巻二 第五章
九月中旬の頃なので、高嶺の強風が雲を払って月もほのかに見え隠れして、夕べに奥深い谷川の岩たたく水音ももの寂しい。鹿や虫の哀しみを誘う泣き音を聞くにも、大江千里の「月見れば千々にものこそ悲しけれわが身一つの秋にはあらねど」が思い出され、自分だけの秋ではないのだなあとしみじみと感じられた。道芝の露も流れる涙も溢れるほどで、牡鹿の爪が山川ではなく、その露や涙でも濡れてしまいそうだと驚きあきれるほどであった。
と、十四五ほどの童が先を歩いているのが見えた。若君が呼び止めて、「私は山へ上ろうとしているのですが、もしあなたもそうならば、同道しませんか。」と語りかけると、童も嬉しそうに、「私は東塔へ上ります。あなたはどちらへいらっしゃるのですか。」と聞くのだが、若君は侍従がどこにいるのかは知らない。どこに何があるかもわからないので、「私も東塔です。」と答えた。とかく難儀をしながらもやっと西谷へ入った。
童は、「これは弥勒堂、あれは千手院。」と事細かく教えてくれた。童の与えてくれた閼伽井の水は月心を映してきらめき、飲めば心に優しくしみて、弥勒堂から聞こえてくる三会の読経の声は、弥勒が我を救うがごとく頼もしく思われた。二人はしばらくやすんでいたが、童は、「私は南谷へ行きます。」と立ち去った。
さて、若君はどこの房とも知らないので、誰にも尋ねようもなく、思い悩みながら道にしたがって歩いて行った。
一方、侍従は長年諸寺を往来し、典籍を繙き、経文を広げては巻いて読誦し、先学の教えを深く学び、蛍を窓に掲げるほどであったが、それに引き比べると今は、修学も廃れ、山にいることさえも物憂く思われ、生きながらえる心地もしないほどで、若君を恋思う心ばかりがとめどなく溢れ、修行に出るとでもかこつけて、奈良をも訪ねようと思うようになっていった。
しかし、長年住み慣れた山を離れることも心残りで、もう一度根本中どうにも参詣して、いとまごいの法施を奉って、読経し、法文を唱えようと、心を静めて堂に入ると、とある森の下陰からかすかな声で、
あをによしならひなき身の旅衣きても山路はまよひぬるかな
(《青丹よしの奈良ではないが》慣れない旅衣身に着てやって来たが、やはり比叡山
への道は迷うことだなあ)
誰の声ともわからず聞いて、その名が示す奈良のことが慕わしく思い浮かんで、声のする方に近寄り、声の主の袖を引いて、誰だと問うと、侍従の声を覚えていたのであろうか、手にしたがって誘われるようである。はっと見ると、若君ではないか。
とても現実とは思えない。あまりに思いが募ったゆえの夢ではないか。これはどうしたことか。と、事態が理解できないでいたが、若君は、「あなたゆえに迷ったのですよ。」と恨み言をいう。
その姿があまりにいじらしく見え、侍従は、自分の気持ちをあれこれ説明しようとするが、涙でひどく声が詰まって何も言われなかった。稚児もしみじみ悲しく思って、袖に顔を押し当ててお互い泣くよりほかなかった。
(注)牡鹿の爪=拾遺集「さおじか(=小牡鹿)の爪だにひちぬ(=濡れてしまった)
山川のあさましきまでとはぬ君かな」を踏まえる。牡鹿は妻(=女鹿)を慕っ
て泣くというが、その涙が山川となって爪を濡らすほど私の求めに応じないあ
なたであることよと、相手のつれなさをかこつ歌。
月心=こころの月。悟りを開いた月のように澄んだ心。ここでは柄杓などに酌ん
だ水に映る月影をいったものか。
三会=釈迦入滅56億7千万年後の弥勒菩薩が人間界に下って衆生救済のために
行う法会。ここではそれにちなんで弥勒堂で行う読経であるか。
あをによし・・・=「あをによし」は奈良の枕詞。「ならひ」は奈良と慣らいを
掛ける。「きて」は着てと来てを掛ける。
あなたゆえに・・・=前出の和歌を踏まえて、山道に迷っただけでなく、あなた
のせいで私の心が迷ったのだと言った。