religionsloveの日記

室町物語です。

上野君消息(全編)ーリリジョンズラブ4ー

 比叡山の横川谷、首楞厳院(しゅりょうごんいん)に、大輔の阿闍梨という方がいた。

 治承四年の夏であったか、一人の少年が同宿となった。三井寺より難を逃れてきたという。少年は自分のことを多くは語らなかったが、父君が上野の国にゆかりがあるという事で、我々は「上野君」と呼んだ。まだいとけない、十一歳であった。

 上野君は、たとえてみれば蜉蝣を見るように儚げで、四季の折々、日々の営みにつけても、何か心さみしく感じるようであった。日々の勤めで仏前に香華を供えて、心を澄まして念珠を摺り礼拝するときも、おのずと涙がこぼれるのである。我ら同宿にそれを見とがめられると、俱舎論の頌の経巻を手に取り、詠みあげて涙を隠し、何事もないように振る舞ってはいたが、気付かれぬはずはない。

 房主の阿闍梨も、上野君のしおれている様子を気遣っては、自室に呼び入れては諭すのである。

 「上野よ、幼く無邪気であるはずのおぬしのようなものが、このようにいつもふさぎ込んでおっては、心の病に取りつかれて、天宮に召しとられてしまうかもしれぬぞよ。もそっと溌溂とはせぬかな。それに、貧法といって仏法を疎そかにする者だから、このように心弱くもあるのだ。すべからく仏道を修すべし。学すべし。」

 と言って聞かせるのである。上野君は、それは美しい稚児なのであるが、師の仰せに従って、気丈に隠そうとしても、その美貌の中にどこか憂いの面持ちが漂うのである。

 この年頃の少年は、日に日に変貌していく。昨日あどけなくはしゃいでいた男の子が、翌日には全く違った表情を見せるのである。それは大人のそれとも違う。男のそれとも違う。十三四歳ごろの、大人でもなく子供でもなく、男でもなく女でもない、全てのグラデーションのあわいに浮かび上がるような、幻のようで、しかしその瞬間には確かに存在する。それゆえにえもいわれぬ魅力的な芳香を放つ。

 上野君はそのような年齢になっていった。かてて加えて、上野君は類まれな美貌の持ち主で、そのたたずまいには心映えの美しさもにじみ出ていたのである。

 一体、当時の比叡山は、「一稚児二山王」と世間から揶揄されていた。本来は、伝教大師比叡山に初めて登ったときに、最初に稚児に出会い、次いで山王に出会ったという故事から、稚児は神聖なものとされるとの意味であったが、やがてそれは山王権現を顧みず、稚児への男色に耽る僧侶をあざける言葉となったのである。それほどに比叡山では男色は蔓延していた。いや、叡山だけではない。三井寺・南都、貴族・武士に至るまで大いに流行していたといってもいい。「法華経安楽行品」や「往生要集」では、それは「邪淫」とされてはいたが、多くの僧は破戒の意識なしに稚児を愛していたのである。両性的な魅力のある稚児は、華麗な衣装を身にまとい、法会や宴席で妖艶な歌舞を披露しては大衆の賞玩の的となっていた。アイドルである。叡山は女人禁足の地であり、僧侶は教義上は女犯は禁じられている。稚児はやがて僧となる。

 上野君は、横川の谷々、首楞厳院の内々では類ない美童としてもてはやされ、事あるごとに、一座の花形として遊興に誘われた。春は比良の峰でひねもす山間にほころぶ桜をもてあそび、秋は志賀の唐崎で夜もすがら湖上に浮かぶ月を愛で、常に求めに応じて振る舞い、人々は心ゆくまで楽しんでいた。しかし、私は気付いていた、上野君は人に気遣い、興ざめするような振る舞いは決してしなかったが、心の底から遊びを楽しんでいたわけではないことを。

 上野君が平素、物思うことありげにしていると、同宿は何か子細があるのかと心配し、心の内に何か気がかりがあるのかと声を掛ける。しかし、上野君は曖昧に笑っているばかりである。心のステージが違えばただ空虚な言葉が行き交うだけっであることを無意識にわかっているのであろう。同宿の私が言うのもおかしなことではあるが、仏の道は名聞や利益を得るための道、日々の生活はおのれの欲望を充足させるためのものとしか考えていない者の曇った瞳には、稚児の心の内までは映らないのである。

 いささか言い過ぎたかもしれない。僧房を訪れる人々は自堕落な輩ばかりではない。無論仏道に刻苦し、法門に詳しい修学者もいる。多いとは言えないのだが。上野君は遊び戯れている中にも、そのような修学者と思しきがいると、好んで物語を乞うた。戯れ話ではない。仏とは何か、浄土とは何か、真如の月とはいかなるものか、おのれの心の霧を晴らすすべを尋ねた。

 釈迦牟尼仏が、修行によって悟りを得たこと、五百の善知識に導かれたこと、釈迦が衆生を救うために示した八相成道とはどのようなものか、悉達太子が王宮を出て檀特山で苦行したことなどは特に上野君の心にかなうものだったようである。上野君の胸裏には一刻も早く出家を願う気持ちが募ってきた。

 上野君は師匠の大輔の阿闍梨に何度も出家を申し出た。阿闍梨は僧界の中では立派な方である。しかし、僧界が名利の組織であるから、その価値観からは逸脱はしない。おのれの地位は大切であり、美童は稚児として傍らに置いていたい。聖なる中の俗なのであるが、それが普通なのである。阿闍梨は申し出があるたびに何かとはぐらかした。出家が許されたのは十六の年である。

 これは決して遅すぎる年齢という訳ではない。しかし、上野を慮っての許可ではない。華奢で繊細な少年の姿態はそのころを境に頑健で剛毅な大人のそれに変わっていく。上野君もまた大人へと変貌していくのである。中性的な美貌は雄々しい大人の男のそれに変貌していく。それに伴って、大衆の求める稚児もまた、新たに入山してくる稚児に移っていく。いわば比叡山における人的再生産の一環である。稚児は念者となり、その念者が稚児を育む。

 しかし、上野君は違っていた。上野の求めるものは、現世の利益ではなく、仏堂の成就であった。おのれが享楽の内に栄達を遂げ、美童を侍らすことではなく、真の悟りを求めることであった。私はそう思う。

 出家剃髪して、円厳という法号を賜った上野君は、すぐさま千日入堂した。千日の入堂がどれほど過酷なことか、肉体的にも精神的にも言うに及ばない。まして、仏智を磨くことにおいてやである。

 円厳は、仏法を講説しては、横川谷に並ぶ者なく、類まれな修学者として、四季講の講者の衆に選ばれたのである。四季講とは、叡山中興の良源が自坊、定心房(四季講堂)で優れた学生を集めて、春・秋に広学竪義(探題の出す論題に堅者が答える)いわば超エリートのお披露目の場である。その一員と認められたのである。

 上野君円厳が二十一歳の時の四月八日であったと覚えている。半輪の月が西に傾き皆も寝静まったころである。短檠(たんけい)に灯をともして看経(かんきん)していると仄明るい灯火の向こうにゆらりと人影が現れた。

 「どうした上野。」

 そこには上野君が立っていた。若いころの艶やかな面影の名残りはあるが、いまや学才随一と谷中に認められた智を讃えた大人の顔の僧である。上野君は幽かに笑みを浮かべながら灯に影を揺らせながら近寄り、私の傍らに座った。その表情には何か澄みきった決意のようなものが感じられた。

 「兄弟子、お話したいことがあって参ったのでございます。ここ数年来心の内で思っていたことなのですが、なかなか言い出せないでおりました。実は、私はおいとまをいただきたいと思っているのです。どうか私においとまをお与えください。」

 私などはただの同宿で、許可も何もその立場ではないのだが、親しく共に修学してきたとの思いがあったのであろうか。確かに最も近しい一人ではある。瞬時には返答もできず上野君をじっと見つめた。その微笑んでいるまなざしの奥には、強い意志が宿っているように思えた。

 「それは・・・どうしてなのかな。何事のいとまというのか。」

 と尋ねると、

 「ほかでもございません。私は九つという年に父母に先立たれたのでございます。それは私にとって、大切なものを喪失した悲しみというよりも、生きとし生ける者は終には死を迎えるのだという諦めに似た気持ちを起こさせました。もちろん、年端も行かない子供ですから、漠然とですが。この世を渡らうことが厭わしく思えてなりませんでした。身寄りをなくした私は、寺に預けられ、山に預けられと流転する中で、世間というものが、現世の利益や本能の赴くままの欲望にまかせて動いているのに嫌気がさしてきたのです。兄弟子は気付かれておいででしょう。宴や行楽の時にも私が時折曇りある表情をしていたのを。心の底では全く楽しめなかったのです。

 願いがかなって出家を果たした後は、心をくだいて仏道を学びました。千日の参籠が私を真の仏者へと導いてくれるのかと。しかしどうでしょうか。私は皆に認められて四季講の竪者(りっしゃ)を務めるほどになりました。自分で言うのもなんですが、人々からは称賛されます。しかし褒められるのは私の美声や外見、もしくは知識の多さばかりです。このまま進みますと、私はしかるべき地位を得て、、またあまたの稚児や弟子を持ち、浮き世の名声や利益を自分の者とするでしょう。しかしそれが何になりましょうか。私は真の仏道を求めたいのです。そのためには、今あるすべてを捨てて新たな道に踏み出したいと思ったのです。」

 と切実に訴えてきた。過去を多くは語らぬ上野君であったが、あの稚児時代の、経巻に顔をうずめて秘かに涙する姿や、宴の合間にふと見せるうつろなまなざしが、私の脳裏に去来した。仏陀の事績を尋ねる時も、おのれの将来の生きようを模索していたのかもしれない。師匠を始め、院内の人々には陰気で泣き虫な少年だと思われていたのかもしれないが。

 「固く心に決めての申し出のようであるな。私はそなたを弟のように思うてきた。そのかわいい弟弟子を失うのは悲しいことだ。しかし、その強い決意はなまじいの言葉では変えられまい。わかった、私は承知した。だが、阿闍梨にはもう申し出たのか。房主様がどう思われるか。まずはそちらへお願い申せ。」

 「いや、ご承知くだされてありがとうございます。まずは兄者にご相談して、それから師匠の許へ伺おうと思っていたのです。」

 上野君は晴れやかな顔で立ち去って行った。

 翌日の夜、上野君は大輔の阿闍梨を尋ねた。阿闍梨は脇息に体をもたせてくつろいだ様子で上野君を迎えた。いささか般若湯が入っているらしい。上野君は感情を抑えた穏やかな口調で口を開いた。講説の時の誰をも調伏しないではおかない峻烈な口ぶりではない。しかしそれでいて 言葉の節々に頑としてゆるがせにできない力があった。

 上野君が暇乞いを願い出ると、阿闍梨の動揺は一通りではない。円厳の学才、当山の将来を託する逸材を失する悲しみもあったではあろうが、かつての愛童、今は堂々たる学僧ではあるが、心を砕いてきた上野が山を出でようとは慮外の事で、驚愕し内心の動揺はなはだしかった。しかし、阿闍梨も大人を装うべく、落ち着き払う素振りで言う、

 「円厳よ、もしおぬしの道心が堅固で、ひたすらに遁世を望むのであれば、他人が強引にとどめようとしても、栓方あるまい。

 しかし、おぬしは山王大師様に身を委ねて、この山に身を投じたものではないのか。

 このお山の守護、山王様には、おぬしの言い分が通ろうか。この山が人も法も興隆するのが本願であれば、もし和光同塵、この世に垂迹しておぬしに会おうものなら、悲しみこの上ないものであろうぞ。上野よ、おぬしはその暇乞いが、臆面もなく山王様に向かってできると申すか。」

