ泊めてやることもできるのですが、何しろご禁制なので・・・」

 と言い残して本堂の方へ行ってしまうのでした。

 幻夢はいよいよ心細くて、涙ながらに見知らぬ山路を分け入って、灯りを目印に行くと、五町程と教えられたものの、二十町程行ってやっとそのお堂に着きました。

 見ると、長い年月誰も住んでいませんようで、そうはいっても香や花、灯明などは寺中の誰かが常に供えていると見えて、灯りが仄かに揺れているのです。

 正面に回って御本尊を拝みますと、これは阿弥陀三尊です。曇り切ってはいない春の朧月は、仏の白毫のような柔らかな光を添え、春の嵐に散る花びらは、四智円明の悟りで飾っているように厳かです。実に神々しくも趣深いのではありますが、それにつけても恋しい人のことばかりが思い出されて、旅寝の枕もやるせなく感じる折節、麓の方から笛の音が聞こえてきました。不思議にも妙なる調べで、天人がお現れなさったのかと思われて、しばらくは聞き入っていましたが、次第に笛の音は近付いてきました。

 「この道は常に人が行きかうとも思われない。それに近くに住む家もなさそうだのに不思議なことだ。」

 と思っていると、この音色の主は阿弥陀堂の前に来て、しばらく笛を吹いていました。

 いうに言われない趣深い音色で、外に出てその姿を見たいと思いますが、一方では恐ろしくぞくぞくするようでもあり、心落ち着けて、どうしたことかと気にしていますと、足音静かに歩み寄って、妻戸を押し開いて礼堂に上がってきます。

 見ると、刺繍の施した練絹の小袖に精好の大口袴をはいて、萌黄縅の胴丸に、草摺りを長く着こなして、上には白練りを被って、金作りの太刀を腰にした、十六歳ばかりの稚児が立っています。

 「もしや天魔・鬼神が私を苦しめようとして来たのであろうか。ままよ、恋しい人のために殺されるのならば、是非ないことだ。」

 と思い、よくよくみると、心を尽くして恋焦がれた花松殿ではござらぬか。

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原文

 かくて月日を送るも甲斐なければ、「下野とかやに下り、いかにもして尋ね合ひ、今一度少人を見参らせばや。」と思ひ立ち、*麻の衣に菅の笠、*憂き節繁き竹の杖、*つきぬ思ひを標(しるべ)にて、遥かに遠き東路に、浮かれて出るわが心、我ながらよしなやと思へども、なほ憂き人の面影去らぬ*鏡山涙も曇る時の間も、忘れえぬ身をいかにせん、かくて夜に日を継いで行くほどに三月十五日酉の刻に日光山に着きにけり。

 本堂の前にたたずみ居たる所に、法師一人行き会ひぬ。

 「当山にて竹林房はいづくの程やらん。」

 と問ひければ、

 「その房は存じて候へども、ここよりは程遠く侍る。殊更夜陰に旅人などのお尋ね候はんに、よも門を開け候はじ。その上この山は*制法かたき所にて、かく夜中に御ありき候はば、さだめて人のとがめ候ふべし。今夜はいづ方にもお泊り、明けてお尋ね候ふべし。」

