religionsloveの日記

室町物語です。

幻夢物語⑤-リリジョンズラブ3-

 その2

 意外なことに茫然としていますとこの稚児は、

 「旅の御僧、なんとなく会った気がしますが、はっきり見たわけでもない春の夜の夢の浮橋のようで定かではありません。どちらの方が、このどこに何があるかわからない山に、呼子鳥はいましても、呼んでくれる導きもないのに、入っていらっしゃたのですか。」

 と言いますので、

 「私は都近く大原という所の者でございます。つらく思う浮草のような我が身は、根を絶えきって水に誘われるように、浮かれ歩いているのです。

 この山に知っている人がいて訪ねたのですが、逢うことが難しく、旅寝の枕を貸してくれる人もいないので、この堂で一夜を明かそうと泊っているのです。」

 と答えますと、

 「そもそも、この山にはどのような方をお尋ねになったのですか。」

 とおっしゃいますので、

 「竹林房の、帥の公と侍従の公と申す方を尋ねて参りました。」

 と言うと、

 「それでは去年の冬に、比叡山で雪の晴れるのを待とうと、四王院に立ち寄って、言い捨ての連歌をいたした、大原の幻夢公がいらしたのですか。」

 と答えます。

 「その通りです。あなたのためにここまで尋ねて下りましたが、前世の奇縁が尽きなかったものと見えて、お会いできたことはうれしいことです。」

 と言って、去年の手紙をも取り出して、ただただ泣くのでした。

 さて、稚児がおっしゃるには、

 「私めも、夕暮れを眺めるにつけても、三夕の歌ではありませんが、秋でなくても悲しくて、季節がら、春の有明の月は朧にかすんで、桜の花の明るさも、涙のせいで曇っているのだと愚痴を言い、つらさを託して笛を吹いて心を澄ましているところに、『都より竹林房をお尋ねの旅の僧がいらっしゃる。』とのこと、ある人が語ったので、もしやあなたのことかと、人目も気にせず、白露をかき分け、山分け衣の袖を濡らして、ここまで参りました。

 さあ一緒に我が房に行きましょう。」

 と言って袖を引きなさると、

 「長旅のやつれた姿、恥ずかしい限りです。あなたにお目にかかれたらそれで十分です。もうこれで都に帰りましょう。」

 と言いますが、花松は重ねて言います。

 「粗末な身なりは旅の常、どうして見苦しいことでありましょう。ここまでお尋ねくださったあなたのお心はさぞ深いものだと思っていましたのに、私の申し出をお断りになるとは、今までおっしゃったことはみな嘘いつわりなのですか。」

 と恨み顔に強いて誘いますので、

 「それではともかく、あなたの仰せに従いましょう。」

 と言います。花松の言葉に幻夢は内心ずっと続いていたつらい気持ちも忘れ果てて、喜び稚児の後について歩いていくのでした。

 房に着くと夜はすでに更けているのに、人々は閨にも入らないで大勢の声が聞こえてきます。

 「こちらが竹林房です。少々お待ちください。」

 と言って稚児殿は中に入りなさる。しばらく待っていますと、

 「こちらです。」

 と言うのです。幻夢は、

 「これほど立派な所ならば、童子や同宿の僧などもいるはずなのに、花松殿があれこれ自分でするのは不思議なことだなあ。それともただ人目を憚ってそうするのかな。」

 と思って中に入ると、六間の広さの部屋をことさらきちんと整えて、紫檀の卓(しょく)に「没故花覚聖霊位」と書いてある位牌を立てて、その前には硯と懐紙を取り添えてある、とても立派な座敷へと案内されたのでございます。房内には人も物音がするのですが、この座敷にはこの稚児より他に人はいません。

 花松殿が言うには、

 「お師匠様は今夜にもお会いしてご挨拶申したいとのことですが、どうしてもやらなければならないことがございまして、明日ご対面したいとのことでございます。

 数奇な縁でございましょうか、叡山でかりそめにもお会い申して後は、恥ずかしい限りですが、あなたのことが片時も忘れられず、風の便りにでも聞きたいと思っていました。このような所にこうしてお下りいただいて、今宵思いがけずお会いできるのも、お互いが深く思い合っていたからだと存じます。

 風流を好む私たちですので、是非に連歌を一折でもいたしましょう。」

 と卓の上にあった硯と懐紙を取り寄せて、

 「私が執筆(しゅひつ)をいたしましょう。発句をお詠みください。」

 と言いますのを、幻夢は何度も辞退して、

 「梅若殿にご発句いただきたいと思います、かねてからずっと思っていたのですよ。」

 と申しますので、それならばと、

 夜嵐に明日見ぬ花の別れかな

 (夜に嵐が吹いて明日を見ないで桜の花は散り別れてしまうのだなあ)