 阿闍梨が言う事は、情に任せての放言に見える。しかし、山門のため、同衆のためというのは、当時の世俗寺院の定法である。そうはいっても児戯に等しい言い分に、上野君は冷静に、筋道立てて答える。過酷な勤行と、修学への刻苦、深奥な思索を重ねた千日の後に、谷中一と称えられた言説は論を超えた説得力がある。

 「師匠の仰せはごもっともでございます。私もまずは山王大師にと、社殿に参籠して、遁世の旨を願い出たのでございます。沈思黙然心を澄ましておりますと、山王の啓示がございました。」

 と言って、己の決意がいかに強くて正しいものか、そして山王大師がそれを受けいれ許してくれるのかを、内典・外典・諸経を引用して、かきくどいて説明した。これには房主も何も言い返すことができず、渋々認めざるを得なかった。上野君はさらに言葉を継ぐ。

 「かようなわけでございます。しかしながら、山王様がお許しになったからと、師匠の御房が快くご承知されなければ、どうして私が安んじて山を下りることができましょうか。

 阿闍梨様は、私のことを恩知らずだと思うかもしれません。幼い私を引き取って、両親を失った私を親の如く慈しみくださって、仏道にお導きくださいました。その御恩は一生かかっても語り尽くすことはできません。

 私がこのように、黒白の道理を弁えて、遁世の心を持つようになったのも、素晴らしい師匠の徳のおかげでございます。それなのにどうして、師匠の思いに背いて、突然暇乞いをするのかと不本意にお思いでございましょう。そのことは私も重々考えておりました。しかし、この道を歩むことこそ孝の道だと思っております。

 この度、快く暇をくださったことは、望外の喜びです。

 もし願いかなって、私が西方浄土に参ることができましたならば、必ず師匠をお迎えに参ります。どなたよりも真っ先に。」

 世は末世である。憂き世のつらさに耐えかねて、多くの道俗男女が来世で西方浄土に迎えられることを希求して阿弥陀如来の名を唱えていた。しかし、それは浮き世でもある。儚い世であれば、その刹那にひと時の享楽を求めて浮遊しようともする。上野君は「憂き世」を、「浮き世」を遁れたいと切に願ったのである。

 上野君は合掌し、深々と礼をして房主の前を立ち去った。 

  かねてから山を下りようと決めていた上野君は、旅支度も秘かに整えていた。

 翌朝には、墨染の衣に袈裟を着て、経袋や檜笠を首に懸け、草履に緒を締めて庭に立った。朝の冷気が心地よく般若谷に漂う。住み慣れた僧房を見やると、師匠や同宿が門に立っている。阿闍梨は沈鬱な面持ちである。長年馴れ親しんだ同宿も悄然としている。

 しかし、上野君の心は晴れやかである。この旅姿を何年夢に見てきたことであろう。終に願いがかなったのだ。上野君は師匠に慇懃にいとまを陳べた。すると、師匠の阿闍梨は堰を切ったように上野に涙ながらに訴え始めた。

 「上野よ、どこへ行こうというのか。落ち着き先は決まっておるのか。心もとないとあればわしが書状を添えてやるぞよ。誰ぞと連れ立っていくのか。もしやどこぞの念者にかどわかされて、駆け落ちするのではあるまいな。」

 愛児を仏に隠された鬼母もかくやと思われる取り乱しようである。それだけ上野君を寵愛していたのである。しかし上野君はかつてのか弱い稚児ではない。四季講堂にその人ありと言われた、講者円厳である。言い含めるように優しく語る。

 「阿闍梨様、どうしてこのように仰るのでしょうか。私は不本意でなりません。私は私だけの意思でこの山を下りることを決めたのでございます。もし誰ぞやとしめし合わせて出奔しようとするのであれば、このような暇乞いをいたしましょうか。また、どこか落ち着き先があるかといえば、是非ともというようなところはございません。どこといって、落ち着き先が定まったならばそこが終の栖でございましょう。諸国を巡って、自然と逗留するところが定まりましたならば、お知らせいたしましょう。

 さあさあ、私は出発いたします。お師匠様もお早く中にお入りください。」

 優しく包み込むように語られると、阿闍梨も観念せざるを得ない。固く握りしめて引いていた上野君の袖を放すと、房中に駆け込んだ。残された同宿も涙ながらに上野君を見送るのである。

 房主の御坊は、しばし落ち沈んでいたが、その後平静を取り戻してこう語った。

 「上野の愛しさに、なんともあさましい振る舞いをしたことか。何とも情けないことだ。私は上野の志には遠く及ばない俗物であることよ。」

 大輔の阿闍梨も有徳の方である。わかってはいるのである。弟子をいつくしむあまりの激情であったのである。

 横川は平常を取り戻した。再び日常が淡々と流れていく。

 どれほどの月日が経ったであろうか、ある冬の日、一人の僧が般若谷を訪ねてきた。聞くと、美濃の国の祐向山(ゆうこやま、または、いこやま)にあるという山寺から円頓授戒に来た戒者という。一人の若僧がここ数月投宿して修行に打ち込んでいる。その僧が、寺に比叡山に赴く戒者いると聞いて消息を託したそうである。

 その状に曰く、

 

  山を下りて法輪寺を後にして、(法輪時については別記の日記をご覧ください。)

 諸国、霊験あらたかな所々を参詣経廻り、今は美濃の国、祐向山の文殊寺と申します

 所で、修行しております。

  すると、その寺に近々受戒のために叡山に出立する僧のあると聞きまして、この状

 を託したのでございます。

  念仏の勤行を積みまして、後生(ごしょう)の時は近付いてきたように思われま

 す。あなかしこ。畏れ多くも、名利の煩いを離れて後世を期すお勤めに励みなされま

 せ。

  旅立った時のお約束をお疑いなされますよう。

  私はきっと皆さまを極楽浄土へ誘う友となる所存でございます。

  兄弟子様、この旨を房主の阿闍梨の御坊にも、お伝えいただきたいと存じます。取

 り急ぎの便りで申し訳ございません。これよりまた、他国へ出立しようと思っており

 ます。

  はばかりながら、御両人とも、よくよく念仏をお唱えくださいませ。この世の情け

 は一瞬のものです。後世の勤めは永遠の貯えとなるのです。

  ご返事には及びません。所を定めておるのであれば、お手紙をいただくこともでき

 ましょうが、世間の人と結縁しようと、日本国津々浦々を経廻(けいかい)いたして

 おりますので、その術もございませんでしょう。

  別に添えました日々の修行の日記をご覧ください。返す返すも、念仏のお勤めに御

 励みください。

  あなかしこ、あなかしこ。

消息

 去年の晩夏、月の明るい夜に、法輪寺をを参詣しようと思って、大堰川のほとりにと行った。川辺のさざ波は静かで、のどかな月の光は一点の曇りもない夜半である。ここは難波津ではないが、それに劣らぬほどの明るさよ、と誰かに告げて、情けを解する人に見せたく思って、渡し船に乗って、月の光のふりそそぐ中を、南の岸に渡った。

 境内にひっそりとまします、正一位稲荷大明神は、実に古びて神々しく、趣深いものであるなあと参拝して、やがて本堂へと着いた。夜更けなので全く人の詣でている気色は見えない。わずかに内陣で、かすかな水の滴る音が聞こえる。閼伽水に供花の露のしずくが落ちたのであろうか、それとも誰ぞこの夜中に秘かに参籠しているのであろうか。本堂の脇にある杉皮葺きの庵で鈴の音だけが、かそけく響いている。これも風の音か人のなせるものなのか。なんとももの寂しい風情である。

 本堂の正面に端座して、「南無帰命頂礼、大満虚空蔵菩薩、臨終正念、往生極楽。」と拝んで、静かに念仏して、経・法文を唱えて、身業・口業・意業の三業をひそめて、身も心も無にして祈っていると、夜はさらに更けていく。月の明るさに心も澄みきっていくようだ。

 と、人影がする。思わず木陰に隠れてみていると、稚児であろうか、女房であろうか、まだ幼げな姿で小袖だけを身にまとってやってきた。

 不審に思い見守っていると、人影は御堂の正面に佇んだ。見ると、齢十四五ほどの稚児である。容貌・物腰は貴(あて)やかで、姿・有様は並一通りではなく、眉・口元・皓歯どれをとっても、その居ずまいはたとえようもなく美しい。

 これはどうしたことだ、不思議なことだなあと思いながら、不躾かとためらわれたが、

 「どうしたことですか。このように夜が更けてございますのに、たった一人でお参りなさるとは。」

 と遠目に語りかけると、この稚児はその声に、見る人あるかと振り返り、にっこり微笑んで、

 「この月に優る美しい時がございましょうか。」

 と答えをはぐらかした。その謎めいた奥ゆかしさが、いよいよ好ましく思われて、やや近く居寄って、

 「なかなか情けあるお答えであることよ。そうではあるが、どこからおいでなさったのですか。これほどに夜が更けて、人なども寝静まってございます。まさか他所から参ったのではございますまい。どこであれこの寺中にお住まいなのでしょう。」

 我ながら詮索がましい言い方であった。と稚児は、

 「私は遥か遠くにいたのですよ。ですが今宵は大堰川のほとりの月が、なんとも明るく趣深いことであろうと思って、ふらふらと月に誘われて参ったのでございます。」

 と言う。遥か遠く?不思議なことを言うものだ、とは思いながら、

 「それは素晴らしい方にお逢いしたようです。それでは、今宵は私と御伽をいたしましょうか。」

 見ず知らずの稚児に浮薄な物言い、月夜のなせる業であろうか。すると稚児は、いかにも情けあることと思ったのか、拒みもせずに、

 「私の伽をしようとは、あなたが格別の人で、伽するに値するのであれば、そうおっしゃってもよろしいでしょうが・・・それはそうと、あなたの方こそどちらからいらっしゃったのですか。」

 と問い返してきたので、

 「私は北山の方に住んでおりますが、何か素晴らしいことがありそうに思って、物狂いに取りつかれたようにこちらに参ったのでございます。」

 とこちらも曖昧に答えた。と稚児は、

 「北山とは、比良の高嶺か大原か、所定めず北山とおっしゃることこそ優雅でございますね。」

 と言う。稚児はますます趣深く、「本当に情けある稚児だよ、どうにもこのままではいられない。」と私は自分ではどうすることもできないほどに心魅かれていったのである。

 稚児は、月を見上げてはその美しさを賞玩し、憂き世の中を語ってはそのはかなさを嘆いた。その物言いといい、振る舞いといい類なく優美に見えて、こらえきれずに、さらに間近く居寄って、手を取り体を寄せて戯れ、時を過ごした。

 さほどの時間ではなかったかもしれない、稚児が私の手を振りほどき、居ずまいを正した。私を正面に見る。端正で怜悧な顔立ちである。稚児はその可憐な唇を開く。

 「あなたは先刻、今宵は御伽をしようと申しました。それはお戯れの言の葉をうろつかせるようなものではないのでしょう。まことの伽をしたいのであれば、あなたがそれにふさわしい人であるか。もしそうならば、私の申し上げることをお聞きください。」

 私は、これは実にうれしいことだと思って、

 「どんなお尋ねでも結構ですよ。私にお任せください。」

 と言うと、それでこそ情けの人よと稚児は徐に尋ねた。

 「和泉式部が詠んだという歌があります。

  暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月

 この歌の真意を人にも尋ね、自分でも理解しようといたしましたが、はっきりと説明してくれる人もなく、私自身も十分に理解できたとは思われません。この歌の心を教えていただけたなら、あなたの思い通りに私の身を任せましょう。」

