religionsloveの日記

室町物語です。

稚児今参り①ー稚児物語2ー

「稚児今参り」は僧侶と稚児の恋愛を描いたものではありません。稚児と姫君との恋愛ですから厳密には、稚児物語ではないかもしれませんが、主人公が比叡山の稚児ですので取り上げてみました。

 室町物語大成9巻に岩瀬文庫蔵の*奈良絵本が翻刻されています。補遺2巻に「稚児今参り絵巻」が所収されていて、こちらの方が時代も古く、内容もやや詳しいようなのでこちらをテキストとして、奈良絵本で補うようにして原文を作りました。

 ただ、仮名遣いは標準的な歴史的仮名遣いに改め、読みやすいように適宜漢字に改めtた部分もありますので、私自身の見解も混入していることはご了承ください。

上巻

その1

 そう古くはない頃のことである、内大臣で左大将を兼任している方がいた。この方は多くの公達を御もうけになられた。その中に非常に容貌の優れた少将と申す若君と、この世のものとも思われないような美しい姫君がいた。その評判に帝や春宮もお召しになりたいのご意向があったが、大臣は、帝が召されるにはいささか年齢が幼な過ぎるということで、春宮にこそ入内させたいと心に決めて、例のないほど大切に育てたのであった。

 この姫君は、姿かたちが優れているばかりでなく、何事をなすにも素晴らしく、この世に並ぶ者がないほどで、父大臣や母の奥方様ははかえってその素晴らしさを危惧するほどであった。

その2

 とある年の二月十日頃から、この姫君が病の床に就いた。ただのちょっとした病気だろうと気にも留めていなかったが、日に日に容態が悪くなっていったので、何ぞ物の怪の仕業かもしれないと、あまたの祈祷を試み、有験の僧たちが加持を行ったが、効果もなくますます弱っていく様子である。ご両親はひどく取り乱して嘆くばかりであった。

 その頃、比叡山の座主で、霊験あらたかと世間で評判の験者がいた。この方ならもしかしたらと、兄の少将を使者としてお迎えに行くと、座主は山を下りていらっしゃった。早速壇所を仕立て、七日間加持を行った。

 その3

 僧正の御加持のおかげか、姫君の病状はやや治まって薬などもお召し上がりになられたようで、ご両親はこの上なく喜びなさった。

 七日を過ぎたので僧正一行は山へ帰ろうとしたが、まだ病の余波もあるかもしれないと懸念されたので、もう七日ととどまり申し上げなさった。

 さて、この僧正には片時もおそばを離れさせない寵愛の稚児がいた。この時も具して来たのである。時は弥生の十日余り、中庭は桜の花が咲き乱れて池の辺りが何とも趣深い。稚児が立ち出でて花を眺めながら逍遥していると、女房たちが二三人ほど立ち現れて高欄に寄りかかって花を愛でている様子である。稚児がとっさに花の下に立ち隠れると、まさか人がいるとは気付かないで、女房たちは御簾を少し上げて、「姫君、散り乱れる花の夕映えを御覧なさりませ。」と申し上げると、奥方様も、「そうです、花でも見てこの程の病の苦しさを慰めなされ。」と言い、御簾をさらに上げる様子なので、畏れ多くなってさらに小暗い木陰に隠れて姫君の御姿をこっそり窺うと、御年の程は十五六と見えて、脇息に寄りかかって桜の花をうっとりと見やっている様は、初々しくも気品に溢れ、眉や額の辺りは華やかな面差しで何とも言いようがない。

 聞こえはしないが誰かの言葉に微笑んでいる様子は、その愛らしさが溢れこぼれるようであった。「このような美しいお姿にお目にかかれたのは嬉しい限りであるが、もう二度と見る事はないだろうなあ、詮無いことだが。」とわけもなく胸がいっぱいになってくる。そのうちに日が暮れて、「さあ格子を下ろしましょう。」などと言って人々の中へ入ってしまう。御簾も下ろされてしまったので立ち退くしかないのだが、稚児は心の中で耐え難いほど落胆している。

  そのままに心は空にあくがれて見し面影ぞ身をも離れぬ

  (あなたを見るやいなや私の心はうわの空で我が身を離れて何処かさまよっていま

  すが、その時見たあなたの面影は我が身を離れません)