 と言ひければ、

 「いづ方にか宿を貸し候はん。」

 と問ひければ、

 「夜更け、人静まりぬれば、宿貸す人も候はじ。これより*五町ばかり峰に行きて堂の候ふ。かれにて夜を明かし候へ。あれに灯の影の見ゆる所にて候ふ。

 あはれ我が心のままならば、一夜の御宿申すべきものを。」

 と言ひ捨てて、本堂の方へと行きにけり。

(注)麻の衣に菅の笠=粗末な旅の身なり。

   憂き節繁き=辛いことが多い。「節」が縁語として竹にかかる。

   つきぬ思ひ=杖を「つく」と「つきぬ思ひ」を掛ける。

   憂き人=恋しい人。

   鏡山=滋賀県にある山。歌枕。鏡が縁語として「曇る」にかかる。

   制法=規律。(大)(史)「成敗」(処置、処罰)。

   五町=一町は六十間。約百九メートル。

 幻夢いよいよ心細くて、涙とともに知らぬ山路に分け入り、灯し火をしるべにて行きけるに、五町ばかりと教へけれども、二十町ほど歩み、*かの本堂へ行き着きぬ。

 見れば*星霜久しく、住むとも見えず。されども*香華・灯明などは寺中より供ふるともおぼしくて、灯し火幽かに見ゆる。

 正面に参りて本尊を見奉るに、*阿弥陀の三尊なり。曇り果てぬ*月影は*白毫の光を添へ、梢の嵐に散る花は、*四智円明の相を飾り奉る。

 まことにありがたくおもしろきにつけても、いとど憂き人のことのみ恋しく、旅寝の枕物憂さも詮方なき折節、麓の方に吹く笛の音は、あやしくめづらかに聞こゆ。天人も*影向(ようごう)し給ふらん、とおぼえて、しばらく聞き居たるほどに、次第にこの山近く聞こえけり。

 「この道は常に人の行き通ふとも見えず。また辺りに栖(すみか)ありとも覚えぬに、あな不思議や。」

 と思ふ所に、この堂の前に来りてしばらく笛を吹き居たり。

(注)かの本堂へ=(大)(史)「かの堂へ」。

   星霜=年月。

   香華=仏前に供える香と花。

   阿弥陀の三尊=阿弥陀仏を中心に観音・勢至の二菩薩を脇侍とする三体。

   月影=(大)(史)「春の夜の朧月」。

   白毫=仏の眉間にある白い巻き毛。右旋して光を放ち、無量の国を照らすとい

    う。

   四智円明=「四智」は仏果を極めた時の四つの智。悟り。「円明」は人に本来備

    わっている悟り。

   影向=神仏が来臨すること。

 聞くも*えならずおもしろきに、立ち出でて姿を見ばやと思へども、かつは恐ろしく*すさまじくて、*心を澄まし、いかなることにか、と*いぶせくて居たる所に、足音静かに歩み寄りて、*妻戸を押し開き、*礼堂に上がりたるを見れば、年*二八ばかりなる児の*練絹の*縫物したる*小袖に*精好の*大口着て、*萌黄縅の*胴丸、*草摺長に着なし、上には*白練り引き被き、*金作りの太刀佩きて立たれたり。

 「されば、天魔・鬼神の我を悩まさんとて来るにや。よしよしそれも憂き人故に、*身を空しくなすならば力及ばず、と思ひ、よくよく見れば、心を尽くしたる花松殿にてぞ候ひける。

(注)えならず=いうに言われない。

   すさまじく=ぞっとする。

   心を澄まし=心を落ち着かせ。

   いぶせく=気にかかる。

   妻戸=両開きの戸。

   礼堂=礼拝するお堂。

   二八=十六。

   練絹=生織物を精錬して、柔軟性と光沢を持たせた絹布。(以下、稚児武者の描

    写であるが、しゃれた着こなしだと思われる。)

   縫物=刺繡があしらわれている。

   小袖=肩から垂らして二の腕を守る具足、小ぶりなものか。もしくは肌着。

   精好=せいごう。精好織。絹織物の一種。地質が緻密で精美。

   大口=大口袴。下袴の一種。種々の大口があるが、童形装束にも用いる。

   萌黄縅=萌黄色(やや黄色がかった緑色)の糸で威す(鎧をつなぎ合わせる)こ

    と。

   胴丸=鎧の胴体の部分。

   草摺長=草摺(鎧の垂の部分)を長く着こなすこと。

   白練り=白い練絹。

   金作り=太刀の金具の部分を金銅づくりにしたもの。

   身を空しくなす=(群)「身を空なす」(大)(史)により改めた。