 と言うのである。挑発的な物言いである。私を値踏みしようというのか。それでも、稚児の心が私になびいたのがうれしくはあり、私に従いましょうとの言葉に、前後を忘れるほど胸が高鳴って、うまく筋道を立てて説明できるようには思われなかったが、とりあえず、

 「これは、他なることではございません。法華経の巻三、化城喩品第七の『従冥入於冥』の偈文の心を和歌として詠んだのですよ。」

 と説明すると、

 「それでは、その文をどのように説明してくださるのですか。」

 と重ねて尋ねてきた。幼き人に法華経を説くのは、ちと骨の折れることよ、なまじいの法論よりは手間がかかる。そうはいっても無下にあしらったり、取り合わないでいるのもまた大人げない。さらば、懇ろに説いて進ぜようかと思って、次のように説いた。

 「何億何万劫の長い間で、諸仏がこの世にお現れになることは本当に有難い事で、あの優曇華の花が三千年に一度咲くようなものです。それに、たまたまその仏がこの世に現れたとしても、我々がその仏にお会いできるのはこれもまた難しいことなのです。

 昔、仏陀は舎衛国の祇園精舎に二十五年いらっしゃっいました。それでも、九億の諸仏の内、三億の仏にはお会いすることはできませんでした。それに、そのようにわずかにしか見られないことは、一眼の亀が百年に一度海面に上がって漂う木のたった一つの穴に首がすっぽり、入るのに似て稀有であるという事に気づかれませんでした。

 仏がこの世に出現するのに遭遇することのない衆生は、勝手気ままに振る舞っては罪を作ります。破戒無慚な恥知らずで、煩悩がさらに煩悩を発し、業がさらに業を生じ、悪業を作ることは、牛毛よりも数が多く、正しい善法をなす者は、兎の角よりもまれなのです。

 順境で思い通りになる時は心の中で惑(煩悩)に執着し、思いに違う境遇にあれば、瞋(いか)りに任せて害を及ぼします。日を追って、月に増して悪い方に進むので、煩悩の雲に覆われるばかりで、知慧の光は射し込まないのです。

 ですから、この世の中を生死の長夜(生死流転を繰り返す迷いの長き夜)と仏はお説きなさるのです。「唯識論」と申す経典の中で、『永く真の覚(さとり)を得、常に夢中に処す。故(かるがゆへ)に仏説きて、生死の長夜と為し給ふ。』と解き明かされています。仏に出会わない我らは、このような惑いの闇の憂き世から、さらにつらい地獄・餓鬼・畜生の三悪道へと堕ちていくのです。このことを和泉式部は、『冥(くら)きより冥き道にぞ入りぬべき』と詠んだのではないでしょうか。

 また、仏は月に喩えられて和歌にも詠まれ、漢詩文にも書かれています。『仏様よ、遥か遠くからはっきりと御覧になって私をお助けください。』と思って、『遥かに照らせ山の端の月』と詠んだのだろうと承知しておりました。」

 いささか長口上になってしまった。稚児はじっと私から視線を外さず聞いていた。稚児の表情からは、人を見定めるような視線の険しさが消えていた。穏やかな口調で、

 「素晴らしいご説でございます。このようにお説きなされるとは、さぞやご立派な方でございましょう。いずれにしろ取るに足りない山寺などにいらっしゃる方ではございますまい。しかるべき本寺、本山の人であろうと思われます。是非とも、あなたのご境遇をお教えいただけませんか。私もこの歌には思うところがございます。そのこともお話いたしましょう。」

 と言う。さして語り合ったわけではないが、何か私の心中にも稚児の態度にもお互いに心を許す気分が生じたのであろうか、もはや体裁を繕って隠し立てする気も消え失せて、私は私の過去をこの少年に語ったのである。

 「私は京の都の北のほど、賀茂のほとりに生まれ育った者です。されど九歳という年の弥生の初めに両親に先立たれまして、やがてその年の卯月の末に園城寺に入山いたしまして、三井寺の学流を学び、稚児として日々を送っていたのですよ。

 ところが、稚児殿はご存じであろうか、高倉の宮以仁王平氏を討伐しようと諸国に令旨を下されたことを。あれは治承4(1180)年の事でした。その謀議が漏洩して以仁王園城寺に逃げ込んだのですが、大衆は王を奉じて平氏と闘い、その堂宇をことごとく消失してしまったのです。また数多くの経典もすべて灰燼に帰したのです。十にも足らぬ私には、なんともつらく、世の中が厭わしく、悲しく、この憂き身を寄せる場所もなくなって、どうしたらいいのか途方に暮れていたのです。こんな私が思いがけず比叡山に上る事ができまして、剃髪出家したのです。

 それから幾年月、幼き頃の無常の思いは忘れ難く、世の人々が名利に走るのは厭わしいとは思っていたのですが、それはまだ分別も定まらぬ頃なので、かくありたいと思うともなく、また、思わぬともなくぼんやりと過ごしておりました。

 同宿、同朋と親しく交わるうちに、世の中のはかなさを思い知り、俗世間を断ち切ろうとの思いも薄れていったのですが、やっと今日の朝、思いかなって師匠の許しも得、山を下りてこちらに参ったのですよ。」

 この稚児が得心げに言った。 

 「やっぱり、どこかしら天台宗にお馴染みのある方だと思っていました。それにしてもあなたが仰った歌の心は、素晴らしいとは思いますが、人にだけ言わせて、自分の方が言わないのも畏れ多いことです。私も見聞きし、自分で思ったこともございます。とりとめのないことですが、それを申し上げましょう。

 仏の道を尋ねようとするならば、まずはこの世のはかないことを一番に遠ざけさせるべきです。

 春の鶯が花に遊び戯れても、花が散ってしまえば再びどこかへ帰ってしまいます。秋の露は葉を潤します。葉が落ちてしまえば、露もまた乾いてしまいます。また、ホトトギスが花橘の小枝で鳴いても、水無月になってしまうと語らう声は消え失せます。紅葉の錦が四方の山にあったとしても、峰の嵐が風を誘えば梢はまばらになってしまいます。また、冬の雪は屋敷ををすっぽり隠します。春の日が差し込めば、ただ庭の苔を潤すばかりです。松柏は久しいといいます。千年を経ての後はどうなりましょうか。亀や鶴は長い命といっても、どちらもいつまでもそのままでおられましょうか。

 およそ、道心のある人はこのように思い続けて、真の心を発(おこ)すべきなのです。ですから、縁覚とか辟支仏(びゃくしぶつ)とか申す聖人は、花が散り、葉が落ちるのを見ておのずから悟りを開いたという事です。一方、世間の人は春の花、秋の月を見ては妹(恋人)の薫物の香り、君の顔ばせに思いを寄せるけれども、憂き世の常として、花は風に誘われて散り、月は山に隠れてしまうのです。このように世は無常であることに気づかないで日々を明かし暮らしています。そして、憂えの山の峰に傷みの雲がたなびき、悲しみの海の岸に嘆きの浪が寄せてくるのです。ですから、なにはの事(万事)においても思いに違いながら一生を空しく過ごすのです。

 あるいは朝に生まれて日暮れに死に、宵に遊ぶ者は暁には隠れます(死ぬ)。あるいは親は子を失い、若い者が老いた者に先立つことを悲しみ、子は親を滅ぼして、我が身と代えられない別れを恨みます。あるいは生きて別れる者もいます。昔の王昭君です。漢の元帝が思いを富士の高嶺に通わせても、届くことなく涙がただ袖を潤すだけです。あるいは死んで別れる者もいます。古(いにしえ)の楊貴妃です。唐の玄宗の心は蓬莱の浪に隠れて、わずかに方士の持ち帰った簪を見るだけです。

 哀れなることです、一度別れてしまえば再び逢えないのは。悲しいことです、身分の高い者も賤しい者も生死の苦海に沈んで迷い続けるのは。このように、鏡の中に二人仲良く並んで影を映せるのは、その容貌が衰えない時の内で、鴛鴦(おしどり)のような二人がが衾の下で戯れるのも、おのずから命の消えない間だけなのです。命は長いといっても、老境に至ればどれほど素晴らしいことがありましょうか。顔には皺の波を寄せ、頭には霜のような白髪を戴きます。血管は浮き出て腰はかがまってしまい、人に近づくことも憚られることが多く、立ち居振る舞いでも、若者に気後れするのです。しわがれた声で語らえば、愛想も失い容貌も衰えて、他を妬む心が起こり、ますます厭わしい存在となってしまうのです。春の日に花を見て、花より先に自分の顔ばせがしぼんでいることを嘆き、秋の夜に月を眺めても、月が傾くより先に自分の年齢が傾いていることを恥ずかしく思ってしまいます。

 ですから、命の長い人だといって、それが素晴らしいわけではないのです。

 特に、哀れに無常であるのは男女の仲です。思慕し合う者同士は、一夜でも離れると、知らない間に枕に塵が積もってしまったと恨み言を言い、しばらくの間添い寝ができないと衣を裏返して着て寝て、夢で恋人に会おうと俗信にすがります。嵐が寒い冬の夜も、枕を交わして寒さを忘れ、渇きに水を掬んで飲む夏の夜も、膝を並べて暑さを忍ぶ。このように片時も一緒にいないことが耐えられない心の病が身を冒して、床の上に病身をさらすこととなり、病状は尋常ではなくなって命は絶えてしまいます。しかし、どうでしょうか。永遠の別れは悲しく嘆きはしますが、その死体を愛することはありません。 また、二度と会えないことは悲しみはしますが、遺骸は急いで野辺に送ります。

 ですから、心を尽くして愛した人でも最期まで我が身の添い遂げることはできないのです。錦で飾った褥(しとね)も意味はありません。最後は野の蓬の上に臥すのですから、無用なものは花のようなきらびやかな友、無益なものは玉のような豪華な楼台です。ましてや、死んでしまえば、色とりどりにあつらえた着物は一重も身に着けることはできなく、箱一杯に貯えた財宝も空しく他人の宝となってしまいます。

 息絶えてから身に纏わりつくものは、牛頭馬頭といった地獄の獄卒などの疎ましい者ばかりです。彼らは頭には三熱の激しい炎を燃やし、手には鉄杖を捧げ持っているのです。その、未だかつて見たこともないような姿を見る時の心地はどのようなものでしょうか。そして彼らは、罪の軽重に従って地獄・餓鬼・畜生といった悪趣に連れ去っていくのです。その際、姿が美しいからといって情けをかけることはありません。身分が高貴だといって哀れを与えることもありません。猛烈な炎の中に放り込まれて、その後は無量劫経っても抜け出すことは望めません。

 『伽をしよう。』

 そうおっしゃいました。なんと笑止なことでしょう。悪趣に堕ちても最後まで伴っていただけるのなら、それこそ真実の伽ともいうべきでしょう。

 ただこの世だけが存在するのであれば、どうあってもいいでしょう。このようなはかない憂き世とも悟らないで、いつまでもあるだろうと思って、男は栄耀栄華を春の花の本に開かんと願い、女は容顔美麗を秋の月の下で示さんと請います。財宝を蔵に貯え箱に納め、妻子を田舎に儲け、都に据えます。