原文

その1

 近き頃の事にや、内大臣にて左大将かけ給へる人おはしけり。公達あまたも*おはしまさす。少将にて容貌(かたち)よに優れ給へると、この世のものとも見え給はぬ姫君ぞ一人おはしましけるを、*内裏(うち)、春宮よりも*御気色ありけれども内裏には少し御年のほどもいとけなき御事なればとて、春宮にこそはと、思したつにも、ためしなきまで、かしづき奉り給ふこと限りなし。

 御容貌優れ給へるのみならず、何事も*しいて給へること、世にためしなきまでおはしければ、*殿・上などはかつ危ふきまでぞおぼえ給ひける。

(注)奈良絵本=御伽草子などに彩色の挿絵を入れた子写本。

   おはしまさす=あらす(生む)の尊敬語。

   内裏・春宮=帝・皇太子。

   御気色=寵愛。お覚え。

   しいて給へる=語義未詳。「秀(ひい)で」か?

   殿・上=父の殿と母の奥方。

その2

 如月の十日頃よりこの姫君、*なやみわたり給ふ。ただかりそめの御事に思ひきこえ給へるに、日数に添へては*ところせくのみおはしければ、御物の怪の仕業にこそとて、御祈り数を尽くして、有験(うげん)の人々加持したてまつり給ひけれども、験(しるし)もなくていよいよ頼みなきさまに見え給へば、殿・上の思し嘆くさま理にも過ぎたりけり。

 その頃、*山の座主験者に世に聞こえ給へりければ、もしやとて少将を御使いにたてまつり給へりければ、おはしましにけり。壇所に七日置きたてまつりて、加持したてまつり給ふ。

(注)なやみわたり=病気でいる。

   ところせく=難儀である。やっかいだ。

   山の座主験者に=原文「▢すかや▢のけんの▢▢に」。奈良絵本により改めた。  

    山は「比叡山」。

その3

 僧正の御加持の験にや、御心地少し*なほざりにて*御湯などもご覧じいるる様なれば、殿・上の喜び給ふ様限りなし。

 七日に過ぎぬれば、山へ帰り給ひなんとするに、*名残りもおそろしとて、今七日とて留めきこえ給ふ。

 この僧正、片時も御身を放ち給はぬ児ありけり。この度も具し給へるが、*御壺の花弥生の*十日あまりのことなれば、咲き乱れて池のわたりおもしろかりけるを、見ありきけるに、女房ども二三人ばかり出でて、高欄におしかかりて花を見ければ、児は花の下へ立ち隠れぬるに、人ありとも見えねば、女房どもこの御簾少し上げて、「散り紛ふ花の夕映えを姫君ご覧ぜさせ給へかし。」と申すに、上も「この程の御心地をも慰み給へ。」とて、御簾少し上ぐる気色なれば、空恐ろしくていよいよ小暗き陰に立ち隠れて見たてまつるに、御年は十五六の程と見え給ひて、脇息におしかかりて、花にのみ心入りて見出し給へるほど、*あてになまめかしく、*匂ひ満ちたるまみ、額つきいふばかりなし。

 何事にかうち笑みなどし給へる様、愛敬傍らにこぼるる心地し給ふ。「かかる事を見つるはうれしきものから、*あぢきなく、またはいつかは。」とそぞろに胸塞(ふた)がる心地ぞするや、暮れぬれば、「*御格子」など言ひて、人々も内へ入りぬ。御簾も下りぬれば、立ち退く心地いと堪へ難し。

  そのままに心は空にあくがれて見し面影ぞ身をも離れぬ

(注)なほざり=小康をいうか。「おこたり」と同義か。

   御湯=薬湯。「ご覧じ入る」は召し上がる。

   名残り=病気のあと、身体に残る影響。

   御壺=中庭。

   十日=奈良絵本「廿日」。

   あてになまめかしく=上品で(若々しく)美しく。

   匂ひ満ちたる=辺り一面華やかになる。

   あぢきなく=やるせなく。

   御格子=(日が暮れたので)御格子(を下ろせ)。