 と詠んだので幻夢は、

 「このように申すのは不躾かもしれませんが、いつの間にか心安く思うようになりましたので、お頼みするのですが、そのご発句はふさわしくない表現ですので、お直しした方がよいのではないでしょうか。」

 と言いますと、花松殿がおっしゃるには、

 「そういう言い分もございますでしょうが、人の世が無常であることは、今に始まってことではないけれども、今あるからといって明日まで残ることが難しいものといえば桜の花ですよ。ですから文選には、『時無重到 花不再陽(この時は二度と来ない、この花は再び咲かない)』とあるのでしょうか。花も紅葉もいつまでもあるでしょうか。人の世もまたそうです。『千年の松の緑も最後には朽ちてしまう世の習い松に咲き添う春の花が、夜中の嵐に誘われれば、明日を見ずに散り別れてしまうだろう。』と思いましたので、このように詠んだのです。」

 と答えますので、幻夢は実にすばらしく優雅なお心であるなあと思います。

 こうして連歌もほどなく終わりますと、花松殿は腰から笛を取り出し、この懐紙に巻き付けて幻夢に手渡すと、消えるようにいなくなったのでございました。

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原文

 不思議と思ふより、心も身に添はずしてありけるに、この児のたまふやうは、

 「いかに*客僧、大方見申し候ふやうに見えども、結びも敢へぬ*春の夜の夢の浮橋、定かならず。いづくの人にてましませば、*遠近(をちこち)のたづきも知らぬ山中に、*呼子鳥のしるべもなくて、これにはお入り候ふぞ。」

 とありければ、

 「都のほとり大原と申す所の者にて候ふ。身を*うき草の根を絶へて、*誘ふ水に任せつつ浮かれ歩き侍り。当山に知る人ありて尋ぬれども、逢ふことかたき*岩がねの、旅寝の枕貸す人もなければ、この堂に一夜明かさんとてとどまり侍り。」

 と答へければ、

 「そもそもこの山には、いかなる人をお尋ね候ふやらん。」

 と仰せければ、

 「竹林房の帥の公・侍従の公と申す人を尋ね申し候ふ。」

 と言ひければ、

 「さては過ぎにし冬、比叡山にて雪を晴らさんとて、四王院に立ち寄りて、言い捨て申したりし大原の幻夢にて御渡り候ふか。」

 とありければ、

 「さればとよ。御身故にこれまで尋ね下り候ふに、先世の奇縁尽きずして、会ひ奉ることのうれしさよ。」

 とて、去年の文をも取り出だし、泣くより他のことはなし。

(注)客僧=旅の僧。

   春の夜の夢の浮橋=はかないもの。はかない上に夢はまだ見ていないので更には

    かない、の意か。

   遠近のたづき=場所場所を知る手段。

   呼子鳥=郭公(カッコウ)または杜鵑(ホトトギス)。呼ぶ導(呼んでくれる導

    き)を掛ける。

   うき草=「憂き」と「浮草」を掛ける。 

   誘ふ水=(大)(史)「誘ふ嵐」。「水」の方が「浮く」と縁語っぽい。

   岩がね=岩根。大きな岩。「岩根枕」は、旅寝すること。野宿すること。「逢ふ

    こと難(かた)き」と「堅(かた)き岩」を掛ける。

 さて、この児のたまふは、

 「*我らも夕べの空の眺めさへ、*秋ならねども悲しきに、折節春の習ひとて、*有明の月の影かすめる、花の光をも涙のとがとかこち果てて、憂き節繁き呉竹の笛を吹きて、心を澄まし侍る所に、都より竹林房をお尋ねある客僧のまします由、ある人が語りけるに、もしも*それの事にやと、人目もさらに*しら露の*山分け衣袖濡れて、これまで参りて侍るに、会ひ奉ることのうれしさよ。*いざさせ給へや。我が房に行かん。」

 とて袖を引き給へば、

 「旅のやつれ、はばかり入り候ふ。お目にかかるまでの事。これより都へ帰るべき。」

 と申しければ、重ねてのたまふやう、

 「旅のならひ、何か苦しかるべき。これまでお尋ね候ふほどの御心ざしにて侍るに、申す旨をお背き候はんには、何事も皆、偽りや。」

 と恨み顔にて誘ひ給へば、

 「ともかくも仰せにこそ従ひ候らはめ。」

 とて、このほどの憂かりしも忘れ果てて、児の後につきて歩みけり。

 夜すでに更けけれども、まだ閨にも入らで人声あまたする所あり。

 「これこそ竹林房にて候へ。お待ち候ふべし。」

 とて、児内にぞ入り給ひける。しばらく待つほどに、児内より出で給ひて、「こなたへ。」とのたまふ。幻夢心の内に思ひけるは、

 「これほどいかめしき所なれば、童・同宿などもあるべきに、児の自ら*ものし給ふ事のふしぎさよ。ただ人目をつつみ給ふにや。」

 と思ひ内に入りければ、*六間なるところを*ことに引きつくろひ、*紫檀の卓に、「*没故花覚聖霊位」と書きたる位牌を立て、前には硯・懐紙を取り添へて、よに尋常なる座敷へ請ぜらる。内には人音すれども、ここには児より他に人はなし。