 その中でも特に愚かなことは、我が身についてです。生命とは父母の二渧を受けて、魂がその中に入ってくるのです。三十八の七日、二百六十余日の間、七日ごとにその形を転変して、人の姿が次第に形作られます。月日が満ちて母胎を出る時は、牛を生剝ぎにして生垣や壁に擦りつけるような苦痛を伴うといいます。母の腹の中にいる間は、諸々の不浄や悪穢を食物として生まれ出たので、出産直後は血の中に臥して、穢れで手を触れることもできません。

 人となって後、死んだときの有様はどうでしょう。生臭い死骸は、一人ぽつんと曠野に捨て置かれ、風に吹かれて雨に晒されます。白かった肌の色も黒ずみ、すんなりした姿もむくみ膨れて、手足は変形して風を含んだ袋のようになります。黒かった髪筋も、犬が群がって噛むので草の根元にまとわりつき、しなやかでなまめかしかった目も、烏が抉(えぐ)って木の節をくり抜いたようです。身体は破れ裂け、形も色も変わり果てるので、身分の高い者も賤しい者もその痕跡はありません。膿汁が湧き出して周囲の土の色も斑となって、青くしみるところもあり、赤くしみるところもあります。足も手もばらばらとなって、あの木の本この草の本と散り散りにあります。その気色は野辺の草を汚し、悪臭は人の鼻腔に入り、目で正視することもできない程です。ましてやその死骸に近寄って愛欲をいたそうとしましょうか。

 死んだ時に初めてこのように穢れた者になるのではありません。生まれた時も不浄であるのですが、白い皮膚を上に一重まとってはいますが、その下には諸々の悪穢を内包しているのです。賢い人は喩えて、美しい瑠璃の甕(かめ)に糞穢を入れているようなものだと見ます。愚かな者は愛欲に皮を目の上に貼って、男女の身が不浄であることを直視しないことは、犬が砂場で何も考えずにじゃれているようなものです。このような真理を理解しないで、男女の仲を素晴らしいことだと思って、思い通りにいかないと恨めしく思い、心にかなうと悦ぶのです。

 女人の身を見る時には、皆その内には諸々の不浄を内蔵していると思いなさい。もしくは大きな毒蛇を孕んでいると思いなさい。また、女身に近づけば、正しい心は失われ、その女身を愛すれば、煩悩のない無漏の境地という聖い財産は失われると肝に銘じなさい。

 このような観方を、『十二因縁を観ず』とも言い、『不浄の観念』とも申すのです。

 諸仏の説教は浅いところから始まり、深いところに至ります。まずは俗世間の事を例にとり、出世間の法を教えるのです。 私が申し上げる万事は無益な下らないことに似ているようですが、五教の初め、小乗教では空観の心に当たるものです。もう少し学が進んで賢い人はさらに深い観念をするべきです。円頓の教法が蔵に満ち箱に充ちてはいても、学ぶ者はいません。三世の諸仏は空にいらっしゃり、国々においでになるけれども、それを観じようとする者はいません。ですから、身に聖人になろうとの修行を願い立てても菩提(悟り)を取ることは難しく、心に仏道の因縁を観ずる兆しはあるけれども正覚(正しい悟り)は成就できないのです。

  およそ、本当の聖人(ひじり)と申す人はこのように思うのです。『津の国の難波の事(万事)は皆、御法(仏法の教え)につながるだ。童子が戯れに砂で仏塔を作っても、その功徳によって仏道は達成されるのだ。何気なく折り取った一房の花が未来に花王(けおう)と呼ばれる仏の悟りを得られる契機となるのだ。なべて世間の営みの中にも仏道成就の基はあるのだ。』と。 およそ、本当の聖人(ひじり)と申す人はこのように思うのです。『津の国の難波の事(和歌を作ること)は皆、御法(仏法の教え)につながるだ。童子が戯れに砂で仏塔を作っても、その功徳によって仏道は達成されるのだ。何気なく折り取った一房の花が未来に花王(けおう)と呼ばれる仏の悟りを得られる契機となるのだ。なべて世間の営みの中にも仏道成就の基はあるのだ。』と。

 およそ、真実の菩提を得ようと思う人は、円観念を凝らすべきです。円観念と申すとは、自分の心性を観ずる事です。

 およそ、自分の思う心の働きによってあらゆるものは生まれるのです。太古以来、心を離れて、仏とか衆生とかいうものは存在しないのです。それでいて、我心は空なのです。空観の心の内には悪もなく、善もありません。では悪業はどうして心の内に住むのでしょうか。空中を吹く風がよりどころがないのと同じです。心が存在すると思えば罪もまた存在して、悪趣を感じるので、心が存在しないとすれば罪も存在しなくなり、誰も報いを受けることはないのです。自分の心にもし悪を発(おこ)せば無相の中道に安住していた者も、五道の生死を流転するのです。心がもし悪に赴くことを留めれば、煩悩も悪業も亡失するのです。

 たとえて言うなら、一つの珠があります。日の光に当てれば火のように熱さを発し、月の明かりに曝されれば水のように冷ややかさを宿します。この珠は熱を発したり冷ややかさを湛えたりしますが、珠の実相は異なるものではありません。法相という真珠が転変するのもこのようなものなのです。

  ですから、『華厳経』では、『三界唯一心 心外無別法 心仏及衆生 是三無差別』と説き、天台宗では『煩悩すなわち菩提なれば集として断ずべきもなく、生死やがて涅槃なれば苦として尽くるべきもなし。』と解釈しなさるのです。

 このようなわけで、奈落の猛烈な炎の中にいても仏の身体が備わり、大いなる根本の仏、毘盧遮那仏も我々の心一念と離れたところに存在するものではないのです。ですから、極楽世界の十万億土の仏土を過ぎるというのも、自分の胸裏(心)の中で起きることなのです。渺々として遠く遥かな兜率天を訪ねてみると、それは我々衆生の一念(心の中)にあるのです。ですから、『観寿無量教』には、『極楽世界をば去此不遠(此を去りて遠からず)』と説きなさるのでしょうか。

 三教四時あらゆる時の方便は、衆生を一乗法華に至らせるため。釈尊が仮にこの世に現れたのもまた、この妙法を衆生に演説するためのてだてだったのです。妙法蓮華経は六万九千余字、多いとは言っても要約すれば、ただ自分の一念の心性を説いているのです。この観念を仏も悦んで説き、菩提も尊んで語るのです。天魔は仏界へ追いやられ、煩悩魔はすぐに変じて結果を及ぼさないのです。

 ただ、これまで言ってきた観念に到達できない者もいるでしょう。そのような者は、ひたすら念仏を修めるのです。念仏と言っても事理二つがあります。

 事の念仏と申すのは、日常の中で乱れた心で行う念仏です。世渡りをして、妻子家族を養いながらも、ただ一心に『南無阿弥陀仏』申すのです。この六字の名号に釈尊が一代に説かれた教えが余すことなく込められているのです。『南無』というのは梵語です。これは帰命(仏の教えを信じること)という意味です。『阿弥陀』の三字には『空仮中(くうげちゅう=三諦=仏教の真理)が込められているのです。仏を覚者とも申します。この阿弥陀の三字の中に、阿弥陀仏仏道を志した時から仏果が円満に成就した今に至るまでに備わったところの功徳や法門の正しい教えが込められているのです。阿弥陀仏一身だけではありません。十方三世の諸仏の功徳もこの三字に中に備わっているのです。このようなわけですから、不安定な日常を過ごす散心であっても、不浄の身であると言っても、退転することなく名号を唱えれば、無始の罪障はたちまち滅して往生できるのです。

 理の念仏と申すのは、先に述べた観念の事です。絶対的な真理を観ずる、これを理の念仏と申すのです。

 また、観ずる対象には依法と正法があります。依法を観ずると申すのは、心を八功徳池に耳を澄まして浪が苦空(くくう=この世のすべてのものは苦であり空である)と唱えているのを観じ取り、思いを七重宝珠に懸けて風が常楽(じょうらく=永遠の楽しみ。悟りの境界)と調べをなしているのを観じることです。是非とも観じなさい。このようにおのれを取り巻く諸々の環境が悟りの契機になるのです。

 正法と申すのは、阿弥陀如来の六十万憶那由他由旬の巨大な身には八万四千の相好(体の部分)があります。環境によらず、直接、阿弥陀仏の烏瑟の頂きから足裏のの輻輪に至るまでの実相を明らめんと思惟するべきなのです。

 この観念は広くは様々な経論に書いてある通りです。以前に恵心僧都の著された上中下三巻の『往生要集』に委細に述べられています。繙いて習学しなさい。それよりなにより先ず、名利を厭い得るようになって、往生を願いなさい。往生の敵、仏道の障りとして名利に過ぎたものはありません。ですから天台の教えでは、『若為名聞利養 即累劫不得』と述べなさっているのです。

  和泉式部の歌では、『このような理に気づかないで衆生は日々を明かし暮らしているので、今生の悪業によってさらに悪道に堕ちてしまうのだ。』これを、『暗きより暗き道にぞ入りにけり』と詠んだのです。

 次の七七は御房が仰ったとおりでしょう。ご造詣は深いと察します。

 御房は拝見したところ、衣の色も薄いようです。また、名利を厭うているようには思われません。私に手を取り戯れをしようとするなど、不浄観もお習いになっていないのではないでしょうか。ですからあなたは我が友とするには値しません。さっさと帰って、名利を厭い、教法を習って、修学しなさい。教法が流布しているこの世に生まれなさったのは、前世の宿習ではありませんか。どうして純金を泥中に沈めて失うような愚かなことをしましょうか、決してしてはならないのです。

 私の申す事は皆、三世の諸仏の説くところです。私が自分勝手に申していることではありません。そうはいっても、他人に言いふらすようなことではありませんから、どこぞでご披露などなさりませぬよう。」

 稚児の長い話はここで切れた。私は何とも言葉が継げなかった。

 「なんだか眠たくなりました。しばらく休んで、夜明けにでもも少し物語などいたしましょうか。」

 このように言うと稚児は私にしなだれかかるとすやすやと寝息を立て始めた。その寝顔の気高き美しさ、美しさゆえに凛然として手を触れることも憚られる姿態に、ただ見つめるしかないのであった。稚児の釈教が脳裏を駆け巡り、ただその言葉が諄々とわが思いに染みこみ、浅薄な自分を苛んでいくのである。

 私はそっと、稚児を抱き込むように、諸魔から守るように身を覆いながら眠りについたのである。

 

 翌朝、目覚めると傍らに稚児はいない。ちょっとどこかに出かけたのかと思ったが、二度と現れなかった。

 何という事だ、夢か現実か判別しがたい。このような夢であるか現実であるかわからないこと。昔の聖徳太子が再生して、私を教化しなさったのか。または、釈尊や虚空蔵が童子に変化して一席の演説をなさったのか。そう思った。

 そうするると、自然と随喜の涙が流れ、随喜の心で肝が裂けるように感が極まってきたのだ。

 

 その時です。前世の宿習によって、たちまちに悟りが開けて、名利を厭い、ひたすら念仏を自分の業とできるようになったのです。

 

 あなかしこ、あなかしこ。皆様、後生の御勤めに励みなさいませ。

 

 この世は夢の世でございます。人界は六界の上二位です。そのような人界に生を受けながら、旧世の地獄・餓鬼・畜生界に行くことのないように。悪縁を離れて、名利を捨てなさいませ。

 

 皆様にいただいた長年の情けや御恩は忘れません。私が浄土に参った時には、きっと皆様を導いてお連れしましょう。

 

 決してお疑いなされるな。

 

 あなかしこ、あなかしこ。

 

 私は生年二十二歳に離山しました。誰かわからないかと注記しました。

 

      六月十二日                   僧円厳

 

 横川般若谷大輔の君の御房

 

