religionsloveの日記

室町物語です。

上野君消息③ーリリジョンズラブ4ー

 その3

 翌日の夜、上野君は大輔の阿闍梨を尋ねた。阿闍梨は脇息に体をもたせてくつろいだ様子で上野君を迎えた。いささか般若湯が入っているらしい。上野君は感情を抑えた穏やかな口調で口を開いた。講説の時の誰をも調伏しないではおかない峻烈な口ぶりではない。しかしそれでいて 言葉の節々に頑としてゆるがせにできない力があった。

 上野君が暇乞いを願い出ると、阿闍梨の動揺は一通りではない。円厳の学才、当山の将来を託する逸材を失する悲しみもあったではあろうが、かつての愛童、今は堂々たる学僧ではあるが、心を砕いてきた上野が山を出でようとは慮外の事で、驚愕し内心の動揺はなはだかった。しかし、阿闍梨も大人を装うべく、落ち着き払う素振りで言う、

 「円厳よ、もしおぬしの道心が堅固で、ひたすらに遁世を望むのであれば、他人が強引にとどめようとしても、栓方あるまい。

 しかし、おぬしは山王大師様に身を委ねて、この山に身を委ねたものではないのか。

 このお山の守護、山王様には、おぬしの言い分が通ろうか。この山が人も法も興隆するのが本願であれば、もし和光同塵、この世に垂迹しておぬしに会おうものなら、悲しみこの上ないものであろうぞ。上野よ、おぬしはその暇乞いが、臆面もなく山王様に向かってできると申すか。」

 阿闍梨が言う事は、情に任せての放言に見える。しかし、山門のため、同衆のためというのは、当時の世俗寺院の定法である。そうはいっても児戯に等しい言い分に、上野君は冷静に、筋道立てて答える。過酷な勤行と、修学への刻苦、深奥な思索を重ねた千日の後に、谷中一と称えられた言説は論を超えた説得力がある。

 「師匠の仰せはごもっともでございます。私もまずは山王大師にと、社殿に参籠して、遁世の旨を願い出たのでございます。沈思黙然心を澄ましておりますと、山王の啓示がございました。」

 と言って、己の決意がいかに強くて正しいものか、そして山王大師がそれを受けいれ許してくれるのかを、内典・外典・諸経を引用して、かきくどいて説明した。これには房主も何も言い返すことができず、渋々認めざるを得なかった。上野君はさらに言葉を継ぐ。

 「かようなわけでございます。しかしながら、山王様がお許しになったからと、師匠の御房が快くご承知されなければ、どうして私が安んじて山を下りることができましょうか。

 阿闍梨様は、私のことを恩知らずだと思うかもしれません。幼い私を引き取って、両親を失った私を親の如く慈しみくださって、仏道にお導きくださいました。その御恩は一生かかっても語り尽くすことはできません。

 私がこのように、黒白の道理を弁えて、遁世の心を持つようになったのも、素晴らしい師匠の徳のおかげでございます。それなのにどうして、師匠の思いに背いて、突然暇乞いをするのかと不本意にお思いでございましょう。そのことは私も重々考えておりました。しかし、この道を歩むことこそ孝の道だと思っております。

 この度、快く暇をくださったことは、望外の喜びです。

 もし願いかなって、私が西方浄土に参ることができましたならば、必ず師匠をお迎えに参ります。どなたよりも真っ先に。」

 世は末世である。憂き世のつらさに耐えかねて、多くの道俗男女が来世で西方浄土に迎えられることを希求して阿弥陀如来の名を唱えていた。しかし、それは浮き世でもある。儚い世であれば、その刹那にひと時の享楽を求めて浮遊しようともする。上野君は「憂き世」を、「浮き世」を遁れたいと切に願ったのである。

 上野君は合掌し、深々と礼をして房主の前を立ち去った。 

原文

 次の日、房主にいとま申すに、房主おほきに騒ぎて、申さるるやう、

 「道心堅固にして、遁世の心一向ならむにおきては、人のいかに惜しみ制すべきによるべからず。

 但し、*山王大師にいとま申し受けむことは、難くやあるべかるらむ。人法興隆すべきものの、修学者一人住山せずして、離山せむことをば、*和光同塵の日は、惜しみ思し召さむずらむぞ。よくよく山王に申すべきなり。」

 と房主の御房言はるれば、少僧の曰はく、

 「仰せの旨、尤もその謂ひ侍り。そのよしは山王大師によくよく申し受けて候ふなり。ただ願はく、房主御房の御心を取り得参らせては、いかに罷り出で候ふべきとて、申し候ふなり。」

 と言へば、*なまじひに房主いとまたびつ。

 悦びて小僧の申すやう、

 「年来(としごろ)の情け・御恩は今生には申し尽くすべからず候ふ。かやうに*黒白(こくびゃく)を弁へて、遁世の心の起こり候ふも、御徳にて候へば、いかに恩も知らずにはかにはいとまを申すにやと思し召し候ふらむ。それをも思ひ知らぬには候はず。しかしながら、思ふこと候ひて申し候ひつるに、心安くいとまたびて候ふことうれしく候ふ。」

 とて、

 「必ず浄土に参りて、迎へに参り候ふべし。*前後にはよるべからず。」

 とて房主の前を立ち去りぬ。

 

(注)山王大師=山王権現薬師如来垂迹したとされる比叡山の守護神。

   和光同塵=仏・菩薩が日本の神祇としてこの世に現れること。ここでは、延暦寺

    の本尊薬師如来山王権現としてここに現れたら、離山しようとしてい上野君

    を許可してくれるかどうか、ということ。

   なまじひ=原文「なましゐ」。無理に。しぶしぶ。

   黒白を弁へ=物事の正邪善悪を識別する。道理をわきまえる。

   前後にはよるべからず=未詳。どこにも寄らず真っ先に迎えに来る、の意か。