上 その2
ある時、大宮権現の前で祈願して、
「実にこの神は、衆生を救おうと願い立って、釈迦如来がお姿を変えられた、他の神々とは違い、一段と優れた神様である。願わくは私、幻夢の志すところを円満に成就させてください。」
と願立てしましたところ、社殿がぐらぐら揺れ動き、本殿の中から、
「自らが持つ心月を明らかにさせたいと思うならば、根本中堂の薬師如来に祈りなさい。」
と夢うつつともなく、御示現の声がしたので、幻夢は非常に歓喜しました。
それ以来、ひたすら根本中堂に参詣し、薬師如来の十二大願を仰いで、祈り念ずることに余念がありませんでした。
そうしているうちに、十一月七日、明日は薬師如来のご縁日であり、さらに、円頓授戒の機会でありましたので、夜中に大原の草庵を出立して根本中堂に参詣しました。
「畏れ多くもこの如来は、伝教大師が手ずから作り、桓武天皇が御建立なさった後は、今現在に至るまで、年月久しく法灯を掲げる人々が絶えません。比類なき霊像です。どうか仏弟子であるこの私の願うところを成就させてください。」
と、広縁に座って、心をこめて祈るのでありました。
その後、戒壇院に参って授戒に儀式も無事に終えて山を下りようとしました。縁日と授戒が重なって、諸国の道俗貴賤が幾千万と数知れず群がり集まっているのを見ておりますと、空が急に暗くなり、雪が降ってまいりました。
雪を避けて四王院に立ち寄りましたところ、そこに、二人の法師と同行している、遠国から来たと思われる、年の程十四五歳の稚児が、これも雪の降りやむのを待って立ち寄っていたのでございます。この稚児はたいそう優雅でしとやかで、旅の疲れであろうか、なんとなくふさぎ込んでいる様子ですが、艶やかで美しく、粧いも華やかに見えます。
なすこともなく時が過ぎましたが、雪はまだやみません。この稚児は連れの法師に向かって言いました。
「東は志賀の浦でしょう。南に見えた山は平忠度が、『さざ波や志賀の都は荒れにしを昔ながらの山桜かな』と詠んだ旧跡でしょうか。今積もっている雪の梢が、山桜が咲いているように見えて興が催されます。ああ、どなたか、発句をお詠みください。言い捨ての即興の連歌をして遊びましょう。」
そう言いますので、法師たちは、
「我らが発句を詠んでも、おもしろくも何ともありません。若君がお詠みなされ。」
と勧めるので、それならば、とりあえず発句は、としばし案じて、
雪ぞ咲く冬ながら山の花ざかり
(雪が桜のように咲いて冬なのに長等《ながら》山は花ざかりのようであることよ)
と詠んだので、連れの法師が幻夢の方を見て、
「若君が発句を詠まれましたが、私共は平素、句を付け申していますので、御僧が賞玩なさって脇句をお付けなされ。」
と言いますので、幻夢は、
「そうもしたいと思っていましたが、そうはいっても私めは無骨の極みで、御遠慮いたしていたのですが、そのようにおっしゃってくださるのならば、お笑い草となるでしょうが、はばかりながら。」
と言って、
震へを隠す霜のさくら木
(霜の花が咲いた桜の木は震えを隠しているようだ)
と脇句を付けたので、面々はとても感じ入りながら、連歌を楽しみました。
すでに雪も晴れ、日も暮れ方になり、この稚児たちは東坂本に下る予定だといいましたので、幻夢は一人の法師に向かって、
「そもそもどちらからお上りになったのですか。」
と尋ねますと、
「旅の身ですので名のるほどのことではございませんが、かりそめにもこのようにお付き合いしたのですから、隠すこともないでしょう。下野の国日光山の住僧でございます。この若君が授戒するために登山したので、お供して参ったのでございます。明日は本国へ帰るつもりです。」
などと語りますので、幻夢は、