 本文では奥書の跡に和歌が添えられている。一首は、

 「行く末の忘れ形見となりやせむ難波の浦の葦手なりとも」(私が書写したこの物語は未来永劫までの忘れ形見となるであろうか。難波の道を論じているのであるが、その難波の葦ではないが、葦手(葦のような飾り文字=悪筆)のようなひどい文字でも。 信

 「信」は執筆した「永信」であろう。物語を賛美している。

 

 もう一つは、この本文、先の歌はは漢字カタカナ文で書かれているのだが、ひらがなで、もう一つ末尾に歌が添えられている。

 「極楽のうちにもこしをかくべきにそとはなにかはくるしかるべき」

 とある。これはかなり微妙な歌ではなかろうか。「輿をかく」は、極楽に輦輿によっていくのであろうが、それがいいなら、外で「こしをかく」のが何で悪いのか、という意味であろう。「こしをかく」は意味未詳だが、掛詞としては、「腰」「掻く」を連想させる。性交・自慰・肛門性交を連想させる言葉である。最後に書写した者、もしくは見たものが、この物語を揶揄したのであろうか。どなたかに教えていただきたいところである。

 

原文

 

 *天台山、首楞厳院の住侶、*大輔の阿闍梨の*同宿に、少人ありき。歳十一なり。

 事にふれてもののあはれ▢▢知り、常には心を澄まして、仏に花香を供えては、つくづくと仏前に候ひて、涙を流し、念珠を摺り、礼拝をする時、同宿に見つけられては俱舎の*頌をとりて、何心なくもてなして、明かし暮らすほどに、房主の阿闍梨の曰く、

 「幼き者の、いたくかかるは、*天宮に取らるることもあり。また、*貧法の者はかやうにあるぞ。」

 と言ひて、年月を過ごすほどに、年十四五になりぬ。

 さるほどに、見目かたち・心ばせ*わりなき児にてありければ、谷中・院内*もてなすこと、ならひなくなりぬ。春は花をもてあそびて、日を暮らし、秋は月を眺めて、夜を明かし、常は人々、もてなし遊ぶこと、様々なるほどに、人をば*すさめねども、遊びに心入れたる気色、内心にさらになかりけり。

 常には、*物思ふことありげにて、過ぐれば、人々は、*やうやうしく思ふ人もあり。また、心の内、よに*おぼつかながる人もあり。

 さてのみ、明かし暮らすほどに、多く遊びに来たる人の中に、修学者にて、法門よく知りたる人には、貴き物語せよと勧めて、釈迦仏の*因行果徳を語り、*五百の知識を▢▢給ふことを聞きたがり、*八相成道の儀式、ならびに、王宮を出でて、*檀特山(だんどくせん)に入り給ひしことを聞きては、興に入りて、心地をよくして過ぐるほどに、急いで出家の志あり。

 房主に常に進め申すによ(っ)て、十六歳にて、出家せさせて、やがて、千日の入堂始めて、千日入堂終はりぬ。谷中の*講説に入りぬ。

 さるほどに、*尋常の修学者と許されて、*四季の講と申す、大講演の衆に入り了りぬ。

 

(注)天台山、首楞厳院=天台山はここでは比叡山のこと。延暦寺の三塔の一つ横川の

    横川中堂のこと。または、横川の総称にも用いられる。

   大輔の阿闍梨=本文は「室町物語大成」所収の尊経閣文庫蔵写本の一本のみのよ

    うである。欠落した箇所が多く、大成では▢で表示している。▢のまま表示し

    たところと、文意によって文字を当てたところがある。なお、原文はカタカナ

    書きだが、詠みやすいようにひらがなで、漢字等も適宜改めた。原文「大浦

    ▢▢▢(ユウノアシャリとふりがなあり)」阿闍梨の上には通称としての官職

    名がくることが多いので「大輔」と当てた。

   同宿=同じ僧房に起居するもの。

   頌=経典の韻文の部分。経典は長行(散文)と偈・頌(韻文)から成る。呪(ま

    じない、真言、陀羅尼)もある。俱舎論の頌のみを一巻にまとめたものか。

   天宮に取らるる=「天宮」は天人の宮殿。命を取られること。

   貧法=未詳。「貧道(仏道修行の貧しいこと。徳の薄いこと。)」から類推する

    と、仏法修行に貧しいことか。または「貧報(前世の所業を受けて貧苦の報い

    を受けることか。

   わりなき=格別に優れている。

   もてなす=大切に扱う。

   すさめねども=嫌い避けることはないが。

   物思ふ=思い耽る。思い煩う。悩む。

   やうやうしく=子細ありげに。

   おぼつかなかる=気がかりである。不審である。

   因行果徳=「果徳」は修行の結果得られる徳。修行によって徳が得られること。

   五百の知識=多くの高僧。

   八相成道=釈迦が衆生を救うために示した八種の相。

   檀特山=原文は「壇徳山」。「檀特山(だんどくせん)」は北インド、ガンダー

    ラ地方にある山。釈迦の前世、須太拏太子が菩薩の修行をした所。俗に釈迦修

    行に地といわれる。

   講説=仏教の経典を講義解説すること。講説する人、講師。

   尋常=優れている。(普通の意味ではなく、優秀の意。「あしびき」に用例あ

    り。

   四季の講=平安中期の僧良源の住房、四季講堂(元三大師堂)で春秋に優れた学

    生を集めて行われた広学竪義(こうがくりゅうぎ・弁論大会のようなもの)。

 

 さて、生年二十一と申す卯月八日の夜、人静まりて後、うち笑みて来りて曰く、

 「この年月申すべき事の候ひつるを、今まで思ひながら申し出だし候はぬなり。この僧にいとまたび候へと思ひ候ふなり。」

 と*申せば、

 「いかに何事のいとまぞ。」

 と*申さるれば、

 「別の事には候はず。父母に遅れ候ひにし時より、この世は、終に死すといふことあり。万事につけて、世間のはかなく厭はしく覚え候へば、この学生の道を捨てて、仏道を求めむと思ひ候ふなり。」

 と申せば、

 「思ひ取り▢▢われむことを、惜しむとも、かなふべからず。この僧は承りぬ。とくとく房主の阿闍梨にいとまを申し給ふべきなり。」

 と言へば、

 「先づ、うれしくいとまたびて候ふ。房主の御房には貴房にいとま申して後に申し候はむと思ひ候ひつるなり。」

 とて立ちぬ。

 

(注)申せば=上野君が語り手に話しかけているのであろうから、謙譲語「申す」語り

    手へ敬意になってしまう。

   申さるれば=語り手が上野君に話しかけているのであろうから、尊敬の助動詞 

    「る」の已然形「るれ」が接続しては自敬表現になってしまう。

 

 次の日の夜、房主にいとま申すに、房主おほきに騒ぎて、申さるるやう、

 「道心堅固にして、遁世の心一向ならむにおきては、人のいかに惜しみ制すべきによるべからず。

 但し、*山王大師にいとま申し受けむことは、難くやあるべかるらむ。人法興隆すべきものの、修学者一人住山せずして、離山せむことをば、*和光同塵の日は、惜しみ思し召さむずらむぞ。よくよく山王に申すべきなり。」

 と房主の御房言はるれば、少僧の曰はく、

 「仰せの旨、尤もその謂ひ侍り。そのよしは山王大師によくよく申し受けて候ふなり。ただ願はく、房主御房の御心を取り得参らせては、いかに罷り出で候ふべきとて、申し候ふなり。」

 と言へば、*なまじひに房主いとまたびつ。

 悦びて小僧の申すやう、

 「年来(としごろ)の情け・御恩は今生には申し尽くすべからず候ふ。かやうに*黒白(こくびゃく)を弁へて、遁世の心の起こり候ふも、御徳にて候へば、いかに恩も知らず、にはかにはいとまを申すにやと思し召し候ふらむ。それをも思ひ知らぬには候はず。しかしながら、思ふこと候ひて申し候ひつるに、心安くいとまたびて候ふことうれしく候ふ。」

 とて、

 「必ず浄土に参りて、迎へに参り候ふべし。*前後にはよるべからず候ふ。」

 とて房主の前を立ち去りぬ。

 

(注)山王大師=山王権現薬師如来垂迹したとされる比叡山の守護神。

   和光同塵=仏・菩薩が日本の神祇としてこの世に現れること。ここでは、延暦寺

    の本尊薬師如来山王権現としてここに現れたら、離山しようとしてい上野君

    を許可してくれるかどうか、ということ。

   なまじひ=原文「なましゐ」。無理に。しぶしぶ。

   黒白を弁へ=物事の正邪善悪を識別する。道理をわきまえる。

   前後にはよるべからず=未詳。どこにも寄らず真っ先に迎えに来る、の意か。

 

 日来(ひごろ)支度仕置きてありければ、墨染の衣・袈裟に経の袋、*檜笠(ひがさ)なむど首に懸けて、*藁沓(わらうづ)うち履きて庭に立ちて、

 「この姿の、年来せまほしく候ひつるなり。」

 とて、暇乞へば、房主泣く泣く、

 「いづくへぞ。また、落ち着くべきところはいづくぞ。伴には、人をば俱せぬか。」

 なむど騒ぎ狂へば、小僧の申すやう、

 「いかにかくは仰せ候ふぞ。本意ならず候ふ事かな。思ひ定めていとま申したることにて候ふぞ。▢▢ともに、人を俱すべき身にて候はばこそ、伴の定めも*候はめ。また、*いづくへ落ち着くべき。*要事も候はず。いづくも終の栖にて候はばこそ、さも候はめ。*おのづから落ち留まる所も候はば、案内を申すとも候べし。とくとく入らせ給へ。」

 と申せば、房主は小僧の袖を許して、房中へ入りぬ。上下の諸人、涙を流さぬ者なし。

 房主はその後、わが身の心を恥ぢしめ、我が心の小僧に劣りぬることを嘆きて明かし暮らすほどに、 

 

(注)檜笠=檜で編んだ晴雨兼用の笠。

   藁沓=草履。

   要事=必要な事柄。

   いづくへ・おのづから=原文「イツクエ」・「ヲノツカラ」。仮名遣いを改め

    た。

 

(明かし暮らすほどに、)その後、美濃の国、*祐向といふ山寺より、受戒しにとて山へ上る戒者に付けて消息を送る、その状に、

  山上を罷り出でて候ひし時より、先づ*法輪に参詣して、祈り申しけること候ひ

 き。

 その間の日記▢、別紙に記してまい▢▢▢。

  法輪を罷り出でて、諸国霊験、所々拝見し巡りて、美濃の国祐向、文殊寺なむど申

 す所に拝みて候ふほどに、戒者に付けて申し候ふなり。

  念仏の勤行功積もり候ひて、往生の期、近く罷りなりて候ふ。*あなかしこ、*名利

 の御供を離れて、後世の御つとめ候ふべし。契約は御疑ひ候ふべからず。必ず*一仏

 浄土の伴となり参らすべく候ふなり。

  この旨をもて、房主の阿闍梨御房に申し給ふべく候ふ。急々の*便宜(びんぎ)に

 て▢▢▢▢す▢。これよりまた、他国に赴き候ふ。

  あなかしこ、あなかしこ。両人、よくよく念仏申させ給ひ候へ。今生の情けは一旦

 の事なり。後世の勤めは累劫の貯へなり。

  御返事は候ふべからず。所を定めて候はば、賜はるべく候へども、世間の人、結縁の

 ために日本国を経廻(けいくわい)し候ふなり。

  日来の修行の日記をご覧じ候ふべし。返す返すも念仏のお勤め候ふべし。あなかし

 こ、あなかしこ。

 

