religionsloveの日記

室町物語です。

幻夢物語③-リリジョンズラブ3-

 その3

 幻夢は知らず知らず心も浮かれ、足が地につかず、自分の房に帰って行きましたが、道すがら、「たとえ日々の勤めは欠くことになっても、あの方と連れ立って東坂本に下ればよかった。」と思います。そうはいっても引き返すことはできず、先刻の稚児の面影に魅かれた心ばかりを後に残して、身は大原へと帰り着きました。

  いつものように持仏堂に入り、閼伽の水を酌み、花を供えて壇上に向かい、一心に念ずるのですが、恋しい人を思う心ばかりがまとわりついて、そうでなくても嵐が激しい冬の夜を過ごすことはつらく、流す涙は墨染めの衣を凍らすほどで、「もしも稚児に恋い焦がれている私を、見とがめる人がいるならば、言い争うこともできない僧侶というつらい立場だなあ。」と思い詫びるのです。

 起きもせず、かといって寝ることもできず、寒い夜を明かします。逢瀬であれば、別れを告げる夜明けの鐘の音はさぞやつらかろうけれども、一人寝の朝にはかえって嬉しく、袖にためた涙とともに、うきうきした心で草庵を出て、一歩でも早くと急ぎつつ、まずは山上へ登り、そして東坂本へ下り着きました。

 約束の通りに生源寺の辻で、

 「日光山の授戒者の宿はこのあたりですか。」

 と尋ねますと、ある家から、

 「どちらからお尋ねになったのですか。」

 と声がかかりますので、

 「大原からです。」

 と答えました。

 「そうでございますか。こちらは日光山の授戒者と申す方がお泊りになっていたのですが、『大原から来た、といって訪ねてくる方がいらしたら、これを差し上げてください。』と言って手紙を託されました。」

 と言って手渡しましたので、幻夢は茫然として、現実のこととも思われず、涙ながらに開いてみますと、

 「昨日のご対面は、本当に、『一樹の陰』の例えではありませんが、縁浅からず思われまして、せめて今日ばかりはとどまりたい作とは思いましたが、浮き世の常で、思うに任せない急な知らせが参りまして、急いで旅立たなければならなくなりました。私の名残惜しさはお察しください。

 もしも、思い立って東国に旅する機会がございましたならば、日光山の竹林房で帥(そつ・そち)もしくは侍従とお尋ねください。」

 と書いてあって、末尾に一首の歌が添えられてありました。

 夜もすがら旅寝の枕さめ侘びて結ばぬ夢に面影もなし  花松

 (旅寝に枕していても、あなたに会えない侘しさで一晩中目が覚め続けていて、夢を

  結ぶこともできないので、あなたの面影も浮かびません  花松)

 と書かれてあるのです。

 「これはあの若君の筆のすさびか。」と、思いは増すばかりで、その面影が心から離れず、やるせない恋心に、「この身は、なんともつらいことになったのか。」と、こらえきれずに雨のごとく涙を流し、墨染めの衣の袖も、絞るほどになりました。

 志賀寺上人が、宇多天皇の妃、京極の御息所に許されない恋心を抱いたという故事も、今は自分の事のように思われるのです。

 しかし、こうしているわけにもいきませんので、泣く泣く大原の僧房に帰りました。

 それ以来、仏道に向かう情熱も冷めて、「早く、あの稚児、花松丸君に、も一度会わせてください。」と神仏にも祈り、ただ明け暮れは、ただこの手紙を繰り返し読むばかりで、念誦読経など放り出してしまったのでございます。

 ほどなく、月日も過ぎていきます。年も改まり春になれば、軒端に近い梅の枝に、羽ばたく鶯の初音もすばらしく、それを追って咲く桜を見るにつけても、去年の冬に雪の梢を、桜の花と見立て眺めた人のことをばかり思い焦がれ、その煙が雲となり、雨となり、すべてのものが愛欲にとらわれる妄念となってしまうと思われるのでした。

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原文

 幻夢はいつしか心浮かれ、踏む足も覚えず、我が宿房を指して帰りけるが、道すがら思ふやうは、「たとへ日の*所作は欠くとも、この人にうち連れて東坂本に下るべきものを。」とも思へども、さすがに立ち帰るには及ばずして、ひたすら見し人の面影にのみ*心はあとにとどまりながら、大原に行き着き侍りぬ。