「仰せの通りことわざにも、『一樹の陰に宿り、一河の流れを酌むも多生の縁浅からず』と伺っております。今日ここでめぐり逢い、語り合いましたのも、全くすべて前世の宿縁と思われます。
このままでは、あまりに名残惜しく存じます。せめて明日だけでもご滞留なさって、疲れた足をお休めなさったらいかがと存じます。私めもご同道いたしたく存じますが、毎日のお勤めを怠ることもできませんので、大原というところの粗末な草庵に帰らねばなりません。
明日は必ず早朝から伺って、もう一度若君の連歌をお聞きして、生前の思い出としたく思います。」
などと、半ば強引に言うと、連れの法師は、
「貴僧のお気持ちがとても深いことはお察しいたしました。それでは明日だけは、坂本にとどまりましょう。きっとおいでください。宿所は、生源寺の辻で、日光山の授戒者の宿とお尋ねください。」
と言って、別れたのでございます。
原文
ある時、*大宮権現の御前に念誦して、
「誠に、この神は釈迦如来の*応化として*衆生済度の御請願、余の神に優れましますなり。願はくは幻夢の願ふ所円満成就。」
と祈誓するところに、社壇動揺して、*宝殿の内より、
「自性の心月を明らめんと思はば根本中堂の*薬師如来に祈り申すべし。」
と*うつつに御示現ありければ、悦びの思ひをなしそれよりひたすら根本中堂に参り、薬師の十二大願を仰ぎ、祈念怠ることなし。
(注)大宮権現=日吉山王二十一社の上七社のうち最も上位の社。
応化=仏・菩薩が世の人を救うために神や人に姿を変えて現れること。垂迹。
(大)(史)「化身」
宝殿=本殿。
薬師如来=東方浄瑠璃世界の教主。十二の大願を発して衆生を病気などから救
い、悟りに至らせようと誓った仏。
うつつに=(大)(史)「夢うつつともなく」。
さる程に、十一月七日、明日は薬師のご*縁日*といひ、または*円頓授戒の折節なれば、夜中に大原の草の庵を立ち出でて、中堂に参りぬ。
「忝くも、この如来は*伝教大師の御作にして、*桓武天皇御建立の後、今に至るまで、年月久しく*灯を掲ぐる輩*絶えず。無双の霊像なり。願はくは、弟子が所願成就せしめ給へ。」
と懇ろに*祈念し、*大床に侍りける。
(注)縁日=神仏がこの世に縁のある日。月の八日は根本中堂では薬師如来の縁日。そ
の日に参詣すると普段に勝るご利益が得られるとされる。現在でも八日に行く
と特別な御朱印がもらえる。
といひ=であり。
円頓授戒=円頓戒は天台宗の奉じる大乗戒。その戒を受けること。受戒して正式
な僧となる。
伝教大師=最澄。根本中堂の薬師如来像は最澄作とされ、現在は秘仏として厨子
の中に安置されているという。
桓武天皇=第五十代天皇。平城京から長岡京、平安京へと遷都し、南都の旧仏教
を排除し、最澄や空海を起用し、新仏教を興させた。根本中堂建立にかかわっ
ているかは未詳。
灯を掲ぐる=根本中堂の法灯は創建以来消えたことがなかったという。後年の信
長の比叡山焼き討ちの際には、出羽の立石寺に分灯された法灯を再分灯したと
いう。
大床=神社の縁側。
その後、戒壇院へ参りて、受戒の事終わりて、下向せんと思ふところに、諸国の道俗貴賤幾千万と知らず群集するを見侍る折節、雪かき暮れ降りければ、*四王院に立ち寄りぬ。
ここに、年の程十四五ばかりなる児一人、法師二人連れたるが、遠国の人と*おぼえて、これも雪を晴らさんと立ち寄りぬ。この児を見れば、よに優れ、*尋常にて、旅の疲れにや、もの思はしき姿ながら、*嬋娟たる粧ひ華やかに*見えし。
(注)四王院=四天王を安置した寺院。現存しない。
おぼえて=(群)「おぼゑて」。
尋常=すぐれていること。しとやかな様をいうか。見目の良いさまをいうか。
嬋娟=容姿が艶やかで美しいこと。美女を形容する常套句。
見えし=(群)「見へし」。
かくて時移りけれど、雪*なほやまず。かの児連れの法師に向かひてのたまひけるは、
