religionsloveの日記

室町物語です。

上野君消息⑥ーリリジョンズラブ4ー

消息 その1

 去年の晩夏、月の明るい夜に、法輪寺をを参詣しようと思って、大堰川のほとりにと行った。川辺のさざ波は静かで、のどかな月の光は一点の曇りもない夜半である。ここは難波津ではないが、それに劣らぬほどの明るさよ、と誰かに告げて、情けを解する人に見せたく思って、渡し船に乗って、月の光のふりそそぐ中を、南の岸に渡った。

 境内にひっそりとまします、正一位稲荷大明神は、実に古びて神々しく、趣深いものであるなあと参拝して、やがて本堂へと着いた。夜更けなので全く人の詣でている気色は見えない。わずかに内陣で、かすかな水の滴る音が聞こえる。閼伽水に供花の露のしずくが落ちたのであろうか、それとも誰ぞこの夜中に秘かに参籠しているのであろうか。本堂の脇にある杉皮葺きの庵で鈴の音だけが、かそけく響いている。これも風の音か人のなせるものなのか。なんとももの寂しい風情である。

 本堂の正面に端座して、「南無帰命頂礼、大満虚空蔵菩薩、臨終正念、往生極楽。」と拝んで、静かに念仏して、経・法文を唱えて、身業・口業・意業の三業をひそめて、身も心も無にして祈っていると、夜はさらに更けていく。月の明るさに心も澄みきっていくようだ。

 と、人影がする。思わず木陰に隠れてみていると、稚児であろうか、女房であろうか、まだ幼げな姿で小袖だけを身にまとってやってきた。

 不審に思い見守っていると、人影は御堂の正面に佇んだ。見ると、齢十四五ほどの稚児である。容貌・物腰は貴(あて)やかで、姿・有様は並一通りではなく、眉・口元・皓歯どれをとっても、その居ずまいはたとえようもなく美しい。

 これはどうしたことだ、不思議なことだなあと思いながら、不躾かとためらわれたが、

 「どうしたことですか。このように夜が更けてございますのに、たった一人でお参りなさるとは。」

 と遠目に語りかけると、この稚児はその声に、見る人あるかと振り返り、にっこり微笑んで、

 「この月に優る美しい時がございましょうか。」

 と答えをはぐらかした。その謎めいた奥ゆかしさが、いよいよ好ましく思われて、やや近く居寄って、

 「なかなか情けあるお答えであることよ。そうではあるが、どこからおいでなさったのですか。これほどに夜が更けて、人なども寝静まってございます。まさか他所から参ったのではございますまい。どこであれこの寺中にお住まいなのでしょう。」

 我ながら詮索がましい言い方であった。と稚児は、

 「私は遥か遠くにいたのですよ。ですが今宵は大堰川のほとりの月が、なんとも明るく趣深いことであろうと思って、ふらふらと月に誘われて参ったのでございます。」

 と言う。遥か遠く?不思議なことを言うものだ、とは思いながら、

 「それは素晴らしい方にお逢いしたようです。それでは、今宵は私と御伽をいたしましょうか。」

 見ず知らずの稚児に浮薄な物言い、月夜のなせる業であろうか。すると稚児は、いかにも情けあることと思ったのか、拒みもせずに、

 「私の伽をしようとは、あなたが格別の人で、伽するに値するのであれば、そうおっしゃってもよろしいでしょうが・・・それはそうと、あなたの方こそどちらからいらっしゃったのですか。」

 と問い返してきたので、

 「私は北山の方に住んでおりますが、何か素晴らしいことがありそうに思って、物狂いに取りつかれたようにこちらに参ったのでございます。」

 とこちらも曖昧に答えた。と稚児は、

 「北山とは、比良の高嶺か大原か、所定めず北山とおっしゃることこそ優雅でございますね。」

 と言う。稚児はますます趣深く、「本当に情けある稚児だよ、どうにもこのままではいられない。」と私は自分ではどうすることもできないほどに心魅かれていったのである。

 稚児は、月を見上げてはその美しさを賞玩し、憂き世の中を語ってはそのはかなさを嘆いた。その物言いといい、振る舞いといい類なく優美に見えて、こらえきれずに、さらに間近く居寄って、手を取り体を寄せて戯れ、時を過ごした。

 さほどの時間ではなかったかもしれない、稚児が私の手を振りほどき、居ずまいを正した。私を正面に見る。端正で怜悧な顔立ちである。稚児はその可憐な唇を開く。

 「あなたは先刻、今宵は御伽をしようと申しました。それはお戯れの言の葉をうろつかせるようなものではないのでしょう。まことの伽をしたいのであれば、あなたがそれにふさわしい人であるか。もしそうならば、私の申し上げることをお聞きください。」

原文

 上野君消息(内題)