(注)所作=神仏に対する日々の日課

   心はあとにとどまり=「心とどむ」は心が引かれる、の意。

 *持仏堂に入り、*閼伽を酌み、花を供へて壇上に向かひ、*観念を凝らせども、唯、恋しき人のことのみぞ、*身には添ふ心地して、さらぬだに嵐激しき冬の夜を明かしかね、涙の凍る墨衣、「もしもとがむる人あらば、*何とかは争ひ果てん憂き身ぞ。」と思ひ詫びつつ、起きもせず、寝もせで寒き夜を明かし、別れを告ぐる鐘の音も、逢はぬ夜なればつらからで、涙とともに草の庵を浮かれ出で、今一足もと急ぎつつ、山上に登り、また、東坂本に下り着き、約束のごとく生源寺の辻にて、

 「日光山の授戒者の宿は、このあたりにや。」

 と尋ぬれば、ある家より、

 「いづくよりお尋ねぞ。」

 といひければ、

 「大原より。」

 と答ふ。

 「さることの候ふ。日光山の授戒者とて、これにお泊り候が、『大原よりとてお尋ねあらば、これを*参らせよ。』とて御文あり。」

 とて出しければ、*心も心ならず、夢うつつともわきまへず、泣く泣く文を開き見れば、

 「昨日の*見参、誠に『一樹の陰』の例も浅からずおぼえて、今日ばかりはとどまりぬべきにて候へども、浮き世の人の習ひとて、心に任せぬ急ぐことありて、*旅衣思ひ立ちぬ。お名残り惜しさも、おしはからせ給へ。

 もしも、あづまに思し召し立つ便りも侍らば、日光山の竹林房にて、*帥の侍従とお尋ね候へかし。」

(注)持仏堂=仏や先祖の位牌を安置した堂。仏壇・仏間の原型。

   閼伽=仏に供える清水、香水など。閼伽棚には水以外に花を供えたり、花を水に

    浮かべたりした。

   観念=心静かに一切を観察すること。仏道を深く考えること。

   身に添ひ=身に寄り添って離れなくなること。 

   何とかは=反語。どうして最後まで言い争うことができようか(いやできな

    い)。咎められたら反論できない。僧侶として稚児に恋することを破戒ととら

    えているのだろうか。そうだとすると、「秋夜長物語」「あしびき」とはニュ

    アンスの違う稚児物語と言える。

   参らせよ=差し上げよ。

   心も心ならず=落ち着き失ってそわそわすること。

   見参=目上の者と対面すること。

   旅衣=旅支度をして旅立つこと。

   帥の侍従=本名ではなく通称。「帥」も「侍従」も官職名。二人の法師「帥の

    君」「侍従の公」をまとめて言ったと思われる。

 夜もすがら旅寝の枕*覚め侘びて結ばぬ夢に面影もなし  花松

 と書かれたり。

 「これやかの少人の筆のすさびか」といとど思ひは*ます鏡、猶ほ面影の身に添ひて、やるかたもなき恋心、何となりぬる憂き身ぞと、忍びもあへぬ涙の雨に、墨染めの袖も絞るばかりになりにけり。かの*志賀寺の上人のいにしへも、今身に添へられけり。

(注)覚め侘びて=(大)「さへ侘びて」(史)「冴え侘びて」。

   ます鏡=面影にかかる枕詞。思いを「増す」と「ます鏡」を掛ける。このあたり

    歌語を交えた七五調が目立つ。謡曲の影響かとの指摘がある。

   志賀寺の上人=名は明らかでないが、いくつかの説話や歌論に登場する人物。

    「太平記」の巻三十七によると、かつて志賀寺の上人という行学兼備の聖僧が

    いたが、志賀の花園で宇多天皇の妃、京極の御息所を見染め、僧には許されぬ

    恋ながら、忘れることができず御所を訪ねると、御息所はうちやると迷いの道

    に堕ちると思い、上人を御簾の近くに招き入れ、上人に手を握らせて歌を詠み

    交わしたという。

 かくてあるべきにもあれざれば、泣く泣く大原の房に帰り、それより道心うち覚めて、「*いつしかこの人を今一度見せ給へ。」と仏神にも祈り、唯、明け暮れはこの文を繰り返し読みて、念誦読経をば*さし置きぬ。

 ほどなく月日も過ぎ行き、*あらたまの春にもなりぬれば、軒端に近き梅が枝、うちはぶきぬる鶯の初音もめづらかに、桜のかく咲くを見るにつけても、ただ去年の冬の雪の梢を花と眺めし人のことをのみ、*思ひの煙(けぶる)雲となり、雨となり、*愛執の*心の鬼ともなりぬべし。

(注)いつしか=早く。

   さし置き=放っておき。

   あらたまの=春の枕詞。

   はぶきぬる=「はぶく(羽振く)」は鳥や虫が羽ばたく。

   思ひの煙=「ひ」が「思ひ」と「火」を掛け、「火」が「煙」となりと続く。

   愛執=愛欲に執着すること。

   心の鬼=恋慕・愛着の妄念。煩悩にとらわれる心。