「東は*志賀の浦、*南に見ゆる山は忠度の、『昔ながらの』と詠ぜし跡にや。雪の梢を山桜かと興を催し侍りぬ。あはれ、*発句し給へ。*言ひ捨てして遊ばん。」
とありければ、法師、
「我らが発句は、その*詮無し。少人あそばし候へ。」
と申しければ、とりあへずのけしきにて、
(注)なほ=(群)「なを」。
志賀の浦=琵琶湖西岸。
南に見ゆる山=千載和歌集に読み人知らずとして入集した、「さざ波や志賀の都
は荒れにしを昔ながらの山桜かな』は平忠度の歌とされる。「平家物語 忠度
都落」に詳しい。
発句=連歌の最初の五七五。これに別の人が脇句(七七)を付け、また別の人が
第三(五七五)を付け、最後の人が揚げ句(七七)で結ぶ言語遊戯を連歌とい
う。
言ひ捨て=句を懐紙に記録しないで詠み捨てること。座興としての連歌。
詮無し=意味がない。無益である。(大)(史)「曲もなし(おもしろみがな
い?)」
雪ぞ咲く冬*ながら山の花ざかり
とし給へば、連れの法師、幻夢が方を見て、
「少人の発句にて候ふ。我らはいつも承りて候へば、御僧*賞玩候へかし。」
といひければ、幻夢、
「それがしもその望みにて候へども、さすがに無骨の至りにて候ふ間、*斟酌申すところに、かやうに承り*候へば、お笑ひ草となりなんも顧みず。」
とて、
*震へを隠す霜の*さくら木
と付けたれば、おのおの感じ、興に入りぬ
(注)ながら山の=(大)(史)「ながら山」この方が字数は合う。「冬ながら(冬な
のに」と「長等山(地名)」を掛ける。
賞玩=良さを味わうこと。文脈からすると、味わって脇句を付けることか。
無骨=不才。
斟酌=遠慮。ためらい。
候へば=(群)「候得ば」
震へ=(群)「震え」原文はア行、ヤ行、ワ行の仮名遣いがかなりあやふや。
さくら木=「霜(の花)が咲く」と「桜木」を掛ける。
既に雪も晴れ、日も暮れ方になりければ、この児*東坂本に下るべきよしのたまへば、幻夢、法師に向かひ、
「そもそもいづくよりお上りの人にて御座候ふぞ。」
と尋ねければ、
「旅の体、憚り入り候へども、*あからさまにもかく*申し承り候へば、何をか隠し申すべき。*下野国日光山の住僧にて候ふ。この少人授戒のために登山候ふ間、同道申し候ふ。*明日は本国へ下り侍るべし。」
(注)東坂本=坂本。近江から比叡山に登る登山口。京都からの登り口は西坂本とい
う。
あからさまに=かりそめに。ついちょっと。
申し承り=おつきあいする。
下野国日光山=栃木県日光市にある日光山輪王寺。天台宗の門跡寺院。延暦寺に
次ぐ隆盛を誇ったという。
明日は=(大)(史)「やがて(すぐにの意)」。
など語りければ、幻夢、
「仰せのごとく、『*一樹の陰に宿り一河の流れを酌むも多少の縁浅からず』とこそ聞き侍れ。今日、参り会ひ、お物語申す事、*しかしながら先世の縁とおぼえ侍り。
あまりに名残惜しく候へば、明日ばかりは御滞留候ひて、御足を休め給はり候へかしと存じ候ふ。某も同道申したく候へども、毎日の勤め怠ることなく候ふ間、大原とて*不思議な草の庵の候ふに罷り帰り候ふ。
(注)一樹の・・・=知らぬ者同士が雨を避けて同じ木陰に身を寄せ合うのも、あるい
は同じ川の流れを酌んで飲み合うのも、前世からの因縁だろう、ということ。
不思議な=粗末な。
明日は必ず早朝に参り、御連歌をも今一度聴き申して、生前の思ひ出にしたく。」
など、*あながちに言ひければ、連れの法師、
「御志のほど、あまり懇ろに承り候へば、明日ばかりはとどまり申すべし。*あひかまへて*お入りあるべく候ふ。宿所は*生源寺の*辻にて、日光山の授戒者の宿tお尋ねあるべし。」
と言ひて互いにここより別れけり。
(注)あながちに=強引に。ひたすら。
あひかまへて=きっと。
お入り=おいで。(大)(史)「お出で」。
辻=(大)(史)「築地」。