(注)法輪=法輪寺。京都嵐山にある真言宗の寺院。

   祐向といふ山寺=原文「ゆかう」。岐阜県本巣市に「祐向山(ゆうこやま)」

    (続ぎふ百山)があり、山城があって、いこやまじょう、ゆうこうのやましろ

    とも呼ばれたようである。所在地辺りの近世の村名には、法林寺村、文殊村が

    ある。

   あなかしこ=仮名の消息(手紙)の文末に用いられた結語。男女とも用いた。こ

    こでは、「おそれ多いことですが」との意味で挿入的に用いている。

   名利のお供=「名誉や利益と一緒にいることを離れて」の意か。

   一仏浄土=阿弥陀仏の極楽浄土。

   便宜=情報を伝える手紙や情報。たより。

 

 上野君消息(内題)

 

 過ぎし年の夏の暮れ、月あかく侍りしに、法輪▢▢に参らむと思ひて、*大堰川のほとりに*さし出でたれば、*川戸の波静かにして、月の光ものどけく、あまりくまなき夜半なれば、ここも明かしと言はまほしく、*難波辺りならねども、心あらむ人に見せまほしくて、渡し船になむ乗りて、月の光の射すに任せて南に岸に渡り着きぬ。

 *一稲荷の御社の、よに*かみさびにける有様、あはれなりとうち見て、本堂に参りつき▢▢▢、大方、人の参りたる気色に見え侍らず。わづかに*内陣に閼伽の音かすかにして、前の杉の庵▢、鈴の声ばかりぞ*おとなひはむべり。よに心細く覚えて、正面▢▢▢りて、「南無帰命頂礼、大満*虚空蔵菩薩、臨終正念、往生極楽」と拝みて念仏静かにし、*法施(ほっせ、ほうせ)なむど参らせて三業をひそめて侍るほどに夜も更けぬ。 

 

(注)大堰川桂川保津川の上流域をいうが、ここでは桂川の今の渡月橋の辺り。南

    岸に法輪寺がある。

   さし出で=語順からして、月の光が射し出たとは考えられないから、語り手(上

    野君)が出かけた、の意か。

   川戸=川の狭くなっているところ。渡し場。

   難波辺り=難波(難波津、難波江、難波潟)は歌枕。明るい月の名所だったかは

    わからない。

   一稲荷=一位稲荷か。正一位稲荷神社。法輪寺はもと、秦氏の氏寺で葛井寺と称

    していた。また、稲荷神は秦氏の祀った神で、法輪寺内にも社がある。

   かみざびにける=神々しく神秘的である。古びて閑静である。

   内陣=神社の本殿や仏寺の本堂の奥にあって神体または本尊を置くところ。

   おとなひ=原文「をとなひ」。音がする。

   虚空蔵菩薩法輪寺の本尊は虚空蔵菩薩

   法施=経を読み、法文を唱えること。

   三業をひそめて=三業は、身業・口業・意業。人の心的活動。体をひそめて。

 

 月あかくて、心澄み侍るほどに、人の影のするを見れば、児か女房か、幼びたる者の、*小袖ばかりを着て参るなりけり。

 怪しと見るほどに、来りて御堂の正面に居ぬ。見れば歳十四五ばかりの児の形・事柄、艶やかに、姿・有様なべてならず、大方、眉・口つき、*皓歯・居ずまひ例へむかたなし。

 こはいかに、怪しき事かな、とは思ひながら、

 「こはいかに、世の更けて候ふに、一人は参らせ給ひて候ふぞ。」

 と申せば、児うち笑みて、

「月に優る時やは侍るべき。」

 と言ふ。僧、いよいよ*なつかしく思ひて、近く居寄りて、

 「さるにても、いづくより参らせ給ひて侍るぞ。かくばかり世の更けて、人なむども、静まりて候ふに、よも外よりは参らせ給はじ。いかにもあれ、この寺中におはしなむめり。」

 と言へば、児の言うやうは、

 「遥かなるところに侍るが、いかに、大堰川のほとりの月、明かく面白かるらむと思ひて、行方なく月に誘はれて、参りたるなり。」

 と言ふに、この僧、怪しとは思ひながら、

 「さては賢くぞ参り合ひ侍りにける。さらば今宵、*御伽せむ。」

 と申せば、児はをかしげに思ひて、

 「わらはが伽をばおぼろげの人のせばこそは、伽せむとも仰せられめ。さりながらもいづくより参らせ給ひたるぞ。」

 と問ふ。僧、答ふる様は、

 「これは、北山の方に住み侍るが、しかるべき事にてや、侍るら▢、ものの狂はするやうに覚えて、参りたるなり。」

 と言ふに、児の言ふやうは、

 「比良の高嶺か、大原か、北山と仰せらるるこそ*優しけれ。」

 と言ふ。

 僧、いよいよ面白く覚えて、「心ある児よ。わりなし。」と思ふにせむ方なくなりぬ。 さて児は、月のくまなきことをもてあそび、憂き世の中のはかなき事をなむ言ふ。

 物言ひといひ、振る舞ひといひ、よめにも類なく見えければ、忍びかねて、近く居寄りて、手を取り、戯れなんどして、遊びけるほどに、児言ふやう、

 「今宵、伽せむとかや、仰せられつるは、誠の伽せさせ給ひぬべき人か。さらば、わらはが申さむこと聞かせ給へ。」

 と言ふ。

 

(注)小袖=肌着。ただ、ランジェリーというより、浴衣を想像した方がいい。

   皓歯=原文「かふし」。美しい白い歯。ただ、当時上流貴族では男子も鉄漿をし

    ていたようで、白い歯を美の形容とする例はあまり見ない気がする。その外に

    美形を形容する文言が思い浮かばなかったので「皓歯」とした。

   なつかし=好ましい。

   御伽=「伽」は、① 話し相手をする。② 添い寝をする。寝所で相手をする。

    ③ 看病する。この場面で①か②かは微妙。

   優し=優雅である。

 

 僧、よにうれしと思ひて、

 「いかにもあれ、身をば任せ参らせむ。」

 と申せば、さては、しかるべきにこそとて、児の言ふやう、

 「*和泉式部が詠みたるとかやらむ、

  暗きより暗き道にぞ入りぬべき遥かに照らせ山の端の月

 といふ歌の心を人にも問ひ、我も心得むとし侍るに、はかばかしく申す人もなく、我もよく心得たりとも思ひ侍らず。これをだにもをほ▢られたらば、いかにも我が身をば、御心に任せ参らせむ。」

 と言ふ。僧うれしながら、この歌の心、いかにも申すべしとも覚えねども、この児の、「いかにも我に従はむ。」と言ふがうれしさに、よろづをば忘れて、申すやう、

 「これは、別(べち)の事にやは侍るべき。*法華経化城喩品の『従冥入於冥』の文の心を詠み侍るにこそ。」

 と言へば、

 「されば、この文をば、いかに説きて侍るぞ。」

 と重ねて問ふ。*あさましと思ひながら、言はざらむもまた、さすがなりと思ひて、申すやう、

 「億々万劫の間、諸仏の世に出で給ふ事、実にありがたく、かの*優曇華の三千年に一たび現ずらむが如し。たまたま世に出で給ひた▢とも、我らが会い奉ること、また難し。

 昔、仏*舎衛国にましますこと二十五年、されども*九億の中の三億は見奉らず。また、知らざりき、纔かに見奉ることは、*一眼の亀の浮木の穴に会へるに似たり。仏の出世に、会ひ奉らざる衆生は、心に任せて罪を作る、*無慙破戒にして、煩悩より煩悩を発(おこ)し、業より業を生じて、悪業を作ることは、牛の毛よりも繁く、善法をなす者は、兎の角よりもまれなり。

 順の境に会へば心に*惑着▢なし。違の境に会へば甚だ*瞋害をなす。日に添へ、月にま▢て、悪(わろ)くのみなれば、煩悩の雲に覆はれて、知慧の▢▢りもなし。されば、この世の中をば、生死の長夜となむ、仏は説き給ひ、『*唯識論』と申す文には、

 『永く真の覚(さとり)を得、常に夢中に処す、故(かるがゆへ)に仏説きて、生死の長夜と為し給ふ。』

 と*尺し給へば、かかる暗惑の憂き世より、三悪道と言ふこれよりもあさましき処へまからむずれば、『冥(くら)きより冥き道に▢入りぬべき』とは詠めるにや。

 さて、仏をば常に月に例へて歌にも詠み、文にも書けり。遥かに*かがみ御覧じて、助け給へと思しくて、『遥かに照らせ山の端の月』とは詠み侍るなむめりとこそ心得て過ぎ侍れ。」

 と申せば、

 

(注)和泉式部=平安中期の女流歌人。情熱的な歌を詠んだ。「和泉式部日記」があ

    る。「暗きより・・・」は、「拾遺和歌集」所収。

   法華経化城喩品=「法華経」は仏教の根本経典の一つ。全二十八品から成る。化

    城喩品はその七品目。

   あさまし=しつこいなあ、子供が聞いてもわからないことなのに。の感じか。

   優曇華=経典で三千年に一度咲くと伝えられる花。瑞兆。

   舎衛国=舎衛城。北インド憍薩羅(コーサラ)国の都。城の南に釈迦の教化活動

    の拠点、祇園精舎があった。

   九億の中の三億=何が九億なのか?文脈からすると諸仏なのだが、あのお釈迦様

    でさえ九億いる仏の内たった三億しか、の意か。

   一眼の亀=「盲亀の浮木」。百年に一度しか浮かび上がってこない一眼(盲目)

    の亀が海面に浮かび上がって浮木の一つしかない穴にちょうど首が入る、とい

    う経典の話から、会うことの極めて難しいことのたとえ。

   無慙破戒=破戒無慙。戒律を破りながら心に恥じないこと。、

   かがみ=「鑑む」か。神仏などが明らかに見る。

  この児の言ふやうには、

 「あはれに侍る事なり。さは、かかる人にておはしましけるにこそやむごとなく覚ゆれ。いかにもあれ、言ふ甲斐なき山寺なむどにおはするにはあらじ。本寺・本山の人にてぞおはすらむと思うぞ。御有様詳しく仰せられよ。我が思ふ事の侍る。また、申さむ。」

 と言ふ。まことに、これほどの事になりぬれば、何かは隠すべきと思ひて、打ち解け申すやうは、

 「*王城の北のほど、賀茂のほとりの所生にて侍りしかども、歳九と申しし弥生の初めに*たらちめははかなくなりぬ。やがて、その年の卯月の末に園城寺に罷り入りて、*三井の流れを結び、*龍華の花房をもてあそびてありしほどに、*高倉の宮の闘事(ひしめきごと)に漏らされて罷り出でたりしほどに、やがて寺中を焼失し、*正教も竜宮の塵に収まりしかば、思ひ煩ひて侍りしほどに、いよいよ世の中の厭はしく、あはれにて、憂き身をだにも隠すべき所もなくなりて、煩ひしほどに、思はざるに比叡山へなむ上りて髪を下ろしなむどして、年月を経るほどに、事に触れて、名利の厭はしく覚えしかども、無下に稚けなきほどにて、思ふともなし、また思はぬともなくて、明かし暮らすほどに、やうやう、交衆なむど*したちにしかば、はかなき世の中をば知るとて、いと世を思ひ捨つることもなくて過ぎしが、実(まこと)は今日、山より参りて侍るなり。」

 と申せば、

 