(注)我ら=自分。単数にも用いる。

   秋ならねども=秋の夕暮れは悲しさ、寂しさを象徴する。三夕の歌が有名。

   有明の月の・・・=桜が散る中の有明の朧月を涙で曇った目のせいだとかこって

    いる。

   それの=あなたの。

   しら露の=「人目も知らず(気にしない)」と「白露」を掛ける。

   山分け衣=修行僧・山伏などが山道を分け行くとき着る衣。

   いざさせ給へ=人を誘う時の言葉。さあいらっしゃい。

   ものし給ふ=「ものす」は代動詞。

   六間=一間は1.82メートル。六間四方だと72畳間。かなり広い。

   ことにひきつくろひ=「ひきつくろふ」はきちんと整える。(大)(史)「結構

    に飾っ(史:り)て」。

   紫檀の卓=(群)「此壇の卓」。(大)(史)により改めた。「紫檀」は黒紫色

    の硬い高級木材。「卓(しょく)」は仏前に置き、香・花・灯・燭などを供え

    る机。

   没故花覚聖霊位=(大)(史)「物故花覚精霊(しょうりゃう)」。「花覚」が

    が{花松」を連想させ、ネタバラシ感がある。

 花松殿のたまひけるは、

 「師にて候ふ人、今夜対面申すべき事にて侍れども、*さりがたき事の候ふ上は、明日見参に入るべきよし申し侍り。

 不思議の宿縁と申し侍りながら、叡山にてかりそめに見え申せし後、申せば*恥ぢ入り候へども、御身のこと忘るる暇なく、風の便りも聞かまほしく、候ひつるに、かやうにこれまでお下り候ひて、今夜は思ひ寄らざる参会も互ひに心ざし浅からぬ故とおぼえ侍り。

 数寄の事にて候へば、連歌*一折興行申さん。」

 とてありける硯と懐紙を取り出だし、

 「*執筆申すべし。ご発句あそばし候へ。」

 とのたまふ。再往辞退して、

 「少人のご発句こそ本望に候へ。」

 と申せば、さらばとて、

 夜嵐に明日見ぬ花の別れかな

 とありければ、幻夢、

 「かやうに申すは*恐れ入り候へども、いつしかお心安く思ひ奉り候ふ間、申し入れ候ふ。ご発句はおもしろく候へども、あまりに*禁句にて候へば、お直しあるべきか。」

 と言ひければ、花松殿仰すは、

 「そのいはれ侍れども、人間の無常は今に始めぬ事ながら、今あればとて明日までとどめ難きは花ぞかし。されば*文選には、『時無重到 花不再陽(時重ねて到らず 花再び*陽(ひら)けず』と侍るにや。*花も紅葉も常なる。人間もまたかくのごとし。『松樹千年の緑も終に朽ちぬる世の習ひに候ふほどに、松に咲き添ふ春の花、夜中の嵐誘ひなば、明日見ぬ別れとなりぬべし。』と思ひ侍ればかやうに*続けける。」

 と答へ給へば、まことにやさしき御心ばへ、優にぞとおぼえ侍り。かくて連歌ほどなく終わりぬれば、花松殿腰より笛を取り出だし、今の懐紙に引き巻きて、幻夢に*たび給ひ、お名残り惜しやとばかりにて、太刀を取り、立ち給ふかと見れば、行方知らずなりにけり。

(注)さりがたきこと=避けられない要件。(大)(史)では、老師は老齢故、都に従

    った帥と侍従は時間のかかる用事がある故今夜は会えないとある。

   恥ぢ入り=(大)(史)「はばかり」。「はばかり」の方が男色を禁忌ととらえ

    る意味合いが強い。

   一折=正式な連歌は、百韻・五十韻・三十六韻(歌仙)を懐紙4~2枚裏表に書く

    のだが、その初折の裏表に二十二句もしくは十八句を書く簡略化した連歌

   執筆=しゅひつ。連歌俳諧の席で句を懐紙に書いて披露する係。

   恐れ入り候へども=(大)(史)「推参(さしでがましい)なる申し事にて候へ

    ども。

   禁句=和歌・俳諧などで使ってはならない句。

   文選=梁の昭明太子が編集した詩文集。

   陽けず=「花が咲く」意味の「ひらく」は下二段活用。

   花も紅葉も・・・=この文は疑問詞が欠落しているか。

   続け=発句だから続けるというのは変である。

   たび=与え。