巻五 第五章
一方、少将律師は公の法会を何度も務めて、少僧都の地位を望んだが、下位の者に先を越され、学道に対しての意欲も衰え、隠遁したいとの気持ちが強まり、暇乞いをしようと春日大社を参拝した。
五重唯識を象徴する緑の簾には、二空真如の露が滴り、百法明門の朱の斎垣には、八識頼耶の影が映って、心からありがたく感じ、感激の涙も目に満ちた。一晩中瑜伽唯識の経典を紐解いて、依他円成も法要を行った。そして心の底から、
神もなを(ほ)うきを捨てずは春日山かひある法を道しるべせよ
(春日明神もまだ見捨てないならば頼みがいのある仏の道にこの悩み苦しんでいる私
を導いておくれ。)
と祈った。
このようにして暁が近づいて、夢現(ゆめうつつ)かわからない頃に、気品ある白髪の老翁が束帯姿で現れた。老翁は律師の前に進み出て、「自受法楽の南都を出て忍苦捍労の境遇で光をやわらげ穏やかに暮らすことは、大小権実の仏教の妙味を味わうことと同じである。出離生死の迷いを脱しようと思う事こそ、全ての障碍を超えて、真実仏の恩に報いようとすることになるのだ。四所権現の社の内は名残惜しいかもしれないが、あえてその未練を断ち切って、仏果菩提の道を尋ねれば、八相成道の蓮台の上で三明の悟りを期待できるであろう。(奈良を捨て、侍従への思いを断ち切って遁世すれば、悟りが得られるであろう、との意か?)」と言って、かき消すようにいなくなった。
元々望んでいた遁世だが、この権現の示現に一層心を強くして、東南院に戻り、親しい人に経典や寺務を託した。比叡山の侍従にも今一度言葉を交わしたいと思ったが、かく決意したからには、かえって無意味なことだと思い、高野山の奥の院に入ってひたすら修行に打ち込んだ。
(注)春日大社=なぜ暇乞いに春日大社に参拝するのか不明。以後、妙に対句を多用し
た文体に変化する。しっくりする現代語への訳は難しい。
二空真如=あるがままの真理。
百法明門=何かの真理か?
斎垣=神社の垣根。
瑜伽唯識=真理の一つ?
依他円成=これも真理?
自受法楽=法悦の境地にひたり味わう事。ここでは、安穏に暮らすこと。
忍苦捍労=辛さに耐えることか?
大小権実=大なるもの小なるもの、仮のもの実体のあるもの。つまりすべてのも
の。
四所権現の社の内=山王七社の内の四社。比喩的に延暦寺の侍従を指すか。
仏果菩提の道を尋ねることは=仏道修行の結果悟りを開くこと。
八相成道=釈迦が衆生を救う八つのあり方。
三明=仏の備えている三つの智慧。