(注)王城=都。

   たらちめは=「垂乳根(たらちね)」は母の枕詞。母を指す言葉だが、ここは両

    親を指すか。

   三井の流れを結び=三井寺園城寺)の流派を学ぶ。境内に井戸があったことか

    ら御井(三井=三代の天皇が産湯を浸かった井戸)に流れを結ぶ、と縁語的に

    表現している。

   龍華の花房をもてあそび=「龍華」は龍華樹。龍華樹は百宝の花が咲き、その 

    木の下で釈迦が未来に説法を行うとされる。仏道に親しみ、の意か。または龍

    華越え(京都市左京区大原から大津市龍華に至る峠道)か龍華という地名を指

    したものか。三井寺よりかなり北ではある。

   高倉の宮の闘事=高倉の宮は後白河天皇の第二皇子以仁王源頼政の勧めで平家

    追討の決意をしたが、事前に発覚し、園城寺に逃れた。園城寺大衆は以仁王

    奉じて抵抗したが、平氏によって堂宇の多くが焼失したという。「平家物語

    に詳しい。

   正教=経典。経典が灰燼に帰した。龍華の縁で竜宮の塵としたか。

   したちにしかば=意味未詳。比叡山の大衆と親しく交わったとの意か。

 

 この児の言ふやう、

 「さればこそ、いかにもあれ天台宗に*ふれはいたる人とは見参らせつれ。さて、仰せられつる歌の心、▢▢たくなむ心得ておはすれども、人に言はせ参らせて、また、わらはが申さざらむも畏れあり。聞きたる事の▢る、*おろおろ申さむよ。

 まず、仏の道を尋ねむには、この世の中のはかなき事より初めて厭はしむべきなり。

 春の鶯花に遊ぶも、花散りぬれば、鳥また帰りぬ。秋の露の葉を潤す。葉落ちぬれば露また乾きぬ。また、郭公(ほととぎす)花橘に鳴けども、音(こえ)水無月になりぬれば、語ら▢音もせず。紅葉の錦四方の山辺にはあれども、峰の嵐誘へば梢まばらになりぬ。また、冬の雪*宿を隠す。春の日差し出でぬれば、ただ庭の苔をのみ潤す。松柏の久しといふ。千世を経て後は、なにかせむ。亀鶴の長き寿(いのち)いづれかさてしもある。

 凡そ、心あらむ人はかやうに思ひ続けて真(まこと)の心を発すべきなり。されば、*縁覚と申す聖人(ひじり)は花の散り、葉落つるを見て、悟りをば開くにこそ。世の中の人は、春の花、秋の月を見ては、*妹が在り香、君がかほばせに思ひ▢そうれども、憂き世の習ひにて、花は風に誘はれ、月は山に隠る。かやうに常なきことを知らずして明かし暮らすほどに、憂への山の峰に傷みの雲たなびき、悲しみに海の岸に嘆きの浪寄せつれば、*難波の事も思ひに違ひて、一生は空しく暮らしつ。

 或(ある、またはあるい)は、朝に生じて暮(ゆうべ)に死し、宵に遊▢者は暁に隠る。或は、親は子を失ひて若きが老いに先立つことを悲しみ、子は親を滅ぼしてわが身に代えぬ別れを恨む。或は、生きて別るる者もあり。昔の*王昭君なり。思ひを富士の高嶺に通わせども、涙はただ袖をのみ潤す。或は、死にて別るる者あり。古の*楊貴妃なり。志を蓬莱の浪に隠れども、僅かにその簪ばかりを見る。

 哀れなるかな、一度(ひとたび)別れぬれば再び会わざる事。悲しきかな、高き賎しきも、生死の苦海に沈まむことは。かくのごとく鏡の内に影を並ぶる事は、形のやつれざるほど、鴛鴦(ゑんあう)の衾の下に戯むるるも、自ずから命の消えざる間なり。命長しと言ふも老いに至りぬれば何のいみじきことかあらむ。面には波を寄せ、頭には霜を戴く。筋あらはれ腰かがまりぬれば、人に近づくに憚りを▢く。立居につけて若きを恥づ。音(こえ)幽かにして、語らひをなすに、愛を失ひ形衰へて妬みをいたすに厭はしさ増す。春の日花を見ては、我がかほばせの花より先にしぼみたる事を嘆き、秋の夜、月を眺めても、齢の月よりも傾きけることを恥づ。

 

(注)ふれはい=意味未詳。触れる、関わり合う、の意か。

   おろおろ=原文「をろをろ」。とりとめもなく。

   宿=家の敷地。庭先。前庭。

   縁覚=固有名詞ではなく、仏の教えによらず、自ら道を悟った聖者。辟支仏。

   妹が在り香=(女の)恋人の着物に染みこんでいる薫物(たきもの)のよい匂

    い。

   難波の事=消息には「難波」が三回出てくる。「難波津の道」が歌道の事とすれ

    ば、和歌における仏道の解釈という事になるが、「難波の事」で和歌に直結す

    る用例は探索中である。ここでは「万事」の意に解しておく。

   王昭君=漢の元帝の官女。画工に賄賂を贈らなかったため̪醜女に描かれ、匈奴

    単于に嫁がされたという。出立の時、元帝は美しさに気づき惜しんだという。

    帝の王昭君への思い(あるいは逆か)は富士の高嶺に達するほど、というやや

    苦しい比喩。

   楊貴妃=唐の玄宗皇帝の寵姫。安史の乱で死んだ楊貴妃を想い玄宗は方士に霊魂

    を捜させたが、海上の仙山で合った楊貴妃からは形見の簪を託されたのみであ

    った。蓬莱は渤海に浮かぶ仙境の島。

 

 されば、命長からむ人とてもいみじかるべきにあらず。

 とりわき哀れに侍ることは男女の仲にあり。*志ある輩は一夜も*狎(な)れぬれば、いつしか枕に塵積もりぬと恨み、しばらくも添はねば、*衣を返して夢を頼む。嵐寒き冬の夜も、枕を交はして寒さを忘れ、水を掬(むす)ぶ夏の夜も、膝を並べて暑さを忍ぶ。かやうに片時も添はぬを恨むる心▢病、身を悩まして、床の上をさらし、心地例に違ひて命を失ひつれば、別れの悲しみをば嘆けども、その死にたる身をば愛せず。また、会はざることをば悲しめども、急いで曠野へ送る。

 されば、志あらむ人とても*ほしからす。終に我が身に添うべきにあらねば、*錦の褥もよしなし。蓬が上に臥すなれば、あぢきなきものは花の友、よしなきものは玉の台(うてな)なり。況や色を整へし着物一重もわが身につかず、箱に貯えし宝も空しく他の宝となりぬ。

 息絶えしよりして、我が身につきたる物とては、*牛頭馬頭の疎ましきばかりなり。頭(かうべ)には三熱の炎を燃やし、手には鉄(くろがね)の笞(しもと)を捧げたり。未だ昔にも見ざりし姿どもを今更に見る心いかばかりかはあるべき。さて、罪の重き軽きに従ひて*悪趣に将(ゐ)て去る。姿の美しきにも情けをかけず。品の*わりなきにも哀れを置かず。猛き炎の中に入りつれば、その後は無量劫にも出づることも知らず。

 されば、伽せむとかや仰せられつるがをかしさよ。それまで伴ひ果てさせ給はばこそ、真の伽にては侍らめ。

 ただ、この世ばかりならば、とてもかくても侍りなむ。かかる憂き世とも知らずして、常にあるべしと思ひて、男は栄耀を春の花に開き、女は美麗を秋の月に施す。宝をば蔵に貯え箱に収め、妻子をば田舎に儲け、都に据ゑたり。その中に愚かに侍ることは、父母の*赤白二渧(しゃくびゃくにたい)を受け、魂その中に入り居る。*三十八の七日、二百六十余日の間、七日ごとにその形転変して、人相漸く具す。月日既に満ちて初めて母胎を出づる時は、「*生剥(いけはぎ)の牛を墻(かき)に触(さ)うるがごとし」と言へり。腹に居たる間は諸々の不浄、悪穢を食物として生まれ出でたれば血の中に臥してふ*手ふるべきやうもなし。

 人となりて死したる有様、腥(なまぐさ)き骸(かばね)は一人曠野に留ま(っ)て風に吹かれ▢に晒さる。白かりし色も*黧(つし)み、*すはやかなりし姿もおおきに太りて手足不定にして、*足の袋に風を包めるがごとし。黒かりし髪筋を*▢群がりて草の本にまとはれ、*そびやかなりし目見(まみ)烏抉(くじ)りて木の節を打ち抜きたるがごとし。身体破裂して形色(ぎゃうしき)あらたまりぬれば、高きも賤しきもそのしるしなし。膿汁涌き出でぬれば土の色斑なり。中半(なかへ)は青く中半は赤し。足も手もあの木の本、この草の本に散り散りにあり。気色は野辺の草を汚し、臭き香は人の鼻に入り、目をもてすら見るべからず。況や近づき*愛念せむをや。

 死したる時初めてかかるにはあらず。生きたる時も不浄なれども、白き皮辺(かはべ)上に一重▢▢▢、下には諸々の悪穢を包めり。賢き人はこれを▢▢▢▢、瑠璃の甕に糞穢を入れたるがごとしと見る。愚かなる者は愛欲の皮眼(まなこ)の上に貼りて、男女の身不浄なるを見ぬこと、*犬の砂屑(さくず)の馴れたるがごとし。

 かくのごとくのことを知らずして、いみじきものになむして、心に違へば恨みをなし、心に叶へば悦ぶ。
 女人の身を見てば「皆内には諸々の不浄を包めり。また、大毒蛇を孕めり。まや、近づけては正念を失ひ、愛すれば*無漏の聖財を奪はる。」と思へ。

 かくのごとくの観を▢、*十二因縁を観ずとも言ひ不浄の観念とも申す。 

 

(注)志=恋情。

   狎れぬれば=原文「なれぬれば」で一夜でも馴れ親しむと、の意であろうが、

    「離れぬれば」(一夜でも離れ離れになると)の方が意味は通る。

   衣を返して=わざと衣服を裏返しに着て寝ると恋しい人を夢に見るという俗信が

    あったという。

   ほしからす=意味未詳。「欲しがらず」か。また「惜しからず」か。

   錦の褥=四方を錦で縁取った寝具。帝や大臣が使用した。

   牛頭馬頭=体は人で牛や馬の頭の地獄の獄卒。地獄では亡者は裸体、もしくはわ

    ずかな着衣だけであるから、牛頭馬頭だけがまとわりつくだけ、の意か。

   赤白二渧=渧は滴。母の赤い血液と父の白い精液。

   三十八の七日=38×7=266日。胎児が母胎にいる日数。

   いけはき・・・=生きたまま皮を剥いだ牛を墻壁にこすりつける。苦痛の形容。

    「大苦痛を受くること、牛を生剝ぎて墻壁に触れしむるが如し。」(『往生要

    集』(巻上大文第一 第五 人道)。

   手ふる=出血を伴う出産で手を触れられないのか。

   黧(つし)み=肌に黒っぽい斑点が出る。

   すはやかなり=細くて丈が高いさま。すんなりしているさま。

   足の袋=もしくは悪しの袋、葦の袋か。風を含んだ袋のように膨らんでいるの

    か。

   ▢群がりて=烏との対句であるから、犬、狗などが入るか。

   そびやか=しなやかでなまめかしい。

   愛念=愛欲。「愛念せむ」とは情交することか。

   犬の砂屑の馴れたる=犬が砂場でじゃれていることか。真実を見ないことがなぜ

    この比喩になるのか未詳。

   無漏=煩悩のない境地。

   十二因縁=人や生物を成り立たせる十二の要件は因果の関係にあるという考え。

    十二とは、無明・行・識・名色・六処・触・受・愛・取・有・生・老死。

 