 過ぎし年の夏の暮れ、月あかく侍りしに、法輪▢▢に参らむと思ひて、*大堰川のほとりに*さし出でたれば、*川戸の波静かにして、月の光ものどけく、あまりくまなき夜半なれば、ここも明かしと言はまほしく、*難波辺りならねども、心あらむ人に見せまほしくて、渡し船になむ乗りて、月の光の射すに任せて南に岸に渡り着きぬ。

 *一稲荷の御社の、よに*かみさびにける有様、あはれなりとうち見て、本堂に参りつき▢▢▢、大方人の参りたる気色に見え侍らず。わづかに*内陣に閼伽の音かすかにして、前の杉の庵▢、鈴の声ばかりぞ*おとなひはむべり。よに心細く覚えて、正面▢▢▢りて、「南無帰命頂礼、大満*虚空蔵菩薩、臨終正念、往生極楽」と拝みて念仏静かにし、*法施(ほっせ、ほうせ)なむど参らせて三業をひそめて侍るほどに夜も更けぬ。 

(注)大堰川桂川保津川の上流域をいうが、ここでは桂川の今の渡月橋の辺り。南

    岸に法輪寺がある。

   さし出で=語順からして、月の光が射し出たとは考えられないから、語り手(上

    野君)が出かけた、の意か。

   川戸=川の狭くなっているところ。渡し場。

   難波辺り=難波(難波津、難波江、難波潟)は歌枕。明るい月の名所だったかは

    わからない。

   一稲荷=一位稲荷か。正一位稲荷神社。法輪寺はもと、秦氏の氏寺で葛井寺と称

    していた。また、稲荷神は秦氏の祀った神で、法輪寺内にも社がある。

   かみざびにける=神々しく神秘的である。古びて閑静である。

   内陣=神社の本殿や仏寺の本堂の奥にあって神体または本尊を置くところ。

   おとなひ=原文「をとなひ」。音がする。

   虚空蔵菩薩法輪寺の本尊は虚空蔵菩薩

   法施=経を読み、法文を唱えること。

   三業をひそめて=三業は、身業・口業・意業。人の心的活動。体をひそめて。

 

 月あかくて、心澄み侍るほどに、人の影のするを見れば、児か女房か、幼びたる者の、*小袖ばかりを着て参るなりけり。

 怪しと見るほどに、御堂の正面に居ぬ。見れば歳十四五ばかりの児の形・事柄、艶やかに、姿・有様なべてならず、大方、眉・口つき、*皓歯・居ずまひ例へむかたなし。

 こはいかに、怪しき事かな、とは思ひながら、

 「こはいかに、世の更けて候ふに、一人は参らせ給ひて候ふぞ。」

 と申せば、児うち笑みて、

「月に優る時やは侍るべき。」

 と言ふ。僧、いよいよ*なつかしく思ひて、近く居寄りて、

 「さるにても、いづくより参らせ給ひて侍るぞ。かくばかり世の更けて、人なむども、静まりて候ふに、よも外よりは参らせ給はじ。いかにもあれ、この寺中におはしなむめり。」

 と言へば、児の言うやうは、

 「遥かなるところに侍るが、いかに、大堰川のほとりの月、明かく面白かるらむと思ひて、行方なく月に誘はれて、参りたるなり。」

 と言ふに、この僧、怪しとは思ひながら、

 「さては賢くぞ参り合ひ侍りにける。さらば今宵、*御伽せむ。」

 と申せば、児はをかしげに思ひて、

 「わらはが伽をばおぼろげの人のせばこそは、伽せむとも仰せられめ。さりながらもいづくより参らせ給ひたる。」

 と問ふ。僧、答ふる様は、

 「これは、北山の方に侍るが、しかるべき事にてや、侍るら▢、ものの狂はするやうに覚えて、参りたるなり。」

 と言ふ。児の言ふやうは、

 「比良の高嶺か、大原か、北山と仰せらるるこそ*優しけれ。」

 と言ふ。

 僧、いよいよ面白く覚えて、「心ある児よ。わりなし。」と思ふにせむ方なくなりぬ。 さて児は、月のくまなきことをもてあそび、憂き世の中のはかなき事をなむ言ふ。

 物言ひと言ひ、振る舞ひと言ひ、よめにも類なく見えければ、忍びかねて、近く居寄りて、手を取り、戯れなんどして、遊びけるほどに、児言ふやう、

 「今宵、伽せむとかや、仰せられつるは、誠の伽せさせ給ひぬべき人か。さらば、わらはが申さむこと聞かせ給へ。」

 と言ふ。

(注)小袖=肌着。ただ、ランジェリーというより、浴衣を想像した方がいい。

   皓歯=原文「かふし」。美しい白い歯。ただ、当時上流貴族では男子も鉄漿をし

    ていたようで、白い歯を美の形容とする例はあまり見ない気がする。その外に

    美形を形容する文言が思い浮かばなかったので「皓歯」とした。

   なつかし=好ましい。

   御伽=「伽」は、① 話し相手をする。② 添い寝をする。寝所で相手をする。

    ③ 看病する。この場面で①か②かは微妙。

   優し=優雅である。