 諸仏の説教は浅きより深きに到り、世間の事をもて出世の法を教ふ。我が申す事は徒事(いたづらごと)に似たりと言へども、*三蔵教の折、*空観の心に当たれり。今少し賢からむ人は深く観念をなすべきなり。円頼(頓か)の教法蔵に満ち、箱に充ちたれども学する者なし。三世の諸仏は空にいまし、国にいませども、見奉る者なし。されば、身には聖人の行を立つれども、菩提も取り難く、心には仏道の因縁を萌(きざ)せども正覚も成じ難し。

 凡そ、実の聖人と申すは、*津の国の難波のこ▢▢▢これ御法なり。*童子の戯れに砂(いさご)を集むる▢▢▢▢の道を作るなり。なほざりに折る一房の花、*当来花王(けおう)仏果を萌すなりと思ふなり。凡そ、まめやかの菩提を取らむと思はむ人は、円観念を凝らすべし。円観念と申すは、我が*心性を観ずるなり。

 我が心はそれ、*体性ありとやせむ、なしとやせん。ありと言はんとすれば目を閉じてこれを思ふに体性もなく、色質(いろかた)もなし。また、なしと言はんとすれば、*対縁にする時はこれ色なり、これ形なりと思ふ。心性はこれ*非有非無(うひむひ=有に非ず無に非ず)にして、中道第一義の甚深の理なり。三世の諸仏は因縁を借り、*十方の大士は譬喩をもて、この*我を成じ給へり。

 凡そ、我が一念の心性より万法は出生す。心を離れて別に、昔より仏といひ衆生といふ者なし。我が心は空なり。空観の胸の内には悪もなく善もなし。悪業何によ(つ)てか住せむ。かの空中の風の*依止(えじ)す▢▢なきがごとし。心有りと思へまた有りて悪趣を感ず。心なしと思へばば罪も空になりて誰か果報を得む。我が心もし悪を発せば、*無相の中道たちまちに五道の生死を出生す。心もし悪を留むれば、煩悩悪業ともに亡失す。例えば一の珠▢もて日光に臨むれば火を取り、月光にの▢むれば水を取る。この珠火を取り水を取るといへども珠の姿は異ならず。*法性の真珠の転変することもかくのごとし。

 

(注)三蔵教=天台宗で小乗教の別称。初唐の華厳宗の僧、法蔵は全仏教を五教(小乗

    経・大乗始教・大乗終教・頓教・円教)に分類したが、その第一。いわゆる小

    乗の人に対し説いた四諦、十二因縁などを中心とする『阿含経』などの教え。

    円頓教はその上位に位置する。

   空観=三観(空観・仮観・中観)の一つ。一切のものは永遠不滅の自我や実体と

    いったものはなく、すべては空であると観じること。

   津の国の難波=「津の国の」は「難波」の枕詞的表現。「難波の事」は「何はの

    事」にかけて、万事の意。「後拾遺集」に「津の国のなにはの事か法ならぬ遊

    び戯れまでとこそ聞け」(遊女宮木)とある。遊女宮木が書写上人性空に読み

    かけた歌とあるが、この性空は、和泉式部が「暗きより・・・」の歌を詠みか

    けた相手とされる。

    童子の戯れに砂を集むる=法華経方便品「乃至童子戯 聚沙為仏塔 如是諸人

    等 皆已成仏道」とある。子供が砂遊びで仏塔を作ったとしても、それによっ

    て仏道は達成できる、の意か。梁塵秘抄に、「古(いにしへ)童子の戯れに 

    砂(いさご)を塔となしけるも 仏になると説く経を 皆人持ちて縁結べ」と

    ある。

   当来花王=「当来」は未来。「花王」は仏または仏土。

   心性=不変な心の本体。

   体性=生まれつき身に備わっている性質。その本質をなすもの。実体。実性。体

    質。

   対縁=意味未詳。縁に対する、の意か。自分の心と向き合う時、確かに実体とし

    ての心を感じる、と解釈しておく。

   十方の大士=十方世界の菩薩。

   我を成じ=自己の心性を悟りの境地に到達させる、の意か。

   依止=よりどころ。

   無相の中道=超然とした、いずれにも偏らない中正の道。絶対真実の道理。

   法性=一切の存在、現象の真の本性、万有の本体。

 

  されば『華厳経』には、三界は唯一心なり。心の外に別に法なし。心と仏と衆生とこの三つは差▢なしと説き、天台には煩悩すなはち菩提なれば、集として断ずべきもなく、生死やがて涅槃なれば、苦として尽くべきもなしとは尺し給ふなり。

 かかりければ、奈落の猛き炎も*仏果の*依身に具はり、*毘盧遮那の身の大も我らが一念を隔てざりけるに、極楽世界の十万億の仏土を過ぐる。思へば我が胸の間なり。都変天(*兜率天?)の雲地渺々たる訪ぬれば衆生の一念にあり。さればにや『観無量寿経』には極楽世界をば、*去此不遠(此を去りて遠からず)とは説き給ふにや。

 三教四時の方便は、一乗法華のため、釈尊の出世もまたこの妙法を演説せむ料なり。妙法蓮華経の六万九千余の文字多しといへども、要を取れば、ただ我が一念の心性を説くなり。この観念をぞ仏も悦び菩薩もたとむ(尊む?)なり。*天子魔は仏界に空せられ、煩悩魔は変じやすく▢▢れて果を観ぜず。

 ただし、この観念に耐へざらむ人は、ただ念仏を修すべし。念仏▢ついて*事理(じり)あり。

 事(じ)の念仏と申すはこれ*散心なり。世路を走(わし)り妻子を具しながらただ一心に南無阿弥陀仏と申すなり。この六字名号に*一代正教の残ることなし。南無とと申すは梵語なり。これは帰命のことなり。阿弥陀の三字は空仮中なり。仏を覚者と申す。この三字の中に弥陀の初発心の時より仏果円満の今に至るまで具足するところの功徳法門のもて三字に摂入し給ふなり。弥陀の一身のみにあらず。十方三世の諸仏の功徳もこの三字の中に備へたり。ここをもて散心なりといふとも不浄なりと▢ふとも、退転なく名号を唱ふれば、無始の罪障たちまちに滅して往生することを得るなり。

 理(り)の念仏と申すは上(かみ)に申しつる観念なり。*一実真如の理を観ずるを理の念仏と申す▢り。

 また、*依法・正法あり。依法を観ずと申すは、心を*八功徳池に澄まして浪の苦空と唱ふるを観じ、思ひを七重宝樹にかけ▢、風の常楽と調ぶるを偲べ。正法と申すは、阿弥陀如来の六十万憶那由他由旬の身に八万四千の相好あり、*烏瑟の頂きより蹠(あなうら)の輻輪に至るまで明らかに思へ。

 この観念、広くは経論のごとし。かねては三巻の要集に委細なり。巻をひ▢きて習学すべきなり。何よりはまづ名利を厭ひ得て、往生をば願ふべきなり。往生の敵、仏道の障り、名利に過ぎたるものなし。されば、天台には『若為名聞利養 即累劫不得(若し名聞利養の為にせば、即ち劫累ぬとも得じ)』とは述べ給ふなり。

 

(注)仏果=悟りの位、仏の境界。

   依身=身体。

   毘盧遮那=毘盧遮那仏。宇宙の根元の仏。

   兜率天弥勒菩薩の住む浄土。

   去此不遠=極楽浄土は西方十万億土のかなたにあるが、法味観念の上から見れ

    ば、この娑婆世界からは遠くないの意。

   妙法蓮華経=一部八巻二十八品 六万九千三百八十四文字といわれる。

   天子魔・煩悩魔=四魔(五蘊魔・煩悩魔・死魔・天魔)の二つ。人心を迷わせ死

    に至らせるもの。

   事理=現象と本体。

   散心=乱れて安住しない心。平常の心。

   一代正教=一代聖教。釈迦が悟りを開いてから生涯の間に説いた教え。

   空仮中=三諦。天台宗で説く三種の真理。

   一実真如=唯一絶対にして真実なる理法。

   依法・正法=環境によって観ずる方法・事故の身体によって観ずる方法、と解釈

    しておく。

   八功徳池=極楽浄土にあるといわれる八功徳の水をたたえた七宝より成る池。

   六十万憶那由他由旬=由旬は距離の単位。非常に大きい身体、もしくは非常に遠

    いところにある身体。

   相好=仏の体の部分。

   烏瑟=烏瑟膩沙(うしちにしゃ)。仏の頭頂部に突出しているもの。肉髻。

   輻輪=仏の足の裏にある輻(や)が輪状になった模様。

 

 かやうの理を知らずして明かし暮らすほどに、今生の悪業のちか▢▢▢▢、悪道に堕つ▢、『暗きより暗き道にぞ入りぬべき』とは詠めり。

 次の七ゝの句は、御房の仰せられるがごとし。

 御房を見奉るに*衣の色も薄し。また、名利をも厭はせ給はずと覚ゆ。手をと▢▢、戯れなむどし給へば、*不浄観をも習はせ給▢▢と覚ゆ。されば、我が友には能はず。とくとく帰り▢▢、名利を厭ひ教法を習ひて習学せさせ給へ。教法流布の▢に生まれておはするは、宿習にはあらずや。何ぞ*真金を▢て、泥にし▢めて失はむや。

 我が申す事は皆これ、三世の諸仏の所説なり。わたくしの言葉にあらず。さりながらも、披露あるべからず。」

 と言ひて、

 「眠たくなりて候ふに、しばらくまどろみて暁に物語申さむ。」

 とて寄り臥しぬ。

 こはいかに、あさましやと思ひながら、我ともにうち臥しまどろみて、うち驚きてそばを見れどもなし。また、あからさまに出でにけるかと思へども、見えざりけり。

 あさましや、夢か現か分き難く、夢にもあらず、現にもあらず、か▢▢事になむ会ひて侍りしかば、昔の聖徳太子の再び生まれて我を教化し給ひつるか、また若しは、釈尊、虚空蔵の童子に変化して一座の説法をし給ひつるかと思ひて、随喜の涙を流し、随喜の肝を裂く。

 その時、前生の宿習たちまちに開発して、名利を厭ひ得て偏に念仏を業として候ふなり。あなかしこ、あなかしこ。後生の御勤めせさせ給へ。

 夢の世にて候ふに、受け難き人界の生を受けながら、旧里へおはしますなよ。悪縁を離れて名利をば捨てさせ給へよ。

 年来の情け・御恩をば、浄土に参りて必ず導き参らせ候ふべし。ゆめゆめ御疑ひ候ふべからず。あなかしこ、あなかしこ。

 

 離山は生年二十二歳、為御不審注之。

     六月十二日                     僧円厳

 横川の般若谷の大輔の君の御房

 

 行く末の忘れ形見となりやせむ難波の浦の葦手なりとも

 

 極楽の内にもこしをかくべきに外はなにかは苦しかるべき

 

(注)衣の色=色の濃淡は信仰心の濃淡を象徴するのであろう。

   不浄観=修行者が執着心を除くために、肉体の死んで亡びゆくさまを観察し、そ

    の不浄を悟ること。

   真金=「金を泥に捨て玉を淵に沈む」は日本国語大辞典によると、無用の宝に心

    がとらわれるのを防ぐ処置をいう。私欲を離れる、とあるが、文脈は逆の意味

    にとれる。

 

 令和二年内にアップできました。来年は「嵯峨物語」から。